アルシアス教
【トーヤ視点】
扉を一枚隔てて広がるのは、街が一面雪に覆われた銀世界。
多くの住民が除雪作業に勤しみ、子供たちは積もった雪に興奮を隠せない。
その光景は季節の風物詩といっていいだろう。
王都でも雪が積もる、というリリーの言葉は本当だったらしい。
めったに見られない人々の営みを見るのはいいものだ。
だが、一つ問題がある。
私はなぜ馬車の中にいるんでしょうか?
もちろん自分から馬車に乗った覚えはないし、服装も正装にきっちりと着替えさせられている。
ちなみに、昨日はベッドで寝たところで記憶が途絶えている。
さすがに着替えさせられ、馬車に乗せられてまで目を覚まさないマヌケだとは思いたくない。
となると、カナンお手製の薬でも盛られたか。
まあ目の前に座っているコイツに真相を聞くのが一番早いな。
「なあマヤ」
「なんでしょう?」
「俺の聞きたいこと、わかるよな?」
「私がなぜこんなにも美人なのか、ということでしょうか?」
「お前の頭が寒さでいかれたことはわかった」
「最近、噂になっているコクマ支部の窃盗騒ぎでしょうか?」
「ちげえよ、どうでもいいわ」
「トーヤ様の婚約者についてですか?」
「ちげえよ、どうでも――は?」
「違うんですか? てっきり、これから会いに行く婚約者についての話だと思ったんですが」
…………ナニモキイテナインデスガ?
というか相手誰?
「ラミア・バートール。アルシアス教の聖女です」
国教であるアルシアス教。
そのアルシアス教で、神の声を聞く者として選ばれる聖女。
聖女の地位に就くのは必ず一人で、アルシアス教の幹部の投票によって決まる。
候補として選ばれるのにも色々と条件はあるが、それはまあいいだろう。
そうやって現在、聖女の地位についているのがラミア・バートール。
顔よし、性格よし、魔法使いとしての力もよし。
民衆相手に献身的な活動をしているということで、リリーとは違った形で国民から慕われている。
というのが俺の聞いた話だ。
そんな良い噂しかない聖女が俺の婚約者ということらしい。
親父、ありがとう!
――違う、今言いたいことはそうじゃない。
「俺ってそんなに信用ないか? 婚約者の話を聞くのが当日の馬車の中って……相手にも失礼だろ」
「トーヤ様ならなんとかすると、信用されてるんじゃないですか?」
欲しい信用のベクトルが違う。
「それに、ここ最近は特に無断外出が多いですから」
「……もしかして、親父のほうにまで話が行ってる?」
「それはそうでしょう。本家から自粛させるようにとの連絡が来ていましたよ。もっとも、外出の理由まではバレていませんが」
「ならいい」
「あ、本家といえば」
マヤは何かを思い出すように、服の中から一枚の手紙を取り出す。
封の部分に龍のマーク。
親父からの直接の手紙である証。
「手紙? 親父からか?」
「はい、重要なものなので絶対に渡すようにと」
「それを今まで忘れてたのかお前」
マヤの神経の太さに呆れながら、手紙を受け取り中身を確認する。
手紙に書かれている内容の前半はほとんど小言。
なので読み飛ばす。
後半に書いてあることが、手紙を送ってまで伝えたかったことらしい。
「トーヤ様、もしかしたらお気づきかもしれませんが、、、その手紙……少し暖かくないですか?」
婚約者に会うからといって、わざわざ息子へ手紙を書くような親父じゃない。
それもセーヤを通すことなく、直接俺に伝えるべきこと。
厄介ごとの匂いがプンプンする。
「実はトーヤ様が寒かろうと、私の懐に入れて温めておいたんです」
さて、何が書かれているのやら。
「ああ、なんと気遣いのできる使用人なんでしょう。我慢できずにハグしてしまってもかまいませんよ?」
うるせえなこいつ。
俺はマヤを無視して、手紙の内容を読み進めていく。
しばらくして手紙を読み終わった俺は、その手紙をマヤへと渡す。
「処分しといてくれ」
「わかりました」
短い言葉を交わした後、マヤの持っていた手紙が一瞬で灰に変わる。
「……相当、厄介な内容だったようですね」
俺の顔をのぞきながらマヤは言う。
今の俺は間違いなく、複雑な表情になっているはずだ。
「ああ、想像なんて空高く頭の上を超えていきやがった」
同じ秘密を持つ者同士、仲良くやれってか。
親父よぉ、冗談きついぜまったく。
ーーーーーー
王都の少しはずれにあるアルシアス教の本部。
広大な敷地から成り、多くの施設が並ぶ。
そして敷地のど真ん中にはアルシアス教が唯一信仰する女神、アルシアス様の銅像が建っている。
俺が通されたのは貴賓室の一つ。
婚約者のほうは準備に手間取っているらしく、部屋にいるのは俺とマヤ、あとは数人の使用人たち。
椅子に座る俺の斜め後ろをマヤが立っており、使用人たちは壁のほうで控えている。
「呼んでおきながら待たせるとは、礼儀がなってませんね。大きなマイナスポイントです」
そうブツブツ言いながら、マヤは手元の紙に何かを書き込んでいく。
「……一応聞いておくが、何を書いてる?」
「婚約者チェックです。ラミア・バートールとかいう小娘が、トーヤ様の婚約者にふさわしいのかどうか。厳正に審査させていただきます」
めんどくさい姑みたいなこと言いだしたんだけど。
「ちなみに、ふさわしくないとお前が判断した場合どうするんだ?」
「このアルシアス教本部を破壊して婚約の撤廃を要求します」
「過激派にもほどがあるわ。せめて破壊する前に要求してやれよ」
馬車の中からうすうす感じてはいたが……マヤの機嫌が悪い。
口数の多いときのマヤは大概機嫌が悪いとき。
これほど機嫌が悪いのは、春にリリーが訪れたとき以来だな。
リリーといえば、前に聖女が悲しむとか言っていたのもこれが理由か。
ニヤニヤ笑うリリーの顔を思い出し腹を立てていると、部屋の扉が開かれる。
「お待たせして申し訳ない」
挨拶と共に現れたのは婚約者のラミア・バートール――ではなく、アルシアス教の幹部の一人。
グロウル・バートール、ラミア・バートールの祖父だった。
「久しぶりだね、トーヤくん。相変わらずホクトくんを困らせているそうじゃないか」
「逆だよ。俺が親父に困らされてるんだ。息子に薬盛るよう指示する親父だぜ」
このグロウル・バートールは親父と仲が良く、何度か本家のほうに訪れたりもしていたため面識がある。
もう60を越えているくせに、40代でも通じるほどには健康的で若々しい。
「おや、そちらの女性は?」
グロウルはマヤのほうを見ると、興味深そうに尋ねてくる。
「おいおい、ジジイのくせになに盛ってんだよ」
「そういうことじゃないさ。私は亡くなった妻一筋だ」
「マヤと申します。トーヤ様の専属使用人を務めております」
「マヤ……そうか、君が……」
マヤという名前を聞くと、なつかしそうに目を細めるグロウル。
「なんだマヤ、知り合いだったのか?」
「いえ、こんな胡散臭そうな顔の人は覚えがありませんね」
「悪人顔は言いすぎだろ。いくら裏でこすいことやってそうな顔だからって」
「脱税くらいは合法とか考えてそうじゃないですか?」
「たしかに」
「君たち、年寄りをいじめて楽しいかい?」
別にいじめているつもりはない。
「まあとにかく、そろそろ孫を部屋に入れるよ。ラミア、入ってきなさい」
グロウルが呼ぶと同時に部屋に入ってきたのは、髪を腰まで伸ばした女性。
アルシアス教の正装であるゆったりとした袖の白い服に身を覆っており、かけているフレームの赤いメガネが知的な印象をかもし出している。
「初めまして、ラミア・バートールです」
学園で遠めに見たことはあったが、なるほど、美人だという噂は確からしい。
挨拶をし、顔を上げたラミアは愛想の良さそうな笑顔を浮かべていた。




