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シリスと予兆とディーネ

 リザードウォリア―に攫われたディーネを救うべく、勇者アズマの旗下に集った私たちは、一丸となって大湿地帯を侵攻していた。

 主力となるアズマを先頭に、すぐ後ろに案内役のヴェガが付く。その後方を上級冒険者パーティ、パワード率いるジョンらが矢の形を成すように並び、内側に魔法で援護するベティと、彼女の護衛としてプロンが配置された。

 そして最後尾を務めるのは、この私だ。

 ひたすら前へと進むため突破力に重きを置いた陣形だったけど、側面や背後からの攻撃に弱く、待ち伏せを得意とするリザードマン相手に有効とは言い難い。

 ただしそれは、あくまでも一般的な兵士の話である。


 そもそも陣形なんて、能力が均衡した味方同士の一糸乱れぬ連携によって、初めて絶大な効力を発揮してくれる戦法だ。

 今回のように複数のパーティを寄せ集めた即席部隊では、パワーズの面々だけならともかく、まずまともに機能しないと見ていい。

 かといって単独で先行すれば、あっという間に囲まれて数で圧されるだろう。向こうは本能レベルで連携して敵を狩る、恐るべき魔物なのだから。


 ならば、どうすればいいのか?

 出した答えが先頭と最後尾へ配置された二人……つまり私とアズマだ。

 これは常に前進し続けられるよう先頭のアズマが障害を切り開き、横と後方から攻撃を仕掛ける敵に対してはパワーズが防ぎつつ、最後尾の私が遊撃する。

 そうして陣形を保ち、まとまった数でリザードマンの巣まで突撃してディーネを奪還するという言わば電撃戦である。

 作戦の要であるアズマと私が戦闘不能になれば、その時点で失敗として退却することも決定していた。決してミスは許されない。


 これに対してアズマは、私が最後尾を担うのは危険だと強く反対していた。でも自慢じゃないけど、他に務まる人がいないんだよね。

 それでも、自分から離れないよう約束したはずだと、アズマは食い下がった。

 たしかに言った。けど、あれはメルを納得させるためだったし、ひとりで敵陣に突っ込まない程度のつもりだったんだけどなぁ。

 などと説得しても、よほど私は頼りなく見えるのか納得してくれない。

 結局、みんなのフォローのおかげで配置はそのまま決まり、今頃はアズマも私に心配など無用だったと思い直しているだろう。


 そうだ。今の私を心配なんて、むしろ侮辱に近い。

 ここからは全力を出すと決めたのだから……!


「てやぁぁぁぁぁぁっ!!」


 突き出したカタナはリザードマンの胸へと吸い込まれるようにずずっと入り、肉を裂いて核となる魔石を砕いた。

 魔石を失って崩れるのを待たずに抵抗を失った肉体からカタナを抜き、次の標的へと向かう。

 その間、私は魔法が付与された足を止めず、瞬時に一連の動作を行っていた。


 魔物の弱点として魔石を狙うのは、通常の冒険者なら悪手だ。

 たしかに人の心臓と同じ急所で、砕くだけで肉体ごと跡形もなく消滅する魔石を狙うのは、戦法として自然ではある。

 だけど冒険者の場合は、魔石を抜き取ってギルドへ提出しなければ報酬を受け取れないし、なにより体内に隠されたその位置を見抜く知識と洞察力、そして正確に貫く技量と、固い鱗や外皮を切り裂く武器と力が必要だ。

 失敗すればダメージは与えられるものの、無防備となったところへ反撃を受けてしまい、逆に窮地へ追い込まれる危険もある。

 先のウォリアー戦でも、私はみんなの安全を優先して、確実に首を刈り取る手段を選択したくらいだ。

 だけど今は、報酬なんてどうだっていい。

 たった一秒でも速く、敵を殲滅し、前へ進まないといけないんだ!


「はぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」


 水面を駆ける僅かな猶予で、リザードマンの体勢から位置を見抜く。

 こちらに気付いて槍を構えたところでさらに動きを予測、迫る穂先を左手の剣で払いながら高く跳び、空宙で半回転しつつ右手のカタナで穿つ。

 そこに確かな手応えを感じたら着地と同時に駆け出し、次の標的を探す。

 この繰り返しだ。


 やっぱり安全策なんて存在しない命のやり取りになると、私の感覚はより研ぎ澄まされるようだ。この間だけは一切の迷いも躊躇いも失われ、私はただ斬るだけの存在、そのための一部、剣の化身となれる。

 剣の世界……いや、なんと言ったかな。たしか無のなんとやらに入れるらしい。

 魔力制御も嘘のように上手くできるし、あの苦労はなんだったのか。

 おかげで魔石の位置も見誤らず、強い確信を持って立ち向かえるけどね。

 ……思えば、あの死霊騒動から一ヶ月間、ずっと魔獣も狩らずに少し退屈とも呼べる依頼ばかり受けていた。

 ひょっとしたら、ちょっとだけ感覚が鈍っていたのかも知れないな。

 だとしたら先にウォリア―とやれたのが、いい気付けになったようだ。

 そんな推測を浮かべつつ、さらにリザードマンを屠る。

 不思議と、余裕すら出始めていた。


「シリス、あまり無理はするんじゃないぞ!」


 見ればジョンはパワーズを指揮しながらも、右へ左へ駆ける私を視界の端で捉えている。それくらい器用でなければ大所帯のリーダーは務まらないのだろう。

 気に掛けてくれていることに感謝しながら私も返事をする。


「だいじょーぶっ! さっきから調子いいから!」


 これは本当だ。

 どうもリザードマンを倒すたびに、目が覚めるような感覚と共に力が溢れて、過去最高に好調だ。

 これも魔力制御のおかげだろうか?

 プロンに聞けば教えてくれるかもだけど、今はそこまで暇がない。

 次々にリザードマンが押し寄せてるからね。斬るので忙しい。


 一方でプロンは、私が指示した通りにベティを守っている。

 周囲をパワーズのみんなが固めているから、あまり危険はなさそうだけど、時折プロンも槍を突き出して応戦していた。

 その援護もあってパワーズは奮戦し、リザードマンを切り伏せる。

 彼らは突出した能力こそないけど、盾で受ける者と、槍で攻撃する者の二人一組で行動し、それをジョンは陣形を崩さないよう注意しながら指示を出していた。

 それでも負傷者は出るようで、すぐに控えていた者と交代すると、内側で待機していたベティが魔法で治療する。


 そう、ベティは癒しの魔法を惜しげもなく披露していた。

 前にプロンとも相談した折に、教会が秘匿する治癒の魔法は厄介事に巻き込まれるから、使用を控えるよう私は頼んだ。

 その判断は今でも変わっていない。

 もちろん、そんな出し惜しみをしている状況じゃないのは承知しているけど、これはベティの問題なのだ。彼女の今後を思えば、気軽に頼めることじゃなかった。

 だけどベティは、自分から名乗り出た。


『シリスさん、今はディーネさんの救出を優先しましょう!』


 なんて言われたら、もう私が口出しする余地はないだろう。

 それに、おかげで脱落者も出ていないんだから、不満なんてあるはずがない。

 無事に戻ったら、なにかお礼のひとつでも用意しようかな。


 ようやくリザードマンの勢いも落ち着いた頃、前方で火柱が上がった。

 驚きの声とともに、少し焼けた空気の熱がこちらにも伝わる。

 今のは……まさかアズマがやったのか?

 ちょうど手持無沙汰になったので様子を見に行ってみると、そこでは焦げたリザードマンの死骸が数体ほど水面に浮かんでおり、魔石まで焼かれたのか消炭のように崩れていく最中だった。


「やあシリス、そっちも落ち着いたようだね」

「うん……いや、はい。それで今のはアズマさんが?」


 僅かにアズマが手にする剣から熱気が立ち昇っているようで、周囲に水蒸気が漂っている。


「ああ、少し魔力を消耗するけど、一気に数を減らすには効率がいいんだ」


 さすがは炎の勇者といったところか、

 具体的になにをしたのかは見ていないから不明だけど、勇者はそれぞれ精霊の力を借りて、大魔法を操れるという。

 それでも魔力に限りがあるから、乱発はできないみたいだけどね。


「見つけたぞ、この道で間違いない」


 さっきから蹲っていたヴェガが立ち上がると、こちらへ振り向く。その手の平には、青に着色された少量の土が乗せられていた。


「それってディーネたちが使ってた道標?」

「そうだ。道は覚えているが、念のために確認している」


 その辺の店でも購入できる顔料……単に道標と呼ばれている道具だ。

 私が使っていたのはメルの髪色にちなんで白色だったけど、自身の髪色を選ぶ辺りがディーネらしいな。

 ともあれ、着実に目的地へと近付いているようだ。

 問題は例の水没した森から先だ。恐らくディーネはリザードマンの巣へ連れ去られたのだと予想しているけど、道標がないから戦いながら探す他ない。

 おまけに、まだウォリア―が姿を見せていないから順調だけど、逆に巣の周辺で守りを固めている可能性が高い。

 想像以上の苦戦を強いられるはずだと、私は改めて覚悟を決めるのだった。






「……うぅ、ここは?」


 意識を取り戻したディーネが最初に目にしたのは、夕暮れに染まる空だ。続けて周囲の木々へと視線を移し……そして奇怪な石像が視界に入る。

 長細い石柱に怪物の姿が彫られた石像は、ディーネをぐるりと囲むように立てられており、そのどれもが獲物を前に見下ろしているかのようだ。


「なっ、く、これはいったいなんですの!?」


 慌てて起き上がろうとしたディーネは自身の手足が蔓草で縛られ、頭上と足下で繋がれて身動きができないと気付く。とても力だけでは引き千切れそうにないほど頑丈だった。

 しばらく芋虫のようにじたばたと足掻いてから諦めると、落ち着きを取り戻して状況確認に努める。

 そして思い出した。

 大湿地帯の水没した森の近く、霧が出始めた辺りでリザードマンに囲まれ、その包囲網を突破したアルルとヴェガを見届けて安堵した隙を突かれてしまい、リザードウォリア―の槍による薙ぎを受けてしまったのだと。

 強い衝撃を腹部に受けて気絶したのは致命的だったものの、ディーネはまだ生きていることに幸運と、不吉な予感を抱く。


(私は生きている……でも、どうして?)


 ウォリアーの一撃を受けて無事だったのはともかく、こうして捕縛されている以上は危機を脱したと言い難い。

 また武器の槍も見当たらず、現在地もわからないまま日が落ちるとなれば、もはや絶望的と言ってもいいだろう。

 それでも生かされている理由があるのならば、まだ活路はあるとディーネは自身へ言い聞かせる。


 よくよく観察すれば、そこは異様な場所だった。

 周囲の水没した木々と雰囲気から、例の森のどこかであると推測はできる。しかしディーネが寝かされていたのは、石造りの寝台らしき物だった。

 近くには石像の他、大きな三角形の建造物がある。どれも同じ材質なのか、似たような色合いの大岩とも呼ぶべき物体だ。

 それでも自然物ではないと判断できたのは、地面から浮いているように見えたのと、表面に文字のような見知らぬ言語が刻まれていたからだ。

 浮いているのではなく、真下の中心辺りに支えがあるのだとディーネは冷静に考えるが、どちらも人の手が加えられた証拠だった。

 まさかリザードマンが、そこまでの知恵と技術を有しているとは思えない。

 だとすれば誰が、なんのために?

 浮かんだ疑問に答えは出ず、かといって逃げ出す方法も見つからず、ただ時間だけが過ぎて行く。


(……アルルとヴェガは、無事に戻れたのかしら?)


 逃がした二人を想うディーネは、この状況でも不思議と焦りはなかった。

 それは大切な仲間であり、友人でもあるアルルとヴェガならば大丈夫だという確信があったからだ。

 ならば、あとは自身の不始末だけで済む。


(私の失態に、付き合わせる訳にはいきませんもの)


 ディーネは現状を、自らの責任だと受け止めていた。

 実際には、あの霧でリザードマンの包囲を見抜くのは上級冒険者でも困難だ。

 それでもディーネは現実を見据える。

 知らなかった、気付かなかったは関係ない。上に立つ者が責任を取り、仲間を守るのがリーダーたる自身の務めだと信じていた。


 強き者が、弱き者を護る。それが彼女の信念だ。

 まるで騎士の信条みたいな言葉だったが、ディーネは知っている。

 現実世界の騎士に、そのような心意気などありはしないと。

 あるのは出世したいという野心。あるいは楽して儲けたい、名声を浴びたい、そして美しい女を手に入れたい……そんな俗物を目にして育ったが故に、偏ったイメージがディーネの騎士像を醜く歪めていた。


 およそ四年前。ディーネが冒険者となる前の話だ。

 とある貴族の娘として生まれたディーネは、幼い頃から美しいと評判であり、多くの縁談が持ち掛けられていた。

 両親はより大きく強い家門との繋がりを得ようと乗り気で、本人を置いてあちこちで宣伝活動に躍起となるのも貴族としては、ありふれた光景だ。

 だが、そんな彼女に目を付けるのは、なにも名のある貴族だけではない。

 より近くから身辺警護という名目で接していた騎士のひとりが、ある日ディーネを攫ったのだ。

 当時、ディーネは十二歳。

 まだ幼さが残るものの美貌は完成しつつあった。そのために護衛に付けた騎士が裏切るなどと、ディーネが受けた衝撃はとても強かった。

 彼女の中で、気高くも主君を護るという騎士のイメージが完全に崩れた瞬間だ。

 その際、彼女に眠っていた魔力も目覚めており、誘拐犯である騎士はディーネ自身の手によって、無事に永遠の眠りという罰を下されている。


 それからディーネは家へ帰る道ではなく、冒険者の道を選んだ。

 見知らぬ貴族に嫁ぐことへの躊躇いもあったし、なにより裏切られたショックから家の騎士たちへの不信感、男性そのものへ嫌悪感が生まれていたからだ。

 ならばいっそ、自由な冒険者として生きるのも悪くない。

 貴族として育つと当たり前のように芽生える自由への憧れも強く、目覚めた魔力の後押しもあって、ディーネはそう決意した。


 運命の出会いはすぐに訪れる。

 一年後、ディーネはひとりの少女の噂を耳にしたのだ。

 冒険者となって間もないというのに、目覚ましい活躍をしているという。

 同じく、最初は戸惑ったものの、今では期待の新人と目されていたディーネはその少女に興味と、一種の嫉妬心を抱いた。

 ただし悪い感情ではない。ライバルとして、己を高め得る存在として、目を付けたのだ。

 そうしてディーネは、シリスという少女を知って……心を奪われた。

 幼い頃に描いた憧れの騎士像に、完璧なまでに当て嵌まっていたのだ。

 背が低い少女という以外は、孤児院のために魔獣を狩り、街のために貢献し、稼ぎが悪い同業者を労わり、大きな利益を分配する。

 まさしく、強き者が弱き者を護る。

 自身がそうなりたい理想の姿として、シリスはディーネの目に映った。


 憧れたのは思想だけに留まらない。

 シリスの剣技はディーネを上回っており、模擬戦を挑んでも赤子の手を捻るようにあしらわれてしまう。

 元より護身術として一通りの武術を習っていたディーネだったが、負けた悔しさよりも、理想のシリスが自分を上回ってくれたことに喜びさえ感じていた。

 こうなると、まるで騎士の剣術指南役から手ほどきを受けているようにさえ錯覚してしまい、何度負けても内心では楽しんでいたくらいである。

 パーティへの勧誘を断られたのも、能力に差があり過ぎて助け合う関係から、一方的に助けられる形になるからだと本気で思い込んでしまったのだが、それに関しては後に冷静な頭で考えて、ようやく勘違いを自覚している。


 そんな経緯もあってディーネはシリスに憧れと尊敬の念を抱いており、今回の勝負にしても、パーティから引き抜くとは半分本気で、半分は建前である。

 本音は、シリスという少女に……ただ褒めて欲しかったのだ。

 年下の少女になにをと、ディーネ自身も整理がついていない感情だったが、もっとも的確に心情を表すとそうなってしまう。

 似たような想いを抱くアルルには打ち明けており、ちょっとした共感を得ているのだが、当人には恥ずかしくて知られたくない気持ちである。


 故に、ディーネは努力した。

 天性の才を以てあらゆる武術を取り入れ、冒険者として上位ランクにまで成り上がり、パーティを率いるリーダーに相応しくあろうとした。

 だから、その結果、こうなっているのは、当然の成り行きだ。


(結局は私が弱かった……分不相応だったというだけですわ)


 そんな風にディーネは自嘲しながら、死が近付くのを眺めていた。

 どこからともなく赤い鱗のリザードマン、ウォリア―が何十体と現れ、ディーネを中心として取り囲む。

 どうせ逃げられないというのに、とディーネが視線を巡らせていたら、すぐ近くで水面が大きく盛り上がり、飛沫を降り注がせた。

 なにか、巨大な物体が水中から飛び出たのだと気付き、顔を上げる。


「ま、まさかこれが……?」


 立ち上がったソレの巨体は、周囲の木々を遥かに越えていた。

 一切の光を呑み込むような黒い鱗は一枚一枚が小盾みたいな馬鹿げたサイズで、奇妙な紋様を浮かべている。

 禍々しい刺を肩から腕にかけて何本も生やし、その辺の木を引っこ抜けそうな剛腕と、鉄すら裂ける鉤爪を伸ばす手には、銀色の大槍が握られていた。

 荒々しく並ぶ牙の隙間から熱風が吐かれ、血より赤い眼が向けられる。もはやトカゲよりドラゴンに近いと思いつつ、ディーネは苦々しげに睨み返す。

 リザードマンの王、リザードキングを前に恐慌しなかったのは称賛に値する勇気と度胸だった。


「オオ、我ラガ、神ヨ」

「……今のはまさか、喋ったというの?」


 聞き取り辛いが、はっきりと耳にしたのは、たしかに人間の言葉だ。

 知恵があるとはいえ、言葉を話すなど思ってもみなかったディーネは、その内容を聞き取ることに集中する。

 リザードキングはディーネに関心すらないかのように、くぐもった声で続ける。


「ココニ、新タナ、血ノ贄ヲ、捧ゲヨウ」


 そこでようやく、なぜ自分が生かされているのかをディーネは察した。


(私は、生贄……という訳ですわね)


 そう思って見れば、ここは祭壇のようだとわかる。

 リザードマンの信仰に興味はなかったが、人間にも似た儀式を行う文化があるのを知っているため、この後も容易に想像できた。

 ついに夕陽が完全に落ちたのを見計らって、リザードキングは槍を構える。

 両手で掴み、その矛先を真下に向けて、掲げた。そのまま腕を降ろすだけでディーネの胴体は容易く穿たれ、風穴からは大量の血液が祭壇へと流れるだろう。

 楽に死ねるだろうか。それとも、しばらく痛みに苦しむのか。そんな風にディーネは諦観にも似た思いで、ただ眺めている。

 ウォリア―たちは頭を下げながらも尻尾を振るい、水面をばしゃばしゃと波立たせて煽るかのようだ。

 風が吹き荒れ、木々はざわめき、心臓が早鐘のように打つ。

 大空を流れる雲の動きが、妙に遅く感じられた。


(本当に、これでお終いなのかしら?)


 脳裏には様々な思い出が蘇っていた。

 嫌な出来事もあったが、楽しい出来事も多かった。

 特に、この数年は目まぐるしくて、本当に楽しくて……。

 ……まだ終わりたくなかった。

 そう思ってしまった。


「ぁ、あぁ……っ」


 なにが起きても動じまいと、塗り固めた心が一気に決壊する。

 そうすると、次々に考えないようにしていた想いが胸に去来した。

 アルルや、ヴェガと、そしてシリスと、もっと一緒にいたいと、もっと話がしたいと、まだ言っていないことがあると……。

 もっと生きたい、まだ死にたくない。

 とうとう涙が溢れるのを、ディーネは抑えられなかった。自然と喉が震え、たったひとつの言葉を叫ぼうとする。


「た、たすけ……」


 もはや、なにもかもが遅い。

 そう理解していても、言わずにはいられない。

 まるで慈悲を乞うかのような言葉だったが、言語を解するリザードマンの王ではなく、この場にいない誰かへ向けて、救いを求めていたのだ。

 もっとも尊敬し、もっとも憧れた少女へと、祈りを伝えるように。


「助け――!」


 それが最後まで紡がれることはない。

 無慈悲にも天から落ちる大槍は、ズドンッと石製の祭壇ごと砕き、か弱い祈りの声など掻き消してしまったのだから。

 生贄は捧げられ、儀式の成功に歓喜の雄叫びをウォリア―たちが上げる。

 ただ、リザードキングだけが静かなまま崩れた祭壇を見つめていた。

 そして不意に槍を持ち上げると、そこに必要な物がないことに気付く。

 どこにも、一滴も、血の痕跡すらないのだ。


「ふー、間一髪だったね」

「……ふえ?」


 涙声で呆けたような声を出したのはディーネだ。

 ディーネは自分が誰の腕に抱えられているのか、すぐにわからなかった。

 それほどまでに、その少女が眩しく輝いていたから。


「助けに来たよ、ディーネ」

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