同じ夢を見たい
小さいころ、英雄譚が好きだった。
それ自体、何もおかしなことはない。
この国に生まれたほぼすべての子供たちは、ヘルトの物語に憧れ、英雄になりたいと夢を見る。
特に初代英雄家当主・オーヤ・ヘルトの物語は、歴代ヘルトの中でも圧倒的な人気を誇り、ファンも多い。
私もそのうちの一人。
ただ、私が他の子たちと違ったのは、太陽のように光り輝くオーヤ・ヘルトではなく、それをずっと支え続けた『影』に憧れたこと。
英雄譚の中では、比較的地味な書き方ばかりされるその人物。
決して主を裏切らず、時に汚れ役を引き受け、敵をせん滅する。
己が光を浴びることはない――それでも、主と同じ夢を見られるのならばかまわない。
そんな生き方に憧れ、親と同じ『影』としての生き方を選ぶのに、迷いは一切なかった。
正式に影の一員となり、『ツエル』の名と、ある権限をもらった私が真っ先に向かったのは、ヘルト家特別書庫保管室。
ヘルト家および影に所属している人間でなければ、立ち入りが制限されるその場所で、私は目的の書物を見つけ手に取った。
チエーニの手記
それは、私の憧れた人物――影の設立者『チエーニ』が書いたとされる書物。
影で主を支えたという立場上、チエーニに関する書物はほとんど残されていない。
だから私は、この書記を読むのをなによりも楽しみにしていた。
ああ、一体どんな輝かしい活躍が書かれているのだろうか?
そんな期待を胸にして読み進めたそれは、私の予想していたものとは全く違っていた。
そこに書かれていたのは、後悔と懺悔の記憶。
主であり、親友でもあったオーヤ・ヘルト。
そのオーヤを信じられず、裏切り、死なせてしまったことを悔やみ続け、その思いを残したまま生き続けたことが綴られていた。
ショックだった。
信じていた英雄像が、頭の中で崩れ去っていく感覚がした。
同時に怒りも沸いた。
なぜ、最後まで信じられなかったんだ。
なぜ、裏切ったんだ。
なぜ――
そんな怒りと共に、ある思いが生まれた。
私は絶対に主を裏切らない。
例え何があろうと、誰一人として主の味方がいなくとも、世界の敵になろうとも、最後まで付き従おう。
そう思える主を見つけ、この忠誠を捧げよう。
チエーニが叶えることのできなかった、主と同じ夢を見るために――
それは決意であり、覚悟であり、譲れない夢。
今の私という存在が生まれた瞬間。
たった一度しかない人生を、まだ見ぬ主のために尽くすと決めた瞬間だった。
多くの者たちが途中で脱落する影の訓練も、何一つ辛くなかった。
絶対的なモチベーションが私の中にはあったから。
けれど、私が生涯仕えたいと思える相手は、なかなか見つからない。
真っ先に候補に挙がるヘルトの人たちは、私が支えるには強すぎた。
ヘルトの目指す強さは、完成された強さ。
言ってしまえば、一人で何でもできてしまう存在であり、セーヤ様はその象徴とも言える。
もしかすると、ヘルトに仕えていては私の夢が叶わないかもしれない。
そう考えていた時、トーヤ様の存在を知った。
落ちこぼれ、魔力なし、才能なし、トラブル製造機、転んだら起き上がる前に人の足を引っ張るクズ。
聞こえてくる噂はひどいものしかなかったが、この人ならもしかしたらと思った。
トーヤ様に仕える、その機会が訪れたのは15の時――
ーーーーーー
「それからは、トーヤ様も知っての通りです。トーヤ様は、私の想像していた以上の人物でした。誰よりも苛烈で、誰よりも破天荒で、誰よりも問題児で、誰よりも英雄らしく、そして――
誰よりも仕えたい、そう思った」
ツエルの語る夢と、その夢を持つに至った経緯。
それをトーヤは黙って聞き続けた。
「私の夢は、トーヤ様といることで叶えられる。トーヤ様の隣にいる以外の未来は、私には必要ないんです。どうか、私を傍において下さい! トーヤ様と同じ夢を見させて下さい!」
「ツエル、お前……」
懇願するツエルにトーヤは何かを言いかけるも、思いとどまるように口を閉ざす。
「魔人に鬼族……それらの相手に私は遅れを取りました。ですが、今の私にはこの力があります」
ツエルがそう口にしたのと同時に、辺りには闇が広がった。
煙ではない。影でもない。
世界を覆いつくすように広がる闇としか表現できないそれは、まるで生き物のように蠢いている。
魔力を感じ取れないトーヤでも、その闇が恐ろしい力を秘めていることが瞬時に理解できた。
「……これ、制御できてんのか?」
「もちろんです。マヤさんにも協力していただき、完璧にこの力を制御下に置くことができました。この力があれば、どんな敵からもトーヤ様を守って見せます。どんな敵だろうと打ち倒して見せます。殺せない敵を殺して見せます」
確かな自信と、目に宿る揺るぎない意思。
そんなツエルの姿を見て、トーヤは大きく息を吐いた。
「こりゃ何言っても無駄だな」
「っ! では――」
『連絡、連絡。本戦に出場する選手は、今すぐ会場3番ゲート前に集合してください。繰り返します。本線に出場する選手は――』
ツエルの言葉を遮るように響いたその音は、魔法による場内アナウンス。
本線とは、もちろん学園内頂上決定戦のこと。
出場予定のツエルは、アナウンスで呼ばれた人物に当てはまる。
「行ってこいよ。呼ばれてるぞ」
「しかし……」
念願の言葉を聞けるかもしれない絶好のタイミングでの呼び出し。
そのことに戸惑いを見せるツエルだが、トーヤはその戸惑いを解決させる言葉を告げる。
「戻ってきたら、今度は俺の夢を話してやるよ。親父でさえ知らない、ガキのころ抱いた俺の夢を」
トーヤの告げる言葉の意味、それを理解したツエルは顔に出る喜びを必死に抑えようとする。
「~~!! では、行ってまいります!」
普段声を張り上げることがめったにないツエル。
そんなツエルが、今日何度目かわからない大きな声を出し、元気よくトーヤの元を離れていく。
ツエルが離れ、一人になったトーヤに別の少女が近づく。
「盗み聞ぎとは感心しねえな」
「すいませんね。私は将来有望じゃないもんで」
「なんだよイン、拗ねてんのか?」
「そりゃ拗ねたくもなりますよ。影の同僚、それも同室で数年過ごした私には一切語ってくれなかった夢を、会ってたった1年のトーヤ様に話しちゃうんですから。あんな表情豊かなツエルは初めて見ましたよ」
不満気な顔を隠そうともしないイン。
そんなインの様子を見てトーヤは苦笑する。
「いいんですか? ツエルは巻き込まないって話でしたけど」
「しゃあねえだろ。あそこまで言われたら、さすがの俺だって絆されちまう」
その言葉通り、トーヤの表情はどこか嬉しそうだった。
「あと思ったんですけど、ツエルって――」
「イン、口に出さない方がいいこともある。俺だって開きかけた口をなんとか閉じたんだぞ」
「将来ダメ男に引っかかりそうですよね」
「言うなっつったろが」
トーヤによる制止の言葉を無視して告げられた言葉は、かなり辛辣なもの。
だが実際、トーヤの頭にもそれは浮かんでいた。
「あれは私が支えなきゃ~ってなるタイプですって絶対」
「いいじゃねえかダメ男でも。本人が幸せなら」
「部下にいい縁談持ち掛けるのも上司の務めですよ。というわけで私に良い男紹介してください。お金さえ持ってればある程度は妥協します」
「全身が灰色で体長が15メートルほどあるやつならすぐ紹介してやるよ」
「すいません、せめて同族でお願いします。というか、それトーヤ様がメリダさんから借りてる灰竜のオスですよね?」
わがままな奴だとつぶやくトーヤに、インはさらに食って掛かる。
そんなくだらない口論をしばらく続けたのち、インは本題を思い出しトーヤに伝える。
そもそもトーヤの前にインが現れたのは、それを尋ねることが目的だった。
「今日の計画の方はどうするんですか?」
「予定通りだ。なんの問題もない。
英雄らしく、組織に利用される哀れな少年を救うとしようか」
一人の少女の運命が大きく変わったこの日、一人の少年の運命も大きく変わることになる。




