第三十三話 『驚愕するG』
前回の話の暴走した主人公視点バージョンです。
――何カガ、オカシイ
彼がそのことに気がついたのは、暴走を始めてからかなりの時間がたってからだった。
すぐそこに何かあるはずなのにそれが何か、どこにあるのか分からない。痒いところに手が届かないような、痒いところがどこなのか分からないような、もどかしさだけが時間と共にましていく。
余りにも広範囲に知覚を広げすぎた彼はすぐ近くにあるその存在に気づくことが出来なかった。
――マズハ、殺シテカラダ
その違和感を切り捨てて、彼は侵攻を続行した。しかし、
――忌々シイ!
その違和感は時間とともに増す一方で、彼の苛立ちを煽るばかり。
仕方なく、彼はその違和感の正体を調べるために一度侵攻の手を止めた。
最前線まで広げていた知覚同調を解除し、再度接続する。
知覚のネットワークが瞬時に構築されていく中で、ようやく彼は違和感の根源にたどり着いた。
彼の知覚同調を拒絶したゴキブリ達が、数百匹。それも彼から20メートルと離れていない場所で。
そのゴキブリたちは何かを守るように取り囲んでいるが、全方位を囲われていて何を守っているかは分からない。
いずれにせよ、彼らが知覚同調に反応しないのは全体の統率に関わる由々しき事態だ。なんとかしなくては、と思ったそのときだった。
彼らが、動き始めた。
やはり何かを守るように自分たちの体で壁を作りながらこちらに向かってくる。気づいた同胞が押し返そうと飛びかかった。2つのグループがぶつかり合い、拮抗する。しかしその均衡は長くは持たない。徐々に押され始め、イレギュラーが少しずつその歩を進め始める。
そして、決定的な瞬間はすぐに訪れた。
『教えて』
小さく、静かな声。それでもどこか力強さのあるその声が、確かに彼の鼓膜を叩いた。
『教えて』
声は波紋のように赤い戦場に広がって、乗せた想いを怒れる戦死達に伝えてゆく。
同胞たちと彼自身の全ての怒りを包みこもうとするかのように。
『教えて、欲しいの』
繰り返される声を聞く度に、際限なく溢れ出していた怒りの感情が収まっていく。
同時に、怒りによって結ばれた同胞たちとの強固な絆が解けていくのを感じた。
この優しさに身を任せてしまいたい。そんな衝動に駆られそうになる直前、彼は何とか踏みとどまった。
――スベテ、コワス!
怒り。それが彼の存在理由。
自分の大切なものを壊した、憎き男をこの手で葬り去るまで決して破壊の手を止めてはならない。復讐を遂げることのみが、失った大切なものさえ思い出せなくなった彼に許された唯一の手向けなのだ。
故に彼は暖かさには屈しない。その身を焦がし、同胞を燃え上がらせるほどの怒りが、今の彼を彼たらしめる。
同胞が応じないなら、新たな同胞を呼び出すまで。より一層深みを増したゲートから新たなゴキブリたちを呼び出し、立ち向かってくる同胞達に差し向ける。
しかし
『教えて』
一言。
その言葉が響くだけで怒りに燃えていたゴキブリたちの瞳が理性を取り戻す。
正気に戻った同胞達は向こうに回り、さらに勢いを増してこちらへと進んでくる。
――ナゼダ!?
ありえない。意味が分からない。
だが、驚いているだけでは状況は変わらない。彼我の距離が十メートルを切る。
同胞達が自分に従わないという衝撃に召喚が途切れたことで、両者を阻むものは何もない。
そのとき、重い扉が開くように、幾重にも壁を作っていたゴキブリたちが二手に分かれた。
そして、ついに彼はゴキブリたちが守っていた者をその視界に収めた。
それは、一人の少女だった。十歳に届くか届かないかというくらいの、小さな少女。
整列するゴキブリたちの間にできた道をゆっくり歩いてくるその姿はさながら騎士団を従える姫。その瞳は決意に満ちた強い光を宿して、まっすぐと彼を見据えている。
彼はその少女を知らない。知らないはずなのに、どうしてか心がざわつく。
彼はこの違和感を少女に対する危機感と判断した。同胞達の絆を断ち切ったのは間違いなくこの少女。ならば彼女は己の悲願を妨害する障害でしかない。
もう一度同胞を呼び出して少女へ向けて差し向ける。
――邪魔スル奴ハ誰デアロウト、喰ライ尽クス!!
この攻撃には彼の強い意志と少女への明らかな殺意が乗っていた。
しかし、
「お願い、通して欲しいの」
やはり、彼の意地を背負ったゴキブリたちもまた、少女のたった一言でその怒りを雲散霧消させ、彼との同調を解く。
気づけば少女はすぐ目の前。
「――ちゃ―、私は――よ」
はっきりと聞き取れない声で少女が何事かを呟く。それは少女が見せた唯一の隙。
彼女を打ち倒すには今が絶好の機会、同胞の力に頼れない以上、この手で直接――
振り上げた拳を小さな少女に叩き込もうとしたその瞬間、
「おにーちゃん!」
胸部に衝撃。バランスを崩して地面に倒れ込む。
何が起きたのか彼には分からなかった。
そして、少女が彼の胸に飛び込んで押し倒したのだという事を、彼が知ることは永遠になかった。




