シリスとチキン
大湿地帯での死闘から、早くも二カ月が過ぎようとしている。
すっかり日差しの照りつける夏季も終わり、森の木々が鮮やかな色彩を宿し始める涼しげな秋季が訪れ……そして。
私は全速力で山麓を駆けていた。
「あとっ、少しっ、でぇぇぇっ!!」
無意味に走り回っているわけではない。ある獲物を追っていたのである。
目にも留まらぬ速さで、低空を飛び荒む丸っこい影だ。
木の葉を巻き上げ、木と木の間を器用にすり抜ける。決して樹上まで上昇しないのは、そうしたくてもできないからだ。
丸っこい影の正体を、クイックチキンと私たち冒険者は呼んでいる。
大きさは三十センチほどの丸々と太った鳥で、とても飛べるようには見えない外見をしているけど、これでも代表的な魔獣の一種だ。
たしかに飛べない。おまけに臆病だから脅威でもない。
でも脚力が異様に高く、走っては跳んで滑空できる。
だからこそ低空を飛び続けて降りると、シュタタタタッと脅威の足さばきで地を駆け、再び低空飛行を繰り返しているらしい。
つまり逃げ足に特化した魔獣が、このクイックチキンなのである。
どれだけ速いのかと言えば、上級冒険者であっても事前に準備なしでは追い付けないほどで、普通は罠を仕掛けるか、複数人で囲むように追い立てるしか手段がないとなれば想像できるだろう。
まあ、そこまでしても嘲笑うように逃げてしまうんだけどね。無理に追ったら沼に嵌ってドロドロになった、なんて笑い話も頻繁に聞くほどだ。
だったら無理に狩る必要はないんじゃないかと、事情を知らない人は言う。
なにを隠そう、このクイックチキン。
実は『丸鳥肉』の名で販売されている高級鶏肉だった。
たまにしか市場に卸されないが非常に美味だと評判であり、商人たちが一年中を通して討伐依頼を出している。そしてその大半が貴族や大商人といった富豪の食卓に上がるため、買い取り価格も高騰していた。
そのため中級に上がって討伐依頼を受けられるようになったはいいものの、ブレードベアを筆頭とする凶暴な魔獣を相手にできない冒険者たちは、このクイックチキンを目当てに山を駆けずり回るのだ。
最近では街の冒険者たちの錬度が上がったせいか、少量だけど一般の市場でも見かけるほど出回っている。すぐに売れちゃうけどね。
ともかく私が追っているのは、そんな大人気の鶏肉さんというわけだ。
絶対に逃がしてなるものか!
「捕っっったーーーーっ!!」
頭から飛び込む勢いで両手を突き出し、ついに激闘を制した私はふわふわとした触感に満足する。
と、同時に浮力を失った私の体は地面へ叩きつけられ、受け身を取ることもままならないまま、ずさーっと土を掘り起こした。
痛みはまったくない。なぜなら『魂の覚醒』で全ての身体能力を上げていたからね。
これを使えばクイックチキンにも追い付けるのではないかと軽い試しのつもりだったんだけど、まさか本当にできるとは驚きだ。
でもまあ消費が激しいし、これで一匹だけというのも効率が悪い。
追い付ける、という証明ができて満足なので、もう二度とやらないだろう。
「シリスさーん。大丈夫ですかー?」
「ご無事ですかー! お怪我はありませんかー!」
わたわたと足を動かして逃げようとするクイックチキンを抱えて立ち上がり、二人の声がする方へ振り向く。
そこには紛れもなく、手を振って近寄るプロンとベティの姿があった。
かなり遠くまで移動したように思ったけど、そうでもなかったのかな?
……いや、違う。いつの間にか山をぐるりと一周して来たみたいだ。
どれだけ私は走ったんだ。この鳥と一緒に。
無事をアピールするように、そんな獲物を掲げて見せると二人はほっとした様子で笑顔を見せた。
「声がしたのでこちらへ向かってみたのですが、やはりシリスさんでしたね」
「前へ走って行ったのに、後ろから聞こえてビックリしました!」
「二人とも置いて行っちゃってごめんね」
本来なら、今日はパーティでクイックチキンを狩るはずだった。
なのに思い付きの単独行動をしてしまったのは私なので、素直に反省して謝る。
まだまだリーダーとして自覚が足りないなぁ。
「いいえ、追い付けない私たちが悪いのです」
「そうです! シリス様は悪くありません!」
などと言われては、反省した甲斐がないんだけどね。
いつものことなので、いつものように励ましの言葉だと受け取って流しておく。
でも決して、彼女たちの優しさに甘えてはいけない。
ひとりで活動していた時とはわけが違い、今の私は二人の命を預かっている身なのだから。
この『三輝星』のリーダーとして、頑張らないとね。
私たちのパーティ名が決まったのは、ほんの一カ月前のことだ。
色々と悩んだけど、これ以上メンバーを増やすつもりはないし、増えたとしても変えればいいと気軽に考えて安直なものにした。
メンバーの人数に合わせたパーティ名はありふれている。もっと多くなれば明確に数を表すのではなく『組』や『団』と付ける場合も多かった。
だから、これなら変に浮かないし、どこに出しても恥ずかしくない。
私たち三人を『星』と称しているのは、ちょっとした拘りだ。
あまり凡庸な名前でも侮られるから、ネーミングセンスは意外と重要である。王都なんかでは、もっと派手な名前で溢れているらしい。
ディーネの『月華美刃』という自信に満ちたパーティ名からも察せられるね。
それくらいしないと目立たないんだろうけど、私はこの街で目立つ意志はない。
では、なぜ星なのかと言うのかだけど。
見ての通りメンバーの二人、プロンとベティは整った容姿を持っている。
輝く白銀の髪に、鮮やかで優しい色合いをした桜色の髪も目立つし、もはや華があるなんて表現を越え、天に煌めく星だと私は感じたからだ。
そこに私を含めるのは、ちょっと照れるんだけど……一応これでも自信はある。
自分の容姿を褒めるのは自意識過剰な気がして好きじゃないけど、前世の感性からすれば今の私もまた、それなりにウツクシイと言えなくもない……かな?
……いや、わかってるよ。
剣を振り回して野山を駆け回るような私では、聖女かお姫様かと見間違えるほど綺麗な二人とは比べ物にならないなんてね。
特にプロンなんて……もうダメだ。敵うわけがない。
かわいい子や、美人の知り合いは多くなったけれど、私はプロン以上に見蕩れてしまう美貌を知らない。
人間離れしたそれは、例えるなら湖の妖精? 月光の精霊? そんな感じだ。
最近は少し慣れたけど、不意に近寄られるとドキッとするので控えて欲しい。
もちろんベティも負けていない。
方向性が違って、彼女は美しさより愛らしさが勝っている。
たまに見せる気品のある仕草も相まって、本当のお姫様かと疑っているほどだ。
まあ普段は子供らしく元気いっぱいで、じゃれるようにくっ付いて来るので、そんなわけないかと考え直している。
仮にお姫様でも、とんだお転婆姫だね。
そんな二人と並ぶわけだから、最初は提案しつつも却下するつもりだった。
だけどプロンとベティは声を揃えて私の外見を褒めに褒めて、それはもう褒め千切ってくれたので、照れ隠しを含めて『三輝星』に決定したのだった。
一種のイジメと思ったくらいだよ。
「さて……あと二、三匹くらい捕獲したいかな」
「ですがシリスさん。その格好のままでは……」
「あ、本当ですシリス様! お召物が汚れてしまってます!」
言われて見下ろすと、新調したばかりの服が無惨にも土に塗れていた。
さっき捕まえようと飛び込んだ時か。失敗したな。
「すぐに洗えば落ちるはずです。今日は戻りましょう」
「そうしましょう! 依頼と違って期限もありませんからね!」
今回、私たち三輝星の獲物はクイックチキンだけど、これは冒険者ギルドで受注した依頼ではなかった。
狩った魔獣の素材を卸す際にはギルドを通す規約があるため、これを無視すると違反として罰を下される。
でも市場へ卸すのではなく、自分たちで売ったりする分には関係ない。
このクイックチキンから得られるのは食用となる部位の肉だけで、素人が解体しても無駄にしてしまう素材もないからね。
「うーん、わかったよ。ちょっと惜しいけど、今年はベティちゃんが協力してくれたおかげで余裕もあるからね」
「はい、お任せください!」
彼女の魔法のひとつ『冷却』は水から氷を造り出せる。そのおかげで肉がダメになってしまうまでの期間を大きく伸ばせるのだ。
さらに『浄化』を予め使っておけば効果は増すそうで、新鮮な肉に施せば最短でも一週間先まで鮮度を保てるらしい。
これによって例年なら直前になってから狩りを始めるところを、かなり余裕を持って肉を確保できることになったのだ。
では、なんのためにクイックチキンを狩っているのか。
「それじゃ、戻ろっか」
「他に『精霊際』に向けての準備がありましたらお手伝いします」
「えっと、孤児院では露店を出すんですよね? それで売り物が……」
「このクイックチキンを焼いた物がメインで、まあ色々あるよ」
そう、それこそが私たちの目的だ。
一週間後に控えた封印都市エルザ・スィールの二大祭り。精霊際。
細かく言うと水の精霊への感謝を捧げる日だそうだけど、実質は各地から商人たちが押し寄せて、住民たちも浮かれて大騒ぎするお祭りだね。
期間は三日間あって、申請すれば街の住民でも露店を出して祭りの雰囲気作りに貢献し、小銭を稼げる……とくれば気合も入るというものだろう。
もちろん孤児院でも貴重な収入源として毎年、露店を出して参加していた。
目玉はクイックチキンの串焼きで、元手がほぼ私の労働だけだから格安で提供できるため、評判はかなりいい。
確保できる量に限りがあるから、いつも売り切れてしまうほどだ。
だけど今年は違う。
ベティのおかげで大量に肉を用意できる。そして、それすらもすべて売り切ったとすれば、どれだけの稼ぎとなるのか……ふふふ。
すっかりお金稼ぎが身に染みついた私は、つい笑みを漏らしてしまった。
とはいえ喜んでばかりはいられない。
私の仕事は肉や香草を調達することだけど、いざ本番となって遊んでいいわけじゃなかった。
特に初日なんて、列ができるほどの盛況ぶりだからね。売り子ができる子も少ないし、必然的に人手不足気味である。
それでも年々、成長した子たちが手伝いをしてくれるのだから、今年こそは余裕があってもおかしくない……はずだった。
どうやら、私が店番をしていると売れ行きが伸びるらしい。
たしかに冒険者ギルドの顔見知りが次々に寄って行ってくれるから、それは間違いではなく、きっと例年の完売にも起因しているのだろう。
となればマムが私を遊ばせておく理由など存在しないわけで。
……今年もまた売り子として、串焼きを売り続けなければならないのである。
「シリス様は、あまり楽しみではないんですか?」
「うーん……そういうわけじゃないんだけどね」
つい不満が顔に出てしまったようだ。
ベティが様子を窺うように顔を覗き込んで来るので、笑顔で返す。
苦笑いになってしまったのは、それだけの悩みだからか。
「実は、売り子の衣装がちょっと苦手なんだよ」
「衣装というと、孤児院の子供たちが用意していた物でしょうか?」
あれを思い出すように口にするプロンに、私は頷いた。
記憶に蘇るのは深緑色のふりふりしたエプロンと、スカートが組み合わさったワンピースだ。白いブラウスの上から着用すると、一見したらドレスのようでもあって実に可愛らしい意匠となっている。
他にも袖口を覆うフリルや、首元を飾るフリルとリボン、フリル付きカチューシャと、とにかくフリル地獄だった。
ずっと前に孤児院を卒業した、手先の器用な先輩が繕ってくれた物だけど、なんというか趣味が私とは合わない。
いや、そもそも私の趣味が冒険者の思考に偏っているせいで、きっと年頃の少女であれば喜んでいただろう。
現に孤児院の女の子たちは、数が限られた衣装を身に着けるのが一種の憧れになっているみたいだからね。
私からすれば、あのメイド服にも似ていて嫌なイメージしかないけど。
……うん、そう考えてみれば本物のメイド服よりはマシかも?
まだ自室に封印してあるけど、あれを着るぐらいなら売り子の衣装のほうが精神的に楽だろうと自分に言い聞かせれば、なんとか納得できた。
どうせ悩んだって避けられないからね。
だけど露店とは別に、楽しみもある。
精霊祭で開催される武術会では、街の内外から実力者が集って参加し、その武術を競って優勝者を決めるのだ。
おまけに領主は勝ち上がった者に賞金を出す太っ腹で、去年の大会で二位の成績を残した私は金貨五枚を受け取った。
まあ、すぐにショートソード代、それも二本分のために四枚を使い、残り一枚は孤児院の運営費で消えたけど。
ちなみに去年の優勝者は剛鉄組のリーダーこと、カタナのエドだ。
あと一歩のところで私の剣は届かず、負けてしまった。なかなか高い壁である。
その賞金も金貨五十枚と高く、二位との開きをより感じさせた。
でも今年こそは優勝してみせる。
これは賞金のためというより、私の意地だからね。
なにより強者との戦いは胸が躍る。その相手が剣士なら尚更だ。
今年はどんな武人が現れるんだろう。
私は精霊祭が今から楽しみで売り子の衣装なんてすっかり忘れ、子供のように待ち遠しく感じてしまうのだった。




