ひどい話
それは9年前に行われていた王都での祭り。
当時ダルクはまだ剣聖ではなく、学園に通いながら兵士見習いとして警備に参加していた。
どこかまだ初々しさを残した彼は警備の最中、人混みの中を迷いなく歩く一人の少年を見つけた。
特に理由があったわけでもなかったが、とらえた視界から少年の姿が離れない。
まだ小さいにもかかわらず、たった一人で歩いているからか。
金と黒が混ざり合ったような髪の色だからか。
とにかく、周りに保護者のような存在もおらず、一人で歩く幼い少年に声をかけるのは警備兵として当然のことだった。
「君、もしかして迷子――」
「余計なお世話だ」
……可愛くない。
食い気味に、自分のほうを振り返ることもなく答える少年に、ダルクはそんな感想をいだいた。
「どこかに親御さんとかは――あ、こら!」
続く言葉をかける際中、少年はダルクから逃げ出すようにダッシュする。
とはいえ、相手は年齢が二桁にも届いていなさそうな少年。
すぐ捕まるとたかをくくっていたダルクだが、予想以上に少年の逃げ足は速く、なかなか捕まらない。
1時間以上の逃走劇の末、ついにダルクは少年を人気のない路地裏まで追い詰める。
警備兵の服装でなければ自分が通報されそうな状況。
そんな状況に頭を抱えたくなるダルクだが、これも兵士の仕事だと頭を切り替える。
「君、僕は悪い大人なんかじゃないよ。この国の兵士だ」
ダルクは少年を安心させるように、自分の無害さをアピールする。
そのアピールが通じたのか、今までずっと背を向けていた少年がダルクのほうに顔を向ける。
振り返った少年は目に涙をためており、今にも泣きだしそうだった。
「兵士……? 悪い人じゃないの?」
「そうだよ。むしろ悪い人から君たちを守る人だ」
「ほんと? 情報を引き出せるだけ引き出した後、八つ裂きにして魔獣の餌にしない?」
「しないしない――というか君の悪い人のイメージ怖いな」
ダルクを悪い人じゃないと認識したためか、少年はダルクのもとに近づく。
「お母さんとはぐれちゃって、お母さんに知らない人について行っちゃダメって言われてたから……」
「よしよし、ちゃんとお母さんの言いつけを守ってえらかったね。安心して、僕が一緒にお母さんを探してあげるから」
「うん!」
ダルクのかける優しい言葉に、少年は年相応の笑顔でうなずく。
その笑顔を見てダルクも、少年が自分に対して打ち解けてくれたのだと安心する。
「ねぇ……お母さん見つかるまで手をつないでいい?」
だが、ダルクは思い出すべきだった。
「もちろん、かまわないよ」
「ありがとう!」
少年が初めて自分に投げかけた言葉を。
「そう言えば、まだ名前を聞いてなかったね。僕はダルクって言うんだ。君の名前は?」
その言葉を受けて、自分が抱いた感情を。
そうであれば、目の前の可愛い顔をした悪魔に、だまされることもなかった。
少年の警戒を解こうとしていたダルクは、自分の警戒が解かれていることに気づくこともできなかったのだ。
「僕の名前は――
トーヤ・ヘルト」
「……ヘルト? それにトーヤって、もしかしッ!?」
少年の名に聞き覚えがあり、記憶を手繰り寄せようとした時だった。
つないでいた手に、針を刺されたような痛みが走る。
「どうしたの? ダルクさん」
「ああ、別になんとも――」
次いで、体中に痺れのようなものが走るまで時間はかからなかった。
「な、これは、一体……」
「大丈夫? ダルクさん。まるで、全身が痺れてうまく体が動かせないみたいだよ?」
今まさに、自分の体で起こっている状態を的確に当てた少年の言葉。
咄嗟に手をつないだ少年のほうを見ようとしたダルクだったが、それより先にひどい痛みに襲われる。
その痛みは股間から来るものだった。
正確に言うと、男の大事な部分。
少年の足が、ダルクの男の象徴を的確に蹴り上げていた。
「ガ、ア……!」
痛みに悶絶しながら倒れるダルクは、なぜ自分がこのようなことになっているのかわからない。
そんな戸惑いをよそに、少年はダルクの足をつかみ、路地裏の奥へと引っ張っていく。
小さい体のどこにそんな力があるのか、苦も無くダルクの体を運ぶ。
痺れで身体の動かないダルクは、されるがままに引きずられていく。
やがて少年の足が止まると、そこはゴミ捨て場だった。
祭りの準備ででた粗大ごみが多く捨てられている。
「ま、ちょっ……」
ダルクは必死に声を出そうとするが、言葉すら上手く発せない。
「ふんふんふーん♪」
必死に制止を促そうと足掻くダルクなど気にもせず、少年は鼻歌交じりにダルクの体を持ち上げる。
まさか――
嫌な予想をした時にはもう遅い。
ダルクの体がゴミ捨て場に向かって振り下ろされる。
「よくも俺の楽しみを邪魔しやがったなシュート!!」
ガシャン!という音と共に、ダルクの上半身がゴミの中に埋め込まれる。
つまり、痺れでぴくぴく震わせている下半身だけをゴミの外にさらしている状態。
学園ではその実力と整った容姿から、ファンクラブすら存在するダルク・アーサリー。
そんな彼のファンが見れば、間違いなくショックを受けるような光景がそこにはあった。
少年はというと、一仕事終えたとでも言うようなスッキリした笑顔でその場を離れていく。
それから、痺れが取れるまでの30分。
ダルクはずっとこのままだった。
人気のない路地裏だったため、誰にも見られなかったことは不幸中の幸いだろう。
人生で受けた屈辱の中で一番は?
そう問われれば、間違いなくこの日のことだとダルクは答える。
これより後、王都で祭りが行われる際は毎度、とある少年と警備兵の青年の追いかけっこが見られた。
それは青年が兵士として出世するまで続く。
ーーーーーー
「――ってことがあってな」
「なるほど、あなたのねじキレるまでの性格の悪さは昔からだったんですね」
「仕方ねえだろ。ありゃ正当防衛だ」
「正当性のかけらも、防衛性のかけらもありませんけど?」
ダルクと会ったトーヤがしかめっ面になっていたことから、トーヤがダルクになにか気に入らないことをされたのだと、リリーは考えていた。
しかし、話を聞けば内容は全くの逆。
「被害者意識全開で話し出すもんですから、どんなひどい事されたのかと思いきやまさかの純然たる加害者。むしろしかめっ面になるの剣聖の方じゃないですか」
「いやいや、俺だってそのあと何度も実家に強制送還されたりしたからな。それにちゃんと後悔はしてるさ。生ゴミに突っ込んでやればよかった、と。俺の楽しみを邪魔する罪は重い」
「クズここに極まれり、ですね。たかが数回だけでそんなガキみたいに拗ねて……」
やれやれ、とでもいうようなリリーの態度に、トーヤはピクリと反応する。
「たかが? 数回? 同じ祭りであっても、毎回違いがあるというのに? はああぁぁぁ、これだから祭り初心者は。祭りの楽しみ方というのをまったくわかってない」
祭りの楽しみ方――この言葉を聞いて今度はリリーがピクリと反応する。
「それは聞き捨てなりませんね。祭りの楽しみ方なら、昔あなたよりもよっぽど詳しい子に教えてもらいましたから」
「はっ、物を買うのに財布が必要だということすら頭になかったオマヌケ様が何を。というか去年使わされた金返せ」
「あらあらまあまあ、貴族ともあろうお人がなんと心の小さい。やはり心の大きさは魔力量に比例するのでしょうか?」
「いいのか? この俺にそんな口きいて。今年は絶対に金出してやらねえからな」
「ぜんぜんかまいませんけど? 今年はしっかりと準備がありますから」
そう言ってリリーは、財布が入っているであろう腰のポケットを自慢げにたたく。
「財布なくした~とか言って泣きついてくるなよ」
「しませんよ。大切なお財布をなくすとかそんなバカみたいなこと」
心外だと言わんばかりにトーヤをにらみつける。
「ツエルがいなんじゃ、あなたと回る意味はありませんからね。じゃあ私はこれで、あなたよりもうんと楽しんできますから」
挑発するようにウインクをしながら、トーヤの脇を抜けて人混みの中に紛れていく。
一人残されたトーヤの手には、財布らしきものが握られていた。
補足しておくと、それはトーヤのものではない。
「ま、精々一文無しの祭りを楽しむんだな。おバカな王女様、フハハハハハ」
とても英雄とは思えない顔で、残された少年は笑う。
痺れたのはカナンお手製の毒です。
このころはまだ兄妹仲がよかったそうな。




