最終話 『天翔るG』
パン、と。
爆発の轟音の中にあって、さほど大きいわけでもない乾いたその音は、何故か僕の耳にはっきりと届いた。
僕の背に銃弾が突き刺さった。
撃たれた。今までに感じたことのない強い衝撃が僕の身体を貫く。小さな熱い塊が僕の体内に侵入し、同時に出て行こうと暴れる。
全力疾走していた僕は、想像を遥かに超える衝撃にバランスを崩して、まるで吹き飛ばされるように地面を転がった。思わずハルカを抱く腕の力が抜けて、小さな身体を取り落としてしまう。
腹を見ると尋常ではない勢いで血液が噴き出している。銃弾は僕の身体を貫通していた。
一拍遅れて、筆舌に尽くしがたい痛みが僕に襲いかかった。
「がアアアアアアアアア!!!!」
――痛い。痛い痛いいたいイタイイタイイタイ!!!!!
痛みに耐えきれず、地面をのたうち回る。
「ふん。情けないものだな」
感情を感じさせない冷たい声。気づけば白木が僕のすぐそばまで来ていた。
ゴキブリたちの羽音は聞こえない。
「ゴキブリ共はみんな焼き殺した。こいつだけは魔法を使う上にやたらとしつこかったが、やっと静かになったな」
うずくまる僕の目の前に黒いものが落とされる。
「たい、ちょう……」
ヒゲはちぎれ、足も二本無くなっている。普段はつやつやと輝く黒い羽は炎に焦がされてでこぼこになっていた。
魔法で致命傷は回避したのか、ゴキブリとしての形は保っているが、もはやピクリとも動いていない。
「お前の負けだ」
僕は痛みに歯を食いしばりながら顔を上げて、白木を睨み付ける。
「まだ、だ……」
残りの力を振り絞り、ゴキブリたちを呼び出す。
例え、僕は助からないとしても、こいつだけは許せない。
「うっとうしい」
白木が炎の腕を振るうと、その半分が燃え上がる。
しかし、続けざまに残りのゴキブリたちも焼き殺そうと、腕を振るおうとして、急に白木は動きを止めた。
「……魔力切れか。こいつは私が直接焼き殺そうと思っていたのだが、仕方が無い」
「後は彼らに任せるとしよう」
ヘリの透明化を解いた時と同じように、白木がパチンと指を鳴らす。
すると空間が陽炎のように揺らめき、隠されていた者たちが、一つ、また一つと姿を現す。
猛烈に回転するプロペラによる暴風が地面にまで達し、僕の頬を叩く。
やがて全てがあらわになった時、空は無数のヘリと戦闘機で埋め尽くされていた。
はるか遠くまで広がる黒い点は、まるで空を飛ぶ虫の集団のよう。
「今度こそ終わりだ。一片も残さずミンチになって死ね」
そう言い捨てると、白木は踵を返した。
「ま、てよ・・・・・・!」
去ってゆく白木に、僕はどうすることも出来ず、ただ地面に転がっていた。
残されたヘリの機銃が落ちかけの陽光を反射してギラリと輝く。
――だめだ。もう、無理だ。
絶望
それがまさに今の僕の状況に相応しい表現だった。
――ああ、寒いな
腹から血が流れ出るほどに、体温が奪われていく。 不思議と痛みはもう感じなくなっていた。
――僕はここで死ぬのか。
何もできなかった。復讐はかなわず、暴走して、そのあげく、たった一人の女の子を守ることすら叶わない。
どうしようもない、最低な人生だ。
――最後は、ハルカと……
考えないようにしてきたけれど、ハルカの傷は僕と同じく致命傷だ。あれだけの間なんの手当もせずに放置していたのだから、もうその命は消えているだろう。
這いずるようにして近くに横たわるハルカの所へ行く。
なぜだかヘリや戦闘機達は僕を撃たなかった。白木の指示を待っているのだろうか。それとも惨めな僕の様子を見世物にして笑っているのだろうか。まあ、なんでもいいか。
身体を起こそうとすると全身に激痛が走って、まだ僕は生きているのだと実感した。
ハルカの小さな身体を抱き上げる。力の抜けたその身体はまだほんのりと熱を持っていて。
血と土で汚れたその顔は、なんの感情も映していなくて、
ハルカの頬に、透明な雫が一つ落ちる。
「ぁ……」
気がつけば僕は泣いていた。一体これはなんの涙なのか。それを理解する前に大粒の雫は数を増していく。
「ぅぁぁ……、ぁ……」
ハルカを抱きしめ、ハルカの肩に顔を埋めて声にならない嗚咽を漏らす。抑えようのない色々な思いあふれ出して止まらない。
――ごめん、ごめんよ……
何度目か分からない謝罪を、もはや意味の無い謝罪を繰り返した、そのときだった。
「泣か……ないで……」
声が、聞こえた。
「泣か……ないで……、おにい……ちゃん……」
ハルカの声だ。飛び上がるように顔を上げると、死んだと思っていたハルカが目を開けてこちらを見つめていた。
「ハルカ……」
僕が何か言う前に、ハルカが弱々しい動きで僕の頬に左手を伸ばし、僕の涙を拭った。
頬に触れた小さな手は、とても、とても冷たかった。
僕の頬をなでながら、ハルカが震える唇を開く。
「おにい……ちゃん――」
「やめろよ、ハルカ……それ以上喋ったらだめだ」
嫌な予感がした。その先を聞いてはいけない気がした。聞いたらすべてが終わってしまう気がした。
「私は……、おにいちゃんに……出会えて……」
「やめろよ、やめてくれよ!」
しかしハルカは小さく首を振り、微笑んだ。
「ほんとうに……、よか……た……」
ぼとりと、力の抜けた腕が僕の膝の上に落ちる。今度こそ本当に、その小さな身体はピクリとも動かない。
「ハルカアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!!」
絶叫。
腹に響く激痛も無視して僕は叫んだ。
こんなことが許されるのか。こんなに残酷なことがあって良いのか。どれだけ僕達をあざ笑えば、この世界は気が済むのか。
「僕が、僕たちが、一体何をしたっていうんだよ‼」
僕は空を見上げて叫んだ。
それは僕達に、むごたらしい結末をもたらそうとする、世界そのものへの怨嗟の叫び。
暗くなり始めた空は無数のヘリと戦闘機が黙ったように浮かんでいた。
白木によって燃やし尽くされた地面は無数の黒い虫の骸で埋め尽くされている。
周りには誰もいない。人間だけでなく、命を未だに保っている生き物は少年たった一人だった。
そして、膝の上の少女の亡骸は、もう少しのぬくもりも残っていない。
「これが望みなのか! これがお前のしたいことなのか!」
その怒りの叫びはどこにも届くことはない。何もできない無力さに、さらに怒りがわく。
茶番は終わったと言わんばかりにヘリ達の機銃が一斉にこちらを向いた。
機銃から放たれた弾丸が僕達をあざ笑うかのように乾いた地面を抉る。
今までの狙い澄ましたような単発ではなく、ただ殲滅することを目的とした連射。
そのうちの一発が腕の中のハルカを軽々と吹き飛ばす。地面を転がった亡骸の姿は、あまりにも無残だった。
僕は泣きながら、ハルカの方へ手を伸ばす。だが、その手がハルカに届くよりも早く、鉄の塊が僕の右手を吹き飛ばした。手首から先がなくなり、温かい鮮紅が迸る。もはや許容量を超えた痛みは痛覚を麻痺させ、何も感じさせない。
「もう、やめてくれよ……」
どうせこのまま放っておいたって僕は死ぬ。だからもう、これ以上僕達を傷つけるのはやめてくれ。
生まれてからたった一人だけ、大切だと思える人がいた。
生まれてからたった一人だけ、僕を恐れず、嫌わず、側にいてくれる人がいた。
出会ってたった一日なのに、空っぽだった僕の心を温かい何かで満たしてくれた。人の、生き物の優しさを教えてくれた。
だからこそ僕は。彼女の――ハルカの事だけはなんとしてでも守りたかった。
でも、守ることはできなかった。
それならばせめて、安らかな眠りを。
誰にもこの眠りを侵させはしない。
怒り。悲しみ。絶望。
負の感情はとっくに臨界を超えていた。あふれ出した濃密な瘴気が巨大なゲートを形作る。
――暴走させればハルカまで巻き込まれる。全力で制御しろ!
僕は残った片手で少女を引き寄せる。
例え片手はなく、腹に穴が開き、今にも失血で気を失いそうなそんな瀕死の状態でも。
まだ片手は残っている。まだ意識は残っている。まだ命は残っている。
「お願い……、みんな。もう……一度だけ、僕たちを……、救っ……て……」
だけど、それが僕の限界だった。
僕はハルカの小柄な体を抱きしめ、そして意識を手放した。
だが、少年が死力を振り絞って生み出したゲートはまだ残っていた。
そこからゴキブリたちが次々と飛び出す。しかし、彼らの目は暴走した時の赤ではなく、理性を保った黒の輝きを宿していた。
彼らは自分を呼び出した少年の亡骸を見ると、皆一様に悲しげな鳴き声を上げ、そして自分たちに銃口を向ける飛行機達を睨み付け、立ち塞がるように壁を作った。
まるで、これ以上は指一本触れさせまいと言っているかのように。
数秒のにらみ合いの後、彼らは一斉に、ヘリや戦闘機へ向かって飛びかかっていった。
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静まり返った夜の戦場。
数時間前に燃え上がっていた炎はすでに消え、ただ冷たい月明かりだけが輝いていた。
地面は黒い虫の死骸と、無数の戦闘機の残骸で埋まっていた。その中に一カ所だけ、ぽっかりと半径三メートルほどの穴があった。
その中心には二つの人影が抱き合うように横たわっている。
ゴキブリたちは成し遂げていたのだ。少年の最後の願いを。
ふと、抱き合った二人の体から淡い光が漏れ出した。光はまるで意思を持っているかのように寄り集まり、二つの光の玉へと変わる。
二つの光球は元いた体の上を何度か名残惜しそうに飛び回った後、フワフワと尾を引きながら飛び上がった。
くっついたり離れたりして、絡まり合いながら飛んでゆく光。
誰かがこの光景を見ていたなら、きっと、二人の魂がじゃれ合いながら天へと登っていくように見えただろう。
やがて光は、闇の中へと静かに溶けさった。
「おお! 生まれた! 生まれたぞ!」
柔らかな光の差し込む部屋の中。男の声に答えるように、小さな命の産声が響いた。
「元気な男の子だ! よく頑張った。ありがとう、ヒナタ」
男は喜びを抑えきれない様子で妻をねぎらいながら、自ら赤子を抱き上げて産湯に入れた。
優しい手つきで身体を洗い、柔らかい布で拭いて産着を着せる。
手慣れた様子で色々と赤子の世話をしている内に、男はあることに気がついた。
「どうしたの、あなた?」
「いや、この子が右手に何かを握っているようなんだ」
「ただ手を握っているだけじゃないの?」
「いや、違う。これは……」
男がそっと赤子の右手を広げると、そこから一匹の小さな黒い虫が這い出てきた。虫は男に見つけられて、焦ったように部屋のどこかへと消えてしまった。
男は驚愕に動きを止めた。
「何かあったの?」
「いや、何もなかったよ。私の思い違いのようだ」
妻に向ける男の笑顔には、一切の曇りはなかった。それもそのはず、
「私は今確信したよ。この子は素晴らしい蟲使いになる。先代を超える器だ」
「それは素晴らしいことね。大きくなったらどんなに立派になるでしょう……、あら、まだ名前を決めてなかったわね。どうしましょう、あなた」
「そうだね。我が一族には代々、男には影という文字を入れる慣習がある。今の世には合わないと言う者もいるが、私は結構気に入っているんだよ」
「そうね。あなたのミカゲって名前、私も好きだもの」
男は黙り込んでしばらく考えた後、顔を上げて言った。
「よし、それでは君のヒナタという名前から一文字もらうことにしよう。この子の名前は――」
男は赤子の頬を優しくなでながらこう言った。
「――ヒカゲ」
ここまで読んでくださりありがとうございます。
長かった……。話の中ではたった一日二日しか過ぎていないのに、現実では気がつけば2年以上の時が過ぎていました。今日この日までにこの話を完結させることができて、本当に良かった。
今一度、こんな若輩の妄想にここまでお付き合いくださったあなたに、最大の感謝を。
本当に、ありがとうございました。
それではまた、どこかで




