鐘の誓い
喉が渇く。
抗えない、抗いたくないと思える欲望が全身を渦巻く。
肉体が変化していくのを感じる。
おぞましい、おぞましい、おぞましい。
こんなのは自分ではない。
ああ、けれど……欲しい。
人間としての限界を究めた極上の獲物を。
あの人の全てを貪りつくしたい……
ーーーーーー
観賞のために整えられた庭園。
その庭園に雪が積もり、白く染め上げられ味を出している。
少し先のほうを見上げると、教会の鐘が目に入る。
その鐘を鳴らして誓いを立てると、立てた誓いは必ず守られる――という話が昔から伝わる鐘だ。
普段はこの庭を市民に開放しているだけあって、他にも見るべきところや、話題になりそうな伝承がいくつかある。
さて、俺はいつまで待たされるのだろうか?
先に庭に出ていてくれと言われ、すでに30分が経っている。
きれいな庭でも30分も見てるとさすがにあきる。
そろそろ来ないか、なんて思っていた俺の考えが届いたかのように人の気配が近づいてくる。
だがそれは婚約者ラミアのものではない。
「くらえ! 貴族の豚野郎!!」
豚野郎?
罵倒の言葉と共に、カチカチに固められた雪玉が背後から飛んでくる。
たいしたスピードでもないため、簡単に避けながら振り返る。
そこには年齢が二桁に届いていなさそうな少年少女、合わせて6人の子供たちがいた。
全員が同じような服を着ていることから、教会で育てられている子供だということがわかる。
「お前が俺たちから聖女様を奪おうとするクソ貴族だな!」
「そうだな、クソではないがその聖女様の婚約者だ」
6人のうち、リーダーらしき少年が皆の前に一歩出て叫ぶ。
雪玉投げてきたのもこいつだな?
「聖女見習いのお姉さん達から聞いたぞ! 聖女様のことを縄で縛ったり、鞭でたたいたりひどいことするって!」
いやしませんけど。
なにそれ、どこから出てきた話?
すると今度は後ろに隠れていた女の子が、声を必死に張り上げて叫ぶ。
「そうよ! 貴族の人はよくわからないけど、せいへき?っていうのが凄くて、結婚する人にひどいことするって。私もお姉様方に聞いたもの!!」
おいお姉様方、ガキになんちゅうこと吹き込んでくれてんだ。
聞こえないようにやれや、ガキの教育に悪い。
まあ確かに、一部の貴族にはドン引きするような性癖の奴いるけど。
貴族全体がそうと言われるのは完全な風評被害だ。
「お前なんかに聖女様は渡さない! 俺がここで倒してやる!!」
へえ。
「威勢がいいなクソガキ。いいのか? 貴族に逆らったりして」
俺は少し脅すようにして子供たちに話しかける。
子供たちは少し慌てるも、踏みとどまり俺をにらみつける。
「ふん、貴族なんて怖くないやい! そうだよな、みんな!」
少年が同意を求めると、残りの少年少女もうなづく。
「そうか」
俺は前に出ている少年に近づくと、少年の頭を――
ぐりぐりと力強く撫でてやる。
「うわ、なにすんだよ!?」
「なあお前ら、聖女様のこと好きか?」
ーーーーーー
予定外の出来事に予想以上の時間がかかってしまい、聖女ラミアは婚約者の待つ庭園に急ぐ。
現在、ラミアの中には二つの懸念があった。
一つは単純にトーヤを長い間待たせてしまっていること。
もう一つは子供たちが部屋からいなくなったこと。
アルシアス教では孤児だった子を何人か引き取り育てている。
特に年少組などは、教会に来たときからずっと面倒を見てきたため、ラミアへのなつきかたが尋常じゃない。
ラミアに婚約者ができたと知ったときは全員が大暴れしたほどだ。
最初にトーヤとの対面が遅れたのも、その年少組がラミアを無理やり引き留めために起こったこと。
そんな年少組が部屋からいなくなり、婚約者のトーヤは庭に一人。
嫌な予感がして、ラミアはさらに急いで庭園を目指す。
長い廊下を抜け、冷たい風が吹く庭園へと出る。
「トーヤさん! お待たせして申し訳あり――」
「すっげええええ! 竜だ! かっこいい!!」
「この竜はあの建物ぐらいの高さがあってな、こいつに乗って俺は鬼の住む村まで行ったんだ」
「鬼!? 俺見たことねえ!」
「次は私!」
「おう、いいぞ。何がいい?」
「んーっとねえ……うさぎさん! うさぎさん作って!」
「30秒で作ってやる。うんとかわいいのをな」
ラミアの目に飛び込んできたのは、想像もしなかった光景。
年少組の子供たちがトーヤの作った雪の彫刻に大興奮している。
目を輝かせ、尊敬するような目でトーヤを見つめる子供たち。
自分以外になつくことのなかった子供たちが、会う前は恨んでさえいた相手に一瞬でなついている。
ラミアはその事実に驚きながら、トーヤと子供たちのほうへ近づいていく。
雪で見事な手のひらサイズのウサギを作り終えたトーヤは、歩いてくるラミアのもとへ向かう。
「お待たせして申し訳ありません、トーヤさん」
「いいよいいよ、あいつらと遊ぶの楽しかったし」
子供たちはトーヤの作った雪の彫刻に夢中になっており、ラミアが近づいてきたことに気づいていない。
「それで、衝動のほうは大丈夫だったのか?」
トーヤのその言葉に、ラミアの表情が凍りつく。
「え、あ……」
「悪いな、実は知ってたんだよ。ラミアの生まれ持った体質のこと」
手を下げたまま握り合わせ、目を強く閉ざすラミア。
だが、やがて覚悟を決めたかのようにその目を開く。
「トーヤさん……その通りです。私には、生まれながらどうすることもできない欠陥を持っています。ヒトとして致命的な欠陥を」
か細いその声だけでなく、手足も震わせ、話すだけでも相当きつい思いをしているのが読み取れる。
「さきほど、改めて考えてみたんです。私はきっとトーヤさんに、幾多の迷惑をかけることになると思います。それどころか、ヘルト家の名に傷をつけてしまうかもしれません。ですから……婚約破棄を申し出てください」
「婚約破棄ね……」
「はい、婚約の話はおじいさまから提案したと聞いています。勝手な話にはなりますが、おじいさまには私から――」
「あいつらさあ、俺に突っかかってきたんだよ」
ラミアの言葉を遮るように、トーヤは言葉をかぶせる。
「貴族と敵対するってことがどういうことなのか、あの子供たちは理解しながら、それでも立ち向かったんだ。大好きな聖女様をどこぞの馬の骨に渡すかってな」
「あの子たち……」
困惑した顔を浮かべるラミアだったが、その表情はどこか嬉しそうでもあった。
「あいつら見てたら、聖女様がどれだけ愛されている存在なのかよくわかる」
「そんな、私は……」
「俺にも秘密がある。誰かに相談したところで、理解されることのない秘密が」
トーヤは話しながら、雪を拾って雪玉を作り始める。
何度も何度も雪を固め、これでもかというほどカチカチにしていく。
「ラミアの秘密だってそういう類のもんだ。その秘密の重みはラミアにしかわからない」
作った雪玉を右手に持ち、投球モーションに入る。
「けど、その重みを軽くすることはできる。あの子供たちの存在だって、軽くする要因の一つのはずだ」
雪玉を持った右手は腕と共に振り切られ、雪玉は放物線を描くことなく、一直線にあるものに向かって飛んでいく。
そのあるものに雪玉が直撃した瞬間、庭に整った金属音が響き渡る。
「トーヤ・ヘルトの名において誓う。ラミア・バートールにのしかかる重みを、軽くするなんてしけたことは言わない。
全部吹っ飛ばすぐらい、トーヤ・ヘルトの伴侶であることが何よりも誇れるようにしてやる」
トーヤは真っすぐとラミアの顔を見つめ、鐘の音と共に誓いを立てる。
「というわけで、婚約破棄は絶対してやらん。ラミアがどれだけ拒絶しようと、こんないい女を逃がすつもりはない。そのつもりで覚悟しろよ」
そう言いながら、後ほんの少しで口と口が触れ合いそうな所までトーヤの顔がラミアに近づく。
予想外の言葉、予想外の行動に、ラミアは顔を真っ赤にしながら――
「……はい」
消え入りそうな声でそう答えることしかできなかった。
「あー! トーヤ様と聖女様がキスしてるー!!」
ちょうど二人のそんな様子を目撃した子供たちが、茶化すように二人のもとへ近づいてくる。
「おいおい、お子様は見るの禁止だ。部屋に戻って勉強でもしてろ」
「俺たちもう大人だぜ!」
「そうよ! もう立派なレディだわ!!」
「僕知ってる! キスした後はトーヤ様ベッドで魔獣になるんでしょ!? 聖女見習いのお姉さんたちが言ってた!」
「ええ!? トーヤ様魔獣になっちゃうの!?」
「その聖女見習いのとこに連れてってくれねえか? ちょーっとお話ししときたいことがあってな」
愛すべき子供たちの輪に、当然のようにトーヤ・ヘルトは溶け込む。
ラミア・バートールにとって、トーヤ・ヘルトは遠い存在だった。
学園では学年が違うため、全くといっていいほど接点はなく、パーティーなどで顔を合わせたこともない。
自分より年下にもかかわらず、黒竜の件ですでに国からは英雄扱い。
そんな人物が、今はとても近くに感じていた。
今日初めて会ったとは思えないほど近くに。
理由はラミアにもあまりわからない。
その人柄なのか、秘密について知られてしまったからか、もしくはこの体質のせいなのか。
ただ、婚約者になったからという理由だけではないことを、ラミアはなんとなく理解していた。
結局聖女様の体質ってなんだよ、と思う人もいるかもしれませんが、とりあえず聖女様の話はここで一区切りです。詳しくはまたいずれということで。
次回は時間が少し飛びます。




