相対するものたち
「……え?」
今インの目の前に広がる景色は、先ほどとはあきらかに違うものだった。
洞窟の中などではなく、開けた場所に立っている。
そこが岩場であることと、霧に覆われていることに関しては、なんら変化はない。
しかし、インにとってもっとも優先しなければならないトーヤの姿がない。
共にトーヤ護衛の任を受け持っていたダヴィの姿も見当たらない。
「……まさか転移させられた? 警戒はしてたはずなのに……どうやって……」
時間がたつにつれて、インは落ち着きを取り戻し状況を把握していく。
(とりあえずトーヤ様と合流するのが最優先か。霧はさっきと変わらず発生してるし、そこまで離れたところに転移させられたわけじゃなさそうね。魔法を発動させた人間の力量によるとはいえ、霧に覆われているのは広くても半径数キロほどの規模のはず。これだけの濃霧だと本当は動かない方がいいんだけど……)
トーヤを見つけるために、その場から動こうとするイン。
その時、背中にぞくりとするような悪寒を感じる。
インはあわてて気配遮断の魔法を使い、体を隠せそうな岩の影に隠れる。
(なに、この感じ……!?)
感知魔法を使ったわけではない。
ただ尋常ではないなにかを感じた。
インが長年『影』として培ってきた経験による感覚が、死をも感じさせるほどの恐怖を本能に訴えかける。
セーヤやカナンといった英雄家の人間が本気を出す姿。
それを初めて見たときに感じた恐怖を、インに思い出させる。
(まさかカナン様?)
カナンならば、これほどの圧を感じるような感覚を覚えても不思議ではない。
しかしそのすがるような考えは、すぐに霧散することになる。
少しずつ、その得体のしれない存在がインに近づく。
かなり距離が近くなったが、隠れているインにはその姿が見えない――いや、見ることができない。
近づいてこそわかる圧倒的な存在感に、インは身動き一つとれない。
姿を見てすらいないにも関わらず、インの心が恐怖で塗りつぶされる。
ただ見つからないことを、祈ることしかできなかった。
(カナン様じゃない……いや、そもそもあの禍々しさは人間じゃない! あれは間違いなく魔獣、それも化け物の類……なんでこんなところにあんなのが存在してるのよ!!)
そもそもこのデクルト山には、魔獣どころか生物すらまともに存在していない。
ここに魔獣が存在しているということは、あきらかに自然なことではない。
しばらくして魔獣と思われる生物の圧がなくなる。
インは思い出したかのように、荒く呼吸をする。
汗の量が尋常ではなかった。
そんなインの姿を誰かが見れば、憔悴しきっていると判断するだろう。
「……とにかく、トーヤ様を見つけないと……」
インはなんとか持ち直し、腰を上げトーヤを探そうと歩き出す。
すぐに持ち直したインはさすがというべきなのだが、魔獣が向かった方向近くに歩き出せるほどの勇気はない。
その足は、自然と反対方向へ向いていた。
異常な霧の発生に、化け物の出現。
このときデクルト山には、トーヤ達の想像を絶する異常事態が起こっていた。
ーーーーーー
【トーヤ視点】
急斜面をかなりの勢いで転がり落ちる。
途中、何度も硬い岩に激突した。
なんとか受け身をとりながら転げ落ちているものの、このままじゃ最悪死ぬ。
しばらく落ちていき、やっと斜面が緩くなっていく。
そのおかげでだんだん勢いも弱まっていく中、なにか硬い物質にあたる。
岩ではなく、加工した金属のような感触を覚えた。
気にはなったが確認する余裕もなく、またしばらくしてやっと完全に勢いが死に、止まることができた。
「あーくそ、いってええぇ。全身打撲してるぞこれ、骨もところどころやっちまってるな。あ~あ、血もこんなに――」
なんとか上半身を起き上がらせ、辺りを見てみる。
そこには水たまりができるほどの大量の血が――
「いや多くね?」
あきらかに俺の血だけではない。
これが全部俺の血なら間違いなく失血死だ。
どうなってんだこれ?
慌てて立ち上がり、先ほどよりも広範囲に辺りを見回す。
くっそ、霧のせいでよく見えねえ。
「だ……か……」
っ!? 今声が!!
か細く今にも消え去りそうだが、かすかに声が聞こえる。
その声のもとに大急ぎで駆け寄る。
すると鎧をまとった男が、息も絶え絶えな状態で見つかった。
王国軍規定の鎧に服装……まず間違いなく王国軍の兵士だ。
けどなんでこんなところに……
軍が山に入るのはまだ先だと思っていたが。
それより気になるのは兵士の傷だ。
まだなんとか息はあるものの、致命傷を受けており、もう長くないのがわかる。
「た……け……」
それでも必死にその兵士は何かを伝えようとする。
その声に俺も全力で耳を傾ける。
「り……で……ゲホッ……み…………た」
それだけ言うと、兵士は力尽きたように眠った。
正直ほとんど聞き取ることはできなかった。
けど、唇の動きから何を言いたかったのかは理解できた。
『りゅうがでた、みんなやられた』
この兵士は死ぬ間際までしっかりと情報を残してくれた。
「ありがとな、お前の言葉は確かに聞き届けたぞ」
もう聞こえていないであろう兵士に言葉をかけ、その場を離れる。
少しその辺りを歩くと、他にも多くの兵士がみな死体姿で見つかった。
どの死体も、爪や牙などでやられたような跡がついている。
中には見るも無残な死体まで転がっていた。
間違いなく人外によるもの、あの兵士の言う通り竜で間違いなさそうだ。
だがその場合、いくつかの疑問が浮かぶ。
まずは、なぜここに竜がいるのかということ。
これは当然の疑問だ。
次に、捕食された形跡がほとんどないこと。
人を食うという目的以外で、魔獣が人を襲うことはあまりない。
しかし死体を見れば、その殺し方は食うための殺しではなく、殺すための殺しであることは間違いない。
死体が広範囲に広がっている――つまり竜は広範囲に広がった兵士たちすべてを殺している。
頭のいい竜種が、こうも無差別に人を殺すか?
霧といい、頭のいかれたやつといい、今度は行動原理の読めない竜かよ。
……一体どうなってんだ。
なんにせよ、竜なら危険度Aは覚悟しなきゃなんねえ。
しばらく歩いてみても、やはり死体が多く転がっている。
一人として息をしている人間はいない。
ほんと徹底的だな……むしろそれだけ兵士達を恐れてるんじゃないかとも思えてくる。
数十分ほど歩いた時だった。
自分のほうへ近づいてくるような足音が耳に入る。
一瞬竜かとも思ったが、足音の質感から人間のものであることがわかる。
とはいえ、さっきの奴らや襲撃者達の可能性もあるため警戒は解かない。
……逃げるのもありか?
「誰かそこにいるんですか?」
逃げることも考えていたなか、相手のほうから声をかけてくる。
霧のせいでまだ姿は見えない。
が、その声は俺がよく聞いたことのある声だった。
幼いころからずっと聞いてきた、少し低めの少女の声。
だんだんと近づいていき、ぼんやりとシルエットが見えてくる。
背丈からしても間違いない、数日前にヘルト家の屋敷で目に焼き付けた姿だ。
ついにお互いの姿がはっきり見える距離まで近づく。
会えると思っていなかった人物と相対し、俺は内心かなり驚いている。
けど相対している人物は俺以上に驚いているはずだ。
相手からしたら、俺はこの場にいるはずのない存在だからだ。
現れたのは赤い髪をなびかせた少女。
俺の妹であるカナン・ヘルトが、俺と見合うように立っていた。
ーーーーーー
「やっぱりデクルト山は避けた方がいいんじゃない?」
「それは無理だ。出回っている情報によれば、ここ以外は完全に軍の奴らに包囲されている。それに私にとって不利な場所だからこそ、まさかデクルト山を通るとは思っていないはずだ」
数人の男女が、デクルト山のふもと付近でもめるように話し合っている。
「安心しろラシェル、メインを使うための方法ならいくつか用意している。王族らしくどんと構えていればいい」
ラシェルと呼ばれた金髪の少女に、桁外れの魔力を持つ中年ほどの男。
彼らこそが魔人カーライを含む襲撃者達、トーヤの誘拐を実行しようとした組織である。
不安そうに話すラシェルに、意見を押し通そうとする魔人カーライ。
「けど、もし軍と鉢合わせたらこの戦力じゃ……グッ!」
ラシェルは左肩の痛みを感じ、話を続けられずに肩をおさえる。
「大丈夫ですかラシェル様!?」
「まだあの女にやられた傷が……」
ラシェルの後ろについていた二人が、心配そうにラシェルに近づく。
「心配しないで、大丈夫よ。それよりもここを通るのはやっぱり――」
「これはこれはカーライ・テグレウ様!! よくぞご無事で」
ラシェルの声をかき消したのは、トーヤ達をバラバラにした男、ヒエラル・ハイディーンだった。
「誰だ?」
いきなり現れた自分たちの見知らぬ男に、カーライたちは最大限に警戒心を働かせながら尋ねる。
「ヒエラル・ハイディーンと申します……と、こうして名乗らせてはいただきましたが、今回カーライ様に用があるのは私ではありませんので、覚えていただかなくともかまいません」
「王国軍の人間か?」
「いえいえ、違いますよ。むしろ王国とは相対するものです。そしてカーライ様に用がある方も然り」
容量をえない男のしゃべり方に、カーライたちはいぶかしげな顔を浮かべる。
「カーライ様に用があるのはロスさんというお方です」
ロスという名前にピンときていない様子のカーライを見て、ヒエラルは続ける。
「ロス・ライトさんですよ。あなたと同じ時代を生き、オーヤ・ヘルトによってその素晴らしき力を封じられたあなたの同士。……覚えがありませんか?」
そこまで言われてカーライは、何かに気づいたような反応をとる。
「ロス・ライト……まさかあの組織の……!? “人権剥奪”のロスか!?」
その言葉を受け、嬉しそうな表情でヒエラルは続ける。
「その通りです! よくぞ思い出してくださいました!! 説明をする手間が省けます。それでは、早速彼のもとへお連れしましょう」
そうヒエラルが口にした瞬間、攻撃を警戒したカーライはラシェルのかたに触れ、自分の後ろに下がるように促す。
カーライとラシェルの姿が消えたのは、それとほぼ同時だった。
「な!?」
目の前で仲間が消えたことに、ラシェル達の仲間は驚きのあまり声をあげる者も出る。
「おや、余計なものも一人くっついてしまいましたか。まあ一人ぐらい問題ないでしょう」
「おい! ラシェル様達をどこにやった!?」
一人の男が血相を変えて問い詰めようとする。
ヒエラルはその男を一瞥するも、興味がわかないといった態度を浮かべていた。
「……どうせこのあと死ぬ運命にある弱者たちですからね。ほおっておいてあげましょう。ああ、なんと慈悲深い私……」
それだけ言い残すと、ヒエラル自身もその場からパッと姿を消す。
その場には、実力者を一気に失い途方に暮れる集団だけが残った。
インにSAN値チェックはいりまーす。




