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12.思い出

 小さな子どもが壮麗な庭園ではしゃいでいる。

 神秘的な庭を埋めている貴重な花々は、ほぼ交流不可能とされる別の世界、自分たちとは違う生態の「人間」が住む世界から、かなり古い時代に流入してきたものらしい。

 庭の隅には銀で彩られた四阿があり、よく似た顔立ちの男が子どもを見守りながら寛いでいた。血縁ではあるが実の親ほど近しくはない。

 傍らには美しい女が腰を掛けていた。細く透ける金の髪が、男の金色の瞳と調和している。手ずからお茶を淹れる所作も楚々として控え目に見えた。


「ソル様は、愛らしいこと」

 女が子どもを見つめ穏やかに微笑む。

「王にそっくりでございますね」

「先祖返りなど珍しくもない」

 熱もなく男が言う。たとえ身内への愛情を抱いていたとしても、外からは窺い知れない。

「わたくしは……わたくしも、いつかは」

「アナスタシア」

「お情けを、いただきとうございます」


 普段は大人しく嫋やかな女が常になく強く望みを口にする。

 男は特に情を動かされた様子はなかったが、あっさりと首肯した。

「妃になればいい」

 閨の相手など誰でもいい。

 伴侶を迎えるには残酷に過ぎる心の内を、男は悟らせない。否、知られても構わなかった。彼女に限らず、女への扱いは至って粗雑だ。だのに大抵の女は夢見がちで、男に幻想を抱く。

「よろしいのですか」

「構わない」

「なんという……ありがたき幸せ」


 女は頬を上気させ赤らめた。思いもかけぬ幸福に酔いしれる。

 おこがましくも愛されているとまでは思わなくとも、至高の存在に近づけるきっかけを与えられた。寵愛を狙う多くの美姫を差し置いて、男の隣に立つ権利を勝ち取った愉悦に震える。

「さすれば、証をお与えくださいまし」

「何か?」

「指輪でも腕輪でも首飾りでも髪紐でも。何か、何でもよいのです。御身に触れたものを御下賜いただきたく」

「身に近ければいいか」

 ともすれば強欲にも思える女の要求に、男は初めて興味を抱いた。


 ふと思いついて、魔力で風の刃を生じさせ、自らの髪を切り落とす。

「な……」

 突然の暴挙に、女は驚愕し息を吞んだ。

 男は躊躇いもなく黒髪の束を女に授けた。

「私に最も近い」

「あ、あ……ありがたく」

 白い衣服の裾を汚すのも厭わず、女は跪き叩頭し、王の一部を拝領した。

「ただの髪だよ」

 何の思い入れもないものにつまらぬ反応をする。

 男はすぐに女への関心を失った。





「どうされました?」

 久々に顔を合わせた宰相が魔王の短くなった黒髪にぎょっとする。

「ああ、アナスタシアが何かほしいと言うからね」

「……また、あなたは」

 暇潰しの気まぐれに妃を娶るのはいい加減自重してほしい。

 そこらの女よりも余程麗しい容姿の宰相は、剣呑な面持ちを更に厳しくする。


「ロメゥ」

 魔王は気安くお互いしか知らない略称でプロメテウスを呼ぶ。

 妃よりも子孫よりも他のどんな側近よりも、魔王とプロメテウスのつきあいは長い。二人だけの際は気楽な言葉を交わすこともある。

「色々お前に任せきりで、悪いとは思ってるよ」

「実務は仕方ありません。差し当たって先日『守護者』を配していただけたので、地方の制御はかなり楽になりました」

「ただの人形に過ぎないから、不具合があったら言えばいい」

「いえ、あなたは魔王本来のお務めを」

「誰が千年近くも治めていると? そう……20年程度はたとえば一切『調整』などしなくても世は荒れない」


 辟易と魔王が吐き捨てる。

 千年に届く歳月を永らえた魔王も流石に飽くのだろう。半数を付き従ってきた宰相にも理解できる心情だ。

「ソル殿下が噂通り後継であれば」

「ない」

 魔王は即座に否定する。

「私が生きているうちは継承は起こらない。それに王の力は今在る者の内からではなく、新たな……最も新しい生命に移るものだからね」

「何せ継承の儀を知る者などおりませんから」

「確かに」

 文字通り千年も前の伝説であろう。二人は互いに苦笑する。

 ただ、無垢な子どもがわざとらしくもてはやされ持ち上げられ、薄汚れた野心や保身の獲物とされるのは愉快ではなかった。


「ロメゥには苦労をかける」

「結局こちらで対処すると。ええ、構いませんが」

「頼む」

 魔王の呟きはやや愁いを帯びていた。

「……いつか……も」

「陛下?」

 遠くなる声に耳を立て、プロメテウスは訝しむ。


「いつか、私がいなくなっても」


 頼む、と今度ははっきりと聞こえた。






 ◆ ◆ ◆



 麗しき宰相は微睡から醒める。

 自身の執務室で仕事中、疲労感から椅子に座ったまま少し目を閉じたところ、意識を飛ばしてしまったらしい。


 部屋の扉が叩かれた音に気づいたプロメテウスは、慌てもせず入室を促す。

「どうぞ」

 鋭い翡翠の瞳が相手の姿を捉えた。本当によく似ている。

「ソル殿下……直接こちらへいらっしゃるとは珍しいですね」

「元帥がじき戻ると」

 プロメテウスの仕えた彼の王と同じ声音でソルが告げる。

「オートロードとやらは、達成したようだ」

「そうですか」

 最後の守護者は死ねたのか。僅かな感慨をもって、プロメテウスは変化を受け止める。


「なにゆえ」

 ソルは怪訝そうに訊ねた。

 魔王の子孫は幼い時分からは想像もつかぬほどの猜疑に満ちた面持ちで宰相を見る。無垢で無邪気な子どもの面影は、もはやプロメテウスの思い出にしか存在しなかった。

「あのような条件を、何故?」

「不思議ですか?」

「元帥の言は理解できる。だが宰相よ、其方は」

 何を考えているのだと言外に尋ねられ、プロメテウスは皮肉気に口端を上げる。若輩を嘲笑うかにも見えた。

「其方は千年王の、忠実な臣下ではなかったか?」

「ええ、そうですよ」


 プロメテウスは平然と肯く。

 ソルの非難が何処にあるかは理解していた。魔王の死の真相を賭けの道具のように扱ったのが不敬と捉えられたのだろう。

 王宮で起きた凄惨な事件は語ることを忌避され、誰もが口を噤む。重鎮である宰相が何故今自ら禁忌を犯すのか。ソルの疑念は尤もだった。


「時間がないからです」

「何?」

「あの方が没して既に15年……おそらく、あと5年、いえもっと早まる可能性も」

「何の話を」

「猶予ですよ」

 追及するソルを、プロメテウスはこれ以上語るつもりはないと冷淡に拒絶する。

 もとより、両者は胸襟を開くような好意的な間柄ではなく、むしろ為政者としては政敵同士である。

「其方はいったい……」


 はぐらかされて、ソルは珍しく苛立ちを露にした。責める意図を隠そうともせず、プロメテウスの痩身にずいと迫り、一歩近づく。

 ソルの右手がプロメテウスの胸ぐらを掴むかに動いたそのとき、急報が入った。

 次代候補が再び王宮に現れた、と。

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