尊敬と畏怖
【シータ視点】
それは明確な変化だった。
目に見てわかる変化。
竜たちに生まれた迷い。
今まで何のためらいもなく、ただひたすら殺すために殺し続けた竜は、突如として正気を取り戻す。
なぜ自分たちはここにいるのか?
それすらも理解できていないような戸惑いを見せる。
「一体何が……?」
まさか、あの黒い竜が死んだ?
となるとカナン様が、この数分の間に倒したことになる。
そんなことがありえるのだろうか?
私たち王国兵士が束になってかかっても、相手にすらならなかった化け物を。
今までにいだいた希望がすべて打ち砕かれたこともあり、カナン様の勝利を素直に信じることができない。
けれどカナン様は炎の中から堂々と、無傷のまま歩き出てくる。
「カナン様!」
「元凶は倒した。これで竜種にかけられた洗脳は解けるはず」
なんとでもないというように、当然のことのように、カナン様は自らの勝利を告げる。
やはり英雄家は格が違う……
心の底から、その異常な強さに感心していると、兵士の死体が赤竜によって貪り食われる姿が目に入る。
しまった!
洗脳は解けたかもしれない。
けど、竜の存在そのものが危険であり、まだこの場には空を埋め尽くすほどの竜が集まっていることを忘れていた。
白竜のように温厚な竜なら、自発的にこの場から去っていってくれるかもしれない。
しかしそれ以外の竜が、そこら中に転がる人間の死体を目の前にして、見逃すはずがない。
「くっ……!」
死んだ仲間が食べられそうになるのを見て、考えるよりも先に飛び出そうとする。
「待って」
「え?」
それをカナン様に肩をつかまれ、止められる。
「大丈夫、私がなんとかするから。怖い思いさせることになると思うけど……」
そう言って私から離れるカナン様の顔は、少し悲しそうに見えた。
「ふぅ……」
カナン様の息を吐く音が聞こえた瞬間、それは起こる。
『失 せ ろ』
――――!!?
その刹那、竜も人も関係なく、その場にいたすべての生物の動きが止まった。
いや、デクルト山全域かもしれない。
全身が凍り付く。
呼吸が止まる。
カナン様から放たれた殺気に、考えるよりも速く、本能が生きることを諦める。
カナン様は一言も発していない。
それにもかかわらず、心臓を貫くような冷たい言葉を聞いた気がした。
一瞬の出来事がまるで永遠のようにも感じられた。
カナン様の使った魔法はおそらく『強者の圧』だ。
おそらくというのは、これほどまで濃密な死を感じるような『強者の圧』を受けたことがないから。
“強者”なんてものじゃない。
もはやそれは、問答無用で死を引き連れる“死神”のものだった。
『剣聖』である私の師匠でも、ここまでの圧は生み出せない。
これが英雄家の本気……
「グルゥアアアアアア!!」
少しの静寂の後、すべての竜が蜘蛛の子を散らすように逃げ出す。
我先にと、デクルト山から離れていく。
翼が破れ、脚がもげた竜でさえ必死に這いずりながら、カナン様から距離をとろうとする。
竜の遮っていた明かりが、デクルト山に降り注ぐ。
災害がたった一人の人間によって、いともたやすく解決した。
だというのに、私の体の震えはいまだおさまらなかった。
カナン様はそんな私をちらっと見た後、すぐに目を逸らす。
「……ごめん、私にはまだやることがあるから……インをお願い」
そう言ってカナン様はこの場を去っていく。
“ごめん”
そのたった一言の謝罪が、とても重く感じられた。
ーーーーーー
時間は少しさかのぼり……
【トーヤside・トーヤ視点】
目くらましと触覚機能を備えた霧。
多彩な応用を効かせた魔力弾。
魔人の圧倒的な魔力による防御魔法。
これに加えて身体強化魔法。
俺たちが追いつめられるには、十分な理由だった。
メインが霧ということもあり、魔人ロス・ライトはあきらかにサポートによった魔法使い。
それだけは幸運だったといってもいいはずだ。
ただひたすら逃げに徹することで、まだなんとか生きている。
「どうした? なぜ攻撃してこない。いつまで無様な姿をさらすつもりだ?」
うるせーな、こっちは避けるだけで精一杯なんだよ。
「様子見だよ様子見。心配しなくともすぐに嫌というほど殺し続けてやるさ」
イラついたようにロスは身体強化魔法で俺に肉薄してくる。
すさまじい蹴りを、拳を、その攻撃をひたすら避ける。
体で防御してもダメ。
防御すれば、その部位が使いものにならないのは明白。
だからほんとに避けるしかない。
攻めることを完全に捨て、避けることだけを考えていれば、なんとか避けれる。
避けて避けて避け続け、チャンスを見つけていくしかない。
少し大振りになった拳を、避けると同時に叫ぶ。
「今だカーライ!」
カーライの攻撃を警戒し、ロスはその場にとまり防御魔法をはる。
だが、数秒立っても攻撃は飛んでこない。
当然だ、ブラフなんだから。
「残念、嘘でした」
その間に、俺はゆうゆうと距離をとる。
ちなみにカーライは、本気になったロスに一瞬でぼこぼこにされ、魔力回復に努めている。
正直言ってしまうと期待外れすぎる。
頼むからもう少し粘ってくれよ……と、つい口に出そうになる瞬殺っぷりだった。
だからしばらくは一人で戦うしかない。
「そういえば聞きたかったんだけどさ、お前がそこまで人間を見下す理由ってなんだ?」
「……」
俺の質問にカーライは答えない。
その代わり、今度は3発の魔力弾を飛ばしてくる。
「うおわっ!?」
横っ飛びでそれをなんとか避ける。
「おいおい、質問に対してそりゃねえだろ。言葉のキャッチボールをしようぜ」
「殺し合いだというのにペラペラと余裕だな」
いや、まったく余裕とかないんだけどね。
けどしかたない。
“言葉”は数少ない俺の武器だ。
無駄な行為に思われるだろうし、隙を与えることになるかもしれない。
それでも魔法が使えない俺は、使えるものを最大限使っていくしかない。
その上で、相手をひたすら観察する。
足の運び方、魔法を発動するときの癖、俺の言葉に対する反応。
一挙一動を見逃さずに、相手の一歩先を行く。
「で、さっきの質問の続きだ。お前が人間を見下しているのは間違いない。そこで、一体どこからその見下す理由が来てるのか俺なりに考えてみた」
ロスの眼が一瞬、焦点が俺からずれる。
位置的には、ちょうど俺の背後。
ほんの少し横を向き、ロスを視界から外さないように真後ろを確認すると、2発の魔力弾がせまっていた。
俺はとっさにジャンプし、空中で体をひねるように避ける。
「っと! あぶねえあぶねえ。まあ理由として考えられるのは、嫉妬心だったり、コンプレックスだったり、いくつかあるんだが……正直どれもしっくりこなかった」
魔力弾を避けた後も、ロスは攻撃の手を休めてはくれない。
容赦なく一撃必殺の攻撃を加えてくるが、俺はそれでもしゃべり続ける。
「なんというか……恨みの中に怒りのようなものが隠されてる気がするんだ、違うか?」
当然、ロスは答えない。
「過去に、人間という存在をあきらめてしまうような体験をした」
相変わらずうんともすんとも言わないし、鉄仮面も崩れない。
けど、ほんの少し攻撃が大振りになってきている。
「問題なのは、どんな体験だったであれ“人間”というくくりで怒りを持っているということだ。誰か特定の人物ではなく。それはなぜか? その体験が起きたとき、すでに魔人であったため。そして、魔人だったがゆえに起きた体験だった可能性が――」
「黙れええええ!!!」
『濃霧・幻影と踊れ』
いきなり感情を爆発させたロスは、今周りにある霧よりもさらに濃い、煙のような霧を発生させる。
それにより、完全にロスの姿が見えなくなる。
「おまえらが先に俺を、姉さんを拒絶したんだ!! 魔人という存在の崇高さもわからぬようなクズどもが! 卑劣な手段しか用いることのできないゴミどもが! この世にのさばることなど俺が許さん!!」
なんだこいつ、せっかくの目くらましが大声で台無しだぞ。
俺は声の方向を正面に向いて、すぐにでも反応できるようにする。
だが、ロスの現れたのは意外な方向だった。
声の聞こえる方を正面とした場合、左斜め後ろ。
その方向の霧の中から、ロスが突っ込んでくる。
あわてて振り向いてロスの姿を見た瞬間、ある違和感をおぼえる。
……違う、ロスじゃない。
これは……!
「ただの霧だよ。俺の姿を投影した」
ほぼ背後から、ロスが蹴りをくりだしてくる。
だめだ、避けれねえ!!
とっさに右腕を出し体をガードする。
腕があらぬ方向へと曲がり、骨の砕ける音がなる。
蹴られた勢いは死なず、数メートルほど飛ばされる。
うごおぉぉぉぉぉ!!
腕もげるかと思った……
あーくそ、いくらなんでもなめすぎてたか。
死んでも死なない魔人だ。
そりゃ死合経験も豊富なはずだし、あんなもんで動揺してくれるはずもなかったな。
右腕はもう使い物になりそうにない。
「なんでここに……!?」
倒れている俺のすぐそばで聞こえる戸惑うような声。
それは、魔法で触覚機能から逃れていたラシェルのものだった。
ラシェルの右手は、魔力を回復している魔人カーライに触れていた。
最悪だな……よりによって飛ばされたのがここって……
「と、とにかく速く私に触れて!」
そう言って左手を伸ばし、俺も魔法の有効範囲に入れようとするが――
「どうやら俺はついているらしい。これでまとめて殺処分できる。手間が省けたな」
俺たちの姿を見下すロスが、目の前に立っていた。
トーヤは常にピンチ




