第三十五話 『絶叫するG』
パンッ
たった一つ。乾いた音が夕暮れ時に響き渡る。
僕は始め、その音がまだ鎮火していなかった炎がどこかで爆ぜたのだと思った。
なぜなら、音の聞こえた方向――僕達の前方の燃え尽きた廃墟――には他に音を出しそうなものがなかったから。
しかし、その音がもたらしたのは悲劇以外の何物でもなかった。
音に一瞬遅れて、僕の隣にいたハルカが崩れるように倒れ込んだ。
「ハルカ?」
状況を理解できないままに視線を向けると、そこには全身を真っ赤に染めたハルカが浅い息を繰り返していた。
「ハルカ!? ハルカ!!」
慌ててハルカを抱き起こすが、反応はない。傷に目をやると、お腹の真ん中から尋常でない血液が溢れている。傷の具合を確かめるために真上からのぞき込む。
そこから見えたのは――大きく空いた穴からはピンク混じりの赤い肉、そして、したたり落ちる血で染まった、地面の石だった。
「あ、あ、あア」
言葉にならない声が漏れ出る。
素人目に見ても分かる致命的な傷。高校にさえ通ったことのない僕にどうにかできる物でないことは間違いなかった。
それでも、なんとか止血だけでもしようと身体を起こしたそのとき。
パンッ
あの音が響き、同時に何かが僕の鼻先をかすめた。脇の地面に視線をやると金属が地面にめり込んでいる。銃弾だ。
あのまま動いていなければ間違いなく僕の頭を貫いていた。
背筋が凍る。
だが、皮肉なことにその冷たさがハルカの怪我でパニックになりかけていた僕の理性を引き戻した。
銃声がした方に振り返る。そこには誰もいない。崩れ落ちて開けた辺りには撃ってから隠れられる場所はない。
「隊長!」
呼びかけると僕の意思を汲んだ隊長が他の仲間とともに一面に漆黒の壁を作る。
銃弾から身を守る肉壁を作ったのではない。虫一匹の小さい身体で銃弾を止められるはずもないことは分かっている。
「行け!」
号令とともに黒い壁が前進する。何もない空間へ進むゴキブリたち。普通ならそれで終わりだが、僕の勘が正しければ……
「!」
壁が十五メートルほど進んだあたりで動きを止めた。隊長の統制の下、即座にゴキブリたちは見つけたそれに取り付いた。
地上から十メートルほどの中空の何もないはずの空間。そこにある「何か」にゴキブリたちが張り付いたことで、その形が浮かび上がる。
「これは……」
その正体を見定めようと目を懲らしたその瞬間だった。空中のゴキブリたちが突然に燃えだした。
「みんな、それから離れろ!」
僕が指示を出すより早くみんなは飛び上がってこっちへ戻ってきた。しかし、間に合わなかった数十匹の仲間達が細い鳴き声を上げながら地面に落ちていく。
だが、彼らに悔いる時間はなかった。空中に浮かぶ中空の炎。そこから生まれた陽炎のように空間が揺らめく。
次の瞬間、炎の中に忽然と現れたのは一機のヘリコプターだった。
太陽光と炎の光を反射して赤く染まった白い外装の機体。一切の装飾やロゴが無く、白一色ではあるが一般的に思い浮かぶ普通のヘリコプターだ。ただ一点、機体前方にとってつけられたような二丁の機銃が場違いな鈍い輝きを放っていた。
姿が現れると同時に、ヘリコプターが発するプロペラ音と強い暴風が僕らを叩く。
しかし、それらの現象もつい一瞬前まで気配すらなかったものだ。
一体何が……。唖然としている間に機体側面のドアが開き、そこから一人の人間が飛び降りた。
「あっ!」
思わず声が出る。十メートルの高さから飛び降りれば普通の人間では骨折ではすまない。
しかし、その人影はまるで何かに支えられているかの如くゆっくりと、一定の速度で地面に舞い降りる。
果たしてその人間は、白木真一、僕の父親だった。数時間前に見たときと同じく、白く不気味な面で顔を隠しているが、間違いない。
「白木ぃぃイイイイイ!」
反射的に爆発的な怒りがこみ上げる。突如として現れた機銃付きのヘリコプター。あれが、ハルカを打ち抜き、僕を狙った銃弾の射手だろう。であるなら、そこから降りてきた白木こそがこの状況を作り出した張本人。
「まあ、落ち着きたまえ。憎い息子よ」
「落ち付けだと!? ふざけるな! ハルカをこんな風にしやがって! 今すぐ手当てしないと命が危ないのに! それともなんだ、お前がハルカを助けてくれるって言うのかよ!?」
「時に息子よ。お前は自分のしたことを分かっているのか?」
白木は僕の叫びを無視して聞いてきた。
「お前が無秩序に放ったゴキブリ共によって本州はほぼ全土が壊滅状態、被害額の算出さえ難しい。だが金のことはこの際どうでも良い。お前は自分が何人殺したのか分かっているのか?」
「……」
「一千万人。それがお前の殺した人数だ。当然、そのほとんどはなんの罪もない普通の一般人。お前が、自分の怒りのために、それだけの命を、夢を、幸せを、食い尽くしたんだ」
「……た……か」
「ん? どうした。まさか、そんなつもりはなかったなどと言わないよな?」
「知ったことかって言ってるんだ!」
僕の喉から出た声は半ば叫びに近かった。
「お前らは僕達に一体何をしてくれたって言うんだ!? お前らが僕らの事を気持ち悪いと、消えてしまえと思ってることなんて分かってるさ! だから僕は今までずっと、平穏に生きようと頑張ってきたんだ! 母さんに殴られながら必死で自分の力を制御する力を身につけた! 学校に通っていたときも、家から追い出された後も、誰とも関わらないように一人で静かに生きてきた!」
熱を持った何かが胸の奥からこみ上げてくる。一度流れ出たその熱はもう止められなかった。
「ハルカだってそうだ! 家族からも他人からも気味悪がられて、疎まれて、殺されそうになってさえ、必死で諦めずに生きてきたんだ!」
こみ上げる熱が喉を超えて目元まで上ってくる。
「やっと僕らはお互いに理解し合って、受け入れ合える相手を見つけたんだ! 僕らは一度も普通の幸せなんて望んだことはないし、望むつもりなんて無かった! ただ誰からも干渉されずに虫達と一緒に生きていられればそれで良かったんだ! なのに! それなのに!」
もうだめだ。否定されて、抑圧されて、奪われ続けるなんて、うんざりだ。
「僕達がお前らに一体何をしたって言うんだ! 最初に幸せを奪ったのはお前らだ! 僕の大切なものを奪おうとするのはいつだってお前らだ! そんな奴らが何人死のうと知ったことかよ! いっそのこと全員死んでしまえばいいんだ!」
言い切って、ハルカの身体を抱いたまま崩れ落ちるように膝をついた。白木を睨み付ける。ぼやけた視界は白木の表情を読み取ることはできなかった。
「……そうか」
僕がまくし立てている間、沈黙を保っていた白木は感情を感じさせない声で言った。
「これで私は気兼ねなくお前を殺すことができるよ」
パチンと白木が指を鳴らす。乾いた音と同時、まるで火打ち石をぶつけたかのように白木の指先から火花が散り、指先に火がついた。
「私の魔法適性は火。すべてを虫共に喰らい尽くされたあの日、必ずその力を燃やし尽くすと誓ったあの日からずっと」
指先の炎ごと拳を握ると、白木の手の中から炎が迸った。その炎はまるで白木自身の身体を燃料にするかのように白木の身体を包み込んでいく。
「これは懺悔の炎であり、怒りの炎であり、決意の炎だ」
僕は燃えさかる白木の姿をただ呆然と眺めていた。白木の炎は何も読み取れない表情とは裏腹に、あまりに強い、激情の色を映していた。
いままでとは比べものにならない殺意に僕は息をのんだ。その次の瞬間、
目の前に白木がいた。
瞬間移動と見まがう早さで肉薄する白木に僕はまったく反応できない。
「さようなら、愛しく憎い、我が息子よ」
炎に包まれた拳が僕とハルカへと迫る。僕はせめてハルカを庇おうとハルカに覆い被さるようにうずくまる。
――ごめん、ハルカ。
僕はただ、強く目を閉じ、ハルカを抱きしめることしかできなかった。
次話で完結します。ここまでお付き合いくださった皆さん、本当にありがとうございます




