ついてこい
デクルト山での事件から約2週間がすぎた。
黒竜による被害は兵士だけでなく、近隣の街にも多大な被害を及ぼした。
デクルト山にほぼ隣接した生活圏では、村や街そのものが壊滅した場所もある。
死者・行方不明者共に多数。
今なお増えていくその数は5桁に届く。
誰の眼から見ても最悪な出来事だ。
しかし、300年前の事件、黒竜がかつて現れたときと比較した場合――
たったそれだけの被害でしかない。
なんせ、国の半分近くが竜によって滅ぼされたんだ。
単純に被害者の数だけで見れば、当時の事件は桁が違う。
だからこそ、被害地域から遠く離れた者たちは、被害を食い止めた者を英雄として祭り上げる。
その場にいた俺、トーヤ・ヘルトや妹のカナンを。
さらには魔人も倒したということで、神聖視されているといっても過言ではない。
王都の屋敷に返ってきたとき、門の前に集まった野次馬の騒ぎようが半端じゃなかった。
どうやら、魔人カーライを倒したのは俺ということになっているらしい。
ラシェルの存在を隠すため多少の嘘はついたが、どう曲解すればそうなるんだか。
ちなみに、事件のこともあって親父が王都にきていた。
俺がデクルト山にいた理由とか、てっきり色々と聞かれると思っていたが、なにも聞かれなかった。
呼び出しすらされていない。
謎すぎてむしろ怖い。
しかしまあ、とうとう俺も英雄あつかいか……
『多くの死を引き連れて英雄は生まれる。君達が英雄と呼ばれるようになった時、もう一度ここに来なさい。ヘルト家が存在する意味を教えてあげよう』
昔の記憶、俺がまだ金色の髪だったころ。
ある人物から言われた言葉を思い出す。
まだ自分から胸を張って英雄とは言えないが、約束の条件は満たしたはずだ。
俺は目的の場所に行くため、部屋の外に出ようと扉を開ける。
「どこに行くんですか?」
するとそこには、長い髪を後ろでまとめ、使用人服を着た女性。
俺の専属使用人であるマヤが立っていた。
部屋に入ろうとしていたような様子はない。
おかしい。
扉を開くとき、誰にも見つからないよう足音も確認したはずだ。
え、なにこいつ、ずっと扉の前で立ってたの?
「ちょっとした野暮用だ、野暮用」
「外へ?」
「ああ」
「街ですか?」
「いや、ちょっと遠出」
「そうですか……」
……止めないのか?
いつもなら流れるように、罵倒の言葉一つや二つ投げかけてくる――
――は?
強烈な腹部の痛みを感じたと思えば、一瞬の浮遊感ののち、背中にも衝撃が走る。
背中に感じた衝撃は、部屋の壁に激突した痛みだった。
先ほどまで目の前にいたはずのマヤからは、数メートルほど離れている。
ここでやっと俺は、自分がマヤに蹴り飛ばされたのだと理解した。
「お、おいマヤ! 何すんだいきなり!?」
「いきなり?
ずっと言い続けてきたじゃないですか。一人で危険な真似をするな、と」
ゆっくりとマヤが近づいてくる。
いつも通り……いや、いつも以上に冷たい目を向けながら。
「私は、あなたの傍にさえいれば、どんな外敵からもあなたの身を守ると約束できます。それが竜であろうと、魔人であろうと問題なく」
言い切ったよコイツ。
「しかしながらトーヤ様。あなたから私の傍を離れていくというのなら、その限りではないんですよ」
少しずつ、少しずつマヤとの距離がなくなっていく。
逃げる?どこに?すぐ追いつかれる。
魔法陣は?だめだ、通じそうなものがない、部屋の中で使えば大惨事だ。
説得を試みる?聞いてくれるのか?問答無用で蹴ってきた女が。
「フタツ山での件は仕方ありません、敵側からの襲撃です。鬼族の村へ行ったのも、あれはトーヤ様の意思ではない。
ですが、今回の件は別です。トーヤ様自身で火中へと飛び込んで行ったのですから」
「っ!?」
嫌な予感がしたため、必死に体を動かす。
ガアン!という音とともに、先ほどまで背を預けていた壁が穴をあけられ崩れていく。
マヤの蹴りによって。
「お前……さすがにこれは痛いじゃすまねえぞ」
「当然ですよ、骨を折るくらいはするつもりですから。右腕が完治したと思ったらすぐこれです。もう2、3本折っておきましょうか?」
「お茶いりますか? みたいな感じで尋ねることじゃねえよ」
ベッドの近くまで転がった俺は、マヤから見えないようにベッドの下に手を伸ばす。
ベッドの下に隠してある煙幕の魔法陣を起動させる。
気休めにしかならないが、一瞬の判断を遅らせるぐらいなら――
「悪いことを企むのはこの手ですか?」
「うっそだろ……」
目の前にいたマヤが俺の腕をつかんでいた。
そのまま、首元をつかまれ持ち上げられる。
くっそこいつ、魔人より速い。
マヤは首元をつかんだまま、ベッドに仰向けにして俺をおさえつける。
「おいおい、情熱的すぎだろ。いつもクールなのがお前のキャラじゃなかったっけ?」
「仕方ないじゃありませんか。目を離したら、すぐ傍からいなくなってしまうんですから。安心してください。きれいに繋がるよう折ってあげます」
マヤのもう片方の手が、俺の体をなでるようにして足にのびていく。
やばい、こいつ本気だ。
このままだと本当に俺の足を折る。
けど、それは俺がこのまま何も言わなければ――だ。
そして、マヤが言ってほしい言葉を、俺はきっとわかっている。
「マヤ」
「なんですか? 命乞いなら聞きませんよ?」
足折るだけですよね?
「俺がこれから行くのは危険な所じゃない。確かに遠出にはなるが、命の危険はないはずだ」
「だから? 黙って出ていくのを見過ごせとでも――」
「ついてこい、マヤ。お前の出番はないかもしれないけどな」
その言葉を聞いた瞬間、マヤの口角がほんの少し上がったかと思えば、俺から手を放し、立ち上がって言う。
「ええ、どこまでもついて行きますよ」
まるで『初めからそういえばよかったんですよ』とでも言うように笑うマヤ。
「じゃあ行くか。ああそうだ、親父には――」
「言いませんよ。せっかくのトーヤ様とデートなんですから」
「デートじゃねえよ……でもまあ助かる」
なんだかんだ言ってマヤはいつも、ヘルトではなく、俺の味方をしてくれる。
実力的にも、マヤ以上に頼りになる護衛を俺は知らない。
「魔法陣は置いていってください。私がいれば、まず使うことはありませんから」
「ほんと……頼りになるな」
性格はともかく――『当然ですよ』とでも言わんばかりの控えめな笑顔は、やはり魅力的だと思う。
性格はともかく。
三章はこれにて終了です。




