生き方は一つか
「そういえば、イースはなぜ生徒会に?」
職員室から出て歩く際中、ナタリアからそんな疑問が投げかけられる。
「なぜとは?」
「理由や目的なしで生徒会に入る人間はいないということさ。就職や進学、なにかしら目的がある。なんせあのSクラスの相手をしなければならないわけだ。奉仕精神だけで続けられるようなものじゃない。目的がないのだとすれば、それは相当な変わり者だろう」
「自分もその変わり者かもしれませんよ」
「いいや、私の見立てでは、君には明確な目的がある。それに私は……本物の変わり者というのを知っている。あのような方が、そう何人もいてたまるか。酸いも甘いも、清も濁も、善も悪も、この世の全てを楽しんでいる……あの方はそんな人だった。Sクラスの暴走ですら、あの方にとっては余興の一つでしかなかった」
どこか懐かしみながら、遠い目をしたナタリアがあの方について語る。
あの方というのが誰かはわからないが、すでに卒業した人、ナタリアよりも身分が上の人ということだけは理解できる。
「おっと、話が逸れたな。それで、イースが生徒会に入った理由は?」
イースはその質問に対して少し考える。
理由はもちろん、どこまで本当のことを話すかだ。
場合によっては暗殺対象になる相手に近づくため、などとは口が裂けても言えるはずがない。
「……就職ですね」
「どこか仕えたい貴族家か、企業でもあるのか?」
「ヘルト家です」
「あー……なるほど、Sクラスに近づきたがったのはそれが理由か」
ナタリアはイースの回答に対して、一人納得がいったというように頷く。
「目的はトーヤ様か」
「はい」
イースは、トーヤが目的であるということについては正直に告げ、目的とする内容については嘘をつく。
嘘と本当の言葉を混ぜることが、嘘を隠すための一番良い方法だとイースは組織から教わった。
実際これにより、イースは周りから特に怪しまれることなく、Sクラスに近づくことができる。
「しかし、イースはカナン様とも同じクラスだろう。トーヤ様よりもカナン様に取り入った方が確実なんじゃないか?」
「自分はヘルトではなく、トーヤ様個人に仕えたいと思っているんです。それに、カナン……様とは――」
『君たちとは友として学園生活を過ごしたい』
それは、入学初日にカナンがイースに対して口にした言葉。
なぜかその言葉が、この時イースの頭に浮かんだ。
「カナン様とは、ただの一友人として接したいと考えているので」
その言葉を聞き、ナタリアは微笑ましいものを見るように笑う。
「押しも押されぬ有名貴族と、一般庶民の損得勘定を抜いた友情関係か。いいね、まるで物語のような話だ。周りの目もしんどいだろうが、私は応援するよ」
ナタリアにそう言われ、言う必要のなかったことを言ってしまったイースは、今さらながら気恥ずかしくなる。
「カナン様でも、他のヘルトでもなくトーヤ様か……確かに興味深い人ではあるが、一番難儀な相手を選んだもんだ」
「難儀なんですか?」
「ああ、本人の性格もあるがなにより……すでに最強の番犬がいる。おっと、噂をすればなんとやらだ」
ナタリアの視線の先、二人の歩く先から一人の少女がイースたちに向かって歩いてくる。
少女とはいえ、かなり大人びた雰囲気をかもし出すその姿に、イースは目を奪われる。
だがそれ以上に、もっと強烈な感情をイースは抱く。
――恐怖
怖い、死ぬ、身動きがとれない、嫌だ。
抗えない恐れが、イースの体を蝕む。
少女の瞳に、イースの姿は映っていない。
たのむ、こちらを向くな、どうかこのまま、何事もなく通り過ぎてくれ――そう願うことしかできない。
一目見たときに本能が悟った。
この女は自分にとって天敵だと。
「イース、大丈夫か?」
「ッ!?」
ナタリアからの問いかけにより、イースは正常な意識を取り戻す。
少女の姿はすでになかった。
「すごい汗だぞ」
「すいません、さっきの人を見たら動揺してしまって。……あの人は?」
姿を見ただけで本能が敗北を認めた少女。
その正体になんとなく察しがつきながらも、イースはナタリアに尋ねる。
「2年Sクラス、名をツエル。他の貴族のように、護衛をぞろぞろ引き連れることのないトーヤ様が、唯一傍に置く部下。ヘルト家を除けば間違いなく、この学園において頂点に立つ強さを持つ生徒だ」
イースに与えられた任務は、トーヤ・ヘルトの調査及び、危険分子だと判断が下された場合の暗殺。
トーヤを暗殺する場合、護衛兼付き人であるツエルの排除は前提段階。
その前提段階の難しさに、イースは頭が痛くなる。
考えがあまかったと認識せざるを得なかった。
あれは、倒す倒さないじゃない。
絶対に相手してはいけない生き物だと、イースは結論付けた。
ーーーーーー
いつも通りの帰り道。
しかし、イースのその足取りは重い。
自分のやるべきこと、やらなければならないことの難しさを、改めて実感してしまったため。
「一筋縄ではいかなそうだな……」
「あらら、まだ入学して一週間だというのに。もう気分はブルーですか?」
声をかけられイースが振り返ると、そこにはよく見かける花屋の少女が立っていた。
「……リリーさん、今日も元気ですね」
「はい、いつだって元気なリリーさんです」
にっこりと笑うリリーにつられ、気分は落ち込んだままだがイースもうっすらと笑みを浮かべる。
「ん、まだぎこちないですが、いい笑顔ですよ」
敵わないな。
常に会話を自分のペースへともって行くリリーに、イースはそんな感情をいだく。
「これでもかというほど眉間にしわが寄ってました。ダメですよ、思いつめると視野が狭くなります。そうするしか道はない――そんなふうに自分を追い込んでるんじゃないですか?」
「いえ、そんなつもりでは……」
イースは否定してみるものの、反論の言葉は思い浮かばなかった。
「さっそくSクラスの洗礼を受けましたか?生徒会の通過儀礼ですからね」
「……? なぜ自分が生徒会に入ったことを知っているんですか?」
イースが生徒会に所属したのは今日が初日。
在校生でもないリリーがその情報を知るのは、あまりにも早い。
「ふっふっふ、私をそんじょそこらの一般卒業生と一緒にしてはいけません。学園内において私のことを慕ってくれる後輩が、それはもう大勢いるわけです。そんな彼ら彼女らによる情報提供のおかげで、私は今の学園内情勢にも精通しています。ち・な・み・に、イースくんがカナンちゃんと仲良くしていることもすでに知っていますよ」
からかうように、渾身のどや顔でリリーはイースに笑いかける。
一方イースは、ヘルト家の人間でさえ気安く『ちゃん』付けで呼ぶリリーの軽さに対して、苦笑するように笑う。
「もし好きな人ができたときは、色々と教えてあげますよ。と、まあ話は戻しますが――
あまり、思いつめないでくださいね。前にも言いましたが、あなたはなんにでもなれますし、なんでもできて、どこへだって行けます。選択肢なんて、ちょっと視点を変えれば無限にあるものです。生まれたときから生き方が決まっている人間なんて存在しません。それは自分で決めつけてしまっているだけです。私は、あなたにあげた『変化草』がどんな花を咲かせるのか、心から楽しみにしていますよ」
――反論したいことはあった。
そんなことはない。
自分にとっての生きる道はこれしかない。
地獄、地獄、地獄。
目を閉じたくなるような、耳をふさぎたくなるような、鼻が曲がるような、吐き気を催すような地獄から、自分を救い出してくれたコクマ。
この命を燃やす生き方こそが、組織に恩を返せる唯一の方法なのだ。
しかし、それらの言葉は出てこない。
心からの慈しみを持って、我が子に対するような穏やかさで語り掛けるリリー。
その姿にどこか神聖なものを感じ、何も言えなくなってしまうイース。
ただただ、リリーの言葉を噛み締めた。
ツエル、セリフなし




