怪物の到来
ラシェルが泣き止み、少し落ち着いたところで俺は声をかける。
「ラシェル、傷心のところ悪いがまだ気を抜くなよ」
話を聞いた限りだとラシェルはほぼ丸一日、まともに寝もせずロスから逃げ回っていたらしい。
今気を抜けば、気絶するように寝てしまう可能性すらある。
「なんで? もう敵も逃げたのに」
「魔人なんかより、もっと恐ろしいバケモンがここにくるからだ。魔法を使って隠れておけ」
よくわかっていないようだったが、ラシェルは素直に幻術魔法を使う。
すると、ラシェルの姿が全く見えなくなる。
気配すらも全く感じなくなり、さっきまで隣にいたのが嘘のように感じられる。
相変わらずとんでもない魔法だな。
しばらく待機していると、そのバケモンが現れる。
相当な勢いでやってきたらしく、そのバケモンが勢いを止めるために踏ん張った地面に、大きないくつもの割れ目が入る。
「無事黒竜は倒してくれたみたいだな、カナン」
「トーヤのほうは? 魔人は倒したの? 右腕、とんでもない色になってるけど」
こいつ……俺が倒せるわけないと分かってて聞いてやがるな。
ちなみに右腕に関しては、ロスに折られてから何の処置もせず動き回ったせいか、なんか怖い色になってる。
大丈夫だよね? 治るよねこれ?
カナンはひと通り辺りを見回すと、俺にたずねてくる。
「魔人は?」
「ロスと名乗っていた魔人は走って逃走中。魔人の疑いのあるヒエラルは『門』を使って逃げられた。カーライは死んだ」
「幻術使いのラシェルって女は?」
「そいつも死んだよ」
「……そう」
カナンにラシェルが生きていることを伝えた場合、間違いなく親父に話がいく。
というか、当然そうすべきだし。
しかし、国やヘルト家にラシェルの処遇を任せればどうなるかわからない。
殺人やらかしちゃってるグループの一員なわけだし。
というわけで、念のためカナンにはラシェルの存在を黙っておく。
「……で、まさか無策で逃がしたわけないよね?」
少し威圧的な態度で、カナンは尋ねてくる。
まさかね、まさかとは思うけどね、そんなわけないよね? とでも言いたげな表情だ。
「ちゃんとマーキングはしておいたよ」
そう言って俺は、カナンに一枚の魔法陣を差し出す。
魔法陣に刻まれた魔法は、ある特定の魔力を触れたものにつける『魔力固定』。
たったそれだけの魔法。
だが意外とこれ、使い勝手がいい。
狩りをする際、獲物相手にまず『魔力固定』によって魔力をつけておくとする。
そうすれば、逃がした後でも感知魔法によって一瞬で探し出せる。
ただ問題としては、魔力の種類を分別できるレベルの、高感度な感知魔法を使える必要があること。
つまり俺のように、感知魔法すら使えない場合……無意味。
そして今回の獲物は、もちろんロスだ。
固定した魔力は、触ったものから触ったものへの移動もする。
俺が魔法陣を拳で触れ、ロスの顔面を二回も殴ったため、ロスの顔にはべったりと魔力がくっついているはずだ。
ちなみに、取ろうと思えば結構簡単に取れる。
水で流したりとか。
そのためロスが感知魔法などを使い、顔におかしな魔力がついていると気づき、魔力をはがされたら詰み。
逃亡を許すことになる。
「53番の魔力反応だ。逃げたのもついさっきだから、まだデクルト山から出てないと思うが……」
53番、それはロスになすりつけた魔力の反応。
こういうときのために、ヘルト家の人間は1000ほどの魔力反応を覚えさせられる。
繰り返しになるが、感知魔法を使えない俺は例外。
「…………」
カナンは目をつぶり、集中力を高めていく。
感知魔法の精度を上げ、必死にロスの捜索を行っている。
「どうだ?」
「うるさい黙れ」
泣きそう。
そのまま口を閉ざし、十数秒ほどたって、やっとカナンは口を開く。
「……見つけた。まだデクルト山から出てない」
ということは……まだ十分射程内だな。
「魔法の準備するから、とっとと離れてくれない?」
……もう少し兄に対して優しくなってくれてもいいと思うの。
内心不満だらけになりながら、俺は言われた通り傍を離れる。
カナンの姿が小さく見えるくらいまで離れると、俺はラシェルに声をかける。
「いるか?」
「いるわよ」
姿は見えないが、ラシェルの声だけは聞こえる。
「そのまま姿だけ隠しておけ。ここまで離れれば、声までは聞こえないはずだ」
まあ聴覚強化を使えば、カナンなら余裕で聞こえる距離だが、感知魔法や攻撃魔法の準備で、そんなことに気をさかないだろう。
「ねえ……もしかして兄妹仲悪いの?」
「そんなことはない」
「悪いんだ……」
嘘を見破る能力ずるくない?
そうこう話していると、カナンの右手から液体のようなものが流れ出てくる。
「彼女……何をしてるの?」
「もちろん、魔人を倒すための準備。おそらく槍だろうな。
見とけよ、俺みたいな偽物なんかとは違う。あれが本物の英雄だ」
カナンの右手から出ていた液体のようなものは、見る見るうちに形を変えていき、2メートル近くの槍の形へと変化する。
「もしかしてあれ……毒?」
「そうだ、毒の凝固であの槍は作られてる」
カナンのメインは毒。
これは世間的に広まっているため、ラシェルも毒という結論にたどり着いたのだろう。
毒魔法。
毒をそのまま扱うことはもちろん。
魔力により凝固させ、武器として扱うことも可能。
毒など塗る必要もなく、簡単に毒性武器を作り上げることができる。
ほかにもできることは色々とあるはずだが、カナンの魔法で見たことがあるのはそれくらい。
ちなみに、毒魔法は『特殊指定魔法』という扱いを国から受けている。
『特殊指定魔法』として制定されるのには、様々な理由がある。
いい理由の場合もあれば、悪い理由もある。
要は、そういうのを全部ひっくるめた総称みたいなもの。
では毒魔法が制定された理由は何か?
すべての魔法の中でも、群を抜いて危険な魔法だからだ。
え、魔法なんてなに使っても危険なもんだろって?
否定はしない。
けど毒魔法の危険な所は、魔法の制御がかなり難しく、ちょっとのミスが術者本人の死につながるとことだ。
制御を誤れば、自分自身で作り出した毒によって死ぬ。
火魔法とかのように、徐々に威力を大きくして練習というのも、かなり難しい……というかできたやつなど知らない。
つまり、周りに対する被害ではなく、術者自身にとって大きな危険が伴う。
「毒魔法なんてよくメインにできるわね。ほぼ確実に、修得途中で死ぬと言われている魔法なのに」
「昔、一緒に森に遊びに行ったときのことだ。ちょっと目を離したすきに、カナンがどっかいっちまったんだ。まだカナンが小さいころだったからな。めちゃくちゃ焦ったよ」
「たしかに、小さい子を森で一人なんて……相当焦るわよね」
生態系とか破壊すんじゃねえかとひやひやした。
「やっと見つけたと思ったら――
『見てみて! 毒を使う魔獣のマネ!!』
そうやって嬉しそうに、完璧に制御した毒魔法を俺に見せてきたんだ」
「…………」
顔は見えねえけど、間違いなくドン引きしているのがわかる。
「まあこの話だけでも、どれだけあいつが規格外なのかわかっただろ。本気を出したカナンには、近づくことすらできない。『絶対不可侵の魔女』――カナンが世間でそう呼ばれている所以だ」
カナンが槍を持って、投擲の構えをとる。
感知魔法、身体強化、毒の制御、槍の強化。
そのすべてを同時に行いながら、魔力を高めている。
もし感知魔法を使えば、恐ろしいほどの魔力がカナンから感じられるはずだ。
ついにその槍が、投げられる瞬間が訪れる。
「身構えろよ。この距離でもすげえ衝撃がくるからな」
カナンの手から、槍が放たれる。
『天翔ける死毒の槍』
耳を突き破るような激しい音と共に、一瞬で視界からその槍は姿を消す。
「や、槍を投げた瞬間から……もう見えなかった」
震えるようなラシェルの声が、耳元に届く。
「な、やべえだろ? ヘルト家にはまだあれより上がいるんだぜ」
カナンは槍を投げた後、何も言わずにこの場を去っていく。
追撃にでも行ったのだろう。
カナンが離れると同時に、ラシェルの姿が見えるようになる。
膝をつき、自らを抱しめるようにして、必死に体の震えをおさえようとしていた。
「魔法を解かなかっただけでも、誇っていいと思うぜ」
「精霊がいなかったら……とっくに使えなくなってた」
それでも十分だと思うけどな。
「あなたは怖くないの? あんな魔法を目の前で放たれて」
感知魔法を使えないってこともあるけど……
「もう慣れたよ。あんなもん、うちじゃ日常茶飯事だ。さ、今のうちに下山するぞ」
そう言って俺は、ラシェルの前で背を向けて腰を下ろす。
「……なに?」
「もう体力も限界だろ。足の震えも、カナンの魔法が原因ってだけじゃないはずだ」
「……」
戸惑うそぶりを見せながらも、ちゃんと俺の肩に掴まる。
「右腕折れてるから、支えは左だけになるぞ。しっかり捕まっとけよ」
「わかってるわよ……」
その声は少し不機嫌そうに聞こえた。
「ヘルトの人間に背負われるのは屈辱か?」
「命を救ってもらったようなものなんだから……ヘルトでも、あなたならそんなこと思わないわ」
どうやら恩はきっちりと感じてくれているらしい。
背中を刺されることはなさそうだな。
「……ねえ、嫉妬とかしなかったの?」
「カナンにか?」
「ええ」
カナンに対して嫉妬か……
「まあそういう気持ちもあるけど、やっぱそれ以上に自慢の妹だからなあ。『どうだ? 俺の妹はこんなに強くてかわいいんだぞ!』ってな」
「貴族なら特に……兄弟姉妹の優秀さや、自分との違いって、素直に喜べないものだと思うけど……」
「ラシェルもそうなのか?」
「……そんなことを思ってた時期もあったわ。見たことのない兄や姉を、羨んだ日もあった」
「……俺の場合、嫉妬する気すら起きない実力差、ってこともあるのかもな」
空気が重くなりそうだったので、軽くふざけた感じで話すと、ラシェルは突然笑いだす。
「く、ふふふ……ごめんなさい。でも、あなたやっぱり変わってるわ」
そうかねえ。
いつの間にかラシェルは、ぐっすりと眠っていた。




