メイドのシリス
依頼を紹介してくれた二人は名前をペトラと、リノという。
ペトラは長い金髪を後ろで束ねた穏やかな性格の女の子で、お姉さん気質のせいか私はよく妹のような扱いをされている気がする。
彼女の青い瞳は遠くまで見通せることから弓を勧めたところメキメキ腕を上げてしまい、今ではギルドでも上位に入る腕前だ。
もっとも狩りをするのは時々で、普段は街中の依頼を請け負っているようだ。
リノは明るい橙色の髪を左右で結わえている活力に溢れた少女で、軽い口調から不真面目に思われがちだけど、実は努力家なのを知っていた。
まだ冒険者に成り立てで知識も技術も力もない彼女に私は剣を教え、現在に至っては片手剣をぶんぶんと振り回せるほどにまで成長した。
以前まで腰に差していた安物のダガーも、魔獣の骨から削った獣骨剣へと変わっており、その装いは一人前の冒険者そのもので頼もしく見える。
二人がなぜ冒険者になったのかは知らない。
なにか深い事情でもあったのだろうけど無用な詮索はしないのが礼儀だし、私のようにあっけらかんと話してしまう方が少数だろうから。
だけど、どちらも数年ほどの付き合いがあり、時間以上の信頼関係が結べていると私は確信している。
二人が私を騙すことなどないし、私が二人を疑うこともないはずだ。
だけど……だけどさ。
「これは、いくらなんでも……」
「えーすっごい似合ってるよ?」
「シリスちゃんにピッタリのサイズがあってよかったわ」
「あの、お似合いで……いえしかし、それもどうなのでしょう……」
ペトラとリノは嬉々として、プロンはなにか悩みながら感想を述べる。
三人が目にしているのは、私の格好だ。
仕立ての良い生地で縫われた丈が膝上までしかない紺色のワンピースに、その上からフリルだらけな純白のエプロンを身に着け、胸元には赤いリボンが揺れ、長くて清潔な靴下とピカピカの靴……極めつけに頭を飾るホワイトブリム。
どこからどう見ても、見紛うことなきメイドだった。
なぜ私がメイドになってしまったのか、順を追って振り返る。
まず昼食を済ませた私とプロンは、ギルドの受付で清掃依頼へ参加する旨を伝えて受注し、その足で現場となる屋敷へと四人で訪れた。
先にペトラとリノに言われていた通り、場所は都市の中央に位置する高級住宅街の一角、通称『貴族通り』であり、領主の館を除けば一二を争う大豪邸だ。
屋敷の周囲は水路に囲まれ、さらに頑丈な鉄柵と、門となる石造りの橋を警備する衛兵らの姿からも、ここで滞在する者は要人だと理解させられる。
所有者が領主であると知っていれば、考えるまでもないけどね。
ちなみに今回の依頼主も、大元を辿れば領主になるそうだ。誰が住むのかは知らないけど、よほど重要人物らしいな。
私の記憶では、この屋敷に誰かが住んでいたという情報はなかったので、少なくとも十数年もの間は無人だったはずだ。
掃除くらいは定期的に行っているものだが大まかであり、部屋の隅には長年のホコリや塵が積もりに積もっていることだろう。
だからこそ突然の客人に慌てて冒険者の手を借り、徹底的に清掃しなければならなくなったのだと推測できた。
なるほど。ペトラたちの調べに間違いはなさそうだ。
私たちは門を守る衛兵に冒険者の証であるギルドカードと、依頼を受注した証明書を提示すると、とても丁重な対応で通された。
こういった依頼で冒険者は下に見られ、ぞんざいに扱われる場合も多く覚悟していたのだが、人手不足というのは事実らしい。
三階建ての屋敷を見上げながら正面玄関をくぐると、すぐに責任者らしき老執事が現れ、まずは更衣室へと案内された。
なんでも、作業着を用意しているという。
その事実ひとつ取っても破格の待遇だ。
必ずしも着替える必要はないみたいだけど、新しく購入したばかりの服を汚すのは躊躇われたので、せっかくだし好意に甘えようかなと――。
そしてメイドに至った。
長い黒髪も後ろで纏めて、もはや準備万端。やる気充分の出で立ちだ。
一方でプロンは聖騎士の鎧が汚れを弾くからと遠慮し、ペトラとリノも汚れてもいい服を着て来たから構わないと断っていた。
つまりメイド服に着替えたのは私だけで……。
「プロンはともかく、二人とも知ってたよね?」
「いやーびっくりだよー」
「うふふ、やあねえシリスちゃんたらー」
その言葉は、とてつもなく怪しかった。
でも別に怒っているわけじゃない。
ただ、ひとりだけ服を汚してダメにしたくない守銭奴みたいで困るのだ。
……間違ってはいないだけに反論もできない。
「シリスさん、失礼かもと思いますが、とてもよくお似合いですので元気を出してください」
項垂れているとプロンが恐る恐る励ましてくれたので思わず笑ってしまった。
「ありがとプロン。ところで、なんで失礼になるの?」
「メイド姿が似合うというのは、そういった役職が似合うという意味ですので」
ああ、別にメイドに悪い印象はないけど人によっては気にするのかな?
プライドが高い人なんかは特に。
「そういうの気にしないから大丈夫だよ。でもまあ、このスカートがね……」
「スカートがどうかしたの、シリスちゃん?」
「うん、いつもズボンだったから落ち着かない……」
おまけに短い。色々と見えてしまいそうだ。
これホントに作業着なのか?
もじもじしていると、部屋の外から準備はいいか声をかけられた。
ええい、覚悟を決めよう!
どうせ屋敷の中だけだからね。
「シリス様の班は一階部分と中庭、ペトラ様の班は二階をお願いします」
老執事の指示によって、私たちは二手に別れて仕事を任された。
寝室や調理場といった重要な部屋はすでに終わっており、私たちの担当は数だけは多い空き部屋だったり、中庭や地下室にテラスといった普段は使わない場所だ。
使わないといっても最低限の日常生活における話で、移住者がどこをどう気に入って、どう過ごすのかわからない以上、すべて万全に整えなければならない。
まさか部屋にずっと籠ってろなんて言えないだろうからね。
ただ監督者すら足りない状況らしく、基本的には道具を貸すから私たちにやり方は任せる形になるようだ。
最後にチェックだけをして、不十分であればやり直し。あまりに酷いと判断されれば報酬が出ないのは、意図的ではない限り当然なので気にしない。
要はいつも孤児院でやっているように、ちゃんと綺麗にすればいいわけだ。
「じゃあ、一部屋ずつやって行こうか」
「はい」
掃除用具を手に取り、プロンと作業を分担して清掃を開始する。
空き部屋でもシーツを被せた状態の家具が揃えられており、ベッドやクローゼットにテーブルとイス、そして高価な鏡まで備え付けられている。
まずプロンはそれらのシーツを剥がすと一か所に纏めて置くと、残された家具を上から順に布で磨き始めた。
一方、私は照明器具と壁の拭き取りにかかる。
木製の脚立があったので軽く足をかけて上れば、普段は手が届かないような高い位置でも苦もなく作業を進められそうだ。
見下ろせばプロンの、手慣れた様子で家具を磨いていく姿がよく見えた。
私も負けていられないね。
「あっ、し、シリスさん」
「なにプロン?」
「スカートを気にされた方がよろしいかと」
……忘れてた。
「気を遣わせてごめんね」
「いえ……こちらこそ、すみません」
話している間、プロンはずっと背を向けていた。
ひょっとしたら丸見えだったのだろうか。
そ、そう思うとさすがに私も恥ずかしいな。
とりあえず足はあまり開かずに閉じておこうか。うん。
ふと、窓の外に視線を向けると中庭に赤髪の男の姿があった。
老執事が付き従うように一緒に歩いていることから恐らく依頼主……領主の身内かなにかだろう。
だとすると貴族で、掃除の進み具合を監査にでも来たのか。
あまり関わるべきではないと考え、私は今度こそ仕事に集中した。
三つの部屋を掃除し終えて次に向かったところで、他の冒険者とかち合う。
聞けば同じく一階の空き部屋を任されているようだったので、ならばと部屋の清掃は任せて、私たちは手を付けていない中庭へと向かった。
先ほど貴族らしき男がいたけど時間が経っているし、もう大丈夫だろう。
四方を屋敷に囲まれた中庭は、植え込みによって見通せないものの想像以上に広く、豪華な造りになっているのがわかった。
特に中央の噴水に鎮座する、ドラゴンの石造は見事なものだ。
難点があるとすれば、ここを二人で掃除するのはいくらなんでも無理ということくらいか。
植え込みは荒れ果て、芝生は伸び放題、噴水は澄んでいるけど苔がすごい。
隙間から雑草を生やすタイルを敷き詰めた道も、ところどころ欠けており、どうにか歩けるといった有様である。
これを整えるには、もはや庭師の出番だ。
「うーん、どうしよっか?」
「依頼内容は清掃で、ここまでは盛り込まれていないはずです。恐らく手違いでしょう。責任者に問い合わせて来ますのでシリスさんは休んでいてください」
言うやいなや、駆け足で屋敷内へと戻るプロン。
ちょっと試すつもりで問いかけたんだけど、満点どころか頼もしい行動力だ。
それはもう、予想外なほどに。
止める間もなくパタパタと屋敷内へ駆け込む音を最後に、噴水から流れる小気味良い水音だけが耳に届いた。
四方が屋敷に囲まれているせいか、遠く聞こえていた街の喧騒など初めからなかったかのように、不思議と清涼な雰囲気が漂う。
まるで、他の音を失くしたかのようだ。
改めて中庭を見渡せば緑は多く、空気は澄んでおり、静かな森に立っている錯覚さえ起こしてしまう。
そう考えると多少、荒れていても気にならない。
……まあ後を追っても仕方ないし、せっかくの申し出でもある。
ここらで少し休憩させて貰おうかな。
そう思って噴水の縁に座ろうとし……苔を目にして思い留まった。
いくら作業着でも、無意味に汚さなくてもいいだろう。
やっぱり荒れていると落ち着けないね。
「座るなら、これをどうぞ」
「わっ!?」
心臓が飛び出るかと思った。
いつの間にか、すぐ隣にまで誰かが近寄っていたのだ。
まったく気配がしなかったんだけど!?
「ははっ、驚かせて悪かったよ」
朗らかに笑いながら、その赤髪の男はシーツを広げると噴水の淵にかけた。
こちらが目をぱちぱちと瞬かせていると、手の平を差し向ける。
座れということらしい。
「ほら、お詫び代わりに」
「はぁ……ありがと、ございます」
暫定だけど、相手は貴族なので言葉をできるだけ正す。
歳はたぶん十七歳くらいだろうか。この国ではとっくに成人している年齢で、すでに爵位持ちの可能性が高い。そう思って見れば身に着けた服も高級そうだ。
断れば角が立ちそうなのでひとまず腰掛けると、なぜか男も隣に座り込んだ。
な、なんだコイツ……。
「その格好ってことは、君はここのメイドなのかな?」
どうやら私になにかしらの興味を抱いたようだ。
面倒だけど無視するわけにもいかないし、事務的に答えるとしよう。
「いいえ、私は冒険者ギルドから依頼を受けて来ました」
「え、じゃあ君はもしかして冒険者なのか? そんなに小さいのに?」
小さいは余計だ!
とは言えないのでぐっと堪える。
あの老執事の様子からして領主の関係者だ。ガマンしろ私。
すべては報酬のために!
「どうして冒険者になったの? あ、お小遣い稼ぎとか?」
しつこいな!
やたら距離が近いのもあって、だんだんと私の不快指数が上昇している。
ここまで不躾なやつ、冒険者でもそうはいない。
素直に答えるのも迷いが生じていたけど、下手な嘘をついても後が怖いし、隠しているわけでもないので正直に話すことにした。
「私は孤児院で生活しているので、色々と入用なんです」
「え……?」
今度はなにが意外だったのか呆けた顔で止まる。
そして、ぶつぶつと独り言を呟き始めるではないか。
「なら……それで……いや……すれば……」
「あ、えっと、じゃあそろそろ失礼します」
もう一刻も早く立ち去りたい気分だったのだが、立ち上がると同時に手首を掴まれてしまった。私が反応すらできずに。
「待って、君は孤児院にいるんだよね?」
「あの離してくれま――」
「だったら僕が君を引き取るよ!」
……うん?
意味がわからず手を振りほどこうと試みるも、思ったより力が強い。
逆にぐいと引っ張られて痛みが走る。
「痛っ、ちょっと……」
「こう見えても金は持ってるから安心して。これからは不自由のない生活を約束するよ。だから冒険者はやめて、孤児院にも戻らなくていいんだよ」
盛大に勘違いされているようだけど、もう訂正するのも億劫だ。
「離してくれませんか?」
「ど、どうして……いや、そうか。君は脅されているんだね?」
「はあ?」
「その孤児院の院長に働いて金を稼ぐよう命令されているんだろ? もしかして他にも強制されて……なんてことだ! でもこれからは僕が守ってあげるから安心して。君はもう、そんな酷いところに戻る必要はないんだよ」
孤児院が、なんだと?
酷い? なにが? 孤児院が? マムの、みんなの、私たちの家が?
「さあ、そんな孤児院なんて忘れて僕と一緒にここで……」
「いい加減に……、しろぉぉーーーッ!!」
キレたね。ああキレたとも!
腕を取って捻り、足を払い、体勢を崩したら懐に飛び込み、思いきり腕を引く。
私は背負うようにして相手を投げる技で、赤髪の男を背中から地面に叩きつけてしまった。
ドーンという音に混ざって豚の鳴き声みたいなのが聞こえたね。
一瞬ヤバいと思ったけど、いい気味だとも感じてほくそ笑む。
そして、次の瞬間には逃げ出した。風よりも疾く。
その後、プロンと合流した私は、やはり手違いだったとして二階を手伝うよう言われ、びくびくしながら清掃を終えた。
結局、赤髪の男には出会わなかったし、心配していた報酬もしっかり払われたので一安心する。
ついでにメイド服も似合っているからと追加報酬として贈呈された。
もう二度と、ここには来ない。




