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アルルと団長と

 ひとり控え室から舞台を覗いていたアルルは、そこに光を見た。

 いや、たしかに歌っているのはシリスに間違いない。

 あの黒髪も、メイド服姿も、ついさっきまで目の前にいた少女と同じもの。

 だというのに、アルルの目に映るのは、光を纏う高貴なる存在だった。


 なぜ?

 その問いに対する答えをアルルは持たない。

 ただ理解できるのは、否応なく耳へと滑り込む天上の調べ。

 まるで教会が奏でる聖歌にも似たシリスの歌声が、会場にいるすべての者をそっと優しく包み込んでくれる。

 これが……この歌が、シリスの姿を輝かせて見せるのではないか。

 そんな突拍子もない妄想が、アルルには真実のように思えた。


 観客席へ目を向ければ、誰もが魂を抜かれたかの如く呆然としている。

 アルルは、それを無理もないと断じた。

 この封印都市は良くも悪くも、音楽という分野においては未発達だった。アルルが披露した素人の付け焼刃な歌と踊りが大いに受け入れられたのも、そんな側面があったことは疑いようもない。

 ではそんな場所で、王都で洗練された芸術を見聞きしたアルルですら、うっとりと聞き惚れる歌を披露すればどうなるのか?

 そちらの答えは、すでに目にしている通り一目瞭然だろう。


 まさか、これほどだったなんてね……。


 結果は出ていない。観客の拍手こそが優勝者を定める基準なのだから。

 だがアルルは自然と、己の敗北を認めた。

 自身の歌が酒場か歌劇での、大衆を沸かせる活力に満ちた歌ならば。

 シリスの歌は福音のようで、心に染み渡って慰撫する慈愛に溢れた歌だろう。

 静と動。正反対の歌は、どちらかが優れているとは限らない。

 それでもアルルは、この歌には敵わないと思ってしまったのだ。

 心が認めてしまったのならば、受け入れるしかない。


 もちろん、悔しさはある。

 だが、アルルにはそれ以上の喜びがあった。

 あのシリスが本気で、自分との勝負に臨んでくれたことだ。

 恥ずかしいなどと嫌がっていたのに、やっぱりシリスは期待に応えてくれると、アルルは知らずに負けたことすら嬉しく感じてしまっていた。

 そこには、まだまだ手の届かない高みにいる憧れの存在を追い続けられる喜びも含まれていたのだが……本人は気付いても、これだけは決して認めないだろう。

 あくまでシリスは追い越す目標であり、彼女の意識を自分へ注目させることこそがアルルの目標なのだから。

 現状維持を喜ぶようでは、いつまで経っても勝てない。

 だからアルルは、その安心感はきっと彼女の清らかな歌声によってもたらされたのだと、自分を納得させる。

 そして次こそは完膚なきまでに勝利して、憧れられる側になってやる……そう奮起すると、再びシリスの歌へ耳を傾けた。




       滲む空を見上げる度に、わたしは思い出す。

       遠いあの日、胸を貫いた嘆きを。


       誓いは空虚に散っていく。

       儚き祈りさえ踏みにじられて。


       やがて世界は始まりを告げる。

       わたしのすべてに終わりを残しながら。


       魂を目覚めさせて。

       英雄が遠いあの日に出会えるように。


       何度でも、幾度でも。

       またいつか巡り合えるように。


       変わり果てた祈りだけが

       あなたを繋ぎ止めるから。




 聞いたことのない歌に込められた意味までは理解できなかったが、ふとアルルはシリスと共にいた大男の言葉を思い出す。


『ああ、あの歌は戦場で荒んだ心に染みるんで、他の部隊にも人気があったな』


 その時は真意を計り兼ねて軽く流していたアルルだったが、こうして実際に聞けば、すとんと腑に落ちた。

 悲しげな歌は、しかし胸の内側へと響いて、頑なな心を解きほぐすかのようだ。

 これがもし苦悩を抱える者だったら、ほんの僅かでも慰められ、また立ち上がって歩き出せる勇気が湧くのではないか……そんな幻想を抱く。


 やがてシリスが歌い終わると、不思議なことが起きる。

 誰もが拍手をせずに、黙ってシリスを見つめているのだ。

 すぐにアルルは察した。あの観客たちは、文字通り心を奪われてしまい、本来なら送るべき賛辞を忘れてしまったのだと。

 これが王都の劇場ならば、あり得ないほどの礼儀知らずと罵られるが、貴族ならばともかく、一般の観客では仕方がない。

 そうこうしている内に、シリスはそそくさと舞台上から退いて控え室へ飛び込んで来ると、その勢いのまま外へ出ようとする。

 顔を背けているシリスが、どんな表情をしていたのか。呆れているのか。怒っているのか。アルルにはわからなかった。

 だから……その言葉を聞いてぎょっとする。


「優勝おめでとう」


 小さな小さな、祝福の言葉だ。

 咄嗟に呼び止めようとしたアルルは、そこで言葉に詰まる。

 たしかに負けを認めたものの、観客の拍手によって評価される歌唱大会においては、優勝者はアルルになってしまうのだ。

 それでも、それは間違いなのだから無効ではないかと、考え直した僅かな間にシリスの背中は見えなくなっていた。


「……あーもう! なんて勘違いしてるのよ!」


 それからアルルは後を追って飛び出すと誤解を解き、頑なに勝利を認めないシリスと押し問答を繰り広げた結果、また来年の歌唱大会にて決着を付けようと約束するのだった。

 その光景が、親しくも競い合う『友達』のようだったとは知らないまま。






 一方その頃、会場はどよめきに包まれていた。

 話題に上がるのは、先ほどまで舞台で歌っていたメイド姿の少女である。

 誰もが拍手すら忘れてしまうほどの歌声を披露したのだから、注目されるのは必然だっただろう。

 しかし現在、この街には観光で訪れた者が多く、謎のメイド少女の正体を知らない者は多かった。


 知らぬ者は、あの少女はどこの誰なのかと周囲に尋ねて回る。

 知る者は、あれこそ封印都市を代表する冒険者のひとり、シリス嬢だと自慢げに答えた。彼女が積み上げた功績を添えて。

 もはや歌唱大会などそっちのけとなってしまうほどの好評っぷりで、次の参加者がいなかったのは幸いだろう。

 そんな最中、シリスの情報を集めて回る、身なりの良い者が見られた。

 観光に訪れた、どこぞの大商人たちだろう。

 ある程度、芸術に触れていた者すら魅了してしまう歌を披露したのだ。これからシリスには、面倒な勧誘が山のように殺到するはずだ。

 アルデバラン傭兵団の団長、シュバルトスはそんな近い未来を予想した。

 そのことに納得はすれど、驚きはしない。

 シリスの歌声には、それほどの魅力があると知っていたからだ。


 彼ら傭兵たちの仕事は、とても過酷なものだ。

 まともな精神を持つ者ならば、まず長続きしないだろう。

 それでも、傭兵の世界に足を踏み入れる若者は次々に現れる。

 というのもギルドとランクによって面倒な制限がある冒険者では、安定して稼げるまで時間がかかるからだ。

 その点、一度の戦いで多額の報酬を貰える傭兵は手早く稼げるため、すぐに金を必要とする訳ありの身には、ありがたい仕事だった。

 当然ながら、そんな半端者がやっていける世界ではない……。


 一緒に成り上がろうと約束した友は、首だけとなって帰って来た。

 さっきまで笑っていた仲間は、腹から飛び出た臓物を抑えながら動かない。

 昨日まで味方だった相手が敵となり、家族がいると語った口を閉ざす。

 振り返れば、その辺に転がる誰が誰だかわからない肉の山。

 おびただしい血が流れ、大地は赤く染まる。


 そんな光景が日常になってしまうのが戦場であり、傭兵だ。

 戦闘前まで意気込んでいた新人も、戦後には別人のように老けこむ。

 この世の地獄を見てしまって、心が折れるのだ。

 通常ならば、そのまま引退するか、酷い者だと精神を病んでしまい自殺する者すらいるのだが……かつて、戦場での一幕をシュバルトスは思い返す。




 その日、アルデバラン傭兵団が参戦したのも、よくある戦だった。

 とある貴族同士による争い……言わば内乱だ。

 数こそ小規模な戦いだったが、血で血を洗う戦場に変わりはない。

 アルデバラン傭兵団は、その勇猛さから敵が恐れをなしたのもあり、大きな被害を出さずに戻れたものの、別方面を担当した友軍からは一割ほどの死者が出た。

 代わりに敵軍の三割を打ち倒し、さらに一割を捕虜として捕えており、結果だけを見れば大勝利だろう。

 ……災難だったのは、その一割の犠牲となった者たちだ。


 ようやく砦へと帰還した新兵の生き残りは、憔悴し切っていた。

 死者が出たのは、やはり経験の浅い若者ばかりだ。戦場では正規兵、傭兵といった身分を問わずに弱い者から散っていく。

 彼らの友人たちは、その現実を受け入れられずに塞ぎ込んだ。

 心のどこかで大丈夫だと、根拠のない自信があったのだろう。

 それがただの、戦場での不安を覆い隠すための誤魔化しで、この世は非情なのだと思い知らされたのだ。

 次は自分かも知れない……と。

 また、生き残った者の中にも重傷者が多く、砦内は暗く重い空気に包まれる。

 慣れていたアルデバラン傭兵団の面々からすれば、ここは勝利を祝って祝杯を挙げ、士気を上げるところだが、さすがに雰囲気を察して大人しく過ごす他ない。


 そんな時、どこからか微かに歌声が届いた。

 戦時の砦に似つかわしくない少女の声で、たしかに歌っている。

 ありえないと、誰もが幻聴だと思ったが、やがて声の主が見つかる。

 見張り台にいる小さな人影が、月明かりに照らされて浮かび上がった。

 ……シリスだ。

 当初より、ひとりだけ幼い少女が傭兵団に所属していたことで注目を集めていたため、何者なのかという疑問は抱かれなかった。

 だからなのか、誰もが止めようとする素振りすら見せない。

 むしろ僅かな物音すら邪魔になるとでも言うかのように、ぴたりと動きを止めると、ただ耳を澄ませる。

 音が消え去った砦に、少女の歌声だけが響く。


 やがて誰かの嗚咽が聞こえた。

 鼻をすする者、黙って涙を溢れさせる者……。

 胸に飛来するのは、失った友への思いか。

 その歌が、どのような意味を持つのかは彼らも知らない。

 ただ、この場においては友人たちへ別れを告げるための、死せる者への追悼の意を込めた鎮魂歌を歌ってくれているのだと、そう考えて疑う者はいなかった。


 翌日になって、砦内の空気は変わった。

 まだ暗い影は差しているものの、昨日よりもすっきりした顔付きになっていたのである。

 ほんの少しではあるが死を受け入れて、現実を見つめ始めたのだ。

 そして誰もがシリスへの感謝を口にする。

 本人ではなく団長たるシュバルトスを通していたのは、当人が様々な観点から接触を避けていたから仕方ないだろう。

 残念ながら、そのシュバルトスから伝えられても、自覚のないシリスは戦場で活躍したお礼かな? と見当違いの解釈をするのだった。




 その後もシリスは戦場で多くの死者が出た夜に、あの歌を口にした。

 時には熟練の傭兵や、牢に入れられた捕虜までもが心を揺さぶられ、涙する。

 シュバルトスは、そんなシリスの歌を知っていた。

 上手いだけではなく、シリスの歌には不思議な魅力があるのだと。

 だからこそ大会への出場を勧めたのだが……予想していたとはいえ、少しばかり想像以上の盛況だった。

 気付けばシリスを探しに動き始める者たちが出たのだ。すでに何人かが観客席から離れて行くのを視界端に捉える。

 前にいる赤髪の男などは、ぶつぶつと呟いて不穏だ。

 このままだとシリスが面倒事どころか厄介事に巻き込まれるだろう。


「俺たちも、ジッとしているわけにもいかんな」


 焚き付けた責任を感じ、また団長としていざという時に備えるため、仲間に合図を出して行動を開始する。

 シュバルトスはシリスの考え方から、恐らく顔を合わせ辛いから戻って来ないはずだと予想していた。

 さらには観客が呆気に取られて拍手を忘れたため、歌が失敗したと誤解しているところまで含めて理解している。

 これに関して、観客たちの不手際を叱責する気はない。

 実はシュバルトスたちもまた、シリスの歌が以前よりも格段に上達していたことで、同じく我を忘れてしまったからである。

 そのことも含めて謝らなければと、ばつが悪そうに駆け出すのだった。






 彼女の周囲は騒々しい。

 メイド少女の正体を尋ね、居場所を探す者。

 歌を絶賛し、感想を語り合う者。

 シリスがあんな隠れた才能を持っていたことを興奮気味に驚く者。


 それでも、彼女の心は静かに沈んでいた。

 いったい自分の身に、なにが起きているのか?

 教えてくれる者などいない。

 ただ、きっかけだけは、はっきりと覚えている。


 シリスの歌である。

 あれを聴いた途端、胸が締め付けられるように苦しくなると、すぐに身も心も軽くなって、長い眠りから目覚めた爽快感があった。

 囚われていた鎖から解き放たれた解放感でもあり、久しく忘れていたなにかを思い出した心地良い感覚でもあり……とにかく、彼女の心は膨れ上がる衝動に呑まれまいと、意図して抑え込み、昂りそうな精神を鎮める。

 このままだと、自分が自分ではなくなりそうで。


 されど、本心は誤魔化せない。

 彼女が心の奥底から、その魂が求めているのであれば、意志ひとつで抑えることなど不可能だった。

 そうして、ここに人知れず覚醒する。

 静かに穏やかに、狂気を覆い隠す無垢なる仮面を貼り付けて。


 彼女はいつものように笑みを浮かべて、喧騒の中へと去って行った。

シリスが会場を飛び出した際に、初期案では悔し涙を浮かべていましたが

話が重くなり過ぎたのでやめました。

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