24.ある日のこと 1
その日は突然に訪れた。
何気ない日常は、前触れもなく崩壊したのだ。
成人を迎えて何年か経って身体の成長も止まり、体力も魔力も気力も充実したソルは自信に満ち溢れていた。
畏敬の対象であった祖たる魔王に対しても、気軽とまでは言えないまでもそれなりに会話が成り立つようになった。魔王自身も経験値の少なさを補って余りある新鮮味を目当てに、若者の忌憚なき意見具申を愉しんだ。
ソルは自らの処遇に不満を持っていた。血族でも滅多に見出だせない突出した力は、魔王の後継ぎと目されているにも拘らず、地位も仕事もつまらぬものしか与えられなかった。
軍では元帥が強い実権を握り、政治は宰相の一手にある。地方領主は守護者の監視下に置かれ、ソルを始めとした魔王の血筋の者が入り込む余地はないのだ。
その日二人だけで話せたのは偶然だった。気まぐれで多忙な魔王は玉座にも自室にも執務室にも長く居ることは稀で、王宮の内外で単独行動を取っている場合も多く、所在を掴むのは近侍でも難しい。
王宮の回廊で偶々魔王に出くわしたソルは、誰にも知られず私室に招かれた。親類の子どもにちょっと構いたくなってみたに過ぎず、特に深い意図はなかったと思われる。
丁度いい機会とばかりに、ソルは魔王にもっと認められたいと自己を主張した。
「……ですから、宰相や元帥の手伝いなどではなく、すぐにでも王の補佐に務め、少しでもお役に立てれば、と」
魔王は眉ひとつ動かさずソルを見ていた。観察されていると感じてややたじろぐが、意地でも平静を装う。
「現在の王宮には成り上がりの有象無象が多すぎるように思います。重要な仕事は尊き王の血族が責任を持って担うべし、という声もあり」
「なるほど?」
皮肉気に口端を上げ、魔王はソルの言を遮った。
「私はこれでもお前たちにそこそこの情を持っていてね、相応の待遇はしてきたはずだよ」
「相応とは」
「むしろ厚遇と言っていい。成人までは王宮に住むことを許し型通りの教育は受けさせ、成人後は望めば文官武官に就くことを認めた。市井に下りた者でも行き過ぎない限り王宮の人脈を活用しても咎めてはいない」
不服そうに渋面を作るソルに、魔王は幼児をあやすように苦言した。
「坊や、何が気に入らない?」
ソルは半人前扱いで小馬鹿にされたと決めてかかり、反発する。
「仕官と言っても、取るに足らぬ雑務だけでは」
「下積みから始めるのは当然だろうね。経験も実績もない者にいきなり重要任務をさせる道理がない。野心があるならまず努力するしかないんだよ」
魔王はごく常識的に子どもの我儘を諭した。
「お前が生まれるよりもずっと以前からその地位にいるから思い至らないのか……プロメテウスもアルタイルも、時間をかけ労を徒して昇りつめた。後宮の女でさえ遊んで納まった訳ではない。何の努力も必要なく生まれだけで上に立っているのは逆に私くらいだ」
「当たり前です。王は生まれながらに偉大な御方」
ソルは魔王の嫌味に気づかない。どころか自身の正当性を主張する根拠を得たとばかりに力説した。
「王の血を引く私には遂行する力があります。血族の誰もが認めております。私が最も王に近く、王の後嗣たるべきだと。……いえ」
流石に出過ぎたと悟り、ソルは言い淀む。
魔王は失言も意に介さず、特に気に障った様子もなかった。若造の傲慢ごときに一々目くじらを立てるには老成し過ぎていた。
「跡目か……まあ、大分誤解があるようだね」
「私では相応しくないと仰いますか」
ソルは納得できず魔王に批判的な目を向ける。
周囲はソルが幼少の頃から彼を認め追従し、欲した賞賛を与える。唆された訳ではないが、魔王と瓜二つに成長し力も漲った今、次代を継げるのは自分以外には存在しないと確信していた。
もし魔王が己そっくりの子孫を否定するとすれば、何の理由があるのだろう。
やはり――この眼が。
「王の魔眼を受け継いでいないから、でしょうか」
魔王と異なる光彩を放つ紅い双眸が、暗く揺らめいた。容姿で二人を見分けるとしたら、眼の色か髪の長さしかないと噂されているのを知っている。
そして続けて告げられるのだ。何故あの美しい金の瞳だけは継がれなかった、と。残念だ失望だと責められる。
「ああ、眼の色か……」
意外なことを聞いたように魔王が瞬いた。
目線の位置は同じ高さになったのに、ソルは金色の視線を向けられるだけで委縮する。勿論表には出さぬよう必死に取り繕っている。
瞳の色が違う、ただそれだけがソルの劣等感を苛み刺激する。物心もつかぬ幼少から、譫言めいて聞かされてきた科白が、呪言となって心の深い部分に粘り着く。
王は知らないだろう、狂うほどに焦がれる者を。
王は知らないだろう、憧れが転じる様を。
王は知らないだろう、振り返られぬ残酷さを。
だからいとも簡単に言えるのだ。
「色彩が違うだけでそれほど気になるものかな」
いとも容易く……手放せるのだ。
「欲しければあげるよ、こんなもの」




