焼き肉
イースが学園に入学して1週間。
本来の目的には未だ取り掛かれていないものの、その下準備は整いつつある。
そんな確かな実感を得ながら、この日も放課後を迎え、席を立とうとしたその時だった。
「イースくんはいるかしら?」
講義室の扉の傍でイースの名を呼ぶ女性。
それはイースの見知った顔であり、生徒会長であるエマ・フォレストだった。
美人で有名な生徒会長からの指名に、講義室内がざわつくが、イースはそれを無視して扉の方へと向かう。
「入学式以来ですね。どうかされましたか?」
「あ、よかった! まだ帰ってなくて。ちょっと話したいことがあるのだけど、少し時間をもらえるかしら?」
「ええ、かまいませんよ。入学式の日、会長には助けられましたから。荷物だけ取ってきていいですか?」
「じゃあ待ってるわ」
了承をもらい、置きっぱなしにしていた荷物を取りに行く。
「おそらく勧誘だろうね」
荷物をまとめていたイースに声をかけたのは、こちらも帰る準備を進めていたカナン。
「勧誘?」
「生徒会のだよ。この学園では、会長職以外の役員は会長の指名制だ。私も入学式のときに誘われた」
「どう答えたんだ?」
「断った。生徒会に入れば、嫌でもSクラスの問題ごとに関わることになるから」
ほんの何気ない会話の一言。
しかしそれは、この一週間でイースが初めて聞いたカナンの後ろ向きな言葉だった。
「カナンでもSクラスに苦手意識があるんだな。身内もいるから、それほどでもないと思っていたんだが」
「……だからこそだよ」
少し悲しげな表情を浮かべたカナンは、そのままイースと顔を合わせることなく講義室を出ていく。
『だからこそ』
そう答えた理由を尋ねたかったイースだが、追及されるのを恐れるように、足早にカナンは去っていった。
「怒らせた」
講義室から出ていくカナンを見ていたイースは、背後から声をかけられる。
振り返ると、立っていたのは魔眼持ちの少女、ローゼリッタ。
相変わらず、どこか焦点のあっていないような表情の浮かべている。
この表情以外のローゼリッタを、イースはいまだ見たことがなかった。
「……怒っていたのか?」
「怒ってもいた、でも嘆いてもいた、葛藤もしていた。複雑な気持ちの色をしていた」
淡々と、魔眼を通して見えた感情の色を口にするローゼリッタ。
「ロゼ、前にも言ったが、あまり魔眼で見たことを口に出さない方がいい」
ローゼリッタの魔眼は、人間の本質から事細かな感情の動きさえも見抜く。
そのためか、クラスメイトは感情を読み取られることを恐れ、ローゼリッタはクラス内で孤立気味だった。
それを本人が気にしているかどうかは、表情の変化がないため読み取れないが。
イースはこれ以上ローゼリッタが敬遠されるのをとめるため、せめてあまり言いふらさないよう忠告する。
実のところイースも、クラスメイトから『ヘルト家の人間にタメ口で話すヤバいやつ』として見られており、ローゼリッタ同様孤立気味になっている。
というより孤立している。
クラスメイトで定期的に話をするのは、カナンとローゼリッタのみ。
しかし、任務に集中していることと、初めての同世代との共同生活ということもあって、イースには自らが孤立していることに気づけないでいた。
「でもイースが知りたそうな色してた」
「……」
実際にその通りだったので、文句が言いづらいイース。
「まあでも、イースがそう言うなら控える」
「ああ、そうした方がいい。じゃあまた明日」
カナンにローゼリッタ、二人との会話でそれなりに時間を使ってしまう。
これ以上会長を待たせておくのは悪いと考え、ローゼリッタに別れを告げ、イースは会長のもとへと向かった。
会長と共にしばらく学園内を歩くと、生徒会室と書かれた部屋に案内される。
「ささ、遠慮せず入って入って」
会長であるエマに促されるがまま、イースは生徒会室に招かれる。
生徒会室の中はきれいに整頓されており、部屋の中央には会議を行うための長机が置かれていた。
「あら、誰もいないわね」
エマとイースが生徒会室を見回すも、他の役員らしき人物は見当たらない。
「今日は新しい役員候補を連れてくるって、事前に言っておいたのだけれど……」
困ったようにエマはつぶやく。
「やはり勧誘だったんですね」
「あ、ごめんなさい! まだ用件を伝えてなかったわね。もう言ってしまったけれど、生徒会役員にならない? 毎年、優秀な新入生の何人かに声をかけてるの」
「……よければ、メリットとデメリットを教えてもらえますか?」
「メリットはある程度の権限が持てることかしら。この学園の生徒会権限はそれなりに高いから、一部の制限がなくなるの。例としては、レベル4以上の研究棟への出入りとか、屋上への出入りとか。あとSクラスのある建物にも入れるようになるわ。
……入りたいかどうかは別として」
言い淀むように告げるエマだが、それこそがイースにとって一番のメリットだった。
トーヤ・ヘルトを調査する任務を与えられたイースに、Sクラスとの接触は必須。
「デメリットは、やっぱり面倒ごとを押し付けられることかしらね。Sクラス案件は日常茶飯事だし。特に今年は、貴族派と庶民派の対立が激しさを増してるから」
要約すれば、やらなければいけない仕事が多いということ。
だが放課後、特にやることのないイースにとって大したデメリットにはならない。
それよりもイースが気になったのは、『貴族派と庶民派の対立』という言葉だった。
「あの、対立が激しいというのは?」
「ああ、それは――」
イースの疑問にエマが答えようとしたその時、一人の少年が生徒会室の扉を乱暴に開く。
少年は慌てた様子で、ここまで来るのにも全力だったのであろう。
その証拠に肩で息をしながら汗を流し、必死に息を整えようとしている。
少年の胸元には、生徒会役員の印であるバッジがつけられていた。
「会長! ここにいましたか!」
「どうしたの? コントンくん」
「第三研究棟の傍の中庭で火事です!」
「っ!?」
火事の報告に、エマの顔つきが一気に変化する。
優しく接する年上の顔から、厳格な生徒会長の顔に。
「原因は?」
「新入生歓迎会と称して、生徒主催で焼き肉パーティーを行っていたところ、もっと高火力で肉を焼こうぜと一部の者が言いだし、研究棟から火器の魔具を盗み出し、火をつけようとしたところ調節の桁を三桁間違えて、新入生ごとバーニングしてしまったとのことです。バーニングされた新入生がぶちぎれて、中庭は火事にも関わらず大乱闘状態で……」
「……」
絶句、まさにこの言葉がふさわしいであろう。
「……ちなみに、その焼き肉パーティーの主催は?」
「Sクラスです。バーニングされた新入生も全員Sクラスとのことです。にも関わらず、Sクラスの人間は誰一人として消火活動を行おうとしないため、火がどんどん燃え広がっています」
コントンと呼ばれた少年の報告にエマは、予想できた答えであるものの思わず頭を抱える。
状況を整理する前に、そもそもエマの脳が受け入れることを拒んでいた。
一連の報告を聞いただけで、学園に入学したばかりのイースでもわかる規則違反が5つ。
規則どころか法律すら破り、被害も出ている。
責任ある立場のエマの心情は相当なものだろう。
「現在は各機関に連絡、消火活動を並行して行っています!」
「トーヤ様に連絡を! Sクラス取りまとめの協力要請を――」
「それが……トーヤ様は本日学園にきていないらしく……」
「~~っ! ならツエルちゃんに協力を要請して」
「わかりました!」
「多少手荒になっても乱闘は止めなさい! どうせぼろぼろなんだから、誰がやったのかなんてわかりはしないわ!」
「この状況でも焼き肉を続けようと、避難指示に抵抗している者もいるのですが……」
「もう自己責任よ! ほっときなさい!!!」
イースは聞かなかったことにした。
指示を受けたコントンは迅速に行動を開始する。
指示を出したエマは、今まで放置されていたイースのほうへと向き直る。
「ごめんなさい、ほんとは詳しく話をしたかったのだけれど……」
「俺のことは気にせず、会長も行ってください。後日、こちらから伺いますので」
「ありがとう! じゃあまた後日!!」
最低限の言葉だけ伝えたエマは、大慌てで生徒会室を後にする。
一人残されたイースも、残る理由を無くしたため、生徒会室を出て帰路につく。
これが日常茶飯事なのか――そう思うと、少し生徒会入りをためらう気持ちになったイースだった。
(新入生を)焼き肉




