戦場のシリウス
新作です。よろしくお願いします。
ひとりの少女が森の中を駆けていた。
歳は十代前半。野草を煮詰めて萌葱色に染めたロングスカートのゆったりとした衣服と、手に提げる真新しい籠から田舎の村娘であると思わせる。
まだ幼さが残るものの、だが将来を期待させる整った顔立ちと美しく長い黒髪は、戦場にあっても一際目立ってしまった。
「おい、ぜってー逃がすんじゃねえぞ!」
「わかってらぁ! ありゃ上物だぜ!」
「へっ、シケた戦だと思ったけどよ、運が向いてきたなぁ!」
野太い声をあげた粗野な男たちが、少女を捕えようと追い立てる。
彼らは、この近辺で行われている戦に参加していた傭兵であり、戦場となった平原から少女が逃げ出すのを目ざとく見つけたのだ。
傭兵たちは、近くの村から野草集めに出て迷い込んだと推測していた。
だが本来であれば傭兵が民間人を襲うなど、あってはならない事態だ。
傭兵と一口に括れど、その性質は大きく三つに分類される。
ひとつは契約傭兵。
一団となった傭兵たちと契約する基本的な形式だ。
彼らは雇い主の責任の下で戦うため、雇い主の意向には逆らわず、さらに戦場犯罪とされる略奪や殺戮を行えば契約金も支払われずに解雇されるので、信頼こそが第一のまっとうな傭兵とされる。
契約は期間毎で結ばれ、それが過ぎると再びフリーの傭兵団となる。
もうひとつは専属傭兵。
先の契約の後、勇名を馳せた傭兵団を貴族が召抱えた場合がこれにあたる。
扱いは傭兵そのままであるため、自由を奪われたあげく下手をすれば切り捨てられる飼い犬だと蔑まれがちだが、専属傭兵となるにはより強い信頼関係で結ばれていなければならず、むしろ実質でいえば騎士と呼んでも過言ではない。
ならばなぜ正式に騎士として叙勲しないのか。
そこには貴族社会の面倒な構図があるのだが、傭兵たちの理解は得られにくい。
最後は野良傭兵。
単独であったり二人組であったり、その数はまちまちだが大概は少数である。
彼らは傭兵とするより、戦場荒らしと呼ぶのが相応しい。
なぜなら雇い主の意向などまったく無視するばかりか、戦死した者から装備を剥ぎ取るのが日常であり、どさくさに紛れて近くの村を襲撃することさえあるのだ。
そんな者たちが雇われる背景には、他の傭兵より契約料が非常に安く、雇い主側が困窮しているという事情もあったりする。
後払いの金を受け取るために最低限の戦いはしてくれるため、いないよりはマシといった者たちだ。
時には孤高を好む強者が、野良傭兵として戦場を渡り歩く姿も見られるが、ほとんどは不利を悟るとあっさり逃げ出したり、他に金目の物を見つければ戦場を放っぽりだしてしまう有様である。
少女を追っている男たちもやはり、そんな輩だった。
「ちっ、なかなか、足の早い嬢ちゃんだな……」
「でもよ、そろそろ、限界だろっ」
戦場から届く喧騒も薄れた頃になって少女の足の動きが少しずつ緩まり、木々の開けた場所で、ついに立ち止まってしまった。
「ぜぇ……ぜぇ……、へ、へへっ、ようやく諦め、たのかい」
息も絶え絶えになって男たちは下卑た笑みを浮かべる。
黒髪の少女は振り返るが、顔を伏せたまま動こうとしなかった。
「てめぇら、逃げられねえように回り込んで手足を押さえてろ」
「またリーダーが一番かよぉ」
「うるせぇ! いいからさっさと行きやがれっ!」
何日も洗っていない顔に浮かぶ汚れた油汗を手で拭い、これから行われるであろう狂宴に一層息を荒げる。
この男たちのリーダーは特殊な性癖をしていた。
彼は美しいものを徹底的に穢す行為に興奮を覚えるのだ。
手下たちがゆっくりと近寄る少女は、たしかに未だ幼く、あと数年ほどと思わなくはなかったが、これまで見たことがないほどに可愛らしく、そして美しい。
きっと平穏な村で、醜い世界を知らずに清く育ったのだろう。
それを自分の手で汚し、心の奥底まで穢す場面を想像するだけで、もはや年齢など気にならなくなっていた。
いつもなら、お楽しみが終われば裏市で奴隷として売るのだが、今回ばかりは手元で飼うのも面白いなどと皮算用に思いを馳せていた……その時。
「……おい?」
少女の動きを封じようとしていた二人の手下がピタリと歩みを止めていた。
なにしてやがると怒鳴りかけたところで、ようやくリーダーも様子のおかしさに気付く。
これでも戦場を生き残ってきた者たちだ。危機に関しての察知能力は高い。
もっとも、あまりに遅かったのだが。
「釣れたのは三人ぽっちか」
「だがま、こんなゲス野郎なら喜んで殺るぜ。オレはよ」
「同感だ」
「てーか、こいつらを狩るのが今回の目的じゃん?」
「俺はパスするぜ。斬ったら剣が腐っちまうわ」
どこに潜んでいたのか、木々の間から武装した者たちが次々と姿を現した。
目を見開いて驚愕し、罠だったかとリーダーは舌打ちする。
敵方が雇った傭兵の罠にかかってしまったか、そう状況を判断するも、すでに包囲されて逃げ道はない。それを手下の二人は悟っていたのだ。
「良くやったな、お前の手柄だぞシリウス」
最後に現れたのは包囲している傭兵たちの団長か。
だが、それよりも気になったのは彼が気軽に話しかけた少女であった。
シリウスと呼ばれた黒髪の少女はバサッと村娘のような衣服を脱ぎ捨て、下に着ていた黒いノースリーブのインナーと、同色のショートパンツ姿となった。
細い手足が露わとなり思わず生唾を飲み込むが、よく見ればまったく息を切らせておらず、汗すらかいていなかったと知り、リーダーは遅まきながら理解した。
「うん、ありがとう団長。ところで私の剣とジャケットくれる?」
囮の餌だとしか認識していなかった少女もまた、傭兵だということを。
「まんまと引っ掛かってくれたのは感謝するけど、そんなに嫌な顔しないでくれるかな。お楽しみなら、これから始まるんだからさ」
仲間から投げ渡された鈍色のジャケットを着込み、二振りの剣を手にすると、黒髪の少女シリウスはリーダーに対峙した。
「……へ、へへ、まさか俺様とやり合おうってのか?」
理由は不明だったが、どうやらシリウスは一対一での決闘を望んでいるらしく他の傭兵たちも手を出さないようだとわかり、ほくそ笑む。
これだけの数を相手にすれば待っているのは確実な死であったが、この少女ひとりが相手であれば、まだ逃げ伸びる道はあったからだ。
素早さに自信があるみてえだが、そんなものはどうとでもなる。
肝心なのは、ここぞという時にふんばれる力と、裏をかく知恵だ!
リーダーは思考を巡らせ、手下を諦めて自分だけが助かる算段をつけると、覚悟を決めて愛用の蛮刀を抜き放った。
形状としては鉈を長くしたようなもので、力任せに叩き斬る技量を必要としない殺傷力の高い武器だ
対するシリウスの剣はどちらも軽く短い、一般的なショートソードである。
左右で構える二刀流は珍しいが、それを扱える技量がなければ邪魔になるだけの飾りだ。しかしリーダーは、はったりではないと感じて神経を集中させる。
「来ないなら、こっちから……行くよ!」
一息で剣が届く距離にまで接近するシリウスの予想以上の速さに面食らったリーダーだが、まだ反応できた。
というより、どれだけ速くとも正面から突っ込んで来る猪が相手であれば、初手くらいは見切れる程度の力量はあった。
ならばと予定通り、まずは自慢の蛮刀を力いっぱい振り抜く。
大きく弾かれたシリウスの剣は、少女の腕では衝撃に堪え切れずに手から離れて茂みの奥へと消えて行き、さらに怯んだ隙を突いてリーダーはシリウスのもう片方の腕を掴んで捻り上げる。圧倒的な腕力の差に少女の美しい顔は苦痛に歪み、抵抗する間もなく残った剣を手放してしまう。そして瞬時に背後へ回ると太い腕を少女の細い首に回すことで完全に動きを抑えると気絶させた。あとは人質にして包囲を抜けて、そのまま隠れ家まで運べば……。
「なんか、楽しそうな顔だね」
「変な事でも考えてたんだろう。あっさり首をはねられて、たぶん自分が死んだのも気付いてないんじゃないか?」
「へー、そんなこともあるんだ。団長は物知りだね」
剣に付着した血をブンッと振り払いながら感心したようにシリウスは言う。
「冗談だ。死んだ経験なんてないからな」
「こっちも終わりましたぜ、団長」
リーダーが絶命したと同時に、手下の二人もあっさりと戦場に果てた。
最後に命乞いの声をシリウスは聞いた気がしたが、生かすつもりは毛頭ない。
「ところで、こいつらがウワサの戦場荒らしでいいんだよね?」
「ああ、間違いないぞ。賞金首のロッソと、その一味だな」
「しっかし、こいつらも運がねえな。よりにもよってシリウスを襲うなんてよ」
「見た目だけは最高だからな」
「おお、初めて見た時はどこのお姫さまかと思ったぜ」
「お前はすぐにボッコボコにされてたけどな」
ハハハッ、と軽口を叩きあう傭兵たちを前にシリウスは俯く。
「……そんなにいいのかな」
「どうしたシリウス?」
「いや、なんでもないよ団長」
「そういやぁよ、最近あれ言わないな」
「あれとは?」
「ほら団長、俺はグレヴァフの生まれ変わりだーって言ってたじゃん」
うぐっ、とシリウスが呻く。
「あ、あれはやめたから、もう言わないで……」
「そうか? まあ伝説の傭兵を名乗るなら、もうちょっと大きくならんとな」
まだ育ち盛りではあるが、傭兵としては背が低いとシリウスが悩んでいるのを知っての発言だった。
一部の者は別の部分に注目したのだが、気付いていない少女に敢えて教える必要はないだろうと、団長は鋭い視線をその者たちへ送るに留めた。
「ともかく戦もそろそろ終わりだろう。まあ、あんな奴らを雇ってる相手に負けるはずがないんだがな」
「ってことは、次は北方ですかい?」
「そうなるな……シリウスは」
「私は帰るよ」
「ああ、分かっている」
彼女には帰る場所がある。
入団する時も、参加するのは近隣の戦だけで遠出はできないとハッキリ言われていたため、団長も無理強いはできなかった。
「思えばほんの数年間だったが、ずいぶんと長くいた気がするな」
「寂しくなる?」
「正直に言えば、そうだな」
「え」
茶々を入れたつもりが真面目に返されて反応に困るシリウスだった。
「あー、まあ近くに来たら寄ってよ。もうすぐお祭りもあるし……って、それまでには間に合わないかな」
「ああ、きっとまた会おう」
シリウスは首のない男たちに視線を移す。
今回、負けたのは彼らだったが傭兵稼業に身をやつしている限り、いつどこで果てるかは誰にも予想できない。
本当に、次に会う日なんて訪れるのかもわからなかった。
だからこそシリウスは、笑顔で仲間たちを見送ろうと決めている。
「うん、待ってる」
「シリウスがいない傭兵団なんて、またむさ苦しくなるのかぁぁぁぁ!」
「うっせえ、お前がむさ苦しい筆頭だろうが!」
「オレもオレも、ぜってー会いに行くから!」
「し、シリウスちゃん! 実は前からほごぇ!」
「抜け駆けさせねえぞこいつ! おらぁっ!」
まだ戦後処理や、賞金の受け取りと分配もあるのでいささか早いのだが、すでにお別れムードが漂っていた。
「やれやれ、騒ぐのは構わんがそろそろ戻るぞ」
「はーい」
「うぃーっす」
「おーう」
「うえーぃ」
「ふっふー」
「……どうもシリウスが来てから変わったな、お前ら」