27.決着
幼い頃出会った彼は既に魔王だった。
偶然に拾われ育てられ、知識をよく吸収する頭脳に興味を抱かれ、気がつけば右腕として揺るぎない地位を得て長い刻を生き……唯一置いて行かれた友となった。
プロメテウスは魔王が世界にも周囲にも身内にも自分自身にすら本当の意味では関心が薄いのを知っていた。万能が故に、却って彼の虚無は深かったのだろう。
驚愕もしたが同時に得心もあった。彼が永過ぎた生から解き放たれる日を、傍にあって常にどこかで予感していたからか。
だが……よもやまさか、一度捨てた場所に戻って来るなどとは今度はいったい何の気まぐれだと問い質したい。
詰問を受けるべき少女は、更田とソルの対決を見守るばかりで、困惑したままのプロメテウスには視線を向けなかった。
振り返りもしない。
ただ独白のように嘯くだけだ。
「私も色々考えたんだけどね」
少女のやや後方に佇むプロメテウスにはその表情はわからない。
幻想だろうか。以前と異なる小さな背中が、子どもの時分に見上げたそれよりも険しく堅固にすら見えた。
「結局のところ、千年生きようが転生しようが私は私だった」
「……陛下?」
プロメテウスの呼び掛けに応えず、ルナは話を変える。
「更田くんがこの勝負を言い出したのは、私を慮ってのことだよ」
やや離れたところで対峙する後輩と前世の子孫から、ルナは目を逸らさない。
二人は決闘を始めようとしている。
正々堂々と言えば聞こえはいいが、お互いに全力は保持しておらず、消化試合の意味合いが強い。それでもこれは必要な通過儀礼だ。
「ロメゥ、お前が思うほど私は情がなかった訳じゃない。だから選択を間違えたんだよ」
「ソル殿下を……お身内を、大事に思っていらしたのは存じております」
「私は坊やを殺したくなかった」
ルナは切なく言い零す。
大きくない声は戦闘開始の爆音に紛れ、プロメテウスの耳にすら届かなかった。
自身が死のきっかけを作った存在の生まれ変わりから手酷い扱いを受けたソルは、今一度解放されたものの自由を得られるはずもなく、正当な後継者との勝負、或いは殺し合いを甘受する。逃亡が選択肢にない以上、与えられた抵抗でも足掻くより他はなかった。
相対する更田は口端だけで笑う。決して内心を悟らせず、愛想笑いより性質が悪く見えた。
ソルは幼い更田の生命を狙った憎むべき敵だ。異世界で守られそこそこ幸福に生きてきたため、個人的な怨恨を燻らせる要素は皆無だが、許容と同義ではない。
もうひとつ、正直に言えば妬心に近い感情も抱いている。
「あのひとに、気にかけられすぎなんですよ」
殺気混じりの低い呟きを聞き、ソルが反射的に攻撃を向けた。
「……ッ、死ね!!」
「っ……!」
一撃で更田の左腕が爆散した。
さすがに動揺が走る。
だが鮮血に染まる間もなく、更田は破損した組織を瞬時に再生した。
「制服が台無しですよ。貴重な一張羅なのに」
魔力で肉体の欠損箇所を復活可能と先刻のルナの話で理解していたため、更田にとって実現は容易だ。魔王として生まれ持った万能の才は、千年の王ほどではなくとも当然に備わっている。
「き……さ、ま」
ソルは怯えを隠さず後ずさった。
一歩二歩と更田は歩を進める。
幾つもの殺戮を目的とした攻撃を受けるが、ものともせず避け、時には無造作にはね除け、更に相手に迫った。
火が放たれる。
水が打ち消す。
氷塊が矢となって撃たれる。
爆撃で砕け散る。
風の刃が襲う。
地の壁が防ぐ。
やがて、更田は障害をすべて排除し、ソルの眼前に立ちはだかった。
「覚悟は」
「やめ……っ」
返答どころか自身の問い掛けすら待たずに、更田は破れていない制服で覆われた右腕を振り上げ、勢いよく振り下ろした。
痛みを与えるためだけに。
殴る。
殴る。
殴る。
何度も繰り返し、容赦なく殴る。
顔の形が変わり、頭蓋が壊れるまで。
死した者の怨嗟が、
己の僅かな激情が、
少女の中の空虚が、
ただひとりに向かい、込められるのならば、
もはや世界が巻き込まれることはないだろう。
空気が静まり、魔力の奔流が沈んだのを見て取り、ルナは宙を見上げる。
「……逝ったようだね」
罪深い魂がひとつ、砕けて還るのがはっきりと感じられた。
奪い返した左眼球を弔いのように掲げ、ふっと息を吹きかけると、金色が崩れて粉か砂に似た塵となり、風の渦が空に送る。
「残念だよ」
きっと最期まで、ソルには伝わらなかったろう。
ただ救いもなく死んでいった。
他の、犠牲になった多くと同じく。
魔王はあのとき彼の愚かを赦すべきではなかったのだ。
軽挙を咎め傲慢を裁き、無知を指摘し誤解を解く。子どもの躾程度を怠ったために、いったいどれほどの犠牲を世界に強いたのか、後悔は拭えない。
喪失の哀しみが胸の深い部分を穿つ。
君臨した超越者にも心があり、情があった。
美しいものを愛し、愛しいものを慈しんだ。
「私はもう、どうでもいいとは思わないよ」
ルナはそっと空の手のひらを握り締める。
死を悼み、別離を嘆く。
すべてを手放して初めて、自分の内にある虚無の裏側を知った。
大切な想いは常に消えることなく存在した。
世界の外側で届くはずのない空を見ていたあの日に、本当は自覚していた。
少年が微笑ったから、気づいてしまった。
「なぜあのとき」
失い損なうよりも、自分が去る方がましだと、そう思った。
今と同じ鈍い痛みを幾度となく堪え、積み重ね続けた結末は、麻痺し飽和した想いを弾けさせただけだった。
「死んでもいいと思ったかなんて」
誰が魔王を殺したか。
既に、訊く者はいない。




