ネズミ狩り
イースの決闘が行われてから数時間後。
時刻は夕方、もう少しで日が完全に沈むころ。
人目のつかない校舎裏で、一組の男女が言葉を交わしている。
「ほんと助かったわデイル。『イースにメインを使わせろ』なんてとっさの無茶ぶりに答えてくれて。トーヤ様の気まぐれにも困ったものね」
「少し強引すぎた気もするが、あの1年がイースを指名してくれたのは助かった」
「ま、決闘自体が盛り上がったおかげで、その強引さも有耶無耶になったからいいんじゃない? ああ、それと……あのときのあんた、けっこう本気で怒ってたでしょ。会長さんのこと、思いのほか気に入ってる?」
どこか楽しそうな笑みを浮かべる少女は、真面目な表情を崩さないデイルとは反対に軽い調子で告げる。
「イン、それは今この場において必要なことか?」
「ないでーす。はあ……どうして私の同期ってこうも堅物ばっかりなのかしら?」
インとデイル、幼いころから影として共にヘルト家に仕え、脱落することなく育った二人。
またこの二人はトーヤ・ヘルトを支えるために、秘密裏に学園へと潜入する任務を受けている。
今この場で行われているのは、定期的に行われる情報交換。
「ところで、もう一匹のネズミに目星はついているのか?」
かなり情報量を削ったデイルの問いだったが、インはそれだけで質問の意図を理解し、さらに理解したうえで鼻で笑う。
「こっちは10年近く、国家レベルで養成されたスパイ相手にしてるんだから。あんな見るからに急ごしらえのスパイなんて、一目見たら違和感しか感じないっての」
くだらないこと言わないで、とばかりに不満をぶつけるイン。
デイルは気にすることなく言葉を続ける。
「トーヤ様はなんと?」
「こっちで処理するから手を出すな、だってさ」
「そうか」
特に不審がることもなく、納得した様子を見せるデイル。
そんなあまりにも聞き分けが良すぎる同僚に、インは疑問を投げかける。
「トーヤ様が何をするつもりなのか、気になったりしないわけ?」
「気にはなるさ。ただ、ヘルトのやることに間違いはない。なら、俺のその思考は余分なもの。ただ命令にしたがうのみだ」
デイルの迷いのない返答に、呆れたようにインは笑う。
「ほんと、あんたのヘルトに対する絶対的な信頼は変わらないわね」
「あたりまえだ。500年という時の中で、築いてきた英雄としての実績は何よりも信頼に足る。俺だけじゃない、影のものはみなヘルトを信頼し、その命を預ける。むしろ、お前のように拝金主義者のほうが珍しい」
「誰が拝金主義者よ」
「ツエルとそりが合わないのも当然だ」
「おい無視か。……ったく、ほんとあんたって、ヘルトについて語るときは饒舌になるわね」
拝金主義者と言われたためか、インの言葉には少しとげがあった。
「まあいいわ、また進展があれば伝える。それまではデイルも生徒会の仕事、引き続きよろしく」
「わかった」
そう言うと、デイルはさっさとその場から離れていく。
残ったインは離れていくデイルの背中を見つめながら、消えるような声でつぶやいた。
「だからこそ私が選ばれたわけで。ツエルでもなく、デイルでもなく。
……皮肉なものね」
ーーーーーー
「ええ、最初はどうなることかと思いましたが、なんとかトーヤ・ヘルトの懐に潜り込む算段はつけられたようで」
『それは朗報ね。あの子からも連絡があったんだけど、その割にはあまり嬉しそうじゃなかったから、嘘の報告だったんじゃないかと危惧していたの』
薄暗い部屋で一人の少年、ケイ・シロバは一冊の本に向かって語りかける。
その本には魔法陣が記されており、魔法陣が光りながら、女の声らしき音が部屋に響く。
ケイ・シロバ
イースの友人である少年のその正体は、コクマによって派遣されたスパイだった。
ケイに与えられた任務は、イースの活動補助、および学園内の情報収集。
入学式でイースに話しかけたのも、学園についての情報を多く仕入れていたのも、イースに多くの助言を与えたのも、すべてはコクマのスパイであるがため、それだけだった。
『そうそう、トーヤ・ヘルトの情報はこっちでも調べているけれど、進展はほぼ無しね』
「俺もそれなりには調べていますけど、信憑性のない噂話ばかりです。あれほどまでに兄妹の情報はオープンになっているなか、トーヤ・ヘルトだけが、不自然なまでに情報がなにもない。徹底的に情報が操作されいますね。過去のヘルトでも類を見ないほどに」
『やはりイースに期待するしかないみたいね……強攻手段に出るにはまだ少し情報が足りない。あなたにも引き続き任務の継続、およびトーヤ・ヘルトの調査は任せます』
「了解」
ケイの言葉を最後に、魔法陣はその光を失う。
その本をゆっくり閉じ、ケイは一息つきながら椅子に深く座る。
「さて、あいつはしばらく生徒会の仕事とイベントの訓練にかかりっきり。しばらくはいつも通りの情報収集と、トーヤ・ヘルトの調査だけで大丈夫か……」
「えーなになに? 何が聞きたい? 好みのタイプは年上かなー」
それは背後からの突然の声だった。
ケイは椅子を蹴り飛ばしながら飛び上がる。
「うわっと、あぶねえな。もう夜中なんだからあんま暴れんなよ、近所迷惑だろ?」
「ッ!?」
振り返り、背後を見た瞬間、ケイは声の主を理解する。
それは自身の調査対象であり、昼間の決闘騒ぎの際に目撃した人物。
「……トーヤ・ヘルト」
「様をつけろ様を――なんて、敵に対して敬称で呼びたくないわな。しゃあねえ、さん付けでも勘弁してやろう」
トーヤ・ヘルト、その男はまるで、世間話をするかのような気軽さでケイに話しかける。
ふざけたやつだ、そう思いながらもケイは思考を加速させる。
周囲の確認は感知魔法で行っていた。
にもかかわらず、話しかけられるまで気づくことができなかった。
そうなると問題は、どこから聞かれていたか。
最悪の事態――それは先ほどの報告をすべて聞かれていた場合。
なんとか逃げ出して、スパイ行為がすべてバレたことをなんとかコクマに伝えなければならない。
だが相手はヘルト、簡単なことではない。
もしイースについて何も聞かれていないのなら、ここで自分の命を絶てば情報は漏れず、まだ立て直しは効く。
そんな期待を込めたケイの思考を、トーヤは一瞬で無に帰す。
「イースのことが心配か? いや、イースというよりコクマの心配か」
まるですべてを見透かしているかのような発言に、ケイは寒気を覚える。
だめだ、すぐに逃げなければ。
自分と部屋の扉の間には、トーヤが防ぐように立っている。
窓から逃げるしかない、そう判断したケイは動こうとした瞬間、何者かに首と左手首をつかまれ拘束される。
「ダメですよ、ちゃんと周りに気を配らないと。ま、配ったところで私のかっわいい妹の魔法は見破れませんけど」
声の主は女のものだった。
振り返ろうとするも、身体強化による力のためか、拘束を振りほどけない。
「誰か――」
ケイが学園に通うため借りているこの部屋は、表向きは一般的な共同住宅だが、実はコクマの機密物件であり、管理者もコクマの人間である。
そのため一か八か大声で叫び、助けを求めようとしたのだが、首を抑えられていた手が流れるように口元へ移動し、口を防がれる。
「トーヤもさっき注意したじゃないですか。近所迷惑を考えないといけませんよ、と」
口を防がれた手から、薬品のような匂いをケイは感じ取る。
しまった――そう考えた時にはもう遅い。
ケイの思考が突然不明瞭になり、だんだんと意識が遠くなっていく。
なんとか情報を残そうにも、もはや考える力は残っていない。
なすすべもなく、ケイは意識を手放した。
「それで、こいつどうするの?」
気絶して倒れたケイを見下ろしながら、魔法を解除して現れたラシェルが尋ねる。
「情報を抜き出すだけ抜き出した後、しばらくは協力者に頼んで優雅な生活を送ってもらうさ。上手い飯に、温かい寝床に、必要なものと欲しいものは大体なんでも手に入る。ないのは自由だけってな」
「それを監禁っていうんじゃないの?」
「監禁よりも幾分かはましだ。明確に犯罪者ってわけでもねえし」
ケイの今度の処遇について、あれこれと話すトーヤとラシェルの二人。
そんな二人をよそに、気絶させた張本人であるリリーは唸るように考え事をしていた。
「どうかしたか? リリー」
「いえ、たいしたことではないんですが……私とケイくん、かなりキャラ被ってましたよね?」
ほんとうにたいしたことなかった。そう考えトーヤとラシェルはリリーの発言を無視する。
「おちゃらけたところがありながらも、どこか謎があって情報通なケイくん。美人で可愛くて明るいながらも、どこか謎がある美人で情報通な先輩ポジションの私。ほら、だだ被りじゃないですか」
「ねえ、自分で美人とか言ってるんだけど。それに二回も」
「ほっとけ、下手にかまうとバカを見るのはよーく知ってるだろ」
あきれた素振りを二人は見せるも、リリーはまったく気にする様子を見せない。
「しかし私、花屋でもやっていける気がしますね。ドレスを身にまとえば王女、エプロンを身にまとえば看板娘。ああ、自分のポテンシャルが恐ろしい……」
「前から思ってたんだけどこの女、変な薬とかやってたりしない?」
「安心しろ。やっててもやってなかろうとも、とっくに手遅れだ」
「何が手遅れなんですか? トーヤの性格の悪さですか? そんなものは生まれた時から知っているでしょうに」
「……ほう?」
ほっとけと言ったトーヤ本人がまんまとリリーの挑発にのる。
これはダメだ、長くなる。
そう判断したラシェルは、一人でケイの拘束を始める。
「言っとくけどなあ、お前の花柄エプロン姿、絶望的に似合ってねえんだよ。う○こに花を添えたところで、う○このマイナスが帳消しになったりしないからな?」
「ちょっと、う○こはひどくないですか? あのエプロンの花柄は花屋のおばあちゃんが縫ってくれたものなんですよ? それをう○こだなんて――」
「お前がう○こに決まってんだろ。自惚れんな」
「仮にも王女をう○こ呼ばわりはさすがにどうかと思いますけど!? う○こはないでしょう、う○こは!」
「仮にも王女がう○こを連呼しまくるのはどうかと思うぞ」
「うるさいですよ。その汚い口を閉じてください、まともに魔法も使えないゲロ男。人類の下位互換」
「――!」
「――?――!!」
「――――!!!」
ラシェルの耳に、聞くに堪えない罵詈雑言の応酬が響く。
あらかじめ建物の住民を眠らせておいて正解だったと、ラシェルは心底実感する。
ケイを拘束し終え、しばらくすると罵り合いが終了する。
「もういいの?」
「ええ、この決着は帰ってからつけることにしました。物理で」
まだ続けるつもりなのかと、キレ気味のトーヤとリリーにラシェルは辟易する。
数分後、ケイを含め、その部屋には誰も残っていなかった。
テンションの差よね。
後半かなり汚くなってしまった。
ちなみに、別の作品も投稿始めました。
まったく雰囲気の違う作品ですが、ぜひ読んでみてください。
『未来の勇者のその隣で魔王は笑う』
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