シリスと武術会8
「まさかアズマが負けるなんて……」
控え室でひとり、私は大きく外れた予想に驚いていた。
たった今まで舞台上では、アズマとアルマティアによる準決勝が繰り広げられていたんだけど……その結果は思わず口にした通りだ。
この大番狂わせには、観客たちも大きな衝撃を受けているのがわかる。
ただアズマは炎の勇者としてではなく、剣士として試合に臨んだためか、ディーネの時とは違って純粋な剣技だけで戦っていた。
そこまでは私も予想していた通りだ。
だけど、未知数だったアルマティアの力を読み違えていた。
双剣を操るアルマティアの実力は、完全にアズマを上回っていた。
華麗とも言える連撃や、俊敏な身のこなし、ここぞという時に攻め込む判断力と決断力には私も息を呑むほどだ。
もしアズマが炎による分身や、あるいは炎を攻撃に用いていれば結果は変わっていただろうけど、それはプライドが許さなかったのか……。
結局アズマは最後まで剣一本で戦い続け、そして敗北したのだ。
そのことに関して、私はアズマを尊敬する。
もしも彼を嘲笑う愚か者がいたら、代わりに私が怒ってやろう。
本人は望まないだろうし、あの約束を守れなかったことを不甲斐なく、情けなく感じているだろうけど……。
それでもアズマを馬鹿にするなんて、私は許せそうにないからね。
気が付けばアルマティアが控え室へ戻って来るところだった。
相変わらず仮面とローブに隠された姿からは、疲弊した様子すら伺えない。
いや、あのアズマと試合したのだから、多少は消耗しているはず……。
「シリスちゃんや」
「……エド」
話しかけられて、私は瞬時に冷静さを取り戻す。
そうだ……私の相手はアルマティアじゃない。エドだ。
「儂も楽しみにしていた試合だ。どうか期待を裏切らんでくれるかのう」
「うん、もう大丈夫だよ。ありがとう」
目の前の相手に集中しないなんて、これ以上ないほど失礼だ。
だからまずは、エドに勝つことだけを考えよう。
「ほっほっほっ、いよいよ約束を果たして貰う時が来たようだ」
「約束?」
「ほれ、その『桜花』を譲る代わりに、手合わせをすると言ったではないか」
言われて思い出したけど、たしかに約束はしていた。
だけど、まさかこういう形だとは思わなかったよ。
「……え、でも、この試合でいいの?」
「おや、これ以上ない晴れ舞台ではないかな?」
そう言われるとそうだけども……。
「だからシリスちゃんには、先に見せておくとしようかの――」
「……っ!」
凄まじい圧力をエドから感じた。
殺気とは違う……剣のように鋭い、まるで斬るという意思そのものを魔力に乗せて放っているみたいだ。
その奇妙な気配を正面から受け。私は意識を研ぎ澄ます。
そして……エドに向かって同質の気配を放つことで応えた。
これには、さすがのエドも少し驚いてくれたようだ。
「ふう、やってみたらできたけど、ちょっと慣れが必要だね、これ」
「先の試合から、よもやと思っていたが、本当に『剣気』を纏うまでに至っているとはのう……」
嬉しい方向で予想外だったのかエドは『剣気』とやらを収めると、いつもの朗らかな笑みを浮かべていた。
実のところ私もちょっと驚いている。
そもそも『剣気』がなにかも知らないのだから、こんな簡単に扱えてしまうのはおかしいはず……なんでだろう?
つい気になった私は、少し試してみる。
……なるほど、とりあえず剣気の本質は理解できた気がした。
言ってしまえば魔力制御みたいなものだから、私でも扱えたのだろう。
ただ、その方向性は大きく異なる。
単純な魔力制御の場合、体に纏えば身体能力を向上させ、武器を覆えば頑丈にする効果が見込める。
でも剣気とは言ってしまえば、剣気そのものが刃となる感じだ。
それが木剣やナマクラ……あるいは自身の腕であっても、剣気を纏わせれば鋭い刃と化すだろう。
常にそれほどの魔力を放出するのは、かなり無駄が大きいけどね。
ただ私の予想が正しければ、これはひとつの奥義に値する技術だ。
例えば、元から刃のある武器に剣気を乗せたら……。
ふと見れば、エドは見守るかのような視線を私に向けていた。
「どうして試合前なのに教えてくれたの?」
「儂の予想が正しければ、必要になったからとでも言っておこうかの」
「うん? えーっと、どういうこと?」
「ほっほっほっ」
笑ってはぐらかすエドは試合舞台へと向かって行く。
あ、そろそろ出番か。私も行かないと。
結局エドの真意は図りかねるけど、それは後ほどゆっくり聞かせて貰おう。
今は……目の前の剣士に勝つことだけを考える。
いつものように私は二振りの剣を携えている。その内の片方はエドから譲り受けたカタナ『桜花』だ。
対するエドが手にするのも当然……カタナだ。
珍しい剣の使い手同士が試合するとあって、観客たちの熱気も上がっているようだった。ついでに賭け金も上昇中らしい。
「さて、シリスちゃんや。なぜ教えたのかと言っておったが、それは少しばかり気が早かったの」
試合直前だというのにエドは普段通りに話しかけて来る。
「どういうこと?」
「剣気の真髄を見せるのは、これからということじゃよ」
そう言うとエドは明後日の方角を向き、腰に差したカタナに手をかける。
私たちの準備が整うのを待っていた審判は驚いていたけど、相手は前回優勝者なので黙って成り行きを見守ることにしたみたいだ。
私も試合開始前なので特に警戒はせず、エドの動きに注目する。
「これが剣気と、儂の剣術を合わせた……とっておきじゃ」
それはランドルフとの試合でエドが見せた構えと、まったく同じ動作だった。
違いがあるとすれば刃に剣気を乗せていたこと、私に見せるためか以前よりも格段に遅い剣速だったこと……そして。
一羽の鳥が羽ばたくように、斬撃が飛んだことだ。
自分の目を疑ってしまったけど間違いない。
たぶん試合会場にいる、ほとんどの人は気付いていないけど、無色無音のそれは上向きに放たれ、目に見えない空を斬り裂いて風をふわりと舞わせたのだ。
だから今のを認識できたのは、魔力を感知できる人だけだろう。
つまり、その飛ぶ斬撃の正体は『剣気』だと私は見抜いた。
いや……わざと教えてくれた、というべきか。
もしエドが本気だったら速すぎて、理解できなかっただろうからね。
「エルドラド流居合術『飛燕刀』……と、儂は呼んでいる」
どんな流派なのか興味があるけど、先に尋ねなければならないことがある。
「もう一度聞くけど、どうして見せてくれたの?」
「ほっほっほっ、答えは同じじゃよ、シリスちゃんや」
必要になったから?
まるで理解できないけど、意味もなくこんなことをエドがするとも思えない。
まさか私に勝利を譲るつもりだったり……。
「もし、儂に勝つ気がないのではと疑っているなら安心しなさい。シリスちゃんが儂の秘剣を破れないようであれば、まだまだ壁となるつもりじゃからの」
うん、その線はなさそうだね。
むしろ嬉々として勝ちに来ているのが直感でわかった。
恐らくエドにとっては、勝利へのチャンスを僅かに与えただけなのだろう。
それを掴み取れるかどうかは私次第だ。
「さて、そろそろ始めるとしようかの……審判や」
「……あ、は、はい!」
慌てて審判はこちらに視線を投げかける。準備はよろしいですかと。
私は大丈夫という意思を込めて頷くと、意識を集中させる。
さっきエドは『秘剣を破れないようであれば』と言っていた。
ならばこの試合……エドは間違いなく本気の『飛燕刀』を使うはずだ。
そしてどうやら、それを打ち破ることを期待している節も見られる。私としても逃げずに正面から打破してみたい。
とはいえ策もなしに立ち向かえば、真っ二つにされてしまうだけだろう。
……やっぱりこれに懸けるしかない。
答えはすべて、エドが教えてくれているのだから。
「では……始め!」
ついに試合開始の合図が出され、私は桜花に手をかける。
するとエドも、それを見越していたかのようにカタナへ手を伸ばした。
お互いに同じ動作で、同じように構えると、観客席のほうからどよめきが伝わってくる。それもそうだろう。
なにせ……この構えはエドが披露した『居合』なのだから。
私はこれまで、一度も居合なんて剣技を試した覚えはない。
それは試合を見ていた観客も理解しているからこそ、ここへ来てなぜ急にと驚いているのだ。
でも私からすれば、これ以外に選択肢はない。
あの剣技『飛燕刀』に対抗するには、同じ技で迎え撃つしかなかったからだ。
だけど問題は、斬撃を飛ばす方法だ。
剣気を纏わせるだけなら今の私にもできるけど、さすがに斬撃を飛ばすなんてムチャクチャは無理だと思う。
無理じゃないから、エドは現実としてやっているんだけどね。
そもそも、どうしてわざわざ鞘に収めた状態から……うん?
あ、もしかして鞘が……溜めが必要なのかな?
だとすれば恐らく剣気を鞘に充満させ、カタナを抜き放つと同時に放出していると考えられる。
失敗しても剣気を纏わせた桜花なら防ぐくらいできるし、最悪でも死にはしないはずだ。たぶんね。
だったら試す価値はあるだろう。
「そろそろ覚悟は決まったかの?」
「色々と教えてくれたおかげでね」
「なに、礼はいらんよ。まだ終わってはおらんからの……では、ゆくぞ」
音が消えた。
歓声も、風の音も、なにも聴こえず、なにもかもが静止する。
時間さえもピタリと止まったと錯覚してしまう……それほど濃厚な剣気。
次の瞬間には、全身を切り刻まれていても不思議じゃないとさえ感じさせる。
呑まれたらダメだ……!
咄嗟に私自身に纏わせる剣気を強くして心を奮い立たせる
すると目を曇らせていた雑多なモノが排除され、視界に残されたのはひとつ。
……カタナだ。
ただエドのカタナだけが見える。それ以外がすべて目に入らない。
研ぎ澄まされた意識は訴えかけている。
私が斬るのは飛ぶ斬撃なんて曖昧なものじゃない。あれは形を変えた魔力だと。
ならば同じ魔力で切れない道理はない。
こちらの剣気は十分に整った。
すでにエドも、いつでも放てる状態だろう。もしかしたら最初から放てたのかも知れないけど、それは考えたって意味がない。
必要なのはエドを上回る剣気と技量、そして集中力である。
あとは、どちらが先に動くのか――いいや、待つのは悪手だ。
私から仕掛ける!
鞘から滑らせるように桜花を抜き、勢いを殺さないまま振り抜く。
その刃からは意図した通りに剣気が迸り、思い描いた軌跡を辿るようにして宙を走るのがわかった。
同時に、向こう側からも飛来する剣気の刃。
私が動いたのに合わせて、エドもまた『飛燕刀』を放っていたのだ。
二つの斬撃は、やがて私とエドの中間地点で激突する。
剣気には実体がない。
だからか剣で斬り結ぶのとは違い、金属音が鳴らない代わりに、思いきり大地を叩き付けたような轟音が響き、ビリビリと肌に伝わる。
舞台上に落ちていた細かい粉塵までもが巻き上げられ、煙幕に包まれたのと同じ形で視界が真っ白に染まった。
ほんの僅かな間、エドの姿も見えなくなったけど……関係ない。
私は『飛燕刀』を放つと同時に、疾駆していた。
そして晴れた視界には、やはりエドが飛び込んで来る。その手は居合からカタナを斬り返す連撃の構えを取っていた。
対して私は、鏡に映したように同じ手段で連撃を繰り出す。
互いのカタナが交差し……。
ギイィィイン――。
今度こそ金属音が鳴り響いた。
エドの追撃を完璧に防ぎ、一方で私の追撃も食い止められた状況だ。
ここまで……私たちが『飛燕刀』を放ってから瞬きほどの間だったけど、私にとっては非常に長く感じられた。たぶんエドも同じはずだ。
そのせいか、エドの顔に疲労の色が見える。
「……見事、さすがはシリスちゃん。儂の『追風ノ太刀』を破るとはの」
「あれだけヒントを貰ったらね」
初めから私は、エドが追撃を仕掛けるとわかっていた。
たしかに『飛燕刀』は強力だけど、もし私が『飛燕刀』を放てたとしたら相殺されるのは容易に想像できる。
それは……あまりにも簡単だ。
だからきっと、その前か、もしくは後に秘密があると予想していた。
前であればエドから動くはずだけど、その動きは見られないまま私が先手を取ったから『飛燕刀』を打ち破って安心した隙を突くと予想したというわけだ。
なので、私もまた追撃を仕掛けることで、その思惑を挫いた。
結果は……ここまで予想通りだと、ちょっと怖いかな。
ついでに言ってしまえば、秘剣というのは『飛燕刀』ではなく、エドがぽつりと漏らした『追風ノ太刀』なのだろう。
いや本当にヒントがなかったら対処できなかったよ。
「さてと、じゃあ仕切り直しと行こうか」
「残念ながら、そうはならんよシリスちゃん」
「っ、……どういうこと?」
他に仕掛けがあったのかと思い、距離を取って身構える。
「油断しないのは良いことじゃ……さて審判よ、儂の負けじゃ」
「え!?」
「……あ、はい?」
突然の降参に、私だけじゃなく審判までも呆けてしまった。
「なに、儂も歳でな。あれほどの剣気を扱うのも限界なんじゃよ」
「で、でも……!」
せっかく剣気の感覚が掴めたのに、これで終わりなんて生殺しだよ!
……なんて、さすがに言えない私はエドの意思を尊重する。
エドだって降参したくて降参するわけじゃないからだ。
加齢による体力低下は、どうしたって避けられない。それは、さっきのエドの表情からも窺い知れる。
「ほれ審判、いつまで呆けているつもりじゃ」
「そ、そこまで! 勝者シリス!」
審判に宣言されてしまったことで勝敗が決してしまった。
私としては物足りない結末だけど仕方ない。
ただ、ひとつだけ確認しておきたい。
「ねえ、エドはこれでいいの? 手合わせするって約束」
「ほっほっほっ、儂が降参したから心配してくれたんじゃな? それなら安心しなさい。儂の狙いは別にあったからの」
「狙い?」
「シリスちゃんの次の相手……アルマティアはなにか妙じゃ。なるべく体力は温存させておくに越したことはないからのう」
どうやら私のためでもあったみたいだ。
ちなみに、もし私がエドに負けていたら、その時はエドがアルマティアの本性を見極めるつもりだったとか。
つまり降参したのは、私の実力を認めてくれた証でもあるようだ。
そこまで言われてしまったら、もう私も不満なんて口にできないよ。
歓声に包まれながら控え室に戻ると、そこにはアルマティアが佇んでいた。
他には誰もいない。
次が決勝……残っているのは二人だけだから当たり前とは言え、ちょっと気まずい空気が漂っている。
決勝は、少しの休憩を挟んでから行われる予定だ。
出かけるほどの余裕はないけど、武器の手入れだったり、キズの手当てをする時間ならあるだろう。どっちも私には必要ないけどね。
すると、ただ待つだけの時間となり、自然とアルマティアが視界に入る。
考えてみれば一度も会話したことがない。
できれば気持ちの良い試合ができるよう、今のうちにコミュニケーションを図ってみようかな。
仮に私が勝ったとしても、遺恨が残るのは避けたいからね。
それにしても決勝まで残ったのだから、そろそろ仮面ぐらい外しても良さそうなのに……まあ事情があるなら、無理強いはよくないけど。
「えっと、次の決勝だけど……」
「ちゃんとここまで来てくれたね」
……え?
私の声を遮ったのは間違いなくアルマティアの声だ。
でも、それはおかしい。
「少し心配だったけど、でも勝ってくれるって信じてたよ」
アルマティアの仮面越しに聴こえる声は、とても聞き慣れた声色で、すごく馴染みのある話し方で、ほっと安心させてくれる。
でも、そんなのあり得ない。
「だけどね、残念ながらシリスは優勝できないよ」
そっと仮面が外され、アルマティアの素顔が露わになる。
ど、どうして……。
「だって、シリスは私に勝てないんだから」
どうして仮面の下にメルの顔があるの……?
たぶん大体の人が予想していたとは思います。




