近づく災害
黒竜、神の名を冠するその竜を前にシール王国の兵士たちは一歩も動けないでいた。
彼らに戦闘経験がないわけではない、危険度Aの魔獣と交戦した経験を持つ者もいる。
そんな彼らでさえ、黒竜の放つオーラのようなものに圧倒されていた。
見るからに強靭な鱗で全身が覆われ、
角、牙、爪、翼、その体のすべてが凶器であり、
人間など比較にもならないような巨躯を持ち、
すべてを塗りつぶす純粋な黒が、より一層不気味さを醸し出す。
「ぐ……う、うわああぁああ!!」
兵士の一人が黒竜の圧力に耐えきれなくなり、何を思ったのか、黒竜へと無策のまま勢いに任せて突っ込んで行く。
「やめろ! 戻るんだ! 勝手なことをするな!!」
仲間の兵士が必死に呼び戻そうとするも、駆け出した兵士にその声は届かない。
黒竜は自分のほうへと向かってくる兵士に対し、爪を振り下ろす。
次の瞬間、その兵士は体が三つに分かれ絶命した。
その光景を見た周りの兵士たちは、悲鳴すらも上げられない。
あまりにも簡単に奪われた命を目の当たりにし、彼らは理解する。
自分たちはこの化け物相手に、何もできず殺されるのだと。
その場にいるほとんどが命を諦めたその時だった。
黒竜の体が大きく右に揺れる。
突然のことに戸惑う兵士たちだったが、すぐにそれは誰かが黒竜の頭部を蹴り飛ばした、つまり攻撃を加えたことによるものだと理解する。
だがその人物は兵士ではなく、まだ少女といっても差し支えのない見た目の女だった。
頭部へと蹴りを加えた少女はそのまま地面へと落ちていくが、すぐに態勢を整えた黒竜が落ちている最中の少女に向かって爪を振り下ろす。
空中で身動きの取れない少女に、その攻撃は避けられないはずだった。
しかし、少女の地面へと落ちていくスピードが急に加速し、爪による攻撃をかわす。
それはあきらかに自由落下を無視した動きだった。
そのまま地面へと降り立った少女は、黒竜から瞬時に距離をとる。
「固すぎでしょ。今の全力だったんだけど」
「き、きみは……」
傍にいた兵士が少女の正体を問う。
「シール王国特権階級、ヘルト家にお仕えしているものです。私ができうる限りの時間を稼ぎます。みなさんは今すぐこの場から離れてください」
ーーーーーー
【イン視点】
実際に化け物を前にして、ひしひしと感じる。
ああ、これは絶対に敵わないなと。
しかし、ここまで来てしまえばもう後には引けない。
それにしてもまさか敵が竜種だとは思わなかった。
ただこんな色の竜種は見たことない。
魔獣についての知識は幼いころからかなり覚えさせられていた。
もちろん竜種についての知識も全部頭に入っているはず……なんだけど。
この竜種については何もわからない。
何を得意とするのか?
どんな魔法攻撃をしかけるのか?
弱点は何か?
ただでさえ厳しい状況だっていうのにほんと最悪……。
「ナルタ中尉!ここからの指揮権は君に託す!! 今すぐこの場から退避するんだ!」
「はっ!!」
兵士のうちの一人、かなり年を取った男が指示を飛ばす。
その男は指示を出し終えると、私のもとへと近づいてくる。
「私はシール王国第5大隊隊長のジャクシ・モルソン。見ての通りの老兵だ」
「……インと申します」
名乗られたため一応名乗り返しておく。
といっても実はこの名前、偽名なんだけどね。
「この場は私が請け負おう。お嬢さん、君もこの場から離れなさい。若い命をこんなところで散らすことはない」
……かっこいい!
いけてるおじさんだ、いけおじだ。
「そうしたいのはやまやまなんですが、そういうわけにはいきません。率先して死地に飛び込むのは、ヘルト家に仕えるものとしての義務ですから」
とまあ普段の私なら絶対に口にしないような、かっこつけたことを言う。
……でも確かに私はまだうら若き乙女なわけで。
本来こんな危険場所にいていいわけがない。
おじさんがどうしてもというなら私も無理に残ったりは……
「どうやら決意は固いようですね……」
あ、ちょっと待って!
固くないから!めちゃくちゃゆるゆるだから!!
もう少し粘って!
「なら二人で可能な限り足止めしましょうか。もっとも10分もつかどうかも怪しいところですがね」
……なに、最初からそのつもりだったじゃない。
大丈夫、私は泣かない。
それにしてもなかなか黒い竜は動かない。
私たちがしゃべっている間も、どういうわけかこちらを見ているだけでなにもしてこなかった。
一体どういうつもりなんだか。
それに何よりも不気味なのがこの竜の魔力を感知できないこと。
魔力がまったくない、なんてことはありえないはず……なんだけど。
トーヤ様じゃあるまいし。
このままこの竜だけに感知魔法を集中してても意味なさそうね。
そう思い、感知魔法の対象を目の前の竜から広範囲に設定し直した。
相変わらずカナン様の魔力は見つからない。
カナン様さえいればこんな化け物簡単に……
…………は?
なに……これ?
ありえないありえないありえない!!!
私の感知魔法にありえないものが……いや、ありえないものたちがひっかかる。
なにこの数……まさかこれ全部……なんで……
想像もしていなかった事態に頭の整理がまったく追い付かない。
こんなのこの山だけじゃない、あたりの街も……
いや、下手すればこの国でさえ……
まさか……竜神!?
「……どうかしたのかね?」
そんな私の様子を、不思議に思ったジャクシさんが心配そうにたずねる。
きっと今の私は、相当ひどい顔をしているに違いない。
めちゃくちゃどうかした!
でもどうすればいい!?
この事態をどう説明すればいい!?
「ジャクシ中佐、私も残って戦います。今代『剣聖』の一番弟子として敵前逃亡はできません。皆を逃がすために戦います」
誰? さっきまでいた兵士たちは、ジャクシさんを残して全員逃げたと思っていたけど、どうやらまだ残っていた人がいたらしい。
しかも私より少し年上くらいの女の人だった。
「申し遅れました、シータ・メルイと申します。シール王国第5大隊所属、階級は一等兵です。このしんがり、私も助力いたします」
助けてもらえるのはありがたいが、これはもう足止めとか時間稼ぎとか言ってられなくなってしまった。
「じゃあさっそくなんですけど、一つお願いしてもいいですか?」
「私にできることであればなんなりと!」
『当然!』とでも言うようなすばらしい顔で答えてくれる。
ああでも、私がこれからいう言葉を聞いたらきっとおかしな顔するんだろうな……
「じゃあ……
さっき逃げていった人、全員連れ戻してきてくれません?」
「「…………は?」」
やっぱり。
ーーーーーー
カナンside
カナン・ヘルトは身体強化魔法を使いながら、居場所のつかめない黒竜を探し続けている。
大体のいる方向はわかっていても、細かい位置までは今だ特定できずにいた。
理由は二つ。
一つ目は黒竜の魔力をまったく感知できないため。
黒竜の全身を覆う鱗には、魔力を遮断する効果がある。
このため、黒竜が持っている莫大な魔力は通常時、一切感知されない。
インの感知魔法が意味をなさなかったのも、この効果によるもの。
そのため、カナンは竜にやられた犠牲者の魔力を感知し、黒竜の居場所を特定しようとしていた。
だが、今はそれすらもできなくなってしまっている。
それこそが理由の二つ目である。
命を失い、魔力が消えていくその反応が、デクルト山のほぼ全域で感知されるようになったため。
つまり、至る所で兵士たちが黒竜以外の何者かによって殺されているということになる。
このため犠牲者の魔力を追う方法が意味をなさなくなってしまった。
この現象についてカナンは、兵士たちを殺しているものの正体も、このような事態になっている理由も理解していた。
理解している――わかっているからこそ焦りが増していく。
「まずい……もう魔獣災害の域にまできてる」
焦りと不安だけが積み重なり、ほとんどあてのないままカナンは駆けていく。
現状況
トーヤ→魔人ロス相手にラシェル達と共闘
イン→兵士達と共に黒竜と交戦
カナン→黒竜の追跡
影に所属している人は全員普段から偽名を使っています。
ツエルも実は偽名です。




