シリスとメルと決勝戦
仮面を外したアルマティア……その正体はメルだった。
あまりに衝撃的で私は言葉を失ってしまう。
そんな私とは対照的に、メルはいつも通りの笑顔を見せながら、普段と変わらない態度で話し続ける。
それが逆に、私の知るメルとは異なる印象を抱かせた。
「うふふ、ねえシリス? 驚いた? 驚いてくれたでしょ? シリスに気付かれないようにするの苦労したんだよ? 喋ったらすぐにわかると思うし、近くにいるだけでバレちゃうかもってドキドキしたけど、本当に驚いてくれてるみたいだから大成功だよね!」
「ど、どういうことなの?」
「シリスをびっくりさせようと思って」
「うん、びっくりしたけど……そうじゃなくて」
まるでイタズラが成功した子供のような無邪気さで笑うメルだけど、そもそもメルが決勝まで進んでいること……いや、出場している時点でありえない。
彼女の体の弱さは私がよく知っている。
たしかに最近はずいぶんと調子が良くなっていたけど、だからって他の出場者たちを倒せるほど、おてんばな子じゃなかったはずだ。
例え私をびっくりさせたい、なんて可愛いイタズラを思い付いたとしてもね。
「もう一回聞くけど、どうしてメルがここにいるの?」
「シリスと勝負するためだよ」
「え、それって、どういう――」
「そんなことよりシリス」
どういう意味なのかと言いかけた私を遮るように、メルは口を開く。
その顔に、さっきまでの笑みはない。
あるのは困ったような、あるいは残念そうな表情だ。
「このままだとシリス、私に負けちゃうよ?」
「……メル?」
「だから私との試合は、ちゃんとシリスの本気を見せてね?」
また不意に、にこりと微笑むメルを前にして、私は思ってしまった。
私と話しているのは、これは本当に……本物のメルなのかと。
もちろん私が間違えるはずもない。紛れもなく本人だと直感が言っている。
だからこそ、私の知るメルとの違いに違和感が嵐のように波打つのだ。
「色々と聞きたいんだけど……答えるつもりはないんだよね?」
「うふふ、ごめんねシリス。本気で勝負したいから、まだ秘密だよ」
「そっか……うん、わかった。じゃあ私がメルに勝ったら教えてくれる?」
「いいよ。シリスが勝ったらなんでも教えてあげる」
理解できないことだらけだけど、これで私の中にある迷いは晴れた。
なにがメルの目的なのか、なにを隠しているのか……それらは勝てば教えてくれると約束してくれた。
だったら私がすることは、初めからなにも変わらない。
このまま優勝を目指すだけだ。
問題は……メルがアズマすら圧倒していたことか。
つまり彼女の剣は、一流を凌駕する領域に達していることを意味する。
いったい、いつの間に剣技なんて習得したのか不思議だけど、それも含めてきちんと話して貰うとしよう。
場所を試合舞台に移した私たち。
ついに決勝戦が始まろうとしている中、観客席からはざわめきが絶えない。
なぜならメルが正体を隠すことをやめたからだ。
仮面と共にローブを脱ぎ去ると、そこに現れたのはショートパンツに白いシャツ姿をした少女である。メルを知らない人も、知っている人もみんな驚愕だ。
そして先に知っていたはずの私も、その服装を見てまた驚いた。
なんだか私の持ってる服に似ているんだけど……気のせいかな?
今は森妖精の黒絹とジャケットを身に付けているから少し違うけど、他はまるで私の格好そのもので……。
うん、偶然かな!
それよりも試合に集中しよう。
メルの武器は、やっぱり二振りの剣だ。
これはアルマティアが双剣使いだったから知っているけど、あんな剣をどこから調達したのかは気になる。
というのも一本は数打ち物っぽいから良いとして、もう一本がなかなかの逸品に見えるからだ。
孤児院に武器なんて置いてなかったし……あ、もしかして私の予備かな?
ふと、一本だけ安物を部屋に放置していた記憶を思い出す。
だとしても、高そうなもう一本はどこから?
考えてもわからなかったけど、なんとなく私の物のような気がする。
まあメルが使うなら、勝手に持って行ってくれても構わないんだけどね。
少なくとも『桜花』や『星宝剣』を上回る名剣ではないだろうし、武器という点においては私が有利だろう。
でも決して油断はしない。
というよりアズマを下している時点で、油断なんて考えられる余裕はない。
だけど……私がメルを傷付けるのも考えられない。
ならば私が狙うのは、あの剣だ。
武器を失ってしまえば敗北となる。初手から全力で叩き折りに行こう。
「では、これより決勝戦を行います!」
審判の宣言から一際大きな歓声に包まれるも、それらの音は小さく聴こえた。
私は全神経を集中させている。
間違ってもメルに肌に傷なんて作らないよう、武器だけを破壊するために。
そして一撃で終わらせるよう、剣気をありったけ込めて握る。
今ならリザードキングの腕を二、三本は容易く斬り飛ばせるだろう。
対するメルは……あまり変わらない。
どこかエドのような強者が持つ余裕を感じさせる佇まいに、少しだけ冷や汗が背筋を流れた気がした。
最後に審判は、私たちの様子を窺うと問題なしと判断し……。
「試合、開始っ!」
その言葉と共に腕が振り落とされた瞬間、私は飛び出した。
メルは反応できていないのか、接近する私へ視線を合わせていない。
あまりに無防備なまま、だらんと両手に剣を携えたまま棒立ちだ。
完璧なタイミング、最高のコンディション、絶好のチャンス……!
斬れる!
そう確信した。
狙い通りに、思い描いたままに、まずはメルが右手に持つ剣を両断しようと私は桜花を振り抜く。
少し手を痺れさせちゃうかも、なんてこの期に及んでメルの身を心配してしまうほど、その一瞬には心に猶予があった。
そんな奇妙にも時間が引き延ばされる感覚に覚えがあると気付いたのは、私の腕が大きく後ろへ弾かれてからだ。
つまり、これは失敗したと悟った。
――ガギィィンッ!
遅れて届いた音が、なにを意味するのか。
理解するまでの『間』は決定的な隙を晒してしまうも同義だった。
……はずなのに。
「言ったでしょ? 本気を出してって」
メルが私を見て笑っていた。
飛び込んできた私の剣を弾き、体勢を崩して呆然とする私を前に、メルは反撃するでもなく……笑うだけだった。
その事実が私の胸に突き刺さるけど、それ以上に目を引く現象が起きている。
「メル……髪が!?」
真っ白だったメルの髪に、闇のように黒い色が差し込んでいた。
二色は混ざり合うのではなく、完全に白黒の二種類に別れて、まるで奇抜な模様を描いているようにも思える。
「本当はシリスみたいに真っ黒が良かったんだけどね。残念だけど、少しだけしか黒くならないんだよね」
不満そうではありながらも、色の変化そのものは、なんでもないように語るメルを前にして、あることに気付いた。
「もしかして魔法……?」
「あ、気付いた? さすがシリス!」
いくらなんでも髪の色が変わるなんて、まともじゃない。
あり得るとすれば、それは魔法くらいだ。
私は警戒する態勢を保ちつつも質問を重ねる。
「じゃあ、さっきのメルの剣も、魔法が関係してるんだね?」
「うーん……私にもよくわからないんだけど、たぶんそうだよ」
「わからないの?」
「できるようになったけど、どうしてかは知らないもの」
そこまで聞いて納得した。
メルが使っているそれの正体は恐らく……正式魔法だ。
魔法についてはベティから、ある程度だけど教えて貰っているから、知識もなしに扱えるものではないと知っている。
もし感覚的に使えるとしたら、それは正式魔法だけだろう。
肝心なのは、それがどういう魔法なのかだ。
そもそも正式魔法は、手に入れようと思って習得できる術ではなく、自然とできるようになっているものだ。
現に私の『魂の覚醒』も、気付いたらできたわけだし。
ただ方向性としては、使い手の意志に左右されるようだ。
私の場合はたぶん、前世の屈強な肉体を取り戻したいという想いがあったからだろうし、ベティの場合はみんなを支援して守りたいからとかだろう。
……そこで、ちょっと気付いてしまう。
「ねえメル、もしかして……それって私のマネ?」
「わっ、そこまでわかっちゃったの?」
やっぱりか……。
双剣といい、服装といい、そして髪の色までとなれば、さすがにわかるよ。
どうやらメルの正式魔法は私の模倣をすることにあるみたいだ。
それだけ慕ってくれるのは嬉しいけど……ちょっと恥ずかしいな。
……って、照れてる場合じゃない!
さっきメルは、完全に入ったと感じた私の剣を弾き返したんだ。
単なる模倣だとしたら明らかにおかしい。
そんな私の疑問に答えるように、メルは無造作に剣を振った。
「でも、ただのマネじゃないんだよ?」
「それって……」
ぶんぶんと軽く振られる剣からは、びゅんびゅんと剣気が放たれていた。
まさかと目を疑うけど、間違いなく『飛燕刀』だ。
……しかも連射している。
「この魔法はね、私は『最愛の黒』って呼んでるけど、私の理想のシリスなんだよ。だからシリスも私のシリスに負けないようにがんばってね」
「え、え……?」
困ったな。メルがなにを言っているのか理解できない。
おまけに勝てるかも怪しくなってきた。
「じゃあ、お喋りはやめて、そろそろ試合を始めよっかシリス」
「……今からが本当の試合開始なんだね」
きっと本心から言っているであろうメルに対し、私は諦めることにした。
傷付けないようにするのを、諦める。
同時に、もう二度と使わないように考えていた『魂の覚醒』を無言のまま発動させた。
私にはメルになにがあったのか、なにが起きたのかはわからない。
でも、なぜだか私は、ここで負けてはいけない気がした。
私の直感が、必ず勝たなくてはいけないと叫んでいる。
だから……!
今度こそ、私は全力だった。
これ以上はないくらいに、他に出しようがないくらい正真正銘の全力だ。
ありったけの魔力を出し切って、込めるだけ剣気を込めて。
今の私にできるすべてをメルにぶつけた。
なのに。
「ねえシリス……それが本気なの?」
どんなに速く、どんなに鋭く、どんなに力強く、どんなに巧みに剣を振るっても届かない。ことごとく弾かれてしまい、メルは溜息を零していた。
その様子を目にして、胸を槍に貫かれる感覚に襲われる。
まだ負けてない、まだ終わってない。
そう訴えかけるように何度でもメルに向かって行く私は、まるで子供が大人にあしらわれる滑稽さで……どれほどの差があるのかを思い知らされた。
これがメルの強さなのだろうか?
いや……彼女自身の強さと言うべきではない。
さっきメルが言っていた通り、これは彼女の理想とする私だ。
私が押し負けているのは、メルの理想そのものだった。
理想を現実のものとするのがメルの魔法なのだから……。
だとすれば、メルはどんな目で私を見ていたというのか。
本物よりも強いって……期待されすぎだよ。
いや嬉しいんだけども、嬉しいんだけど……今はちょっとその期待が辛い。
「ねえシリス、もう終わりにしよ?」
数え切れない剣戟の後、不意にメルがそう切り出した。
「本当はシリスが勝ったら教えようと思ってたんだけど、予想とは違ったから教えてあげるよ。実はね……私はシリスの役に立ちたかったの」
「……うん?」
試合の決勝戦で立ちはだかる現状と乖離しすぎていて上手く飲み込めない。
とりあえずメルに先を促す。
「シリスはいつも私やみんなのために戦ってくれるでしょ? だから私もいっぱい頑張って……もし私も戦えるようになれば、少しでもシリスの負担を減らせるかもって思ったんだ」
私は負担になんて思ったこともないけど、今は敢えて否定せずにおいた。
実際に、何度も苦労している姿を見せてしまっているから、メルにそんな思いを抱かせてしまっていたとしても不思議じゃないし、どう言い繕っても、この場で彼女を心変わりさせるのは難しい。
「それでプロンさんに頼んで魔力の訓練をして、少し前にこんな魔法まで使えるようになったんだよ。これがあればシリスも安心できると思って……でも、やっぱり実際に手合わせとかしないと納得してくれないかなって」
つまりメルは、自分が守られる必要もないくらい強くなったことを、私に見せたかったって言いたいらしい。
それにおいて武術会という場は、私がメルとの手合わせを全力でしてくれるだろうという予想から都合が良かったようだ。
残念ながら決勝戦までぶつかることがなく、今日まで互いに勝ち進むしかなかったわけだけど……結果的にメルの目論み通りである。
「でもねシリス、これじゃ逆だよね」
「逆?」
「だって私がシリスに認められるためだったのに、そのシリスが私に勝てないんだもん。本気を出してくれるように挑発までしたけど無駄になっちゃった」
「…………」
私は絶句する。
勝てないことより、簡単に追い抜かれたことより、なによりも……メルに失望されてしまったことに私の心は痛んだ。
こんなにも不甲斐ないなんて……私自身がびっくりだよ。
「でも、大丈夫だよシリス……これからは私がシリスを護ってあげるからね?」
「……え?」
「もう私のほうが強いんだもん。だからシリスは孤児院で私の帰りを待ってるだけでいいんだよ。もう戦わなくていいの。剣を握る必要なんてないの。私がシリスを護ってあげるからね。私がシリスを養ってあげるからね。私がシリスを褒めてあげるからね。私がシリスを管理してあげるからね。私がシリスを――」
途中からメルの言葉は耳に入らなくなっていた。
笑って口を開くメルの、その眼に笑みはない。
彼女は本気で言っている。私の代わりに、私になって、私に剣で戦わなくてもいいと……心からの愛情で語っている。
でも私はまだ、剣を握らないと。
だって戦わないと、だって、だって、だって……。
私は……なんのために戦っていたんだっけ?
というか……わたし、って誰だっけ?
今日中にもう一話更新します。




