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孤児院のシリス2

 場所を執務用に使われている院長室に移す。

 子供たちが説教部屋として怖れて近寄らない堅苦しい空気の漂うこの部屋は、私としてもあまり良い印象はない。

 そんな場所で、私はマムと対峙していた。

 別に戦うわけじゃないけど、気持ちで負けたらやばそうな気配だ。


「とりあえず掛けなさい」


 そう促されて年季の入った木製のイスを軋ませる。

 目の前には、窓からの日差しを背に受けるマムが静かに私を見つめている。

 頑丈な机を挟んで互いに座っているはずなのに、まるで心許ない。


「何か言うべきことがあるのではないですか?」


 この探りを入れるような問いかけ、つい謝罪してしまいそうになるけど早まってはいけない。

 いくらなんでも、あれが簡単に露呈することはないのだ。

 ここはしらばっくれよう!


「……心当たりはありませんが」

「ではシリウスという傭兵に覚えは?」


 バレてるぅぅーーっ!?


「いえ、私と似た名前ですけど知りません」


 内心では絶叫し、背中は冷や汗でぐっしょりと濡れていたけど、顔色ひとつ変えずに返答できた自分を褒めたい。よくやった。


「この傭兵は黒髪の少女だそうですが……これも偶然ですか?」

「世界にはそっくりさんが三人はいるって言いますね」


 もちろん私には覚えがあるどころか、よく知っている名前である。

 シリウスとは、私が傭兵団へと入る際に考えた偽名なのだから。

 あまり馴染みのない名前にして、咄嗟の呼び掛けに反応できなければ困ると考慮した結果、できるだけ元のシリスに近いようにしたのだけど……。

 今はちょっと後悔している。


「私との約束を覚えていますね?」

「もちろん」


 傭兵にならない。それがマムとの約束だ。

 前世の記憶から心構えや契約の仕組み、戦場のルールまで熟知している私にとっては金を稼ぐのに手っ取り早い方法なのだが、それには危険が付き纏う。

 記憶が戻ってからの鍛錬によって、私の剣技が戦場にあっても通用すると確信しているけど、あくまで自己判断に過ぎないのでマムは納得してくれないのだ。

 それに女が戦場にいるとロクでもない目に遭うというのは、この間の賞金首たちが素晴らしい例だった。

 だからマムの心配は十分に理解しているつもりだ。

 それでも私には、やめられない理由がある。


「認めるつもりはないようですね」

「あいにくと身に覚えがないもので」


 鋭い眼光に負けじと見つめ返していると、やがてマムは溜息を吐いた。


「……この近隣での戦はなくなり、しばらく傭兵たちの出番もないようです」

「みたいですね」


 マムの言う通り、隣国で頻発していた戦が収束し始めているので、多くの傭兵は主戦場を北方へと移しているのだ。

 私が所属する傭兵団もまた、一月ほど前に旅立って行った。


「今回に限ってはなにも無かった、ということにしておきますが、次はありませんよ。それに……」


 ふっと険しい表情を柔らかいものに一変させる。


「目標の金額まで近いのでしょう?」

「……まあ、理由はともかく、それは事実ですね」


 だからもう危険な行為はしなくてもいい。暗にそう言っているようだった。

 たしかに金を稼ぐだけなら他にも方法はあるし、孤児院を支援するには少し足りないまでも、美味しいパンと野菜スープが食べられるくらいの収入は見込める。

 いざとなれば、食料は森で狩りをする手もあった。

 それでも約束を破ってまで稼ごうとしていたのは、すべてメルのためだ。


 私の病弱な親友は、この孤児院で唯一なにかの役割を担っていない、はっきりと指摘してしまえば仕事ができない、お荷物な状態だったのだ。

 そんな彼女でも、頭脳がとても優れていた。

 文字の読み書きを教われば誰よりも早く習得し、計算は教わるまでもなく自然とできてしまうような一種の天才だ。

 このまま励めば、学士や役人だって夢ではないはずだった。


 だけど、どれだけ学んでも孤児院育ちの天才を世界は認めようとしない。

 現に学士や役人のほとんどは家柄がしっかりとした貴族や商家の出自で、平民ならともかく、孤児から出世した者など聞いたこともない。

 故に、このままではメルの才能を生かせる道が……未来がなかった。

 剣ひとつで成り上がれる傭兵とはまったく違う世界を前にして私は、メルになにもしてやれないのが歯痒く、そして辛かった。

 そんな時だ、私が『エルザス学院』について知ったのは。


 エルザス学院。

 より良い人材を広く集め、将来を担う若者の教育を目的に設立された施設。

 この街を治める大貴族が率先して宣伝したせいか、他所の街からも貴族の嫡子や商人の令嬢がこぞって集まっているとウワサは耳にしていた。

 驚いたのは、その入学条件である。

 知識を測る試験に合格し、高い入学金を支払うことのみ。

 それさえクリアできれば誰であろうと高度な学問を学べる上に、卒業すれば孤児ではなく学院の卒業者として見られるのだ。


「話を聞いた時は到底不可能だと思っていましたが、よく頑張りましたね」

「メルと約束しましたからね。それにメルだって私から学院を勧められた時は乗り気じゃなかったけど毎日しっかり勉強して、以前とは比べ物にならないくらい元気になって……」

「そう、でしたね……」


 初めてメルと出会った頃を思い返すと、少しだけ日差しが弱まった気がした。

 なんにせよ、バカ高い学費にはもうすぐ手が届く。

 あとはメルが試験でどれだけ頑張るかだと、マムは納得したようだ。


「それはそれとして。無理と無茶は保護者として容認できませんからね。必ず、そのことを頭に入れておくように」


 釘を刺すべき部分はしっかり差すマムに苦笑しながらも頷く。

 どちらにせよ団長たちともしばらくは会えないだろうし、次に傭兵として戦うのは孤児院を卒業してからになるだろう。

 それならばマムとしても口は出せないのだ。


「じゃあマム、私はそろそろ行くから」

「ええ、気を付けるように」


 話を終えると、私には仕事があるので早々に退出する。

 それはマムも理解しているため、引き止めてしまった点だけは申し訳なさそうにしながら見送ってくれた。

 足早に廊下を歩いて院長室から離れ、十分に距離が取れたと判断したところで私は大きく息を吐いた。


「……また約束、守れそうにないなぁ」


 込み上げる罪悪感から、思わずそう呟いてしまう。

 私はひとつだけ、傭兵の件とは別に黙っていたことがあった。

 目標の金額まで、あと僅かで手が届くという話は事実ではあったが、最近は実入りのいい仕事が少なくて難儀しているという現状である。

 もうちょっと傭兵を続けていられたら良かったと思う反面、この近隣で戦が多いのも不安に駆られる夜があったので嬉しくもあり、なかなか複雑だったりする。

 どうあれ現実は変わらない。なにか手を打たなければならないのだ。


 そのためにも、まずは自室へと戻った。

 急いでいつもの鈍色をしたジャケットを羽織り、細い腰にベルトを巻き付けて二本の愛用する剣を吊るし、グローブやブーツにナイフといった装備をしっかりと点検して異常はないと満足したら、最後に髪を後ろでまとめて縛る。

 そうして準備が整ったら、隣室のメルに一声かけてから孤児院を飛び出した。

 向かう先は都市の中央部に位置する、冒険者ギルドだ。

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