第三十四話 『和解するG』
――邪魔する奴は全員殺す!
何者かに押し倒された僕は本能の命じるままにそいつを殴りつけようとした。
だけど、僕の拳は空を掴んだまま動かすことができなかった。
僕の胸にのしかかるようにしがみついている小さな影――否、小さな女の子を視界に入れた瞬間感じたのは、安堵。
そして、僕はさっきまで正気を失いそうなほどに暴れていた怒りが霧消している事に気づく。
「――ハルカ」
僕は、しがみついたまま離れようとしないその少女の名前を呼ぶ。
僕が声をかけると同時にバッと顔を上げるハルカ。その拍子に飛び跳ねた雫が僕の頬に熱を落とす。
「おにー、ちゃん……よかった……」
まだ抜けきっていない恐怖と無理に作ろうとした笑顔がこぼれる涙とないまぜになってぐちゃぐちゃの表情を作る。僕は思わずハルカの頭を強く抱きしめた。
「ごめん。それから、ありがとう、ハルカ」
あの時――ハルカがゼクスに刺され、白木に撃たれたあの時――僕は今までにない怒りを感じた。目の前が真っ赤に染まって、すべてを壊してしまいような、そんな衝動に駆られて。そこで僕の記憶はプッツリと途切れている。
多分僕はその怒りに飲み込まれて暴走したんだろう。目覚める直前に感じた強い怒りの感情と、廃墟と化した周囲の惨状がその事実を雄弁に物語っている。
そして、ハルカはそんな僕を助けるために、自分も重い傷を負っているはずなのにもう一度立ち上がってくれたんだろう。
「僕はどうしようもない馬鹿だな。守ろうとした女の子に救われるなんて」
「そんなこと……ない。おにーちゃんが私のために怒ってくれたの……嬉しかった」
そんなハルカの優しく甘い言葉に僕は自分を許してしまいそうになって、でもそこで思い直す。
「ハルカだけじゃない。僕はみんなにもひどいことを……。僕が暴走している間に一体何匹のゴキブリたちが死んでしまったのか分からない。でも、きっと数えられないほど多くの仲間が死んでしまって、それは全部僕の――」
「違う!」
叫ぶような声に言葉を遮られ、僕は驚いてハルカを見上げた。
「違うよ、おにーちゃん。おにーちゃんのせいじゃない」
一転してハルカは静かな声でそう言った。
「ありがとう、ハルカ。……でも今の状況を作り出したのは間違いなく僕の怒りだし、僕の願望だ。僕が暴走さえしなければ、みんなが死ぬこともなかったんだ」
僕を労わろうとしてくれるハルカの優しさは嬉しい。だけど、その優しさは僕には甘すぎるし眩しすぎる。これは僕が背負わなきゃいけない罪。光に溺れて闇から目をそらすことは許されない。
だから、
「ごめん」
「ちが――」
「――それから、ありがとう」
ハルカの言葉を遮って僕は言葉を続ける。
ハルカと、周りのゴキブリたちの様子を見れば彼らが僕を憎んでいないことなど簡単に分かる。だから、これはけじめなのだ。彼らの盟友として、彼らの指揮官として、最低限果たすべき礼節なのだ。
「ひとまず、立っても良いかな」
気がついてからもずっと僕のおなかの上に座っていたハルカに頼む。
ハルカは何か言いたげな顔をしていたが素直にどけてくれる。
「ぐっ……」
手をついて立ち上がると、すぐにバランスを崩してよろめいてしまう。
「おにーちゃん!」
助けようとしてくれるハルカを手で制止して体勢を直す。
暴走による消耗はやはり軽くはないらしい。
「隊長」
僕が呼ぶと、ゴキブリたちの群れの中から一匹が飛び出し、僕が差し出した手のひらの上に止まる。長いひげが僕の手のひらをくすぐる。
隊長の黒く輝く双眸と数瞬見つめ合う。
「……ありがとう」
それだけ聞けば十分だと言わんばかりに隊長は手のひらから飛び立つ。隊長は僕の頭をなでるように頭上を一周だけ旋回して群れの中に戻っていった。
「ハルカも、ありがとう。ハルカのおかげで僕は僕に戻れたし、みんなの僕への思いも分かったよ」
「私、まだ何も言ってないんだけど」
多分、みんなから預かった伝言がたくさんあるんだろう。でも、
「今回はお預けかな。今それを聞いたら泣いちゃいそうなんだ」
数え切れないほどの仲間達と、一人の少女。僕を止めるために身を張ってくれる者達が、あれだけのことをしたのに僕に笑いかけてくれる者達が、そんなにもいるのだという事だけで何かがこみ上げてくる。
「さあ、これからどうしようか」
すべてが燃え尽き、見渡す限りの廃墟となった町を見回して僕は呟く。炎は所々くすぶってはいるものの、ほとんどは燃やすものを失って鎮火し、今は傾きかけた太陽が代わりに町を赤く照らしていた。
どこまでこの光景が続いているのかは分からないが、見えている限りでも生半可なテロよりよっぽど悲惨な状況だ。今頃僕達は世界的な指名手配犯かもしれない。
それでも、例えこの先何があったとしても、
「ハルカ、君だけは僕が、僕たちが守るから」
「?」
何事かを呟く僕にハルカが不思議そうな顔を向ける。
「なんでもないよ。それじゃあ、行こうか。寝る場所を探そう。早くしないと暗くなっちゃう」
「うん!」
花のような笑顔を浮かべてハルカが僕の腕につかまってくる。その小さな手のぬくもりを感じながら一歩を踏み出すと、僕たちを取り囲んでいたゴキブリたちが左右に開いて道を作ってくれる。
オレンジに輝く日の光を背に受けて、僕たちは歩き出し――
パンッ
音が、なった。
一瞬遅れて、掴んでいたはずのぬくもりが、僕の手の中から滑り落ちた。




