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18.黒髪

 いつの間にか外は雨が降り始めていた。

 厚く重く赤みを増した雲から滴る水が窓を叩く。色彩的な違和感が激しいこの世界だが、雨の色は変わらない。

 ルナは飽きもせず大きな天窓から空を眺めた。今にも落ちてきそうな圧迫感に不安定な風の流れが加わり、荒れ模様と呼ぶに相応しい。


 浮遊するルナの足下では、更田たちが検証を続けている。

「奪われた片眼の力で攻撃を受けたと、そう推察されるのですね?」

「魔王を脅かすほどの力が他に存在するのか、という逆説ですよ」

 更田の科白にプロメテウスは考え込む。

「いや、だが眼はどうやって奪った?」

 口を挟んだのはアルタイルだった。

「王の魔眼だ。どれほどの力があったか計り知れん。致命傷を与えた要因は当たっているやもしれぬ。ただ、眼を手にしなければ前提は崩れるだろう。しつこいようだが、この部屋には千年王以外の魔力の発動はなかった」

「いえ……」

 ふとプロメテウスが思いついたように呟く。


「下賜されたのでは」

「何?」

「陛下自ら、片眼を弑逆者にお譲りになったのでは、と」

 アルタイルが驚愕に目を瞠き、プロメテウスは蒼白となる。ソルは渋面のまま言葉を失った。

 不可解な表情で、更田が腕を組み首を傾げる。

「ええっと……先代殿が? なんでまたそんなことを?」

「気まぐれな方だったのです」

 プロメテウスは深く息を吐いた。


「頓着しない方でした。過去には妃を迎えるにあたり、求められるがままその御髪をお与えになったこともありました」

「髪と眼じゃ随分違うと思いますが」

「同じです」

 言い切られ、場が沈黙する。

 最も長く仕えた側近であるプロメテウスが判じるのであれば、魔王の性格からして信憑性の高い仮説なのだろう。


 どうしてなのか。

 更田は不思議に思う。


 自らの象徴とも言える金色の瞳すら簡単に譲り渡し兼ねないという人柄は、気まぐれや無頓着では済まない危うさがある。

 その力、その肉体――その生命さえ価値なきものと捨て置いたのだとしたら。

 本当の意味で魔王が「死ねた」理由が、更田にはぼんやりと解った気がした。妙に切ない気分になり、仰ぐように頭上を見遣る。


 天井は硝子越しに空に通じていたが、降りしきる雨に妨げられ視界の先は暗い。天窓に張り付いているルナも、この天候では何も見えないだろう。

 更田はルナを見つめる。

 ルナが振り返る。



「さらだくん!」



 唐突だった。

 後輩の名を呼んだルナは、突然天窓を突き破り外へ出た。硝子が割られた隙間から、激しい雨が室内に侵入する。同時に外の空気も舞い込んだ。

「先輩!」

 即座に状況を察して、更田もルナの後を追う。


 いやな……とても不快な気配だ。


 世界の均衡に影響を及ぼすほどの、禍々しい魔力の迸りを感じる。それも急速に広がっている。

 豪雨の中、ルナと更田は遥か空中から王宮の敷地全部を見下ろした。

 辺りは黒一色に染まっていた。

 黒い靄、黒い渦、捻じれる黒い力の波が、後宮の奥深くから王宮すべてに侵攻しつつある。

「先輩、あれは」

「うん……多分、中身」

「卵の? じゃあ……」

 雨で視界がはっきりしない中では判別が難しいが、近くでみれば一目瞭然だ。

 寵妃が拘り、自身や屠った他者の魔力、或いは生命力を注いでまで育てていた執着の対象など……魔王以外にはあり得ない。


「魔王の髪……」


 下界はすでに黒髪の海に沈みかかっている。

 何故か予め宮仕えの多くは避難させていた形跡があり犠牲者は少ないようだが、逃げ遅れ呑み込まれた者も皆無ではない。

「さっき宰相殿の話で、先代殿が寵妃に強請られて髪をプレゼントしたとか言ってましたが」

「うん……つまり、そういう形代を持ってたから、怪しげな禁術に手を出したんだろうね。想像するに、肉体の再生、つまりクローンを作りたかったらしい」

「失敗しましたか」

「増殖しただけだったね」


 卵の殻は増え続ける魔力を閉じ込める檻だった。今回、ルナや更田はまだ知らないことだが、シャランが封じを破った形となった。ただ、放置しておいても早晩許容量を超えて卵は割れていただろう。その時には手遅れだったかもしれない。

「先代殿の魔力を帯びた髪、か」

 制御もなく解き放たれれば、世界を脅かす危険極まりない代物だ。

 ただでさえ、魔王の死後15年間、世界は一度も「調整」されていない。何がきっかけで淀みが溢れ、天変地異を引き起こすかわからない。


「誰が後始末すると思ってるんでしょうね」

「更田くんだよね」

「気まぐれとかで微妙な遺産を残されても困るんですが」

「今更言われても」

「……せめて建設的な意見はないですか」

 拡大する黒髪のうねりは大蛇の群れにも似て、縦横無尽に動き回っている。確かにあの勢いでは更田でさえ迂闊には手を出せないだろう。


 ルナは微かに嘆息し、案を述べた。

「魔王の居室にいったんあれを封じ込める」

「さっきの建物に?」

「多分もともとそういう思惑だったよね?」

「まあ、そんなところでしょうね。封印できそうな建物が解放されていて、尚且つ封印ができそうな俺がいるタイミングで、あの髪を始末するっていう。シャランを動かしたいのは承知してたんで、時間稼ぎには乗ってあげたんですが」

 実行役のシャランすら知らされていなかった上司の目論見を、二人は正確に言い当てた。

「問題は、予想よりも大分、外部魔力の蓄積が多かったこと」

「このままじゃ納まりきらないですよね」

「うーん……」


 顎に指を当てて、ルナは思案する。

 端的に言えば、栄養過多により増殖が止まらない状態だ。核となる本来の髪はほんの僅かな量だっただろう。

「……いけるかな」


 ぽつりと呟くと、ルナは急激に高度を下げた。

 更田の制止の声も振り切り、半ば引き入られるように漆黒の海にも似た射千玉の闇の中へと飛び込んだのである。

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