恐怖と克服
【イン視点】
昔からそうだった。
影の同期で何をするにも一番はツエル、二番がデイル。
私はいつもパッとしない順位。
メインもそう。
ツエルが闇魔法なんていう準特殊指定魔法ならば、私は自分の体重と身に着けている物の重さを少し操れるというやはりパッとしないメイン。
同性からはよくうらやましがられるけど、体重を量るときに使うと魔力が出るのですぐにばれる。
実際に昔やってみたら秒でばれた。
とまあそんなふうに、なにかとパッとしないのが私だ。
そりゃ多少は気にしたりもするけど、そんな深刻に悩んだりはしない。
結局のところあきらめてしまっているのかもしれない。
私は所詮こんなもんなんだと。
ーーーーーー
ロスがデクルト山の霧を解除するほんの少し前。
黒竜とツエル含む王国軍の戦いは、もはや一方的な虐殺といっても差し支えない事態になっていた。
「距離を詰めすぎるな!!」
「不用意に魔法を使うな! 無駄に魔力を消費するだけだ!」
「誰か! 助けてくれ、仲間が!!!」
「おい、どこだ!? どこ行った!?」
「ギャアアアア!!!」
指示や悲鳴が入り交じり、場は混乱する。
霧による視界不良もあり、もはや軍は軍として全く機能していない。
一方で黒竜のほうは巨体でありながら、霧を上手く利用して少しずつ王国軍の数を減らしていく。
地味に見える戦いながらも、いつやられるかわからない恐怖を、王国軍に確実に与え続けていた。
「派手な魔法で一気に殺せることだってできるくせに……少しでも恐怖を与えて絶望してから殺すってわけ? ほんと、魔獣のくせに人間みたいな考え方……嫌になる」
愚痴を吐きながらも、インはなんとかして黒竜の居場所を突き止めようとする。
(相変わらず魔力感知にはみじんも引っかからない。この霧で目は使えない。鼻は苦手だし……となるとあとは耳!)
『聴力強化』
魔力で強化したインの耳に悲鳴が聞こえる。
インはその方向へと走り、ナイフを数本取り出し片手に持つ。
竜のシルエットが見えると、持っていたナイフに魔法をかける。
『硬度強化』×『加重効果付与』
そのナイフを三本同時に竜の頭めがけて投擲する。
もちろん、それが有効な攻撃になるとはインも思っていない。
今までずっと一方的に軍側がやられていたわけではない。
軍として機能していた最初のうちは、黒竜に対して攻撃をあてることはできていた。
しかし武器での攻撃も魔力弾の一斉掃射も、黒竜の固く分厚い鱗により、まったくといっていいほどダメージを与えることがかなわなかった。
そのため少しでも牽制になればいい、そんな気持ちで放ったナイフだった。
ところがそのナイフは竜の眉間へ深々と刺さり、巨体のシルエットがその場に倒れる。
「え……?」
予想外のことに驚くも、そのまま倒れた竜の傍に近づく。
その倒れた竜を見て、インは納得するとともに心臓が跳ね上がる。
「……黒じゃない」
竜の体色は黒ではなく、見間違うことのないほどの白色。
それは竜の中では比較的危険度が低く、温厚で人を襲うことなどないと言われている白竜と呼ばれる竜種だった。
なぜこんなところに別の竜種がいるのか?
なぜ白竜が人を襲ったのか?
それらの理由をインは理解していた。
(しまった! 感知魔法をおろそかにしすぎた!!)
改めてインは辺りを見回し、耳を澄ませる。
「うわああぁぁぁ!!」
「た、助けてくれ! 死にたくない!!」
「いやだあぁぁぁぁ!!!」
耳をふさぎたくなるような悲鳴、絶望の声がすべての方向から聞こえる。
「なんだよこれ!? どうなってんだちくしょう!!」
「どうしていろんな方向から叫び声が聞こえてくるんだ! 黒竜だけじゃねえのかよ!?」
次々とやられていく見えない仲間と、どこから襲ってくるかわからない敵に、もはや収拾がつかなくなっていた。
(……もうだめだ、集まってしまっている。カナン様の助けもこのままじゃ望めない。
黒竜を倒すほどの戦力はここにはない。ああ……ここにきていたのが私ではなくツエルなら何か変わっていたのかなぁ……前と比べてさらに力つけてたし、もしかしたら黒竜を倒すことだってできてたかも……やっぱり私はこんなもんか……)
すべてを理解し、状況をしっかりと把握しているからこそ、インの心は折れてしまう。
インはその場に膝から崩れ落ちてしまう。
その状況を見ていた兵士の一人が、インのもとへ近づく。
その兵士は、『剣聖』の一番弟子を名乗ったシータ・メルイだった。
「何をしている!? 戦場のど真ん中で膝をつくものがあるか!!」
シータはインに向かって叱咤するも、インの心には届かない。
「おい! いい加減に……」
シータが無理やりでもインを立たそうとしているところで、シータの言葉がいったん止まる。
次にあげた声は、うれしさが隠しきれないような声だった。
「見ろ、霧が晴れていくぞ!!」
その言葉に、うつむいていたインも顔を上げる。
するとあれほどの濃密な霧が、どんどん晴れていくのが目で見てわかるほどだった。
しかし、シータはここである違和感を感じる。
その違和感の正体にシータはすぐ気づいた。
今はかなり明るい時間帯であるにも関わらず、辺りが暗い。
夜というほどでもないが、昼間というにはあまりにも暗かった。
曇っているのかと考えたシータは空を見上げる。
その目に映ったのは、まさに絶望的な景色だった。
シータがみたのは空でなく、その空を埋め尽くすほどの竜の大群。
赤竜、青竜、緑竜、様々な種類の竜が空を飛んでいる。
空だけではない、地上にも多くの竜種が降りてきており、兵士たちを無差別に襲う。
竜種など、普通に生きていれば人生でそう何度も見るものではない。
にもかかわらず、視界を覆いつくすほどの竜がデクルト山に集結している。
あまりの出来事に、シータは言葉を失う。
『神による絶対命令』
この技こそが、黒竜が“竜神”と呼ばれる所以。
黒竜の叫びは竜を狂わせる。
それがたとえどんな温厚な竜であろうと、冬眠中の竜であろうと関係ない。
すべての竜が黒竜のもとへと集い、黒竜のために動く。
叫びは、叫びを聞いた竜から竜へと伝えられ、世界中へと広がっていく。
そうして万を超える竜が、一斉にシール王国へと侵攻を開始した。
それこそが300年前、シール王国を破滅の危機へと追い込んだ魔獣災害である。
今度はシータの心が折れる。
当然だろう――危険度Aにも届く竜が何万と目の前にいるのだから。
シータだけではない。
周りの兵士たちも明らかに気持ちが折れる。
それどころか、あまりの恐怖に発狂するものまで出てくる。
そんな恐怖が場を埋め尽くす中で、インは一人笑った。
ーーーーーー
【イン視点】
兵士たちにとって霧が解けたことは絶望でしかないはず。
でも私は違う。
この事態を私は最初からわかっていた。
だから霧が解けたことは私にとってプラスでしかない。
竜のせいでわずかにしか届かない光でも、これは間違いなく希望の光。
私は右手を高々と空にかかげ、魔法を発動する。
手の先から黄色の煙が高々と空へ上がる。
黄色の煙は、ヘルト家にとって救援要請の合図。
カナン様なら間違いなくこれだけで事態を察してくれる。
問題があるとすればそれは、黒竜がこの場から離れていってしまうこと。
このまま全滅してしまったら、当然黒竜がこの場にとどまる理由がない。
最悪竜たちを引き連れ、王都に向けて侵攻を開始してしまうかもしれない。
さすがにカナン様といえども、空を飛ぶ竜の速度には追いつけない。
つまりカナン様がたどり着くまでの時間稼ぎが必要になる。
でも……私だけでどうにかできる問題じゃない。
黒竜だけでなく、それぞれ特徴の違う竜種がすべて敵としてこちらを殺そうとしてくる。
どう考えても生き残っている兵士たちの力が必要なんだけど……そのほとんどが生きることを諦めてしまっている。
一体どうすれば……
じりじりと近づいてくる竜種たちに警戒しながら、どうやって兵士たちを鼓舞しようかと考えていると、一日ほど前にトーヤ様とした会話を思い出す。
ーーーーーー
『今回のこともそうですけど、怖くないんですか?』
『なにが? セーヤのことか? それとも不機嫌な時のマヤか? あ、本気でぶちぎれたときのカナンか?』
『違います、いや全部怖いですけど。自分からわざわざ魔人に突っ込んで行ったり、格上相手に命を危険にさらすことですよ』
『怖くねえよ。そりゃ死ぬかもって思うことや、やべえ!って思うことは何度もある。けど本気で自分が死ぬ姿は想像できたことがない。なんだかんだ上手くいくと心のどっかで思ってるからな。例え人類が滅びても俺は生きてる自信があるぜ』
ーーーーーー
あ、だめだ。
全然参考にならなかった。
人がみんなトーヤ様みたいに楽観的になれるわけじゃない……
でも、トーヤ様のような人に皆が惹かれるのは確かだ。
自分の勝利を確信し、自分が死なないということを微塵も疑わない。
そんな人に対して、人々はついていく、人々は奮い立つ。
トーヤ様ならきっといの一番に竜相手に立ち向かい、兵士たちを自然と鼓舞してしまうのだろう。
でもここにトーヤ様はいない。
いるのはいつもパッとしない私だけ……
なら、私がトーヤ様になるしかない。
できないとかじゃない、ならなきゃ死ぬだけ。
絶対になって見せる!
「聞け! シール王国の勇敢なる戦士たちよ!! 今この場にカナン・ヘルト様が向かっている!」
カナン様の名前をだしただけで、兵士たちの目に活力が戻る。
ああ、やっぱりヘルトの名は偉大だ。
その名を聞くだけで勇気を与える力がある。
「私たちの勝利条件は黒竜を倒すことではない! カナン様がたどり着くまで耐えることだ!!それが近隣の住民たちを、このシール王国を救うことになる! いいか! ついさっき隣で倒れていった仲間たちをただの犬死とするか、それとも国を救うために戦った英雄とするのか!! それを決めることができるのは生きている我々だけだ!! 立て、シール王国の兵士たちよ! ここが歴史の分水嶺、生き延びて見せろ!! そして英雄となれ!!」
言い切った、正直自分でも言いたいことがまったくわからなかった……けど。
根拠などどこにもない言葉だって、自信満々に言い切った。
私の言うことこそがすべてで、真実だという気持ちで。
「そうですよ……これは私たちが英雄になるチャンスじゃないですか!」
「娘と同じくらいの女の子に鼓舞されてたんじゃ……かっこつかねえよなぁ」
「た、倒す必要がないんなら俺たちだって……!」
シータを含めた兵士たちの士気が上がっていく。
私の演説は、どうやら兵士たちの心に響いてくれたらしい。
私は所詮こんなものなんだと。
妥協してた、諦めてた。
でも今のこんな私じゃこの場は乗り切れない。
だから、私は私を超える。
どんな手を使っても今の先を行く。
こんなところで絶対死んでなんかやらない。
帰ったら莫大な特別手当申請してやる。
例えそれが一時的なものだとしても、恐怖を克服した人間の恐ろしさ、見せてやるわよトカゲども!




