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19.暗闇から

「ルナ先輩……」

 暗闇の渦に消えたルナを見て、更田はしばし呆然としたが、すぐ我に返る。

 他でもないルナの行動だ。冷静且つ沈着に勝算の見込みがあると考慮した結果に相違ない。


「オートロード!」

 不意にこちらの名を呼ばれる。

 声の主は彼女しかいない。

「シャラン、無事で良かった」

 女戦士はまだ侵食されていない王宮の建物の屋根に佇み、雨音に負けじと上空の更田に向かって大きく叫んだ。

「オートロード! ルナちゃんが……!」


「大丈夫」

 更田はシャランの元まで下り立ち、傍らに寄り添い不安を打ち消す。

「ルナ先輩は大丈夫だから」

 何度目かの科白を言う。

 シャランはルナを知らない。更田は知っている。だから無条件に信じている。



 あのひとは大丈夫。

 決して呑まれたり、しない。






 ◆ ◆ ◆



 闇より昏く塗り潰された虚無の底に沈む。

 何もない。

 光はない。影もない。

 手の中にも進む先にも、見出だせるものは何一つない。


『ただの髪だよ』

「価値を決めるのは自分じゃない」


 鏡中の男が言う戯言を、今のルナは否定する。

 深淵と同じだ。

 自らが他者を見つめるように、他者もこちらを見ている。


「何故あのとき死んでもいいと思った?」


 幻は答えない。

 ただ金の妖瞳をすっと細くした。





 引き寄せられるように漆黒の海を泳ぐ。

 重力も浮力も感じない。

 ただ一筋に闇の中を蠢く。

 遠くも近くもない道を行く。

 か細い糸に導かれる。

 ――やがて、核に辿り着く。


 片隅では瘦せこけた女が愛しい赤子を抱く姿勢で息絶えようとしていた。

 霞む視界の内に寵妃は小さな少女の姿を認める。

「あ、なたは……?」

「わからないな」

 ルナは冷たくアナスタシアを見下ろした。

 確かに、愛する者に先立たれた哀れな女だ。だが、例えば守護者のようなプログラムされた人格であれば他に生き方を見つけられずとも仕方なかろうが、意思の自由を持っても狂気に身を委ねるしかなかったのか。

 周囲を巻き込むほどの才や力に恵まれてなお、この滅びを天秤にかける道しか選べなかったのか。失った空白を埋める何かを、過ぎゆく年月の中で見出せなかったのか。


「喪われたものは還らないのに、余計な足掻きをしたものだね」

「……ふ」

 アナスタシアは口元だけで自嘲気味に笑った。

「わから、ない、で、しょう」

 掠れた声が最期の言葉を紡ぐ。

「置、き去り、に、された者の……気、持ち、な、ど……」

「免罪符になるとでも?」

 途切れ途切れの譫言をルナは一蹴する。

「千年間ずっと、置いて行かれてばかりだったと思うけれどね」


「……!」

 女の目が大きく瞠かれた。

「わからないわ!」

 アナスタシアは力を振り絞って狂愛を叫ぶ。

「わたくしが、どれほど愛していたかなど……!」

「喪われたものは還らない」

 ルナは繰り返す。

「手遅れになる前に気づいた者の采配でこの程度で済んでいるけれど、多くの犠牲を出したね? 自分が死なせた誰かが、他の誰かにとってのかけがいのない存在だったかもしれないのに」

 アナスタシアは絶句して口を噤む。


「勝手だな」

 同情の余地はない。

 死に体の相手にも容赦なく、ルナは侮蔑を以って断罪を突き付けた。

「赦されないよ、アナスタシア」

「や……っ」

 ルナはアナスタシアが必死に抱え込む核を奪い取る。既に絶命寸前の肢体には抵抗力はなく、呆気なくルナは一房の髪の束を手に入れた。


「陛下……待っ……」


 死の間際に覗く幻覚だろうか。

 アナスタシアは初めて会った少女に重なる、最愛の影を見る。

 またしても自分を置き去りにし振り返ろうともしない非情な相手に、残った力で弱々しく手を伸ばし、果てた。





 ルナは遺体となったアナスタシアなど一顧だにせず、手にした一房の髪に集中した。黒髪は掌のうえで徐々に熱を持ち、熱は風となりルナの周囲を覆っていく。

 幻影が忠告する。


『保証はない』

「大丈夫」


 掌から身体に吸い込まれていく魔力とその熱量を、ルナは微笑みながら泰然と受け入れる。

 これは、魔王の力だ。


「大丈夫。それに、更田くんがいる」

『甘やかし過ぎる。興味もなかったくせに』


 仕方ない。

 魔王の幻が愚痴を零すのと同時に、だんだんと周辺の暗闇がルナを中心に集約されていく。


『所詮、別の世界の人間に過ぎないのに』

「しょうがない」



「出会ってしまったのだから」



 ルナは笑った。

 金に翳る魔王も笑った。

 鏡像はいつしか本体と重なり、

 刹那、

 凄まじい輝きが深い闇を切り裂いた。





 + + +



 外は雨足がやや弱まっていた。

 更田たちに追いついた重鎮らも、あまりの光景に絶句し、為す術を失った。

 状況を仔細に把握する猶予は既にないが、どう足掻いても魔王の「調整」の力以外にこの局面は乗り切れない。当然の帰結であり、全員の共通の認識であった。


「どうだ、次代殿?」

 行動の早いアルタイルが真っ先に更田の援護に回り、体勢を整えた。

 現場経験の長い軍人だけあって、緊急の対応には慣れている。

「準備はしています。変化があれば、力の流れをあの部屋に導く……」

「変化?」

 更田は答えずにいつもの余裕の笑みを浮かべる。

 それを受けてアルタイルはふんと鼻を鳴らした。

「殿下、プロメテウス、居室の結界を強化する準備をしてくれ」

「……! わかりました」

「私が引き受けよう」


 ソルが頷いて、魔力を高めるため精神を集中させる。プロメテウスはソルが妨げられぬよう防護に回った。

 黒髪は増殖を止めたが、未だ生き物のように暴れている。更田の隣にいるシャランが時折、長剣で切っては捨て、侵食を防いでいた。そこにアルタイルも加わる。

「噂のシャラン嬢か。久しいな」

「どうも元帥閣下。私をお嬢さん呼ばわりするのは閣下くらいですよ。不義理してすいませんね」

 元は同じ職場にいた両者は不敵に笑い合い、剣と風の術で更田の周囲を固めた。

 更田は力を温存して待っている。

 ルナを信じている。



 どのくらい経った頃だろう。

 きらり、と漆黒の一面から金の雫が湧き出し、

 瞬く間に輝きが辺り一帯を照らし始めたのは。


「ルナ先輩」


 光は闇を引き裂いて煌めき、禍々しい力の奔流が衰えを見せる。

 暗闇の中から、否、眩い光の中から、人影がひとつ浮上した。

「ルナ……先輩」

 人影は更田の期待通り、待ち侘びた少女の姿をしていた。

 小さな身体に纏う濃厚な魔力の気配が、以前よりも密度を増している。

「先輩?」

 呼び掛けに、ルナが視線を向けた。

 場にいる者すべてに驚愕が走る。


 ルナの右眼はあり得ない色彩を宿していた。

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