大湿地帯のシリス3
討伐二日目。
予定通り、前回の離れ小島よりもさらに奥へと向かう私たち。
相変わらずベティの魔法のおかげで水場を歩いて渡れることから、本来なら迂回するべき箇所も難なく進めた。
道中、徐々に複雑化する地形に迷わないよう特殊な顔料を塗っておく。
これは小瓶に詰めて販売されている道標で、水にも溶けず、夜になると僅かに発光して見つけやすく、たくさんの色があるから他の冒険者たちの道標と間違えないという優れ物だ。
いつもの森や山と違って不慣れな環境だから、こういった道具は必須である。
「よっ、と……そっち行ったよ!」
「お任せください! はっ! たぁっ!」
「お二人とも、頑張ってくださーい!」
移動中に襲いかかってくるリザードマンを切り伏せていると、それだけでも結構な数になっていた。
奥に進むほど襲撃の回数は増えており、想像していたより数が多いようだ。
ただ、どのリザードマンも大した強さじゃないから心配いらないだろう。
リザードマンは大まかに、三種に分類される。
まず私たちが相手をしているリザードソルジャー。
こいつは下級兵士のような扱いをされる程度で、体格は人間と同じくらい。青い鱗は鉄のように硬いけど避けて斬るのは容易く、手にする武器も細槍と、はっきり言って油断しなければ恐ろしくはないだろう。
そしてリザードウォリア―。
ソルジャーとは比べ物にならない体格で、赤い鱗の装甲のみならず、頑強な肉体そのものが鎧のように硬い。見た目通りの腕力も持ち合わせており、手にする大槍を振るう強敵だ。前世の私ならともかく、現状だと少し手に余るかも。
でもこいつが厄介な理由は、別にある。
最後はリザードキング。
その名の通り、リザードマンたちを統べる王だ。
真っ黒な鱗に覆われた怪物で、小さな小屋くらいなら一撃で粉砕するという。
過去の記録では、キング率いるリザードマンの軍勢が街道を埋め尽くし、徐々に湿地帯の領域を拡大させて、いくつもの村が落とされた。
つまり大湿地帯とは、その名残なのだ。
ウォリア―はキングの親衛隊のような役割を担っており、その出現はキングの存在を裏付けるため、速やかにギルドへの報告が義務付けられている。
今のところ姿を見せるのはソルジャーだけだったけど、いつどうして発生するのかも解明されていないのが魔物だ。
この瞬間にも、リザードキングが大湿地帯に現れる可能性だってある。
それでも危険に向かって進むから、冒険者なんだけどね。
「二人ともお疲れ。そろそろ休憩にしよっか」
「はーい!」
「シリスさん。時間的には少し早いですが、昼食にしましょうか?」
「そうだね。ちょうど良さそうな場所があることだし」
水没した大樹がそびえ立つ広場で、周囲には小屋が散見された。
恐らく、かつては村だったのだろう。
元は高台だったであろう地面は、ちょっと湿っているだけでリザードマンが潜めそうな場所も近くにないし、なにより見通しがいい。
ちょうど木製のテーブルとイスも残されていたので比較的、状態が良い物を選んで運び、私たちは一休みする。
「先に聞いておくけど、ここまでの魔石の数はいくつになった?」
「十四個です」
「もう、ほぼ昨日と同じか。いくらなんでも早い気がするな」
「順調でいいんじゃないんですか?」
「それだけリザードマンが多いってことは、巣に近付いてるかも知れないんだ」
かつてリザードキングが討伐された時でさえ、リザードマンの巣を発見することは叶わなかった。
それは単純に、広大な湿地帯では探索が難しいのみならず、巣が近いとリザードマンの数も飛躍的に多くなるのが理由だ。
とある冒険者パーティは気付いたら何十体ものリザードマンに囲まれて、ひとりを除いて全滅した、なんて報告もあるからね。
「ただの偶然の可能性もあるから、この先に行った辺りで様子を見ようか」
「わかりました。それとシリスさん、こちらをどうぞ」
「ああ、ありがとプロン」
お弁当として持ってきたパンを受け取る。
ギルドから支給された食料で、間にチーズや野菜を挟んだ定番の一品だ。
さすがにハムやベーコン入りとまではいかないか。
「シリス様、お水もどうぞ」
「ベティちゃんもありがと。私だけじゃなくて二人も、今のうちに食べておかないと次はいつ休憩できるかわからないよ?」
「わかりました」
「はい!」
三人で食べると、ちょっと味気ないパンでも美味しく感じられるね。
ここが魔物の巣窟じゃなかったら、メルも誘って一緒に食べられたんだけど。
今頃はなにしてるかな。大人しく待ってるかな。心配だな。
……ちょっと過保護だろうか。
明日には終わるんだから、今は討伐に集中しないとね。
「ところでシリスさん、ひとつお聞きしていいですか?」
「いいよプロン、改まってどうしたの?」
「ディーネさんのことですが、彼女はどれほど強いのでしょうか」
「それは……ちょっと答えが難しいかな」
強さとは曖昧なもので、なにを基準にするのか、どのような状況を想定するかで大きく変わってしまう。
プロンもそれに気付いたようで、質問を言い直す。
「失礼しました。昨日はディーネさんたちが魔石を多く獲得していましたし、過去にはシリスさんに幾度となく勝負を挑んだとも聞きました。ですのでシリスさんから見て今回の勝負、勝率はどの程度かと思いまして」
つまりプロンは、この勝負でディーネたちに勝てるか不安なのかな?
だとすると私の答えは、ちょっと厳しいものになる。
「ディーネは天才だよ。私がこれまで出会った冒険者なら、一番かもね」
「そこまで、ですか」
「うん。リザードマン討伐なら、かなり有利だろうし」
「それは槍を扱うからでしょうか?」
今回ディーネは、武器として槍を選択している。
厳密には槍の形状だけど、穂先が剣のように反った大振りの刃となっている変わった武器だ。カタナと同じ地方の物だったか。
「槍を使うからじゃなくて、槍も使うから、かな」
「それはいったい?」
「どんな武器でも、ディーネは上手に使えるってこと」
実際、私に模擬戦を挑む時はいつも違う武器を試すように変えていた。
剣、槍、斧、斧槍、手甲、鞭、盾……とにかく、なんでもだ。
そんなに、あっちもこっちも手を出していたら、ひとつに絞れなんて怒られそうなものだけど、ディーネはどの武器でも一流の動きを体得できた。
だから天才だ。
「リザードマンには槍が有利ってわかったから槍を使っているだけで、その気になれば剣でもなんでも使えるんだよ」
「で、ですがシリスさんは負けたことがないんですよね?」
「まあ、ディーネはなんでも出来るけど、一流止まりだったからね」
例えば剣技ひとつ取っても、その天辺は果てしなく高くて遠い。
その頂きへ向かおうとする途中の私にすら、ディーネの剣は及ばないのだ。
どんな武器を使わせても、達人には届かないのが彼女の欠点である。
「器用貧乏というものですか」
「うん。だけど今の相手はリザードマンだから、それで十分なんだけどね」
「あらゆる武器を使いこなす……まるで伝説の勇者さまみたいですね」
話を聞いていたベティが、そんな感想を漏らした。
しかし、それはちょっと違う。
だけど私が訂正する前にプロンが口を開いた。
「いいえベティさん、勇者とは別名『精霊の愛し子』と呼ばれる者です。四大精霊の加護を受けて生まれた者でなければ真の勇者とは呼べないのです」
「そうなんですか?」
一般的に、勇者と精霊の愛し子は別と考えられているけどプロンの言う通りで、精霊の愛し子が勇者と呼ばれているのだ。
聖天教に属していたから正確に知っているのだろう。
ちなみに私は、例によって前世の知識である。
どこで知ったのかまでは、まるで覚えていないけどね。
「まあ精霊の愛し子は滅多に現れないから、知らなくても当然だよ」
「記録では、最後の勇者は何十年も前の人だったそうです」
「お二人とも詳しいんですね!」
感心したようにベティが言うので、ちょっと照れちゃうな。心なしかプロンも得意気な表情だ。
さて、みんな食べ終えたし、十分に休憩できた。
「そろそろ行こうか」
あまり、のんびりもしていられない。
できれば今日中に、あと五十個は魔石を確保しておきたいからね。
ただし巣に近寄り過ぎるのは、すなわち無理をするということに他ならない。
理想は昨日のような狩り場の発見だけど、そう簡単にはいかないだろう。
となれば、残された道はひたすら足を使うという基本戦術のみだった。
廃村を出てから数時間ほどが経つ。
周囲は完全に水没してしまっており、本来この辺り一帯は森だったのか、多くの木々が水面から空気を求めるように伸びている。
水浸しで枯れないのは不思議だけど、そういう種類だと気にしないでおこう。
残念ながら、ここまで狩り場となりそうな地形を発見できていない。
ただ道中で遭遇するリザードマンを狩り続けるだけである。
おまけに水上を歩いている以外はほとんど森と同様なので見通しが悪く、さらに腰まで浸かるほど深さのある水底を、這って移動するリザードマンの奇襲に注意しなければならず、なかなか進めないのも厄介だった。
魔法のおかげで引きずり込まれなくとも、水中から槍を突き出されると反応し辛いのだ。油断はできない。
やはり近くに巣があるのか?
だとすれば先に進むのは諦め、森の外周部を回ってみようと引き返すことに決める。複雑な地形であるほど、良い狩り場が見つかる可能性も高いのだ。諦めずにあちこち巡ってみよう。
「シリスさん」
「うん、わかってる」
僅かな水面の揺らぎを私たちは見逃さなかった。
そこにはリザードマンが潜んでいるはずだ。
今回は私が前に出て、後ろにベティ、後方と周囲を警戒するため最後尾にプロンという順番で慎重に近寄る。
すると向こうも発見されたことに気付いたのか、水中に潜ったまま私たちに向かってまっすぐ突き進んで来た。
私は落ち着いてベルトに差し込んである小型ナイフを指で引き抜き、刃の部分を持って狙いを定める。
槍のような武器を持たない場合、こういう小道具の携帯が必須となってくる。安物のナイフだけど怯ませるくらいなら、十分に仕事をしてくれるだろう。
有効な射程距離まで待ち、残り数メートルのところで腕を振り下ろす。
小型ナイフはとぽんっと小さな音を立て、寸分違わず水面に突き刺さった。
「よし……えっ!?」
ナイフはリザードマンに命中し、引きずりだすことに成功した。
だけど、そこで予想外の事態に焦る。
勢いよく水飛沫を飛ばしながら現れたリザードマンは、明らかにこれまでと異なる特徴を有していたのだ。
通常のリザードマンが青い鱗を持っているのに対し、その真っ赤な鱗と、人間よりも大きな体躯、そして鉤爪を生やす手には周辺の木々よりも太い槍。
私の記憶違いでなければ……。
「リザードウォリア―だ!」
事前に教えておいたので、後方からプロンとベティも身構える気配が伝わる。
だけど、最後尾のプロンが前へ出るより相手の動きが速かった。すでに丸太くらいはある大槍を突き出しながら、一直線に突進しているのだ。
避けろと脳が指示を下そうとするも、このまま私が避けたら後ろにいるベティが串刺しになる! と咄嗟に判断し、私は回避を諦める。
そして正面から迎え討つと覚悟を決めた。
決めたのなら、もう迷わない。最適な方法を以てして、奴を倒す!
二振りの剣を瞬時に抜き、ここから先は通さないと言わんばかりに両腕を広げる構えを見せる。
狙いは鱗に覆われていない首。そこを半ばまで断てば動きを止められる。
体格は向こうの方が大きく、水中でも自在に動けるけど、こちらは水面に立っている分だけ高さはカバーできているし、足場も問題ない。
条件は五分。あとは技量で――!
「……なんてね」
私の気迫を受けて、愚直にもまっすぐに突っ込むウォリア―の顔に向かって、こっそり剣と一緒に引き抜いていたナイフを軽く放り投げる。
もう目前までの距離に迫っていたこともあり、突如として顔面に投げ付けられた物体を嫌がってウォリア―は顔を逸らしてしまう。
くるくると回転しながら弧を描くナイフなんて、当たっても鱗に弾かれるだろうに、半端に知恵を持っているがために怖れて避けてしまったのだ。
わざわざ鱗のない首元を晒してまで。
そんな隙を見逃すほど、私は甘くない。
「ハァッ!」
一瞬の静寂が訪れ、頭部を失った首から体液が溢れ出るのと、ぼちゃんっと首から上が落ちたのは同時だった。
続けてぐらりと糸の切れた操り人形のようにウォリア―の体が倒れると、現れた時と同じく派手に水飛沫を上げる。
どうやら、他に仲間はいないようだ。
思ったより楽に倒せたことに安堵すると同時、いくつかの幸運に感謝する。
ウォリア―の首を切り落としたのは自前のショートソードではなく、エドから借りたままのカタナだった。
もしショートソードを使っていたら途中で折れてしまい、仕留め切れずにベティの方へ向かっていたかも知れない。
それにあの瞬間、魔力制御ができた気がした。
命を賭けているからこそ、集中力が限界まで研ぎ澄まされたのだろう。そして私の身体能力を引き上げてくれたのだ。
普段から、これができれば完璧なんだけどね。
最後にベティの魔法『浮上』のおかげだ。
これがなければ、ウォリア―と出会った時点で犠牲者を出していただろう。
もっとも魔法がなければ、ここまで足を踏み入れなかっただろうけど……。
ともかく、今回は運が良かった。
「ご無事ですかシリスさん」
「シリス様ぁ! お怪我はありませんか!?」
「こっちは大丈夫だよ。それより……」
急いで水中に沈んだウォリア―から魔石を取り出すと、私たちは引き返した。
近くに複数のウォリア―がいたら、今度こそアウトだ。
それから、ギルドへも報告しなければならないだろう。
この大湿地帯のどこかに、リザードキングがいる事実を。
拠点へ戻ると、すでに目撃情報が流れて大騒ぎになっていた。
過去の事例からウォリア―の出現は、リザードキングの存在を示している。
そうなると、この場に集まった冒険者たちだけでは戦力不足だ。
一度、街へ撤退して大討伐を発令し、領主にも掛け合って騎士団を動員する必要があった。周辺の村への避難命令も必要だろう。
幸いなことに、今のところリザードマンの動きは大湿地帯の内側で留まっているため急げば被害を最小限に抑えられる。
ここにいる冒険者たちも、目撃してすぐに逃げたので負傷者は出ていない。
なにからなにまで幸運だった。
……だからなのか。
ディーネがリザードウォリア―に連れ去られた。
その、たったひとつの凶報が私の心を激しく掻き乱した。




