11.謎
シャランは通信用の魔法陣の前で上司の指示を待っている。
悪態を吐いてもある意味信用している相手だ。
能力は言うまでもないが、勿論まったく人格者でもあり得ないが、寧ろ計算高く容赦ない鬼畜めいた性格でもあるが……上司であり師であり恩人には違いない。
「よく考えたらブラック企業じゃね?」
あちらでしか意味の通じぬはずの単語をふと呟くと、威勢よく反論を受けた。
「労働基準法って大事だと思う」
異世界で学んだ法令を口にする。
相手は興味深げだ。
「学術的関心もいいけど」
過労死する前に訴えると強く主張する。まったく前時代的に個人の裁量に頼るのは如何なものか。
「オートロードを育てたことについては不服はないよ? 拾って育てるは千年様から引き継いだ伝統でしょう?」
困ったように言う。
シャランは上司に育てられた。その上司はかつて千年の魔王に救われたのだ。
「なんかねー……迷ってるように見えるよ」
養い児にしては珍しく、とシャランは指摘する。
あちらの「人間」を巻き込むという不手際については敢えて上司には言及しないが、そつなく振る舞う性格からしたら……多分にらしくない。
育ての親で年長者のシャランが気遣わないのも不親切だろう。
心当たりがあるのか上司は徐に伝える。
王宮を牛耳る権力者が次代魔王に課した試練はひとつではなかった。
「誰が魔王を……ってまぢですか? 聞いてないんですけど?」
初めて聞く難問に、さしもの女傑も渋面を作る。
そんな15年も解けない謎を新参に投げかけるなど、出題者は性格が悪すぎる。
「ないわー」
しかしこれで、当面の目標は定まった。
「了解、寵妃の件は棚上げかな。とりあえず、殺人事件を追いますか……」
ひとまず王宮に行かないか、と居間に戻ってきたシャランが提案すると、若者たちからはそれぞれ消極的な声が上がった。
「別に用ないです」
「折角先輩と会えたのに……あんな殺伐としたところに戻るのは遠慮したい」
保護者の居ぬ間に不自然な接近を果たしていたにも拘らず、両者とも悪びれもせず平然としている。まったく可愛くない。
長年厄介な養い児の親稼業を務めてきたシャランは動じなかった。子どもの我儘など日常茶飯事だ。
「オートロード、あんた宰相閣下から厄介な謎解きを請け負ったとか」
「ああ、あれ」
「千年様を弑した犯人探しって何それ?」
「文句は宰相殿にどうぞ」
更田は肩を竦めた。
王宮で元帥アルタイルとは別に宰相プロメテウスに出された宿題を、決して忘れた訳ではなかった。
寵妃の件は置いておくとしても、緑林山制圧でアルタイルは一先ず新王の台頭に異は唱えまい。代理として立つ魔王の末裔ソルは、真意は兎も角表向き対立はしないと言う。
宰相の思惑は不明だ。
そもそも誰が魔王を殺したかなど、口に出すのも憚れる禁忌ではないか。
「犯人探し?」
「ちょっと王宮の偉いひとにテストされてまして。宰相殿からは先代の死因だか犯人だかを調べてほしいと」
訝しがるルナに、更田が気まずそうに説明した。
「なんで?」
「さあ?」
ルナは不思議に思う。
「シャランさんは前に言ってましたね。犯人が同一人物とか」
「千年様を狙った犯人がオートロードの敵って可能性ね」
「気になってました。どうして魔王は『殺された』と言われているのか」
何が気にかかるのか、とシャランが逆に問い返し、更田は思い当たったのか軽く頷いた。
「誰が……魔王を『殺せる』のか?」
「あーそゆこと」
シャランも得心がいく。
超越者たる千年の魔王は、その魔力も凄絶であり、容易に敵対し得るものではない。いったい何者が魔王の力を脅かし、抗わせなかったのか。
「千年も生きてるなら、本当に寿命でも不思議ではないでしょう?」
実際に公式では老衰死(この世界の住人は外見はまったく老いないが)となっている。嘆き悲しんだ民は多いが、殆どは納得したはずだ。
「宰相殿の妄想……だとちょっと困るな。居もしない犯人をどう探すか」
「そういう課題なんじゃ?」
「復讐か懲罰名目で粛清しろって?」
気が乗らなそうに、更田はあの鋭利な刃物を思わせる眼差しの裏を想像する。如何にもあり得そうだった。
だがシャランは否定した。
「いや……確かに謎だけど、千年様は『殺され』てるんだよ」
勿論世間には知られていない事実だと前置きし、シャランは続けた。
「だからね、やっぱり一度王宮に行くべきだと思う。現場だから」
以下は伝聞である。
千年を治めた魔王の最期は王宮の自室だった。
室内でひとり、王は倒れている。
発見したのは身の回りの世話する古参の侍女だったという。
悲鳴に呼び寄せられ、王の近侍らが室内に入る。
誰もが信じられなかった。
魔王が、千年を生きた万能の王が、世界の覇者が、万物の支配者が、
ああ……死んでいる。
多量の血液が白い床に赤く紋様を描く。
その両眼は抉られ、
両手両足は捥がれ、
心臓の位置に大きな穴が穿たれていた。
……左右いずれかは知れぬが、金の眼球はひとつ、今もなお見つかっていない。