それぞれの地獄へ
【ラシェル視点】
『いい? 私がお仕えしていたクレア様は、あの非道な英雄家に殺されたの。絶対に英雄家は滅ぼさなければならないのよ』
『あなたは偉大なる王の血を引いている。あなたならきっとできるわ!』
だいたいこの二つが私、ラシェル・ガイアスが生まれてからずっと、母に言われ続けてきた言葉。
物心がつく前からこれだった。
教育?――そんなわけがない。
こんなものは洗脳だ。
そのため、昔の私は漠然と英雄家を恨んでいる人間だった。
何も知らず、何もわからず、ただあいつらが悪いのだと言い続けていた。
その上、傲慢ときたもんだ。
荒れていたと言っても過言ではない。
絶対に友達とかにはなりたくないタイプ。
そんな時に出会ったのが、魔人であるカーライだった。
ーーーーーー
トーヤ達が竜の正体を黒竜であると看破したタイミングから、時間は一日ほど遡る。
「な、なんだここは……? 転移されたのか?」
目の前に広がる霧と岩場。
カーライとラシェルは、つい先ほどまでとは全く違う風景に戸惑いを隠せない。
「みんなは!?」
カーライやラシェル達といた仲間たちもその場にはいない。
「どうやらあのヒエラルとかいう男に転移させられたらしいな。これだけ岩場が広がっているとなると、デクルト山で間違いないだろう。それも空気が薄い……もしかしたらかなり頂上付近かもしれん。
……あと気になるのはこの霧か。まず間違いなく、ロスという男の魔法だ」
最後のロスという言葉に、ラシェルが反応する。
「そういえばさっきもロスとかいう名前が出てたけど……誰のこと?」
「ああ、本名はロス・ライト。昔ある組織に所属していた男で……」
「やあ我が同胞よ!! 会えてうれしいぞ」
カーライとラシェルの会話を遮り、霧の中から現れた人物。
それはまさに、カーライが名を口にした人物だった。
「……こいつのことだ。『人権剥奪のロス』と呼ばれた最悪の犯罪者……500年前のな」
苦虫を噛み潰したような顔で、唐突に現れたロスを睨みつけ、カーライは警戒心を高める。
ロス・ライトという男を初めてみたラシェルも、そいつがただならぬ強さを持つということがすぐにわかった。
そしてその男が、狂気にあふれていることも。
「初めまして、カーライ・テグレウ。どうやら俺の名と顔を知ってくれているようで、嬉しい限りだ」
「当然だ。500年前お前の……いや、お前たちの手配書を見ない日はなかったからな」
「500年前って……まさかこいつも魔人なの!?」
ラシェルが疑問を口にすると同時に、初めてロスの視線がラシェルのほうへと向く。
ずっとカーライの隣にいたラシェルを、まるで今やっと認識したかのように。
ラシェルとロスの視線が重なる。
「っ!!」
ラシェルが見たロスの目は、自身が人生で初めて向けられるものだった。
体が底冷えするようにまで感じる冷たい目。
興味も何もない、目障りなだけの存在。
きっとこの男は、私を殺すことに何のためらいも抱かない。
そうラシェルは確信する。
「おい、ヒエラル。なぜゴミがこんなところに混ざりこんでいる。ここは崇高なもののための場だと、言っておいたはずだ」
口調も丁寧なものから一気に口汚くなる。
カーライからラシェルへの態度の変化が、ラシェルには同一人物のものとは思えない。
「申し訳ありません、先ほどの転移の際にひっついてきてしまいまして」
ロスの隣に、先ほどまでいなかったはずの存在が現れる。
ヒエラルと自ら名乗った男、カーライとラシェルをこの場に連れてきた張本人だった。
「たしかラシェルとかいう幻術を使う女です。一応王族の血も引いています」
「……そんなことも知ってるのね」
ラシェルは自分が王族であるということまで、相手にばれているという事実に動揺する。
それとは対照的なのが、ヒエラルから情報を受けたロスの態度だ。
「ふん、しょせん王と言えども虫けら共の王だ。下等生物であることに変わりはない」
どこまでも不遜なそのロスの態度。
だがあくまでカーライとラシェルの二人は、冷静に対応しようと心がける。
「いいか気をつけろラシェル。あいつも私と同じ魔人だ。メインは霧を使った魔法。それに……かなり狂っている。
あいつは自分が認めないものに対して徹底的に痛めつける。物を見る権利がないと言って眼をくりぬき、立ち上がる必要などないと言って足を切断する。最悪の場合には生きている価値がないと言い、大義など何もなく、自分本位な考えで命までも奪う。かつて一つの村で、総勢100人以上の村人全員が手足を切断された状態にされ、見世物のように磔にされていたことがある。こいつの手によってな……」
「……いかれてる。……けどこいつが実力者なのはわかる。油断しないようにするわ」
そんな二人の会話が終わるのを待っていたかのように、ロスがまた話し始める。
「さてカーライ、本題に入ろう。君をわざわざこんなところに招いたのは他でもない。ゆっくりと交渉がしたかったからだ。俺は今、昔とは違うある組織に所属していてね。そこに君も招待しようと思うんだ」
突然の予期しなかった誘いにカーライは面食らうも、彼の中でそれにイエスと答える気は当然ない。
「何を言うかと思えばくだらない。勧誘の仕方としては最悪だな、お前の言う下等生物にノウハウを学んだらどうだ?」
「……それは断るという意味でとっていいのか?あまり気は進まないが、なんならそこの下等生物も連れて行っていいんだぞ。愛玩動物くらいには目をかけているらしいからな」
カーライの隣にいるラシェルを、指さしながらロスが提案する。
「泥水のように汚れ切ったお前の目に、どう映っているかは知らない。だがな、私の隣に愛玩動物などはいない。志を共にする仲間だけだ。当然、その話はことわっ!?、ガッ……」
カーライが言葉を言い切る前に、カーライの左腕が肩の部分から吹き飛ぶ。
「カーライ!?」
いきなりのことにラシェルは、カーライの名を呼ぶことしかできない。
ロスのほうを見ると、まるで魔力弾をうった後のように手を構えていた。
(嘘!まさか魔力弾を撃ったの!? 撃つ瞬間も、当たる瞬間も、魔力弾そのものも全く見えなかった……)
これだけでラシェルは理解する。
このロスという男は強いなんてものではない。
自分たちでは、到底かなわない相手だということを。
「言っただろ?ゆっくり交渉すると。安心しろ、俺は同族には寛容だ。いくら言い間違えようと許してやる。さあ、もう一度答えを聞かせてもらおうか?」
吹き飛ばされたカーライの腕は、魔人特有の回復力でみるみると治っていく。
しかし、同じ魔人でありながら、わずかな時間で示されたその圧倒的な実力差。
腕が完全に治るも、カーライは不用意にその場から動けない。
そこで突然、ラシェルがカーライの体に触れる。
『虚偽世界』
次の瞬間、ロスとヒエラルの視界から、カーライとラシェルの姿が消える。
転移のようなものでなく、世界にその存在が溶け込むように。
「なるほど、あれが幻術魔法というやつか……交渉の邪魔をするとは、羽虫には過ぎた魔法だ。まあいい、時間はたっぷりとある。じわじわと追い詰めていくとするか」
狂気に染まった表情で、魔人は笑う。
ーーーーーー
時は現在へと戻り――
【イン視点】
ああもう、一体どこ行ったのよあのうんこ野郎。
探しても探しても見つからない。
というか、自分が一体どこまで転移させられたのかもわからない。
それなのにこの広いデクルト山で、(魔力が少なすぎるから)感知魔法にも引っかからないトーヤ様を探せなんて絶対無理!
そもそもトーヤ様が生きている保証もないし……
『ガアァァァァァアア!!!』
「っ!!」
トーヤ様の安否を心配していると、思わず耳を塞いでしまうような咆哮が響き渡る。
私はこの声の主を本能的に理解できた。
転移されてすぐ、魔獣と遭遇したあの時の恐怖を体が思い出す。
しかも、かなり近くにそいつはいる。
まずい!今すぐ逃げなきゃ……
そんな考えが当然のように真っ先に浮かび、そのまま実行に移そうとしている時だった。
ほぼ無意識のうちに使っていた感知魔法で、魔獣のいる方向に感じた多くの魔力。
おそらく兵士たちだ。
何人かが集団で固まっている。
このままだと間違いなく殺される。
だからといって、私が行ったところでどうすることもできない。
……そうよ、このまま逃げればいいじゃない。
あの魔獣はどう考えても私の手にはおえない。
今はトーヤ様を探すことが最優先。
だから誰も責めたりなんてしないはず……いや、トレンドさんとかならめちゃくちゃ怒りそう。
私にはツエルのような実力はない。
デイルのように、ヘルト家を崇拝しているわけでもない。
トレンドさんのように、ヘルト家のためならいつ命を落としてもいい、などという覚悟は微塵もない。
影の仕事を続けているのも、給与がいいからという理由だけ。
そもそも、こんなところにまでついてきたことさえ私らしくない。
素直にトーヤ様の提案に乗って帰っていればよかった。
なんでついてきちゃったかな……特別手当とかあるわけじゃないのに。
いや、さすがに申請したらもらえるわよね?
命の危機にさらされるような事案なんだし。
トーヤ様だってこんなときならきっと――
……きっと逃げないんだろうな、あの人は。
普段、貴族らしからぬ振る舞いをしていようと、あの人の本質はやはりヘルト家のもの。
魔人カーライがフタツ森で現れたときもそうだった。
今回のこともそう。
意識してか無意識か、まるで自分が解決すべきことだとでも言うように、トラブルに首を突っ込んで行く。
おとなしく引っ込んでればいいのに、私なんかよりよっぽど弱いくせに……
結局、あの人の奥底には強い正義が隠れている。
どんな相手だろうとひるむことない正義の心が。
ツエルがあんなにもトーヤ様を慕っている理由が、今になってやっとわかった気がする。
……私も少しぐらい、かっこつけてみよっかな。
次はトーヤ方面に戻ります。




