シリスとディーネと勇者
「し、シリス……あなた、どうして?」
「ちょっと待ってね。あいつ、本気でやばそうだから」
さて、ちょっとカッコつけて飛び出したけど、状況は最悪だ。
周囲はリザードウォリア―の群れに囲まれ、目の前にはウォリア―すら小物に思えるほどの存在感を持つキングで、私の片手はディーネを抱えている。
手持ちの武器はカタナとショートソード、投げナイフが二本だけ……。
さすがに、まずいかも。
どうしてこんな窮地に追い込まれているのか。
私たちがディーネが連れ去られた地点に到着すると、やはり同様にどこからか霧が立ち込めた。恐らく森の奥だろう。
これは予めベティに頼んでおいた魔法『送風』と『点灯』で、ある程度は視界を確保できるし、大した障害じゃない。
むしろ警戒していたリザードウォリア―が、ここまでまったく姿を見せていないのが異様だった。
待ち伏せも考慮しつつ、そのまま森に入ってから散発的に襲ってくるリザードマンを倒して進むと、大きく水を打ったような音が何度も鳴り響いてきた。
より警戒を強めると森の奥、太くて長い棒……槍みたいな物体の影が天へと伸びる様子が確認できたのだ。
その時点で私の中に、ある直感が走っていた。
あそこにディーネがいる……と。
だけど、距離的にかなり離れていたから、咄嗟にベティに『強化』を頼み、最大速度で駆け抜けたのだ。
そして槍に貫かれそうになっているディーネを視認した瞬間、私は両足に魔力を込めて矢のように跳躍する。もし魔力制御に失敗すれば骨の一本か二本くらい折れてたかもだけど、上手くできたから結果オーライだね。
あとはすれ違う瞬間にディーネを抱え込んで、変な石柱の上に着地して、こうして間一髪で助け出すことに成功した……というわけだ。
結果的に助けられたから良かったものの、自分でもかなり無茶だと思う。
おまけに仲間を置いて先走ってしてしまい、完全に孤立している。
きっと今頃みんなは心配して、後を追おうとしているだろうな。これ以上、陣形を崩すと襲撃に耐えられないから、どうにか抑えてくれるといいけど。
……ひとりで突っ走った私が言えたことじゃないね。
「ディーネ、これで動ける?」
「ええ、助かりましたわ」
縛られていた蔓草を切りながらも、私はリザードキングから視線を外さない。
あの巨体に、手にする大槍だ。少しでも油断すれば命はない。
一方でキングの方もまた、私を睨みつけたまま動かないでいる。爬虫類の顔だから感情までは読めないけれど、どこか警戒しているようにも見えた。
このまま膠着状態を保っていられたら、いずれみんなが颯爽と現れて応戦してくれないかなぁ。
なんて儚い希望は、キングが槍の穂先を揺らしたことで打ち破られた。
「やっぱり……ダメかッ!」
ブレるようにして消えた槍に反応して、私は大きく跳んで回避する。
入れ換わるように突き出された大槍が石柱を砕き、破片を撒き散らしていた。
狙いがわかっていれば、避けるのはそう難しくない。まだ『強化』は続いているのだから、その身体能力があれば可能だ。
ただ、ディーネを抱えていては限界がある。
二度三度と、真上から振り降ろされた槍をギリギリのところで避けるのが精一杯で、この場から逃げ出す隙はなさそうだ。
「し、シリス! 私を捨てて行きなさい!」
「断る!」
もしもディーネを離せば、即座に槍で貫かれる確信があった。
どうやら奴らの目的は、ディーネをこの場で殺すことみたいだからね。この辺りの雰囲気からして、リザードマンなりの儀式みたいなものだろう。ここで生贄にさせるくらいなら最初から諦めているよ。
とは言ってみても、やっぱり厳しいものは厳しい。
なぜかウォリア―たちは手出しをしないので、今のところキングだけに集中できるけど、それにしたってジリ貧だ。
だったらこちらから攻撃を、と考えても通用しそうなのはカタナだけだし、迂闊に近寄ったら腕を振り回されただけで小虫のように叩き潰されてしまう。
結局のところ、打つ手がないのだ。
「くぅっ!」
キングが振るう槍の動きが変わったのを察知して、大きく後ろへ避ける。
予想通り、大槍は水面を弧状に薙ぎ払い、派手に水飛沫を散らす。
向こうも私の速さには点ではなく、線による攻撃が効果的だと理解したようだ。
それもまだ、腕の動きを観察していれば予測しやすいけどね。
もっとも厄介なのは槍なんか捨てて、その巨体で迫られることだ。突進でもされたら避け切れる自信がない。
それに気付くまでに、なんとか突破口を見出さないと……。
シリスが必死に庇ってくれている現状に、ディーネは唇を噛んだ。
初めは嬉しい感情が強く、きっとシリスならなんとかしてくれる、そう盲目的に信じていた。
だが結果は逃げの一手であり、このままでは消耗するだけで、いずれ訪れる結末にディーネの他、シリスが加わるだけなのが容易く予期できた。
もはや自分は足手纏いでしかない。
その事実に、ディーネは悔し涙すら浮かべる。
(こんな……こんなことの為に私は、私は……!)
いつかシリスに己の力量を認めさせ、叶うなら自分こそがシリスを支える対等の存在になりたいとさえ感じていたのだ。
だからこそ、これまでの努力だったというのに、非情にも現実はまったくの真逆であり、ディーネはこの数年間のすべてを否定された気がした。
冒険者としての活動も、あらゆる武器を使いこなす鍛錬も、無意味だったと。
(いえ……いいえ! まだですわ! この程度で、こんな障害で、こんなところで諦めてなるものですかっ!!)
諦観の海に沈みかけたディーネの心が、激しくざわめく。
だが決して炎のように熱い物ではない。それは冷たく静かな湖面のようであり、水中で荒れ狂う渦でもあった。
されど奥底に秘められているのは穏やかで優しい……苛烈と慈愛に満ち、相反する矛盾した感情。
ディーネ自身ですら、正確には理解できない。
なぜこのような窮地に陥って、役に立てないと思い知らされてなお、シリスを助けたいという想いを抱いているのか。
なぜ脅威であるリザードキングに対して恐怖と怒りを感じているのに、こんなにも落ち着いていられるのか。
問いかけるほどに心の奥深く、底まで意識は沈み込む。
やがて深奥まで到達すると……ソレは答えた。
「……シリス! あれの近くに!」
短くそう伝えると、意図までは把握していなくともシリスは動いてくれる。
ディーネが指差したのは、三角錐の奇妙な建造物だ。
誰がなんのために用意した物かはわからずとも、それがなんなのかをディーネは察している。
先ほどの『声』が真実ならば、この危機を脱する切り札になり得ると。
豪風を伴う槍の一撃を何度目になるかわからない跳躍にて避けつつ、シリスは言われた通り、三角形に尖った頂点へ着地した。
魔力によって身体能力が強化されているとはいえ、体力の消費は激しい。
どうにか余力を残してはいるが、シリス息は乱れ始めていた。
「シリス、私は大丈夫ですから、ここで降ろしなさい」
「……信じるよ?」
先ほどのやけっぱちな言葉と違い、強い意思が宿っているように感じられ、シリスは素直に従いそっと離した。
すると、自由になったディーネは足下の建造物に触れる。
そこに目的である、なにかがあるように。
「で、ディーネ? できれば早くしてくれると、ありがたいんだけど!?」
悠長に構えている暇などないと言わんばかりに、キングが槍を振り被る。
慌ててディーネを再び抱えて跳ぼうとするシリスだが、それはディーネ自身の手によって阻まれてしまった。
無視しようかと逡巡するシリスの迷いは、しかし突如として現れた巨大な壁によって打ち消される。
壁……そう表現する他にないが、その正体は水だ。
森を飲み込み水没させた大量の水が、まるで滝を逆にした形で下から上へと、重力に逆らって吹き上がり、水柱ならぬ水壁を形成している。
「な、なにこれ?」
「退がってなさい、シリス」
戸惑うシリスとは対照的に、ディーネは落ち着いた動きで立ち上がり、水壁の向こうにいるリザードキングを見据えた。
「ここからは私がやりますわ」
「え、いやでも武器だってないし……」
この異常事態にディーネが関与しているのはシリスも察していたが、さすがに武器もなしで挑むには分が悪い。
それでもディーネは不敵な笑みを浮かべる。
「武器ですって? ……それならここに、いくらでもありますわ!」
言い放ちながら両手を左右に広げると、ディーネの前に勢いよく細い水柱が上がり、徐々に形を変えて行くと、やがて一本の槍を象った。
見た目は水そのものだというのに崩れる気配はなく、たしかな物としてディーネは掴み取り、試すように軽く振り回す。
「これで問題ありませんわね」
「あ、あのディーネ? これっていったい……」
「声が聞こえましたわ」
怪訝そうに首を傾げるシリスに、ディーネは先ほどの声について話し始めた。
それは頭に直接、語りかけられているような不思議な感覚であり、ずっと以前から知っているような気さえする声の主は、親しげに、優しく慈しむような口調でディーネに告げたのだ。
――我の愛しい子、水の申し子よ。邪なる楔より我を解き放つのです。
幻聴の可能性がなかったわけではないが、より深く声に耳を傾ければ、三角の建造物に触れるだけでいいだの、ちょこっとだけだのと、やたら必死に訴えかけるので、まあ試すだけならいいでしょう、と試した結果がこれだった。
実際のところディーネもなにが起きているのかは知らない。
ただ、かつてないほど高まっているその魔力で、シリスを手助けできるのなら利用しない手はないと、そう結論を出しただけのことだ。
魔力により形を成す水流の槍を手に、流麗な動きで構える。
「さあ、このディーネが相手をして差し上げますわ!」
言い切ると同時に飛び出す。
リザードキングとの戦いは、まだ始まったばかりである。
あれって『水の精霊の愛し子』が持つ力だよね?
水で形成された槍を振り回すディーネを後ろで眺めながら、私はさっきの話を思い返す。
語りかけてきたのは水の精霊だとして、ならこの場所は……?
謎の三角錐が怪しいけど、ひょっとしたら魔物が精霊を害するために作りだした呪いの祭壇だったりするのだろうか。
それをディーネが、精霊を解放して『水の勇者』として目覚めたとか?
……推測でしかないけど、そう納得するしかない。
本当のところはわからないし、今でもディーネが勇者だったなんて信じられないくらい驚いたけど、助かったことに変わりはないからね。
おまけに、あとはアズマが来てくれれば、ここに勇者が二人も揃うのだ。例えリザードキングが相手でも遅れを取ったりはしないだろう。
現に、ディーネの攻撃はキングを圧倒していた。
「せいっ! はぁぁっ!」
逃げる一方だった私と違ってディーネは巧みに水を操り、時には水壁を目眩しとして使い、時には水柱で自身の体を押し上げて移動する。
水流の槍を投げては何度も新たな槍を生成しており、槍だけではなく剣や斧まで作りだしては斬りつける。その手数と戦法に際限はない。
まさに変幻自在。水の勇者に相応しい戦いぶりだ。
もっとも、キングの硬い鱗に弾かれてしまって、大したダメージを与えている様子はないのが惜しいところだ。決め手となりそうなのはアズマの炎ぐらいか。
それでも正体不明の技に警戒しているのか、明らかにキングは攻撃の勢いが落ちていた。さっきの水壁を前にした時の反応といい、なかなか用心深いようだ。
このまま時間を稼げれば……。
「いたぞみんな! シリスたちだ!」
「おおーい、助けに来たぞー!」
「なんだあのデカブツは!?」
「うわっ、ウォリア―もめちゃくちゃ集まってやがる!」
「シリスさん、ご無事ですか!?」
「大丈夫ですかー? シリス様ー!」
来た! 待ちに待った援軍だ。
陣形を保ったまま無事にここまで辿り着いたようで、ほっと一安心する。
でも仲間がいるのは、私たちだけじゃない。
「……邪魔者ヲ、排除セヨ」
喋った!?
途端に傍観していたウォリア―たちは槍を構えて迎撃に動く。
ディーネを相手にしながらも冷静にウォリア―たちへ指示を出すキングは、その名の通りリザードマンの長に相応しい貫禄が漂っていた。
人の言葉を話せるのは驚いたけど、でもまあ、この展開は予想通りだ。
この時のために、私はディーネに任せて待機していたのだから。
キングが抑えられている間にウォリア―を全滅させれば、残りはキングだけとなる。あとは総力を挙げて倒すか、無理なら撤退すればいい。
つまり私が相手をするべきはキングではなくウォリア―というわけだ。
すでにアズマたちも臨戦態勢に入っている。
ここで私がウォリア―を背後から攻めて、挟撃すれば……!
「きゃぁあっ!」
「え、わっ、ディーネ!?」
いざ攻撃と踏み出そうとした寸前に、ディーネが吹っ飛ばされるような形で水の上を跳ね転がってきた。
そのまま沈みそうになっていたので、慌てて抱き起こす。
「うっ、世話をかけますわね……」
意識はあるみたいだけど、強い衝撃を受けてすぐには動けそうにない。
なにが起きたのかは、聞かずともわかる。凄まじい風切り音と共に暴風が吹き付けていたからね。
見れば、大槍を鉤爪の生えた手で器用に回転させるキングの様相は、これまでと大きく異なっており、どこか探るような動きは失われていた。
あるのは油断なく敵を滅ぼさんとする、強烈な殺気だけだ。
「ヤハリ覚醒シテ間モナケレバ、ソノ程度カ……警戒ハ無用ダッタナ」
「……もしかして、さっきまでのは本気じゃなかったとか?」
「大口を叩いておいて情けないですが、手を貸して貰えると嬉しいですわね……」
力量差があるとは思っていたけど、ここまでの差は、ちょっと予想外だな。
二人掛かりじゃないと抑えられなさそうだ。
「コレデ終ワリトシヨウ」
「くっ!」
仕方ない、みんながウォリア―を全滅させるまで私とディーネで……っ!?
急に全身から力が抜けて、私は危うく膝を付きそうになった。
どうにか堪えたけど、もはや立ち上がるのも辛い。
「な、こ、これってまさか……時間切れ?」
「シリス!? 大丈夫ですの!?」
こんなタイミングで『強化』の魔法が切れてしまったのか。
反動で身動きが取れなくなる前に、この状況を打破したかったのに……これは非常にまずい!
「ディーネ……悪いけど水を操って、なんとかできる?」
「……ええ、よくわかりませんけど任せておきなさい!」
肩を借りてどうにか立ち上がるも、まともに戦える状態じゃない。
だから水の勇者の力で、足場にしている水ごと私たちを移動させたり、あるいは水壁でキングの動きを阻害させられないか。そう提案したつもりだった。
「と言いましても、私も魔力が限界ですわ……かくなる上は」
「ソロソロ覚悟ハ、出来タカ?」
「え、待っててくれてる?」
高い知恵を持っているとはいえ、相手の態勢が整うのを待つなんて、リザードキングは色々な意味で規格外だ。
「脆弱ナル者共ダガ、戦士トシテ戦ウノデアレバ、全霊ヲ賭スノガ礼儀ダ」
「意外と紳士……戦士?」
思ったより悪い奴じゃ……いやいや、ディーネを生贄にしようとしてたじゃん。
危うく騙されるところだった。
「なんだか知りませんが、今ですわ!」
その妙な隙を突いて、ディーネが魔力を膨らませるのを感じた。
膨大な魔力が向けられるのは真下だ。周囲一帯の水すべてが爆ぜるように持ち上げられ、リザードキングの巨体すらも浮かせる。
「ヌ、グゥォォォッ!」
「このまま吹き飛ぶといいですわ!」
さらにディーネは水面に渦を巻かせると一本の水柱を立ち昇らせ、まるでキングの胴へと濁流の槍が突き刺さったかのように、より上空へと押し上げた。
それ自体に大きなダメージは期待できない。精々、落下時の衝撃があるくらいだけど、狙いは別にある。
どうやらディーネは倒すのではなく、キングをこの場から遠ざけて、私たちが逃げる時間を稼ぐ手段を取ったようだ。
水の力はリザードマンが相手だと、あまり相性が良くなさそうだったけど、こういった使い方なら十分な効果を生み出せる。
「マダ、ダァァァァァッ!!」
だけどキングもまた、ただではやられない。
反撃として手にしていた大槍を、私たちに目掛けて投げ放ったのだ。
「しまっ……!」
すでにディーネは残った魔力を使い果たし、私は未だに反動が抜けていない。
身を強張らせて死を覚悟したけど、幸いだったのは、キングが正確に狙いを定められなかったことだ。
大槍は僅かに逸れると水を割いて突き刺さり、ズドンッと大地を揺らした。
それだけに留まらず、ガラガラと瓦礫を崩したように足場が失われ、逃げる間もなく突然の浮遊感に私たちは襲われる。
「シリス!」
こちらに手を伸ばすディーネの焦る顔を最後に、私の意識は真っ黒に染まった。




