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16.寵妃

 束の間でも愛する相手に触れてもらえたのが、アナスタシアの誉れであり誇りである。

 父親が中央でそれなりの地位にあったため、幼い時分からよく王宮へ上がった。手が届かないと半分諦めながらも、遠目から憧れの存在を眺めた。

 美しさで言えば中性的な風貌の宰相に傾くが、一度でもあの金の瞳に吸い込まれれば、抗うことはできない。魔力の奔流に魅せられ、紡ぐ言葉のひとつひとつが官能を呼び覚まし、アナスタシアの想いを溢れさせる。


 王の目に留まるよう、アナスタシアは努力した。

 姦しい女は鬱陶しいらしい。

 大人しいだけの女も物足りないらしい。

 可愛らしい女は子ども扱いされるらしい。

 妖艶な女はあざとく映るらしい。

 清楚な女か、気高い女か、家庭的な女か、理知的な女か、柔和な女か、厳格な女か、穏やかな女か、朗らかな女か、母性か、庇護欲か、色香か、優しさか……お気に召すのはどんな女か。

 噂を頼り、研究し、僅かでも誉められたところを伸ばし、突き放されたときは反省し、アナスタシアは少しでも想い人に相応しくなれるよう自分を磨きあげる。

 やがて、機会が訪れる。前の妃が天命を全うし、その席は空となった。

 アナスタシアは選ばれた。


 歓喜した。

 勿論想いが受け入れられたなどと増長するつもりもない。

 ずっと憧憬の先にあった存在に気まぐれを貰っただけだ。

 戯れでもよかった。

 男の欲を散らす伽の道具に過ぎなくともよい。

 傍にいられれば満たされた。

 愛されなくていい。

 アナスタシア自身が愛していればそれでいい。

 

 愛している。

 

 だからアナスタシアは彼の王がただ、

 ……生きてそこにいるだけで良かった。


 でもあのひとはいってしまった。





「ですから……わたくし、どうにかしなければ、と思いましたの」

 虚ろな眼差しでアナスタシアは宙を見る。

 否、天井に潜む侵入者を睨む。

「邪魔をしにいらしたの? どなたの犬?」

 寵妃の微笑みは儚げですらあるのに、誰何の言葉は刺々しい。


「身のこなしからすると、野蛮なアルタイル様の犬かしら?」

 軍人は嫌い。

 無骨で傲慢で図々しい元帥は大嫌い。

 だいたい彼の王に軍備など要らないのですもの。

 あの方だけですべてを蹂躙できるでしょう?


「それとも賢しいプロメテウス様の犬かしら?」

 宰相はもっと嫌い。

 彼の王の半生に寄り添うなど羨望の極み。

 誰よりも王に近しく右腕の地位を独占し、馴れ馴れしい仏頂面が大嫌い。

 あの方は孤高の王であるべきなのに。


「まさかソル様の犬だとでも?」

 あの子どもが最も嫌い。

 長じてからは本当に王によく似た、瓜二つの容姿が大嫌い。

 過去王の目に留まった他の女との子どもの末裔など存在だけでも厭わしい。

 殺したいほど憎い。


「……それとも?」

 次代を名乗る少年の手の者か?

 ああ、それだけは赦し難い。

 

 魔王の死など認めない。


「ふ……ふふ……」

 アナスタシアは歪んだ笑みを更に濁らせる。

「よろしい」


「ならば消えてくださいまし」






 ◆ ◆ ◆



 半日ほど前に遡る。


 一時拘束されたシャランは、上司の手により秘密裏に解放された。もともと画策していたのだろう。

 同時に密命を下される。

 魔王の居室が開かれ、衆目がそちらに向かう隙を潜り抜け……潜入せよと。

「後宮、ねぇ」

 正直気は進まないが、折角の御膳立てだ。おそらく更田も一枚噛んでいる。当人は魔王殺しなど塵ほどの興味もないのだから。

 鬼が出るか蛇が出るか、王の花とかいう気味の悪い毒花を制するには毒を冠するシャランが適任と判断されたのだろうか。

「戦場は違えども、ってわけ?」


 実際後宮に忍び込んだシャランは驚愕した。

 王宮でも抜きん出た魔力の匂いもさることながら、この殺伐は形容し難い。

「おっそろし……」

 シャランは見た。

 夥しい数の死の気配を。

 氷漬けになった女官達の亡骸が後宮のあちらこちらに転がっていた。いくら後宮が忌避された無法地帯でも、ここまでの惨状は想定外である。

「放置し過ぎるのも問題だよね」


 男共の迂闊さに舌打ちしたい気分だ。

 侮り過ぎである。相手は世界の頂点の伴侶を獲得した勝者、並み居る恋敵を蹴落とし地位を得た魔性なのだ。粘り強さも執念も狡猾さも必要以上に持っている。

 最も警戒していた元帥とて、真の意味では危機感を抱いてはいなかっただろう。功績で成り上がった臣下と色で付け入った寵妃では異なり、覚悟も実力も比較し得ないと思い違いをしている。

 持って生まれた能力を十全に利用、或いは活用した点は何ら変わらない。手段を選ばない分、女の方が効率的なくらいだ。

「ヤバい方向に全振りしたら、こっちのが怖い」


 愚かだが絶望もせず破滅も選ばず、ただ一途に失われた唯一を想う。

 知恵も才覚も努力も忍耐も含めた己のすべてを、躊躇いもなく恋だの愛だのに投入する相手だ。油断すれば足下を掬われるだろう。

 多くの兵を率い教え、養子とはいえ子を育み、様々な局面で常にひとと接してきたシャランは知っている。

 ひとは各々個性はあっても、そう変わらない。

 知能があっても、手先がどれほど器用だろうと、余程の天才でも……それこそ魔王でもない限り、個人の能力の差など分野ごとの違いはあれど、集約すれば一にも満たぬ微々たるものでしかないことが多い。たとえどんなに矮小な存在であっても、全力で挑まれてどうして片手間で敵うと思うのか。

「自分が出来る奴に限って勘違いするよね」


 死屍累々の氷の檻を横切り隠れ、慎重にゆっくりと後宮の奥へ奥へと進むシャランは、冷え冷えとした空気と心境に耐えながら、たっぷり半日近くは時間をかけて目的地へと辿り着いた。

 正確には目標の頭上、部屋の天井裏に忍び込んだのだ。


 

 だがやはり目論見は甘過ぎた。

 完全に気配を消していたはずの戦士の技を、女の本能が凌駕する。


 ……見つかった。


 咄嗟に反応し緊張感に身を捩ったとき、虚空を眺めるだけに見えた毒々しい視線は、天井越しにはっきりと侵入者を捉えていた。

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