地獄は刻一刻と
鬼族の村にて
「いいか!?絶対手え離すなよ!
全力で抑え込め!!」
「そっちも暴れてるぞ、増援を呼べ!
メリダさんはまだか!?」
『ゲギャアアアアアア!!!!』
今この村では、通常起こりうるはずのない事態が起こっている。
予兆や前触れのようなものは何もなかった。
村近くで冬眠をしていた灰竜たちが、突如として暴れだしたのだ。
冬眠に入り、あと数ヶ月は起きるはずのない竜。
その竜たちは、誰の目から見ても正気ではなかった。
それはなにかの強迫観念にとらわれているように。
誰かに命令されているかのように。
まるで“どこかに向かわなければならない”というように、すべての竜が一方向に飛び立とうとしていた。
この村の鬼たちが、縄などで竜を縛りながら必死に抑え込む。
数ヶ月前まで、トーヤと行動を共にしていたソフィーも一緒になって竜を止めにかかる。
「おばあちゃ~ん、はやくきて~~!
もうもたないよ~~!」
力自慢の鬼たちといえど、竜一体を抑え込むのに5、6人は必要になる。
しかし、いきなりのことだったため人数が集まらず、10頭近くいる竜に対し鬼たちは30人ほどしか集まっていない。
つまり1頭あたり3人で抑え込んでいることになり、抑えきれなくなるのは時間の問題だった。
「1頭逃げ出したぞ!!」
ついに抑えが持たなくなり、竜のうち1頭が抑えていた鬼を振りほどき走り出す。
そして翼を広げ、今にも飛び出そうとする瞬間だった。
ピタリ、と竜の動きが止まる。
いや違う、止められたのだ。
たった1人の鬼によって、微動だにしないほどに。
それも竜の足を片手でつかむだけで。
「おいおい、どいつもこいつも急に暴れだしやがって。
なんだ、そんなにいいメス竜があっちの方にいんのか?」
竜たちが飛び立とうとしていた方向を見ながら、余裕がありそうに竜を抑える。
そんなことができるのは、鬼といえどもただ一人。
シール王国において生ける伝説とまで呼ばれる、メリダ・カーナーだけだ。
「おばあちゃ~~ん!!」
助かったとばかりに安堵の声を漏らすソフィー。
「このくらいで何を泣きそうな顔してるんだ。
私の孫ならこのくらいの事態、口笛の一つでも吹いてみろ」
「おばあちゃん、私口笛吹けない~!!」
「いや、余裕を持てって意味だ。
まあいい、とにかくこいつらをおとなしくさせるか」
そういうとメリダは荒ぶる灰竜たちに向かって殺気を放つ。
それもただの殺気ではない。
魔力を使ったれっきとした魔法。
『強者の圧』
この魔法は自分より格下のものにしか使えない代わりに、生物の生存本能に直接影響を与える。
この技を受けたものは、相手との格の違いにより心が恐怖で埋め尽くされる。
それにより本能が生きることを諦め、その場から動くことさえも困難にする。
いくら灰竜といえども、メリダの圧をくらえば影響を受けることは間違いない、はずなのだが……
「ゲギャアアアアアアア!!!!」
「……嘘~、おばあちゃんの威圧が聞いてない。
本能に作用する魔法なのに、本能以上になにか強制するものが灰竜たちにあるってこと~~?」
一体や二体ではない、すべての灰竜が一向に暴れることをやめようとしない。
「はあ……ったく、めんどくさいが一体ずつ殴って気絶させるか。
うっかり殺さないようにしないとな」
数分後、すべての灰竜が等しく地面に転がっていた。
「めんどうかけやがって、今のうちに頑丈な鎖ででも縛っとけ」
手をパンパンとはたきながら、その場にいた鬼たちに指示を出す。
「も~ほんと大変だったね~~。
急に竜たちが暴れだすなんて初めてだよ~」
心底疲れたというような顔と声で、ソフィーがメリダに近づく。
傍にまで行き、ソフィーがメリダの顔を見ると、先ほどまでの余裕のあった顔は険しいものに変わっていた。
「……どうしたの~おばあちゃん」
「初めてじゃない」
「え?」
「こんなことが300年前にもあった、しかもその時は――」
メリダはひとり言のようにつぶやくと、灰竜たちが向かおうとしていた方の空を向く。
それは、三ヶ月ほど前に一人の男を見送った方角。
その直線状にシール王国が存在する。
「とりこし苦労ならいいんだが……」
ポツンとつぶやかれた希望。
しかし、その希望はとっくに打ち砕かれているということをメリダは知らない。
ーーーーーー
【トーヤ視点】
「カナン、状況は?」
「……まだ大丈夫、けど時間の問題だと思う」
「さっきの咆哮が合図だと考えるべきだな」
俺とカナンの会話を、ダヴィと傍にいた兵士は“何の話をしているのかわからない”といった表情で聞いている。
俺たちがしている話の内容は“竜神”と呼ばれる黒竜について。
300年前にたった一度現れた竜の詳細な特徴や能力、そんなものを知っている奴なんてそういない。
そもそもまともな文献すらあまり残ってない。
だからダヴィたちが話を理解できないのも無理はないんだ。
けど丁寧に説明している時間はない。
現在進行形でこのデクルト山が地獄になりかけている。
「ダヴィ、お前はそこの兵士と一緒に今すぐ山を下りろ」
俺のこの命令に、ダヴィは当然のことながら反論する。
「な!?それはできません!
私はトーヤ様の護衛でここにきているんですよ!」
もっともな意見だ、通常時なら。
正直今の事態は、俺の命の一つや二つぐらいでギャーギャー騒ぐ段階じゃない。
「いいかダヴィ、時間がないから詳細には話せねえが、今からデクルト山で起こるであろう事態を伝える。
この山は30分後……いや、20分後には――」
俺の話が一通り終わる。
話を聞いたダヴィと兵士は、とても信じられないというような表情で固まっていた。
「そんなことが……ありえんるんですか?
たった一体の竜がそんなバカげた力を……」
嘘であってほしい、とでもいうような震える声でダヴィは尋ねる。
けど残念ながら事実だ。
「ただ強いだけの魔獣じゃ危険度Sにはならねえ。
ただ強いだけの竜じゃ“神”は名乗れねえ。
もちろん単純な強さだけでも危険度A+の魔獣、五王よりも上。
そんだけやばいやつを敵に回してることを自覚しろ、下手すりゃ万を超える数が死ぬ。
300年前の事件を繰り返すわけにはいかねえんだ。
だから今すぐ山を下り、近くの村や街の人間を避難させろ。
他にも山を下った兵士や街の自警団と協力しながら、人民をできるだけデクルト山から遠ざけろ。
拒否権は無しだ」
これだけ言えばダヴィが断ることはないと思うが、それでも語尾を少し強めに命令する。
「……トーヤ様はこれからどうするんですか?」
「俺はカナンと一緒に行動する。
それならまだ安心できるだろ」
そういって俺はカナンを指さす。
あ、今カナンにすげえ嫌そうな顔された。
「……本当にあの人そっくりだ。
わかりました、私もシール王国国民として全力を尽くします。
トーヤ様、カナン様、お二人に女神アルシアスの加護がありますように。
行きましょう!」
「はい!」
そういってダヴィは兵士と一緒に全速力で山を下りていく。
最初のほうなんかボソッとつぶやいていたな、まあ全部聞こえたんだけど。
リリーと一緒にされるのは心外だ。
「ダヴィさん、街でスカウトしたなんて嘘でしょ」
二人っきりになったカナンに、嘘を見破られる。
やっぱばれてたか、まあ騙せるとも思ってなかったけど。
「さあ、どうだったかな」
「まあいいけど、それで私たちはどうする?」
「別行動でいく」
そう提案した俺を、カナンはジト目で見てくる。
「……なんだよ?」
「さっきダヴィさんに言ったこと、さっそく反故にしようとしてるし……」
「仕方ねえだろ、言うこと聞きそうになかったんだから。
それより魔人の居場所とかわかるか?」
俺の質問に、カナンは少し悩んでから答える。
「魔人特有の異常な魔力の持ち主は感知魔法にひっかかってない。
けど、一部に魔力の流れがおかしなところがある」
「おかしなところ?」
「まるで魔力の壁のようなものが感知を阻害してる。
球体みたいな感じで……」
魔力の壁?まあとにかく、なんらかの魔法で感知魔法を阻害している可能性が高いな。
他に候補がないなら、そこが魔人の居場所最有力地か。
魔人が魔力隠匿魔法を使っている可能性も捨てきれないが。
「距離は?」
「東に二キロほど行ったところ」
二キロか、近いな。
「なら俺はそっちに行く、カナンはこれまで通り黒竜を追ってくれ」
「私はかまわないけど、トーヤが行ってもどうにもできないでしょ。
殺されるのが関の山」
おおう、さすが我が妹。
言葉の暴力に容赦がない。
「もちろん倒せるとは思ってないさ。
けど多少の状況改善ぐらいはしてやる。
それに俺たちはヘルト家だ。
この国の誰よりも、真っ先に命を張らなきゃならねえ存在だろ」
「こういうときだけヘルト家がどうこういうのほんとずるい。
……わかった、それでいい。
私は兵士の教えてくれた方に向かう」
俺とカナンはお互い確認をとり、その場を離れようとする。
「ああ、あと最後に」
走り出そうとする直前、カナンが何かを言おうとする。
「ん、なんだ?」
「トーヤが死んでも葬式とか絶対に出席しないから」
……え?
今の発言、お兄ちゃんかなりショックだったんだけど……
「だから死ぬな」
そう言って、身体強化魔法全開でカナンはその場を離れていく。
………………おし!
「やるか」




