また揉め事
最底辺の人間が住む場所、行き止まりの地。
とある国の一部に、そう呼ばれる場所がある。
そこでしか生きられなくなった者が集まり、泥をすすりながら生きている。
数少ない物資を日夜奪い合い、弱いものから先に死んでいく。
食物の育たない不浄の大地。
なにか食べ物が落ちていないか探し、常に下を向いて生きるため、空を見上げることなどありはしない。
子供はみな捨て子。
俺、イース・トリュウも例外じゃなかった。
物心ついた時からそこにいて、コクマに拾われるまでその生活は続いた。
『おーい、××くん――』
遠くで小さな少女が、自分に向かって手を振る。
この記憶の中で、唯一といっていいはずの光。
そのような感情を抱くにもかかわらず、なぜかその顔を鮮明に思い出せない。
あれはいったい、だれ――
ーーーーーー
「あら、イースくん、目を覚ましたのね」
イースが目を覚ますと、そこは生徒会室のソファの上。
生徒会長であるエマが、心配そうにイースの顔を覗いていた。
「あの、俺は一体……」
「覚えてない? 先生相手に、食べたものが、別れた恋人の手料理の味しかしなくなる魔法をかけたSクラスの生徒を追いかけてた時のこと」
「ああ、そういえば――」
イースの意識がだんだんと覚醒し、記憶が鮮明になっていく。
この学園に入学して、はや一ヶ月。
『昔を思い出してつらい、どうにかしてくれ』という教師からの相談を受け、Sクラスの生徒を追いかけるという、いつも通りに生徒会の仕事をこなしていたときのこと。
追い詰められたSクラスの生徒が、突如として放った魔法。
ガスのように噴射された魔法から隣にいたエマをかばってくらったことをイースは思い出す。
「イースくんのくらった魔法だけど、意識を失うだけで害はないみたいよ」
意識を失うのは害ではないのか?
と考えたが、イースは口にするのをやめる。
この一ヶ月で、生徒会メンバーの認識がおかしいのは把握していた。
意識を失う程度、害でもなんでもないのだ。
「仕事の方はいいから、しばらく休んでて」
エマの言葉に甘え、イースはしばらくソファで身体を休める。
それと同時に、この一ヶ月のことを思いだす。
最初こそ順調だと感じていたトーヤ・ヘルト調査の任務だが、現在予想以上に難航していた。
なぜなら入学して一ヶ月、今だ直接トーヤ・ヘルトと接触できていないからだ。
トーヤの在籍するSクラスに何度か行ったこともあるが、タイミング悪く会えず。
2年Sクラスの授業を見学したこともあったが、まともに授業に出ていたのは数人だけで、その中にトーヤはいなかった。
ここまでくると、意図的に避けられているのでは?との疑問まで浮いてくる。
コクマに対していい報告ができないことに、歯がゆい思いが募る。
そしてなにより、イースを焦らす事件がまた昨夜に起こった。
『コクマ支部でまた盗難! シール王国コクマ第18支部で被害』
それが今日の朝、王都で瞬く間に広まった事件の内容だった。
前回の第3支部の被害から、ひと月ほどの期間で繰り返された犯行。
もはやコクマのメンツは丸つぶれに等しい。
相変わらず、そのコクマからイースに対する連絡もなかった。
イースからの連絡の際、尋ねてみたこともあったが――
『こちらで対処するから任務に集中しなさい』
上司からはそう一蹴されるだけ。
どうすればいい?
自分はなにができる?
焦りと共に、そんな疑問がイースの中でひたすらめぐる。
「会長! 魔具研究棟近くの訓練場で揉め事が!」
勢いよくドアを開け、叫ぶように告げられる報告に、イースの思考が一時停止する。
報告したのは、生徒会役員の一人であるコントンだった。
「Sクラスの生徒と一般生徒が言い争いをしていて、今はデイルが一人で対処しています」
「わかった、私も行くわ」
「自分も行きます」
応援要請に答えるエマに続き、イースも返事をする。
「イースくんはまだ休んでていいのよ?」
「いえ、もう大丈夫です。それに……今は何かをしていたい気分ですので」
「ならいいのだけれど、無理はしないようにね」
「はい」
三人は生徒会室を出て、問題の訓練室へと向かう。
ーーーーーー
「いい加減にしてよ! 今日この訓練室を予約していたのは私たちでしょ!」
「だから譲れといっているんだ! お前らみたいな一般庶民が使うよりも、俺たちのような人間が使う方が有意義だろう!」
「うっわ、横暴! 強引! 最低! 階級コンプレックス!」
「っ! 貴様!! 身分の違いを理解していないのか!!」
イースたち三人が訓練室へと到着したとき、口論はかなりデッドヒートしていた。
貴族らしき少年たちと、平民らしき少女たちが口汚い言葉を投げ合っている。
すでにどちらが手を出してもおかしくない――そんな状況だった。
生徒会のデイルが、間に入って必死に止めようとしているが、焼け石に水といったところ。
騒ぎを聞きつけた野次馬たちも、ちらほらと集まっている。
「……どちらが悪いかは明白じゃない? あっちの男の子たちがルールを守らずに、訓練室を使おうとしているように聞こえるけれど」
「それが、少女たちの方も先に予約していた者から、強引に権利を奪ったみたいで……」
「どっちもどっちってわけね。ちなみにSクラスなのは?」
「少女たちの方です」
エマとコントンの会話で、イースも大体の状況を把握する。
「うっせえな、ったく……」
不意に聞こえてきた愚痴のような声。
イースは声のした方を振り向くと、訓練室に備え付けられた長椅子に、横になって眠っている人物がいた。
光を遮るため上着を顔にかけており、その顔は確認できない。
外してあるネクタイの色が青であることから、2年であることはわかった。
なんにせよ、よくこんな状況で寝られるなと、イースはある意味感心する。
「とにかく、私たちも止めに行くわよ」
エマの指示により、イースたち三人がデイルに加勢しようと近づいた時だった。
「この女……!」
ついに怒りが抑えきれなくなった少年たちのうち一人が、少女たちに向かって手を上げようとする。
当然、すぐにデイルが止めに入る。
しかしそれと同時に、少女たちのうち一人が、待ってましたと言わんばかりの表情で、少年たちに向かって魔法を放とうとする。
「あは、そのままふっとんじゃえ」
デイルは少年のほうを止めている。
イースたち三人の距離はまだ遠い。
少女の放とうとする魔法は止められない――はずだった。
「そこまでだ」
それなりにあったはずの距離を一瞬で詰めたイースが、少女の腕をつかんでいた。
あまりのことに少女も驚き、手に集めていた魔力が霧散する。
「双方落ち着いて。この場は生徒会が預かります」
少し遅れてエマがその場にたどり着く。
「ちっ……生徒会かよ」
男子生徒たちのどこか恨めしそうな声が漏れた。
「だから! お前らだって強引な手で権利を奪ったんだろうが!!!!」
「え~、なんのことだかわかりませ~ん。あの子たちとはめちゃくちゃ仲良しですから、快く譲ってくれたんです~」
「おまえらSクラスのバカと仲良くする奴なんているわけないだろ!」
「ひっど!! そんな言い方ないでしょ! 昼休みのたびに焼きそばパン買ってきてくれるいい子だし!!」
「パシリじゃねえか!!」
なんとか両グループ距離をとらせ、話し合いにまで持って行った生徒会。
しかしながら話の論点は幾度となくずれ、一向にまとまる気配を見せない。
もはや強制的な介入がない限り、話し合いが終わることはないだろうとエマは判断する。
「今回に関しては騒ぎを起こした罰として、双方とも施設の利用はなし。また騒ぎを起こしたメンバーは、一か月間訓練施設等の使用を禁じます」
高々と伝えられた唐突な生徒会長の宣言に、場はこれでもかというほど荒れる。
「なにそれ! 横暴すぎ!!」
「一ヶ月だと! ふざけるな!!」
「いくらなんでも職権乱用だろ!」
「異論なら正式な場を開いて受けつけます。この場でどれだけ不満を言おうと、判断がくつがえることはありません!」
吹き荒れるフーイングの嵐にも、気丈に振る舞い対応するエマ。
その折れない姿勢に一部のものは気圧され、思わず口を閉ざす。
だが、少年たちのグループのうち一人が口を開いた。
「は、偉そうにしやがって。生徒会が力を持ってたのは、去年あの方がいたからじゃねえか」
その少年の言葉に、エマは見てわかるほどに動揺する。
それに気を良くしたのか、少年はさらに言葉を続ける。
「去年と違って、今年はどこぞの田舎貴族が生徒会長ときたもんだ。そのせいで、階級間での揉め事が去年よりも増加したらしいじゃねえか。やっぱ生徒会長にはカリスマ性がないとなあ」
悪意がたっぷりと込められた少年の言葉に、エマは何一つ反論しようとしない。
なぜならエマ自身が少年の発言をを自覚し、事実だと認めてしまっていたからだ。
自分は先代と比較すると、比べるのもおこがましいほどに劣っている、と。
悔しさに耐え、血が出そうなほどに拳が強く握られる。
「アーカイド様やトーヤ様が生徒会長だったならどれほど――」
「やめろ」
両手を広げ、あきれるようなポーズをとる少年の腕を、イースが握っていた。
イースがこの時感じていたのは、明確な怒り。
先代の生徒会長とやらが、どれほど優れていたのかは知らない。
確かにエマは、普段は少しおちゃらけた態度をとっている部分もあるし、やや強引な部分もある。
けれど、
誰よりも業務に精を出し
誰よりも遅くまで学園に残り
誰よりも学園のことを思い
誰よりも自分の力のなさを自覚して行動していた。
そんなエマをイースは知っている。
だから、何も知らない少年が、これ以上エマを侮辱する発言を聞くことはできなかった。
「ちっ! ……放せよ、平民風情が。口先だけの生徒会の癖しやがって」
イースの圧力に押されたのか、エマの悪口自体は止めたものの、まだ不満が残るように愚痴る。
「なら、口先だけじゃないことを証明しようか?」
それはイースの言葉ではない。
今までずっと無言を貫いていたデイルの言葉だった。
いつの間にかイースの隣に移動しており、イースが腕をつかんだ少年に向かって語り掛ける。
「証明って……決闘でもするってか?」
「そうだ」
「な!?」
冗談のつもりで言った少年だったが、意外な返事にうろたえる。
「いいのかよ? お前ら生徒会が決闘なんて持ち掛けて」
「通常なら褒められた行為ではない。だが、ここまで侮辱されては生徒会の権威が落ちるというもの。生徒会に所属するということがどういうことなのか、お前らに教えてやろう」
「……っ」
少年とそのグループはデイルの放つ圧に押される。
普段、必要最低限のことしか口を開かないデイル。
加えて無表情のため感情もわかりにくい。
そんなデイルが、怒りという感情をここまで露わにしたのをイースは初めて目にする。
「……いいぜ、お前ら生徒会の口車に乗ってやるよ。そのかわり、決闘相手はあんたじゃなくそいつだ」
そう言って少年が指さしたのはイースだった。
「俺?」
デイルのことを考えていたイースは、突然の指名に戸惑いを見せてしまう。
「生徒会の威光を示すんだったら、生徒会の誰でも問題ないんだろ? まさか1年だからってダメとか言わないよな。俺だって1年なんだ、ちょうどいいだろ?」
少年は一人で話を進めていく。
イースとしては、この決闘を受けたくないという気持ちが強かった。
勝敗が問題なのではなく、大勢の前で自分の実力を披露することが問題だった。
この訓練室には、多くの野次馬が集まっている。
ここまで大事になれば、学園中にこのことが伝わってしまう。
もちろん、トーヤ・ヘルトの耳にも。
多少なりとも、暗殺対象に自分の技が伝わるのは好ましくない。
だが、とても断れるような空気でないことは、色々疎いと自覚しているイースでも理解できた。
「すまないがイース、頼めるか?」
「自分は――」
デイルからの言葉に、ついためらってしまう。
「会長のために感じた怒りは、本物だったんだろ?」
「……はい」
「負けたからといって、お前を責めはしない。生徒会の人間はみんなお前を認めているし、生徒会はお前の居場所だ」
デイルの心配は的外れだったが、なぜかイースの心が温かくなる。
イースが振り向くと、そこには先ほど着いたナタリア含め、生徒会役員の面々が集まっていた。
「大丈夫だイース! お前なら勝てる!!」
「不安がることはないさ、かましてやれ」
コントン、ナタリアからのエールが投げかけられる。
エマは不安そうに、申し訳なさそうにイースを見つめていた。
彼らの期待に答えたい。
任務や暗殺のことを忘れ、ただ純粋にイースはそう感じる。
ああそうだ、嬉しいんだ。
自分のことを心から案じ、生徒会を自分の居場所と言ってくれた。
そんな仲間が、この光景が、まるで美しい物語のようで。
その中心にいるのが自分だという事実。
イースの心が、知らなかった感情で満たされていく。
それと同時に決心がついた。
「生徒会会計1年イース・トリュウ、生徒会の代表として全力で戦います」
決闘だ決闘だ!
学園モノの定番ですよね……ですよね?
ほぼ3年ぶりくらいに感想をいただきました。
すごい嬉しい




