シリスとアルルと歌唱大会
精霊歌唱会に一緒に参加しようというアルルの誘いに、半ば勢いで参加することになった私は、街の中心部に位置する広場へとやって来た。
どうやら精霊歌唱会の会場は、明日から始まる武術会の舞台をそのまま流用しているようだ。
木組みで建てられた舞台と観客席は、劇場と同じように扇状に広がっているから打ってつけだったのだろう。
ただ本来は試合用に設計されているため、ひとりが歌う舞台にしてはちょっと広すぎるように見える。
目立たない舞台の隅には楽器の演奏者も配置されているけど、数十人が集まっての大合唱もできそうな舞台なのに、たったの六人だけ。
これだと、ちょっと物足りないんじゃないかな。
「……ここで歌うの?」
「そうみたいね……」
どうやらアルルも実際に会場を目にするのは初めてみたいだ。
すでに始まっていると言っていた通り、舞台の上では着飾った女性が歌を披露している最中だった。その光景だけなら有名な歌手にも思える。
だけど、観客席の反応はイマイチみたいだ。
……うん、別に歌が悪いとかじゃない。
むしろ上手だと思えるけど、やっぱり会場が立派過ぎるせいで、歌声が霞んでしまっているようだね。
楽器の演奏者も少ないから、小さな規模で開かれたお祭りだったらともかく、これほどの大舞台では、どうしても素朴に感じてしまう。
これはもう歌だけじゃなくて、例えば舞台上を派手に動き回ったり、あるいは踊ったりしないとダメなんじゃないかな?
もしくは圧倒的な歌唱力で、観客の心を鷲掴みにするしかないだろう。
よほど舞台慣れしていないと、難しいと思うけどね。
せめて声を大きくする魔法なんてあったら、歌に迫力が出て盛り上がりそうだけど……ひょっとしたらあるのかな? あとでベティに聞いてみよう。
結局、歌い切った女性へ送られた拍手はまばらで、少し残念そうに舞台袖へと戻って行った。
そんな一連の流れを見ただけで、もう私は尻込みしているんだけど……本当にここで歌うのか。
隣を見れば、アルルも不安そうな表情を隠せていない。
幸いだったのは、初の試みとなるイベントで期待されていないせいか、観客自体はあまり多くないことかな。このぐらいの人数なら、まだ許容範囲内だ。
気が進まないのに変わりはないけどね……。
「俺たちは観客席に行ってる。楽しみにしてるぞ」
団長たちはそう言うと、笑いながら足早に去って行く。
しまった。最後の手段を封じられた。
これはみんなが待っていれば、私が途中で無責任に逃げたりしないと知っていての行動だろう。そんなに私の歌が聴きたいの?
「参加者はあっちで受付するみたいね。行くわよシリス」
なんと、もう覚悟を決めたようにアルルは先導して歩き出す。
その輝かんばかりの勇気が、今の私には眩し過ぎる。
……そろそろ私も、覚悟を決めなければならない。
よほど参加者が少ないのか、いくつかの登録を終えると受付はあっという間に終わり、舞台裏で待たされることになった。
予想通り、通された控え室にいる待機中の参加者は、私とアルルを含めても五人だけである。
歌える時間はひとりにつき五分間だけど、そんなに長い歌なんて誰も知らないから実際はもっと短い。
きっと、すぐに出番が回って来るはずだ。
順番は先にアルルで、私は後だから暫定的に最後になってしまった。
私が大トリなんてイヤだ。早く次の参加者が来てくれないかな。
待っている間に準備を済ませるようだけど、私は特にやることもないのでこっそり舞台を覗いてみる。
さっきの人と同じくらい歌が上手な人だったけど、やっぱり観客の期待に応えるのは難しいようだ。
前の人と同じく、まばらな拍手を受けて舞台裏へ帰って来た。
その表情は自信を打ち砕かれたかのように、感情が抜け落ちている。
……なんかこれ、一種の罰ゲームみたいに思えて来たんだけど。
ひょっとしたら参加者が少ないのも、この結果を見越していたのかも。
参加するのはよほどの自信家か、または恥を恐れぬ勇者か、あるいは予想すらできなかった単なるおっちょこちょいだ。
残念ながら、私のことでもある。
「そういえばアルルの歌って聴いたことないけど、やっぱり自信あるの?」
「じゃなかったら参加なんてしないでしょ」
緊張した様子もないアルルは軽く答える。
ごもっともな意見だ。ちなみに私は自信なんてないけどね。
「王都にいた頃に、色々と見て聴いて勉強したからね。貴族向けの歌だっていくつか知ってるわ」
「そういえば王都では貴族の専属護衛をやっていたんだっけ?」
前にディーネから少しだけ聞いた話だ。
多くの貴族から勧誘を受けたけど、どれもディーネたちの容姿から侍らせたいという目論見が透けて見えるとかで、すべて断っていたと。
そんな中、とあるご令嬢の目に留まり、その親御さんからの申し出から専属護衛として雇われるようになったらしい。
詳しい経緯までは聞いてないけど、同じ女性かつ腕の立つ護衛として評価されたことと、他の貴族たちのしつこい勧誘を遠ざける防波堤の役割を買って出てくれた点から受けると決めたみたいだ。
「そうね、あの子が私たちに懐いてくれて、護衛と称して歌劇や宝飾店に私たちを連れ回してくれたおかげでもあるわ。そうでもなければ貴族が通う劇場や高級商店なんて、一介の冒険者は門前払いだもの」
たしか現在は休暇という扱いで、この街に滞在しているんだったっけ。
そこまで気に入られているなら長居はできないだろう。
でもディーネたちがやって来てから、そろそろ二カ月半くらい経つんだけど、まだ帰らなくて大丈夫なのかな?
「私よりも、シリスの自信はどうなのよ?」
「……あったら、もう少し乗り気になっていたかもね」
「ふーん、まあシリスのことだから、かなり謙遜してそうだけど」
どうだろう?
曖昧に笑っていると、アルルの名前が係の人に呼ばれる。
もう出番が回って来たらしい。
「ここで見て、そして聴いていなさい! 私が観客を沸かせてみせるわ!」
ものすごい自信だ。
そういえば忘れかけていたけど、アルルは歌で勝負だとか言っていたから、その気合も入っているのかな。
どう考えても、私が勝てる未来が見えないんだけどね。
だとしても勝負に手抜きなんてしないし、相手への敬意を忘れないのが私なりの流儀というやつだ。
「うん、頑張ってね」
私が対戦相手であるアルルに励ましの言葉を送ると、アルルは僅かに目を見開いてから不敵に笑い、当然よ! とだけ残して舞台へ上がって行く。
いっそ、そのまま優勝が決まって閉会しないかな。
公平を期すため、そんな事態にはならないとわかっていても、心のどこかで不参加を諦められない私が残っているらしい。
いやいや、覚悟を決めたら迷わないのが私の長所のはずだ。うん。
未練がましく悩んでいたって仕方ない。
とにかく今はアルルの歌を観賞させて貰おう。
さっきと同じように舞台袖から覗いていると、やがて演奏が始まった。
あまり聴き慣れない、だけどアップテンポで軽快なリズムだ。
この歌唱大会で演奏される曲は、受付で登録する時に指定できる。
ただ、それが既存の有名曲じゃない場合、演奏者に大まかなイメージを伝えて演奏して貰うことになる。
つまり酒場などでよく見られる、即興演奏だ。
これに参加者もアドリブで合わせて歌うことになる。
腕のいい演奏者なら、ある程度の決まり事の範囲で演奏するから他の演奏者も合わせやすく、知っていれば歌だって合わせられる。
だからって、それを大会で選択するアルルの豪胆さには恐れ入るね。
……まあ私も人のことを言えないけど。
中央に立ったアルルは、曲が始まると共に歩き出していた。
これまでの参加者が不動のまま歌い切っていたため、これには私も観客も驚きを隠せない。
そして歌い出すと同時に、アルルは舞い始めた。
この辺りで主流だった緩やかな踊りとは違う。大きく体を動かし、緩急をつけたステップからなる情熱的なダンスは、まるで見る者を魅了するかのようだ。
恐らく曲調はさっき言っていた、王都で学んだという歌だと思う。
だけど、私は気付いていた。
この見覚えのある動きは、アルルの仲間であるヴェガの歩法だ。
たしかヴェガは『剣舞』だと言っていたけど、その名の通り踊るような動きで戦うという独特な剣術だった。
それをアルルは、そのまま踊りとして採用したみたいだ。
さすがに剣術を丸ごと模倣できるわけじゃないけど、単なる踊りとするなら完璧である必要はない。
重要なのは、目を引く動きそのものだったから。
アルルが舞台上を、左から右へ、右から左へと動き回ると、観客席からは大きな歓声が上がる。
先ほどまで広く思えた舞台も、今では少し狭い気がするほどだ。
これは……まさに私も考えていた歌と踊りによる大舞台の活用法であり、それをアルルもまた同じく閃いていたのだ。
さらに、私には踊りなんて器用なマネは到底できないから諦めていたけど、アルルは実践してみせている。
そこで私は悟った。
アルルは本当に全力を出し切って、この勝負を勝ちに来ているのだと。
だからこそ一切の妥協をせず、知識と能力を総動員した結果、これほどまでに観客を沸かせている。
有言実行とはこのことか。
もはや誰もがアルルから目を離せずにいるだろう。
加えてアルルの歌を耳にすれば、会場は彼女の虜となった。
明るくて可愛らしい元気が出るようなアルルの歌声は、踊りと相まって目と耳に幸福を感じさせてくれる。まるで活力を分け与えてくれるかのように。
これが歌の大会だなんて、もう誰も覚えていないね。
今だけは、アルルのためだけの舞台だ。
かくいう私も、すっかり魅了されて視線は釘付けだった。
そんな至福の一時も、やがて終わりを告げる。
演奏と共にアルルの歌声と踊りが止まり、私と観客たちはハッと我に返った。
次いで幸福感の終わりを脳が認識すれば、自然と拍手がぱちぱちと起こり、すぐに大喝采へと変わって、アルルへ惜しみない称賛が送られた。
気付けば観客席は満員だ。空席なんてひとつも見当たらない。
「はっ、はっ、どうっ、だった、かしらっ?」
見れば、いつの間にかアルルが戻って来ていた。
あれだけ歌って踊ったのだから、息を切らせ、すっかり汗を掻いてしまっているのも無理はない。
「凄かったよ。目が離せなくてびっくりした」
「ほ、ほんとに……?」
「うん。眩しいくらいアルルが輝いて見えた。あと、はいこれ」
「わっ」
呼吸を整えるアルルに備え付けの布を被せる。
「ちゃんと拭いておかないとカゼを引いちゃうからね。お疲れさま」
「あ、ありがと……」
よほど暑いのか、顔を真っ赤にさせていたのでコップに注いだ水を渡すと、ごくごくと勢いよく飲み干してしまった。
なんか今の私って、人気歌手の付き人みたいだね。
などと思っていたら、不意に名前を呼ばれた。
「あ、次はシリスの番みたいよ」
「……そうだったね」
でもちょっと待って。
あんなに盛り上がったあとで歌うの?
さ、さすがにそこまでの度胸はないんだけど……。
「私が精一杯やったんだから、シリスも全力を出してよね。じゃないと、せっかくの勝負が台無しだもん」
うぅっ、純粋な笑顔が心に突き刺さる!
ダメだ……今のアルルに棄権したいなんて言えるわけがない。
「も、もちろんだよ。できる限り頑張るよ」
「当然よ。でもそれなら、その外套は邪魔になるわね。預かっておくわ」
「え?」
油断していた私は、アルルの手を遮れずに外套を剥ぎ取られてしまう。
そして控え室に、再びメイドさんが現れた。
「わっ、なによその格好!?」
「こ、これは……」
「まさか、これを見越していたっていうの……」
なんだかアルルの考えがあらぬ方向へ向かっている。
「服装は対等にしようと思って、あえて着飾るのをやめたけど、これなら遠慮する必要はなかったわね」
「アルル?」
「さあ、私以上の喝采を浴びられるか勝負よ! 行って来なさい!」
「ま、待って! その外套を――」
背中を押し出された私は、とうとう舞台上に姿を見せてしまった。
一斉に突き刺さる視線から……あ、もうダメだ。
よりによって大勢が集まった会場で、この格好を晒してしまうなんて……。
明日からどうしようという思いが浮かびつつ、私の心は急速に落ち着いて行く。
どうせ見られてしまったのなら、逃げても変わらない。
元よりアルルの期待を裏切れない私は、逃げられない。
だったら言葉通り、できる限り頑張るだけだね。
ここに至って、ようやく本当に覚悟が決まった。
「お願いします」
いきなり現れたメイドのせいか、呆けている演奏者たちに合図を送る。
実は、私が歌うのはアルルと同じように即興演奏だ。
私しか知らない歌なんだから当たり前だけど、そんな曖昧なイメージによる演奏だから、残念ながら正確なメロディにはならないだろう。
まあ、そもそも自然と口ずさんでいただけの歌だから、正しいメロディなんて存在するのかも怪しい。
だったら即興演奏で構わない。
私の場合、肝心なのは歌そのものだから。
演奏が始まった。
物静かで、しっとりとした曲調だ。
私は動かずに、歌うことに集中する。
どうせアルルみたいな明るい歌じゃないし、歌いながら踊るなんて器用なことはできない。
それなら最初から、ひとつに最大限の力を注ぐ。
私にできる……私なりの全力で、アルルの全力に受けて立つ。
それこそが全力を出した彼女に対する、たったひとつの礼儀だと思うから。
観客の反応なんて気にしない。気にしていられない。
今だけは、この歌だけに全神経を集中させる。
この瞬間だけは、私の全身全霊を込めた歌を……!
そして……演奏が終わる。
歌っていたのは、ほんの僅かな時間だったと思う。
そんなに長い曲じゃないからね。
深く内側へ向けられていた意識を戻せば、会場はシンと静まり返っていた。
誰もがぽかんとした顔で、微動だにしない。
う、うん……メルたちには上手だって褒められたけど、あれがお世辞だってことくらいわかっているよ。
あれだけ凄い歌と踊りのあとだったのに、次が期待外れだったのもわかる。
でもさ、拍手のひとつくらいあってもいいんじゃないかな?
……と思ったけど、素に戻ると途端にメイド服が恥ずかしくなったので、さっさと下がることにした。
というか、これって団長たちも聴いてたんだよね?
この結果だと失望させちゃったかな……。
すぐに団長たちと顔を合わせるのが怖くなった私は、控え室から見ていたアルルに優勝おめでとうと言い残すと、外套を被って足早に立ち去った。
負けたのが悔しくて逃げ出したようで、なんだかカッコ悪いけど、初めからわかり切っていた結果だからね。うん。
それでも、全力を出して負ければ、やっぱり悔しいわけで……。
はぁ……ひとまず、屋台の様子でも見に戻ろうかな。
これってアイドルものでしたっけ?
シリスの歌については、次回アルルたちの視点から解説が入ります。




