20.金色の
若干だが衣服や髪を乱したルナは、何の気負いもなく更田のいる建物の屋根まで移動する。
「ルナ先輩?」
「何?」
「……右眼が」
ルナの双眸は互いに色を違えていた。
左は変わらず黒曜の瞳のままだ。
「右眼、金色になってます」
「え?」
指摘されて初めて気づいたルナは、そっと右の目元に手を置く。
「本当だ……まあ、そういうこともあるかな」
服のポケットから小さな手鏡を出して確認しながら、ルナはどうでもいいように端的に告げた。
「核の力を吸収したから」
信じ難い発言に、更田以外の全員が唖然とした。核の正体を知る者もそうでない者も、その行為が尋常ならざる領域の属すると認識し、少女の異常性に慄く。
「核……って何なの、ルナちゃん。お妃サマの、卵みたいなあれの、中身……」
自分の任務で事態を引き起こしたシャランが青くなって問う。
「先代殿の髪」
「ええ、寵妃アナスタシアが保管していた陛下……魔王の髪でしょう」
ルナの代わりに更田とプロメテウスが答えた。
プロメテウスはシャランより更に顔色が悪い。
「まさか……本当に、魔王の力を吸収したと言うのですか」
「嘘だろう?」
「あり……得ん……」
アルタイルは眉を顰め、ソルが化け物を見るかのように後ずさった。
見間違いようもなく、その右眼は千年を治めた魔王と同じ光彩を宿している。
ルナは一同を冷ややかに見渡し、更田に向き直った。機能しない集団に構っている暇はない。先刻より多少落ち着いたとはいえ、脅威は継続している。
「更田くん、いけるね?」
「ええ、準備してたから俺は。ただ結界は……」
「ああ」
封印のため強化していた魔王の居室の結界は、ルナの出現によりソルが作業を途切れさせてしまったため、中途半端な状態となっている。
核を失い、黒髪の渦が生み出す力も薄れてはきているが、その程度すら留め置くには未だ足りない。万全を期すには、堅固な牢を構築するために中断した補強を再開してもらう必要があった。
ルナは再び一瞥する。
全員衝撃は受けたが、うち戦士たちは持ち直していそうだった。ただアルタイルは繊細な術には向かない。シャランは可能かもしれないが大分疲労が見られる。ほか2名はと言えば、ソルは精神的な負荷が大きく当面使い物にならない。プロメテウスも同様だが……。
諦めて、ルナは困ったように苦笑する。
僅かに嘆息すると、ひとりの名を選んだ。
「ロメゥ」
「……な」
プロメテウスは耳を疑った。
愕然とする。
「結界を頼む」
一瞬、少女の姿と似つかない幻影が重なる。
問い質そうとするプロメテウスにどこか懐かしい微笑を残し、ルナは再び宙に戻った。同様に浮上した更田は若干呆れたように何事かぼやきながらも追随した。
勢いの弱まった黒い奔流を、ルナは力任せに掴み、引き抜くように流した。
先刻まで魔王の髪に取り込まれていた残滓だ。魔王の瞳で従わせるのは容易だった。ルナの右眼が有無を言わせぬ光と力を放つ。
見えない通路が流れを誘い、結界……かつて魔王が維持していた清浄な牢獄へと導いてゆく。力の源を失った髪のようなものは、それ以上無為に暴れることもなく封じられる。
結界はどうやらプロメテウスによる補強が間に合ったようだ。
天窓は先刻ルナが勢いで割ってしまい綻びが生じていが、その隙間を逆に利用して不穏な力を室内に導き閉じ込める。
概ね収納仕切ったところで、シャランたちも助力し窓の穴を強引に封じ、唯一の出入り口である扉も堅く閉じた。
黒い気配はいったん収束した。
待ち兼ねた更田が大きく深呼吸をし、世界に向かって特別な力を揮う。
魔王の特性と言われる「調整」の力が真にどのような代物なのか、更田はまだすべてを把握してはいない。本能のまま感じ取り、動かしたに過ぎない。
偏りを見抜き、熱量を散らせ、思念の淀みを打ち消し、世界の歪みを修正、あるいは浄化する。
おそらく、魔王と定められた存在が冷静よりも達観に寄り、またどこか醒めた性格になるのは、力の性質に影響されるのだろう。
何かにつけ魔力に依存し左右される世界の営みは危険を孕んでいる。魔王は世界が用意した安全弁だ。失われれば継承され、連綿と続いていく力の容れ物、単なる依り代に過ぎない。
手遅れではなかったと更田は安堵する。
ただ15年ばかり不在にしただけだ。
きっと世界は持ち直す。
穏やかな風が重い雲を打ち払い、空が開けた。
雨はすでに止んでおり、徐々に晴れ間が広がってゆく。
誰の目にも明らかだった。
誰もが待ち望んだ魔王だけに許された力がそこに受け継がれていた。
莫大な魔力を消費し、更田は息を吐く。
魔力量には自信があったが、一般的な術と違い、奪われてく量が半端なかった。
「うーん……これは結構しんどいですね」
傍らでルナが背を擦って慰める。
「まあ、お疲れ。流石に限界に近かったから……イレギュラーがあったとはいえ、5年ばかり計算違いだった」
「もう少し早く戻るべきでしたか。でもそうすると先輩と出会えなかったですよ。やっぱりその辺は世界の意思があるのかも」
「それは偶然と信じたい」
ややふらつく更田を支えて、ルナは色違いの瞳でゆっくりと地上を見遣る。
封印作業を終えた面々が、それぞれに複雑そうな表情で上空を見上げていた。不審を通り越して刺さんばかりに射抜いてくる視線もあった。
「さて……どうしようかな」
疲労で普段より覇気のない更田は、恨みがまく愚痴った。
「絶対あれバレてますよね。ていうかバラしましたよね」
「だから、そのときはしょうがないって」
ルナは少しも悪びれなかった。
むしろ不敵に笑う。
「それに、知りたがってたんだから丁度いい」
「……いいんですか?」
「つまらない理由だけど、そこまで探求するなら明らかにすればいい」
本当は更田は止めたかったが、伏せられた半眼に複雑な憂いの感情を読み取り、説得を諦めた。
「いいんですね?」
「うん、教えればいいよ……どうして魔王が死んだのか」
つまびらかにすればいい。
誰が、魔王を死なせたか。




