シリスと勇者
より多くのリザードマンを討伐するべくディーネたちは、私たちと同じように大湿地帯の奥地を目指して進んでいたという。
もちろん十分に注意していただろうし、初歩的なミスはなかったはずだ。
こちらと違って魔法による補助がないため、堅実に足場が安定している道を選んでいたそうだし、現に三人は順調に進んでいたらしい。
様子がおかしいと感じたのは、水没した森を発見した辺りから。
まさに私たちがリザードウォリア―と交戦した場所だ。
腰まで浸かるその水深から森へ入るのは諦めたそうだけど、不思議な場所だったので引き返さず、様子見がてら外周を回っていた。
すると霧が出始め、あっという間に視界が白く染まってしまったそうだ。
これはマズいと、はぐれないよう慌てて周囲を確認したら、森の一部がまるで誘うかのように大きく口を開けていたのが薄っすらと見えたそうだ。
まさか、そこから霧が出ているのだろうか?
ディーネも同じ感想を口にしたらしい。
どちらにせよこれ以上は先に進めない。そう判断して引き返そうとした時だ。
霧に紛れたリザードマンに囲まれていると気付き、瞬時にディーネは号令を出して一点突破で逃げると決めたのだが、そこへ現れたのがウォリア―だった。
霧中での戦いは圧倒的に不利だったものの、ディーネはウォリア―を相手に善戦して、どうにかアルルとヴェガを包囲網から突破させることに成功したのだ。
「それでヴェガは私を守るために、ここまで一緒に戻って来たのよ」
ディーネたちのテントの中で横になったアルルは、その経緯を語っていた。
その腕には包帯が巻かれており、真っ赤な血が滲んでいる。
乱戦の中でリザードマンの槍から身を守るために、咄嗟に腕で庇ったそうだ。
おかげで大事には至らなかったものの、剣を握れなくなってしまい……。
「私が……私が足を引っ張らなければディーネは……っ!」
結果としてディーネは、負傷したアルルにヴェガを伴わせて逃がすのが精一杯であり、自身が殿として残ることとなったのだ。
最後に振り返ったアルルが目にしたのは、ウォリア―に抱えられたディーネが霧の奥へと消えて行く姿だったという。
ディーネの判断が正しかったのかは、今の私にはわからない。
ただ、無事に戻った二人を見れば、それは少なくとも間違いではなかったと自信を持って言えた。
「……ねえシリス、こんなこと頼むの、すごく勝手で酷いことだと思うわ。本当にごめん。でも……でもね」
気付けばアルルは無事だったもう片方の手を震えさせながら、私の手をしっかりと握っていた。
「お願い……ディーネを、たすけて」
生死不明の相手を助けに、魔物の巣に飛び込めと言っているようなものだ。
だとしても私の答えは初めから決まっている。
「うん。大丈夫だよ。絶対……絶対にディーネと無事に戻るから」
ぽろぽろと溢れる涙を拭ってあげながら、安心させるように言い切る。
それを聞いてアルルが頷き、落ち着いたのを見届けてからテントを出た。
外ではヴェガが心配そうな面持ちで佇んでいた。
「アルルは、どうだ?」
「少し熱が出てたけど大丈夫。傷も思ったより浅いみたいだから心配ないよ」
「そうか」
ヴェガもここまで戻るのに疲労しているはずなのに、ずっとアルルの傍を離れようとしなかった。
それも私の言葉を聞いて、少しだけ肩の力を抜いたようだ。
だけど、その瞳にはまだ強い光が宿っている。
彼女もまた、決して諦めてなどいないようだ。
「あの、シリスさん」
プロンとベティが戻って来た。
二人には、ギルドの様子を見に行って貰っていたのだ。
「どうだった?」
テントの中まで聞こえないよう、声を潜めて尋ねる。
意図を察したプロンも、沈んだ声色で答えた。
「……やはりギルドは救出よりも、撤退を優先するそうです」
「そっか……」
これは予想できたことだ。
リザードキングが現れた以上、もはや冒険者を大湿地帯へ向かわせても犠牲が増える一方なのだから。
今は少しでも被害を抑えて、戦力を整え、攻めるチャンスを窺うべきだ。
……なによりディーネがリザードマンに連れ去られたという証言。
普通の魔物だったら、その場で殺してしまうはずなのに、どうして連れ去るなんて行動に出たのか。
きっとギルドはこう考えるはずだ。
アルルの見間違いか、あるいは復讐心に駆られて偽っている、と。
もう命はないと判断しているも同然だった。
だけど私は、アルルを信用している。
ならばディーネは確実にリザードマンに連れ去られたのであって、そうする理由がある以上は、殺されていない可能性が高いとみている。
だいたいディーネは、そう簡単に死ぬようなタイプじゃないんだ。
「プロン、ベティちゃん。私はこれからディーネを助けに行こうと思う」
「それは……いえ、であれば同行させて頂きます」
「ベティもお力になりますよ!」
二人とも心強い言葉だけど、そう簡単には認められない。
私にはリーダーとして、覚悟を問う責任がある。
「確実にウォリア―とも交戦するだろうし、安全に行って戻るなんて余裕はないかも知れないんだ。最悪の場合、そのまま命を落とす危険だって高い」
私は二人の瞳を見つめながら尋ねる。
「……それでも、一緒に来てくれる?」
「無論です。この鎧も盾も槍も、シリスさんのために」
まっすぐに見つめ返し、当たり前のように答えた。
いつも通りのプロンは頼もしいな。
「ベティちゃんは無理に同行してくれなくても……」
「いえ、ご一緒します! 戦いではシリス様のお役に立てませんが、ベティの魔法があれば森の奥にだって入れると思います!」
「覚悟はできているの?」
「元よりこの身は、すでに一度……」
不意にベティの表情が、どこか物憂げな色を浮かべる。
「あ、なんでもありません! とにかくベティのことならご心配なさらず!」
「わかったよ。ありがと、ベティちゃん」
「であれば、道案内は任せて貰おう」
話を聞いていたヴェガが案内役を買って出た。
それは非常に助けるけど……。
「でもヴェガ、体は大丈夫なの?」
「多少の疲れはあるが、それだけだ。問題ない」
にぃっと口元を歪めた好戦的な笑顔は、無理をしている風ではなさそうだ。
むしろ憎きリザードマンと、早く戦いたいという闘志すら感じられた。
まあ、ヴェガだからね。
ある意味ではディーネより心配いらない。
「わかった。それじゃあ、この四人で――」
「おっと、盗み聞きするつもりはなかったんだが……」
誰かと思って振り向いたら、上級冒険者パーティのひとつパワーズの面々が集まっていた。
「だいたい状況は把握しているよ。ディーネお嬢ちゃんを助けに行くんだったら、もうちょっと人手があった方がいいんじゃないか?」
リーダーのジョンは、まるで散歩に付き合うような軽さでそう口にする。
「ジョン……いいの?」
「知らない子ってわけでもないし、このままシリスちゃんたちだけ行かせるのも上級冒険者の名折れってね。そうだろ、お前ら?」
一斉に、おう! と返すパワーズのみんな。
ありがたい申し出だ。彼らが加わるなら、かなり成功率は高くなる。
ディーネを助けるのには道中もそうだけど、恐らく戦えないディーネを背負っての帰り道がなにより厳しいと予想されたからだ。
大量のリザードマンが現れるだろうし、いざとなったらすべて無視して大湿地帯を抜け出すことになるだろう。
人を背負った状態で、それが可能なのは私かヴェガくらいだ。でもそうなると戦力が足りず、立ちはだかるウォリア―に手間取ってしまう。
追手にも挟まれたら、それでお終いだ。
でもパワーズほどの人数が揃えば、運搬役に護衛を付けても余裕がある。
隊列は先頭をプロンとジョン、間にベティと救出したディーネを入れて、最後尾を私とヴェガが担当すれば……。
「そこまでですよ、みなさん」
しまった!
少し騒ぎすぎたようで、そこにはギルドの職員がやって来ていた。
すでに私たちが、なにをしようと集まっているのかもバレているようで、諭すような口調で淡々と告げる。
「大湿地帯での活動は禁止になりました。それでも向かうというのなら冒険者としての資格を失います。ギルドから除名処分となれば二度と登録もできませんよ」
その脅しとも取れる言葉に、パワーズの面々はさすがに怯んだようだった。
仕方ない。私たちと違って彼らは、それを生業としているのだから。
何人かは言い返してくれていたけど、私はギルドの言い分も納得できる。彼らもここでこれ以上、余計な犠牲を出したくないのだ。
だからって、これで諦めるぐらいなら私は最初から――。
「ねえシリス」
「め、メル……!?」
いつの間にか、すぐ後ろにメルがいた。
忘れていたわけじゃない。ただ、ここで顔を合わせるのはマズい!
「シリスは私とマムとの約束、覚えてるよね?」
「も、もちろんだよ。忘れるわけないよ」
「じゃあ、なにをしようとしてたの?」
「それは……」
ど、どうしよう。
でも私はメルとマムに、もう無理や無茶なことはしないと約束していた。
だけどディーネを見捨てるなんてできない。なにより私はアルルとも約束してしまった。ここで行かないと、きっと後悔する。
だというのに、私にはメルを説得できる自信がなかった。
これがどれだけ危険な戦いになるのか、私は十分に理解していたから……。
思わず周囲に視線を逸らして、助けを求めてしまう。
プロンとベティは心配そうに成り行きを見守ることしかできないし、ヴェガは焦れているようで放っておいたらひとりで行ってしまいそうだ。
パワーズは未だに職員と言い争って、ジョンがなだめるのに苦労していた。
せめて、彼らが同行してくれるなら危険は少ないと言えるのに、どうやらそれも難しいらしい。
誰か……この状況を打破できる誰か……。
そこで、見覚えのある男が視界に入った。
なぜ、ここに?
疑問に答えが出るよりも先に、職員たちのところへ向かうのを視線で追う。
私の様子にメルも気付いたようで、そちらへ振り向いた。
「ちょっといいかな?」
「あ、貴方はアズマ様っ!」
その人物……以前に私が投げ飛ばした赤髪の男、名をアズマと呼ぶようだ。
どうもギルドにとっても特別な人間らしく、職員は畏まって応対している。
「誰かを助けに行くんだって? だったら僕が力を貸そう」
「そんな、まさかアズマ様の力を!?」
「ああ。というか、このままリザードキングを討伐するのはどうかな? 時間が経つほど被害は増えるだろうし、戦力ならここに整っているだろ?」
「……確かにそうですね。アズマ様がいらっしゃるのであれば」
どういった心境の変化なのか。
職員は大湿地帯への立ち入りどころか、リザードキング討伐などという暴挙に打って出るつもりだ。
ひょっとしてアズマとやらは上級冒険者……いや、まさか特級冒険者なのか。
特級冒険者とは、冒険者の中でも最上位に位置する格付けだ。
私ですら実態は知らないし、そもそも実在するのかも怪しい。
だけど、これほどの発言力を持つとなると、それぐらいの大物だろう。
「もしやシリスさん、前に言っていた赤髪の男とは……」
「うん。あれがそうなんだけど」
「シリス、あの人のこと知ってるの?」
「前にちょっとね」
プロンは気付いたようだけど、メルには例の件を話していなかった。
教えたら教えたで、心配するから黙ってただけなんだけどね。
そんな会話をしていると、職員がこちらに向き直る。
「みなさんご静粛に! こちらのアズマ様からの提案で、ギルドは正式にリザードキング討伐をこれより開始することに決定しました!」
「ちょっと待て! そのアズマってのはいったい誰なんだよ!?」
「おお、そうだそうだ!」
当然ながら、疑問の声が挙がった。
私も気になっていたので、ここは大人しく耳を傾ける。
すると職員はアズマに確認を取ってから、驚くべきことを口にした。
「こちらのアズマ様は当代の勇者のひとり、炎の勇者アズマ様です!」
「な、なにっ!?」
「勇者って、あの勇者か?」
「あいつが勇者だって? まだ若いぞ……」
ざわざわと広がるどよめきが、みんなの驚愕の大きさを物語っていた。
私だってびっくりだよ。
つまり、あれが炎の精霊の愛し子で、それを投げ飛ばしたってことで……。
これって大問題じゃないか?
内心で冷や汗を流していると、今度はアズマ自身が前に出た。
「僕が炎の勇者アズマだ。だけど今は肩書なんて関係ない。肝心なのはリザードマンによってひとりの冒険者の命が、今も危険にさらされるということだろう。聞いての通りギルドも許可を出した。すぐに準備を整えて出発するべきだけど、敵の数は多くて僕だけじゃ手が足りない。みんなの力が必要なんだ。みんなの力を貸してくれ! あんなトカゲもどきに好き勝手させるのは今日で終わりだ!」
最初はあまりに突然の出来事で反応が薄かったものの、だんだんと意味が伝わると共に歓声が場を包んだ。
アズマの目的はわからないけど、協力するというのは本当らしい。
これでパワーズも動けるのだから、一応は感謝しないといけないかな?
なんて思っていたら、アズマがこちらへ向かって来るではないか。
「やあ、久しぶりだね」
「えっと……」
私の顔なんて忘れていれば良かったのに、しっかり覚えられていたようだ。
投げ飛ばしたことを問い質されたらどうしよう。
それが不安で、なんと答えたらいいのか迷っていたら、意外にもアズマは頭を下げた。
「この前は悪かったね。いきなり色々と」
「い、いえ、大丈夫です。それに、こちらこそ……」
「ははは、あれは驚いたよ」
つい言葉を正してしまったのは負い目もあったけど、勇者だというアズマの立場がどうなっているのか、いまいち掴めなかったからだ。
あの屋敷にいたってことは、たぶんアズマが急に移り住むことになった領主の客人なんだろうけど、もし爵位持ちなら対応を誤ると面倒なのは変わらない。
ここは初めて会った時と同じ言葉使いが無難だろう。
「それで、こんな感じで良かったのかな?」
「え?」
「友達を助けに行きたかったんだろう?」
「まさか、それで……」
「この前のちょっとしたお詫びだよ」
なんと、ディーネのためにリザードキングを討伐するとまで言ってギルドを説得してくれたらしい。
もしかして、結構いい人だったのかな?
ちゃんと謝罪もしてくれたし、思えばあの時は、ちょっと混乱していたみたいだったからね。
投げ飛ばしたのも気にしてないみたいだし、私もあの一件は水に流すとしよう。
「できれば君には、ここで待っていて欲しいけど」
「それはできません。私も一緒に行きます」
強い意志を込めて言い切ると、アズマもそれ以上は止めようとしなかった。
「わかった。でも、なるべく僕から離れないようにしてくれるかい?」
「ひとりで戦おうとするほど蛮勇じゃありませんよ」
勇者だというのなら、よほど腕に自信があるのだろう。
腰に差している剣が飾りでなければの話だが、それは実戦で拝見させて貰うとしてだ……アズマの近くにいれば安全、というのは良い口実となる。
「シリス……」
「メルも聞いていたでしょ? あの人から離れなければ大丈夫だよ」
「……わかった。私もわがまま言ってシリスに嫌われたくないもの」
「私がメルを嫌うなんてこと、あるわけないけどね」
そっとメルの頭を撫でてあげると、そのまま近付いて抱き締められた。
小さな顎を私の肩に乗せるメルの甘えるような力加減に抵抗せず、私は優しく腕を回して抱き締め返す。
「無事に、帰ってきてくれるよね?」
「うん。約束する。必ずメルのところに帰ってくるよ」
微かに伝わる胸の鼓動と、肌を通して伝わるぬくもりが私に勇気と活力を与えてくれるようだった。
もう大丈夫……これを忘れない限り、私は負けないよ。
心の中でも固く誓う。
メルを悲しませるような終わり方だけは絶対にしないと。
だから――。
ここからは、全力で行こう。




