シリスと人気とアルマティア
……まさか、アルルが自分から負けを認めるとは思わなかったな。
物凄く自信がありそうだったし、歌と踊りに全力を出し切っていたのが肌で感じられたからね。それを負けたなんて認めるのは、とても勇気がいるだろう。
私だったら……ちょっと無理かも。
さっきまで、全力だったのに負けた! なんて悔しがったり、逃げ出した私とは大違いだ。よくよく考えると実に大人げない。なにをしているんだ私。
まあ、そこはほら、前世とか抜きにしてシリスとしては……ってことで、ね?
それと私が歌い終わったら観客席が静まり返った件だ。
拍手がひとつも起きなかったのは、てっきり驚くほど音痴だったからなのかと思っていたけど、私の歌を聴いて感動のあまり声すらも出せなくなっていた、っていうのが真相なのだとか。
いくらなんでも大げさだと思うけど……。
実際のところ、どうなのかな?
勝手に会場を飛び出しちゃったし、今さら確認に戻るのも気まずい。
うん、やっぱりやめておこう。
決着は来年に持ち越しって決まったから、私もアルルも、今年の優勝者には興味なんてないからね。
そうして会場を離れた私の足は、冒険者ギルドへと向かっていた。
すぐに屋台へ戻るつもりだったけど、明日から始まる武術会の受付が終わる頃合だから、ついでに参加者のリストでも見てみようと思い立ったのである。
なぜギルドで受付しているのかといえば、基本的に参加者が冒険者ばかりになるので、だったらギルドで管理したほうが早い、ということらしい。
思えばたしかに去年の対戦相手は、みんな顔見知りだった。
せっかくだから今からでも登録しないかアルルも誘ってみたけど、やっぱり参加する気どころか興味もないからって途中で別れた。
歌と違ってケガをすることもあるし、残念だけど無理強いはできない。
こういうのはディーネかヴェガのほうが適任かな。
……そういえば、あの二人は参加しているのだろうか?
ディーネは水の勇者として覚醒してから急激に実力を増したし、ヴェガも再会してからは手合わせしていないから、どれだけ強くなったのかは正直、興味ある。
私も正式魔法を扱えるようになったけど……。
いや、『魂の覚醒』は使わないようにしよう。
本当に危ない場面だったらともかく、武術会はあくまで試合であって殺し合いじゃないからね。
なにより、あれを使うたびに奇妙な夢を見てしまう。
それだけと言ってしまえば、それだけなんだけど……使わないに越したことはないよね。うん。
そう心に決めると、私はいつもの軽い足取りでギルドへと入った。
慣れ親しんだギルド内だけど、お祭りの最中は冒険者も仕事を休んでいるから、普段の活気が失われていて少し寂しい。
本来なら依頼を受注するカウンターでは、まだ登録を受け付けているようだ。
「リストを見てもいいですか?」
「ああシリスさん。もちろんどうぞ」
職員に声をかけてから参加者一覧を手に取る。
このリストは誰でも閲覧できるように公表されている。別に隠す必要なんてないし、誰が出場するかで自分も出るかどうかと決める判断材料になるからね。
この武術会、実のところ無駄に参加者が増えても困るので、そうして実力不足を自覚する者には控えるよう促していたりするのだ。
逆に、あいつが出るなら俺も出よう! という強者もいるから、これで参加者が減るかといえば微妙なところだった。
ふむふむ、だいたいは例年通りかな。
上級冒険者パーティの『剛鉄組』や『ドラグノフ』の腕自慢に、他にも見慣れた冒険者の名前が並んでいる。
おお、『月華美刃』からはディーネとヴェガが出るようだ。やった!
それにアズマの名前もある。水と炎の勇者が揃うなんて今年は豪華だな。
見慣れない参加者もいるみたいだし、ふふふ……明日の開催が楽しみだ。
「今年はちょっと多いですね。何人ぐらいでしょうか?」
「そうですねぇ……今年は五十を超えるかと」
「え、そんなに?」
去年は三十人ぐらいだったはずだ。
二日間で終わるの?
「さすがに多いので、少し調整する予定ですね」
「調整というのは?」
「一試合毎の時間を短くしたり、実力がはっきりしている参加者は試合数を減らすなどですね。シリスさんは準優勝者ですから、明日の試合は少ないですよ」
それって参加者から不平不満はないのかな?
詳しく聞いたところ、実力者は体力を温存できるし、他の参加者はいきなり敗退するような情けない姿を晒す可能性が下がると説明すれば、だいたいは納得してくれるらしい。
まあ私も格下相手に勝利を喜べるほど幼くないし、時間に余裕があったほうが嬉しいのは間違いない。
詳しい試合時間や、対戦相手は明日の開会時に公表されるから、その時だけは会場にいなければならないけどね。
参加者が一堂に集まるから、他所から訪れた強者を目にする機会でもある。今から楽しみでわくわくするよ。
ギルドを出た私は、そろそろ屋台へと戻ることにした。
団長たちの案内も放って来ちゃったままだし、今さらながら軽く自己嫌悪していると、路地とは思えないほど妙に人通りが多い……気のせいかな?
いや気のせいじゃない。絶対に多い。なんだこれ。
誰もが路地の奥へと向かっている。この先に孤児院の屋台もあるんだけど、もしかしてなにか事件でもあったのだろうか。
少し心配になった私は、歩調を早めて……。
「やはりこっちに来たかシリス」
「団長? なんでここに?」
屋台がある通りへの角に、体の大きな団長が行く手を阻むように立っていた。
他のみんなの姿は見えないけど……団長だけ?
「あの様子だと、すぐに戻らないと予想してな。手分けして探してたんだ」
「う……」
私の疑問と心情を見透かしたような言葉だった。
他のみんなはお祭りを見て回りながら探しているそうだけど、どうやら団長は私が孤児院の屋台に来ると予想して先回りしていたみたいだ。
「その件はごめん団長。でも今は気になることがあるから通してくれない?」
「ああ、いや、先に注意しておきたくてな」
「なにを?」
「見てみろ。偵察する気でな」
そう言われて、私は気配を限りなく消して曲がり角の向こう側を覗く。
見えたのは大勢の人の行列と、その先にある屋台。
……これって、まさか屋台のお客さん!?
「え、なんでこんなことに?」
「やはり気付いてなかったか」
団長によると、私の歌を聴いた観客が押し掛けているらしい。
あの歌っていたメイド少女はどこの誰なのか、と探し回っている者も多いそうで、もし私がこのまま戻って見つかれば、大騒ぎになるぞと団長は脅す。
「で、でもだからって、なんで屋台に?」
「周囲の者たちが孤児院の出身だと教えていたからな。その孤児院が屋台を出していて、なおかつ午前中は売り子をやっていた。となれば見に行ってみようと考える者は多いだろう」
この街の住人なら私のことを知っている人は多いだろうし、調べれば簡単にわかる情報だから屋台のことを話されても問題ないけど……それでも、この集客っぷりには納得できないな。
きっと、希少な丸鳥肉の串焼きを売っているのも関係してるはずだ。
「納得してないって顔だが、とにかくシリスはしばらく表に出ないほうがいいと教えておきたくてな。その外套も脱ぐなよ。観客席からだと遠目で服装と髪ぐらいしか見えなかったから、顔までは判別できないだろう」
団長がここまで言うのなら間違いはない。
そもそもメイド姿を晒すつもりもないけど、なるべく目立たないようにしよう。
屋台のほうも、すでに今日の販売分は売り切れてしまったようでマムが対応してくれている。
売れる分にはいいけど、ここまでの騒ぎになると、あとで小言を言われそうだ。
「教えてくれてありがとう団長」
「いや、半分ほどは俺が焚き付けたようなものだからな。騒ぎが収まっても、あの歌を聴いた者たちから勧誘されるだろうから、そっちも注意するんだぞ」
「勧誘なんて、傭兵団にいた頃からあったから慣れてるよ」
「そうだったな」
なんだか懐かしいな。
私がアルデバラン傭兵団の一員として戦場を駆けて、それなりに勇名を馳せた頃に、他の傭兵団から勧誘を受けていたんだ。
どれも今以上の収入を約束するとか、より大きな戦争に参加できて名誉がどうだとか、とにかく待遇を良くするって曖昧な言葉が多かったね。
酷い場合だと、仲間に入れてやるから付いて来い、なんて上から目線もあったから面倒で仕方なかった。
断ったら断ったで逆上されたり、怪しい薬を盛られたこともあったかな。
あとで団長に聞いたら、薬漬けにして従わせる違法の薬物だとか。
普段から口に入れる物には気を付けているし、あの状況で差し入れされた物なんて食べるわけがないけどね。
最終的に団のみんなで壊滅させて、最寄りの街で罪人として裁いて貰った。
違法薬物は所持するだけで死罪……極刑だ。くすりは怖い。
「だが油断はするなよ。あの時は俺たちもいたが、今回は違うからな」
「そうだね。この街には色々と信頼できる人も多いし、そうそう問題を起こせるほど治安は悪くないけど、孤児院を巻き込んでいるなら――」
「……本当に大丈夫そうだな。鈍っていないか心配だったが杞憂だな」
団長の太鼓判を貰った。
そうとも。もし孤児院に手を出そうものなら、私はドラゴンにだって変化して敵を討ち滅ぼす所存だからね。
問題は、その孤児院の屋台がただでさえ忙しいのに、私のせいでさらに忙しくなったってことかな。あとで担当だった子たちに謝っておこう。
それから私は団長に連れられて、こっそり屋台から離れる。
すると、移動した先に傭兵団のみんなが集まっていた。ここが集合場所だったようだね。
団長もみんなと合流してようやく肩の力を抜いたようだけど、やっと落ち着いて話せると言わんばかりに、みんなと一緒になって私の歌についての感想を……それも絶賛する形で大いに褒められた。真顔で。
ここでうっかり顔を熱くさせてしまったのが大きな失敗だった。
私はしばらく団長たちから、からかわれてしまい、そこへ今度はどこからともなく現れたプロンとベティ、ディーネたちまで参加してしまう。
……本人の前で感想を言い合うのはやめてくれないかな?
少し遅れてメルまでやって来て、もう私には成す術もなく、ひたすら褒めちぎられるという新手の拷問のような時間を過ごすのだった。
シリスが冒険者ギルドを後にした、すぐのことだ。
入れ違いにギルドを訪れる者がいた。
上から下まで黒尽くめのローブをまとい、顔すら隠している。
背丈は小さく、まだ子供だろう。線が細い華奢な体格からすると少女だろう。
その少女はカウンターへ向かうと、無言で武術会への参加者一覧を手に取って目を通し、ひとつの名前を見つけた。
そして自身の名前を書き加えて登録を済ませると、無言のまま去って行く。
受付の職員は、冒険者の中にはそういうのがカッコイイと考える者をそれなりに見ていたので深く気にしなかったが、何気なく名簿を確認する。
そこに記されていた名前は『アルマティア』という見慣れないものだった。




