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シリスとキングとグレヴァフ

「う……ここは?」


 どれくらい気を失っていた? ほんの数秒? 数分? それとも数時間?

 そこまで長くないはずだと明瞭な意識から推測する。

 体は……ぴくりとするだけで、まったく動かせそうにない。倒れた状態のまま腕に、脚にも力が入らなかった。まだ強化の反動が抜けていないみたいだ。

 加えて落下の衝撃で強く打ち付けたからか、全身に鈍い痛みが走る。

 たぶん骨は折れてないけど、これ自力で登れるかな……。


 唯一まともに動いてくれる瞳は、抜け落ちた天井を見つめる。

 落ちた先は地下洞窟になっていたようで、広大な空間が存在していたのだ。

 ぽっかりと空いた大穴からは絶え間なく水が流れ落ち、それがなくても手が届きそうにないほど高くて、壁をよじ登るしか脱出する手段はなさそうだった。

 その壁の表面は、天然の洞窟にはありえない滑らかさの板になっていて、文字らしき紋様がびっしりと刻み込まれている。

 なんとなく、この地下空間は遺跡ではないかと気付いた。


「そう、だ……ディーネは?」


 視線を巡らせていると、少し離れた場所に横たわる人影があった。

 まさか、そう思って血の気が引いたけど、僅かに肩が揺れてほっとする。

 良かった……まだ生きてるみたいだ。

 出血している様子もないし、きっと気絶しているだけだろう。

 上がどうなってるのか知らないけど、すでにリザードキングを討伐しているとは思えないし、ここは叩き起こしてでも態勢を整えないとならない。

 ひょっとしたら、こうしている間にもみんなが激戦を繰り広げている可能性だって十分にあり得るのだから、すぐにでも行かないと……!

 だというのに、どうやっても私の体は言うことを聞いてくれない。

 まるで、これ以上はもう戦えないと、肉体が訴えかけているかのようだ。


 そんなはずがあるか!

 まだまだ魔力だって残っているし、なによりこの程度で立てなくなるほど私は弱くなんかないはずだ!

 そう、前世の私は……グレヴァフは、もっと強かった。

 生まれ変わって、その力を失ったのは痛感しているし、だから少しでも取り戻すために鍛錬を続けてきたんだ。

 ただ力任せに叩き切るのではなく、速さと技術による強さを身に付けて、プロンに頼んで魔力制御なんてものまで会得した。

 それなのに……これが、今の私の限界なのか?


 ざあざあと流れ込む、水の音だけが地下遺跡に反響する。

 大穴から注ぐ月と星の輝きは静かに、そして優しく包み込むように私を照らしてくれた。

 まるで、このまま休んでもいいんだよ、もう戦わなくていいんだよ、と語りかけているみたいに。

 ……思えば、ここまでひたすら駆け抜けて生きてきた。

 必死に剣を振り、体力を付けて、地道に稼いだお金をやりくりして安物だけど装備を揃えて、ようやく魔獣を狩れるまでになって、ついにはリザードキングを相手に大立ち回りをしてみせたんだ。

 もう十分、頑張ったんじゃないかな……なんて。 


 ……なんて弱気で、馬鹿なことを考えているんだ?

 いつの間にか体だけじゃなく、心まで倒れかけていたらしい。

 どれだけ努力したかなんて、関係ないんだ。

 私はアルルと、そしてメルとも約束した。

 ディーネを連れて戻ると、必ず無事に帰るって。

 だったら、こんなところで寝ている場合じゃないだろ! 例え這ってでも、ディーネを引き摺ってでも、絶対に約束を護れ!

 さあ! 動け! 情けない体め! あの頃の威勢はどうした!?

 私は……この程度で、あんなトカゲ野郎に負けて終わるやつじゃない!

 だって、だって、そう……私は、違う、そうだ、『俺』は――。






 地下遺跡は地面の下とは思えぬほど広大であり、人間ほどの大きさであれば容易く見失ってしまうほどだ。

 逆に言えば、リザードキングほどの巨躯であっても自由に身動きが取れる空間という意味となる。

 そんな足下に広がる空間について熟知していたキングは、恐れなど微塵も感じさせずに大穴へ飛び込み、轟音を響かせて着地した。

 標的は水の勇者……ディーネただひとり。

 暗闇の中であっても。高位のリザードマンには魔力を感知する器官が備わっている。キングともなれば残り香のような微弱な魔力からでも追跡できた。

 地面には、二種類の魔力が残されている。

 どちらも覚えがあったキングは、迷わずに水の勇者の痕跡を辿り、やがて途中で二つの魔力が重なる地点に小さな人影……シリスを見つけた。

 白い肌は擦り傷だらけでボロボロだというのに、二本の足でしっかりと立っており、キングの行く手を遮るかのようだ。


「マタ貴様カ、脆弱ナル小サキ者ヨ」

「……うるさい黙れ」


 ぶっきらぼうに答えたシリスに、キングは初めて表情を歪める。

 キングにとって、シリスは臆病に逃げ回るしかないほど脆く、故に戦士ではないと認識していたのだ。

 この場に置いても逃げ出すのであれば、見逃すほどにどうでもよいと。

 しかし、その弱者がリザードマンの戦士たちを束ねる長、リザードキングに尊大な口を利いた。それはドラゴンの逆鱗を撫でるも同然の行為だ。

 キングの激昂は、即座にシリスを叩き潰さんとする一撃となって放たれた。


「消エ失セヨ!」

「てめぇがなっ!」


 細い体を挽き肉にする勢いの大槍に対し、シリスはカタナを上段に構えて迎え撃たんとする。

 無謀にも思えた両者の激突だが、予想だにしなかった異変が起き、キングは数瞬だけ我を忘れた。

 恐るべきことにシリスは、キングの大槍を弾き返して見せたのだ。

 正確には振り下ろした槍の勢いがそのまま返ったため、反動で跳ね上がったのだが、だとしても強固な鋼の武器と、そしてそれを微動だにしないまま支えたシリスの強靭さは驚愕に値した。

 間違いなく先ほどまでとは違うと、キングは野生の直感でなにかを感じ取った。


「貴様……イッタイ、何者ダ?」

「なんだ、もう俺を忘れたのかよ。トカゲ野郎」

「ナ、ナニ……貴様、我ヲ愚弄スル、ソノ呼ビ名……マサカ!?」


 目に見えて狼狽するキングに、鋭い視線を向けるシリスは笑みすら浮かべて対峙している。

 通常ならばあり得ない。強大なリザードマンの王が、たったひとりの少女を前にして、怖れて足を引くなどと。

 だがシリスは決定的な言葉を口にする。


「そのまさかだよ、俺はグレヴァフ……かつてお前を殺した男だ」

「アリ得ヌ! ヤツハ、アノ大戦士ハ、我ガ道連レニ葬ッタ!」

「ああ、やっぱり俺の最期はそれか。覚えてるのも、そこまでなんだよな」


 言葉通りシリスは、欠けていた前世(グレヴァフ)の記憶を取り戻していた。

 元より大部分の記憶は戻っていたが、自身が死んでしまった原因や、その他の細かい部分がすっぽりと抜け落ちていたのだ。

 それは例えば、リザードキングとの死闘だったり、魔力の扱い方であったり、あるいは魔法の知識といった、それら様々な記憶の断片が一気に埋まっていた。

 この影響でシリスという少女で定着しつつあった精神は、再びグレヴァフへと傾いてしまい、無意識に口調の変化まで起きている。


「ク、ククク、クカカカカカカッ!」

「あ? なに笑ってんだ?」

「ククッ、例エ貴様ガ、グレヴァフ本人ダッタトシテ……ソノ脆弱ナ肉体デ、何ガ出来ルノダ? 我ニ殺サレル為ニ、蘇ッタカ?」

「……やれやれ、相変わらずだなトカゲ野郎」


 少女の姿となった、かつての好敵手を侮るキングに対し、呆れるように頭を振って、わざとらしく溜息を吐いた。

 二人のそんな様子は敵同士と言うよりも、まるで旧来の悪友のようでもあり、緊張していた空気も自然と緩む。

 無論、双方に慣れ合う気は毛頭ない。

 カタナを振りかざし、キングの顔へ切っ先を向けて言い放つ。


「そうやって人間を舐めてたから、お前は俺に負けたんだよ」

「フン……マダ勝敗ハ決シテハ、イナイゾ」

「おお、やっとやる気になったか! そうだ! それでこそトカゲ野郎だ!」


 弛緩した空気が再び引き締まるのを感じ取り、喜び勇んでカタナを構える。全身の魔力を滾らせ、肌に纏わりつく水気を弾き飛ばす。

 先ほどまでの楽しげな雰囲気は失われ、残されたのは獰猛な殺気だ。


「グレヴァフ……今日コソ、ソノ不遜ナ口ヲ、永久ニ閉ザシテヤル」


 眼前の少女を『敵』と定めたキング。紅色に輝く双眸に、侮りや慢心の色は見えない。あるのは戦士に向ける敬意と、絶対の殺意である。

 一触即発。

 殺気と殺意が混ざり合い、地下遺跡は鳴動しているかのように震えた。


「ああ、ひとつ言い忘れてた」

「……何ダ?」

「今の私は、シリスって言うんだ。そこんとこ、よろしくね」

「ヨカロウ……戦士シリス、イザ!」

「勝負ッ!」


 最早、人間もリザードマンも一切関係ない。

 この場には二つの戦士がいて、どちらが上かを決める。それだけだ。

 片方は、それでこそ決闘を挑んだ猛者だと歓喜の声を挙げた。

 片方は、それでこそ勝利を誇るのに相応しい宿敵だと吼えた。

 永い年月を越えての雌雄を決する戦いは、しかし意外なほど呆気なく終わる。


 速さで勝るシリスは勢いよくキングの懐へと飛び込む。

 カタナと大槍のリーチ差は、圧倒的な不利と理解しての行動だ。

 だがシリスの考えなどお見通しであるかのように、キングは槍を引いて待ち構えていた。

 すべては、この一瞬で終わるだろうと互いに予期している。

 故に、シリスへ向けて放たれた渾身の一撃は、人の身で受けることなど不可能な質量でもってして、真っ直ぐ狙いを違わずシリスの胸を穿つ……はずだった。

 飛び散る鮮血の代わりに宙を舞ったのは、大槍の矛先である。

 なんとシリスは、カタナの一振りで正面から斬り飛ばしたのだ。


 いくら魔力制御によって身体能力が向上しているとはいえ、基礎となるシリスの肉体は十四歳の華奢な少女であり、到底あり得ないほどの出力だろう。

 そんな自分の身になにが起きているのかを、シリスは正しく把握していた。

 通常の魔法とは異なる、魔法の原点たる奇跡。

 魔法使いが普段から行使する魔法を『略式魔法』と称するのならば、この時シリスが己へ使用したのは真なる奇跡、『正式魔法』と定義されている。

 これによって得た力は、かつての自分自身、前世のグレヴァフが有していた身体能力をそのまま身に宿すものだった。

 その名は『魂の覚醒(イグニッション)』。

 世界でただひとり、シリスだけが扱えるオリジナルの大魔法である。

 

 唯一の武器を破壊され、これで勝敗は決したかに思えた。

 だが……キングはそれすら読んでいたのだ。

 槍は単なる囮、牽制であり、本命への布石であった。

 穂先を失った時点でキングは槍を手放しており、鉤爪を揃えて腕を引く。

 キングにとって、この腕そのものが本来の、そして最強の武器である。

 一方でシリスは全力でカタナを振り抜いており、さらには宙に浮いて足場すらないという、避けられる体勢になかった。

 まさしく絶対絶命。状況は一転し、窮地に追い込まれたシリスへと、キングは全身全霊の貫手を容赦なく放つ。

 今度こそ、確実に仕留めた。キングはそう確信して口元を歪める。

 たしかに間違いなく、その鋭爪はシリスを貫くはずだった。


「でやぁぁぁぁぁっ!!」


 惜しむらくは、キングはシリスの持つ武器を正しく把握していなかったことか。

 瞬時に空いている手でショートソードを抜き放ちながら斬り上げ、キングの鉤爪は鱗に覆われた腕ごと、半ばまで切り裂かれたのだ。

 尋常ならざる魔力が込められた斬撃だったが、カタナと違い安物のショートソードは役目を果たしたとばかりに砕け散ってしまった。


「グヌゥ!」


 痛みに呻くキングは、しかし怯まずに追撃を仕掛ける。

 今度こそ打つ手がなくなったシリスへ、残るもう一本の腕を武器として。

 だが、もはや機を失っていた。

 シリスは自らが割いたキングの腕を土台にし、くるりと回転しながら追撃を避けると、その腕へ着地する。

 腕を伸ばし切ったキングに対し、シリスのカタナは腰へ差し戻されていた。

 腰を深く降ろし、狙いは鱗の薄い首元に定められる。

 ここに至り、熟練した戦士である双方が勝敗を悟った。


「……見事ダ」

「うん、お前も、ね……」


 疾駆するシリスがカタナを振り抜き、一閃。そのままキングの背後まで駆け抜けると、一瞬だけ遅れて凶悪なキングの首がずるりと落ちた。

 そうしてここに戦士たちの戦いは、幕を降ろしたのである。

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