逃走
第一章です。
学園とかいいながらまだしばらく入学しません。
シール王国建国祭――
それは名の通り、シール王国の建国を祝う祭りであり、王都で盛大に行われる国内最大級の行事だ。
街に多くの屋台が立ち並び、国中から人が集まり、広場では演劇や演奏が披露される。
そんなめでたく喜ばしい日に、俺は神経を研ぎ澄まし、道行く人の言動に耳をかたむけ、細心の注意を払いながら移動する。
多くの人間がこの日を満喫し、はしゃぎ、騒いでいるなか一体俺は何をしているのだろうか?
嫌な汗が顔からしたたり落ちる。
人々の喧騒がかすむほど、心臓の鼓動がうるさい。
奴は今どこにいる?
本当なら俺も、普段から外れている羽目をさらに外して楽しむつもりだったのに……!
今の時刻は午後一時、この恐怖から解放されるまであと二時間。
どうしてこんなことになってしまったのだろうか……
きっかけは本当に些細なことだったんだ。
話は少しさかのぼる――
ーーーーーー
建国祭当日の朝、俺は祭りへの期待と共に、強い安堵感を持って自室で目を覚ました。
というのも、俺は毎年この祭りに参加しているのだが、その際ヘルト家の治める領地から無断で抜け出すという手段をとっている。
しかし今年は少し事情が違い、俺はすでに王都にいるため、その必要がない。
俺が王都にいる理由は、この春から通う魔法学園の入学式が一週間前に迫っているからだ。
つまりここはヘルト本家ではなく、王都にあるヘルト家の別邸であり、学園にはこの別邸から通うことになっている。
そのため例年のように馬車を手配する必要もないし、夜中に使用人にばれないよう、こそこそ抜け出す必要もない。何かしら爆発させて俺から目を逸らさせる必要もなければ、高い金を払って影武者を雇う必要もないわけだ。とても平和。
時刻は7時前。家のもうすぐ目と鼻の先で祭りが始まろうとしている。
その事実に高鳴る胸を抑えられない。
さあ! 力の限り楽しむぞ――
――と、勢いよく開いたドアの先にはマヤが立っていた。
「どちらへ行かれるおつもりですか?」
……まあそう簡単にはいかないか。
貴族の子供を1人で祭りになんて行かしてくれるわけもないし、襲撃もあった後だ。
監視の目も当然厳しくなる。
仮に、親父の頭がパッパラパーになるといったような奇跡が起こり、祭りに行くことを許されたとしても、その場合は間違いなく護衛がつけられる。
祭りの最中、常に大人数で俺を囲み、何かを口にする際は毎回毒見をしてから。
もしそんなことになれば、純粋に楽しむなんて絶対に無理だ。
さて、どうきりぬけたものか。
「いやなに、いい天気だし、ちょっと庭にでも行こうと思ってな」
「そうですか。では私もついていきますね」
そりゃついてくるわな。1人で行け、とはさすがにならない。言われたら泣くけど。
どうにかしてマヤの気を逸らせないものか。
マヤの俺を見る眼が心なしかいつもより厳しい。
絶対に祭りには行かせないという意思を感じる。
なんとか突破口を見つけられないかと、廊下を歩きながら俺はマヤに探りを入れてみることにした。
「マヤはさ、祭りとか行かねえの?」
「どこかのへっぽこな誰かさんが、家でおとなしくしていて下さるのなら、私も気兼ねなく遊びにいけるんですが」
「…………こらこらマヤくん。そうやってすぐ主人をバカにするような発言を――」
「おや? 私はトーヤ様の名前を出した覚えはないんですが……もしかして、『へっぽこ』という部分に心当たりでもありましたか?」
…………殴りてぇ~~~。
ちょおっと話しかけただけだってのに、盛大に皮肉ってきやがって。ケンカ腰すぎない?
そうかそうか、そっちがその気なら……そのケンカ買ってやろうではないか。
俺は満面の笑みでマヤへ告げる。
「まあそうだよな。祭りなんか行くことになっても、使用人仲間からも影で『氷漬けの鉄仮面』なんて言われてるマヤに、祭りを一緒に行ってくれる友達なんているわけないか。いい年した女のボッチ祭りなんて、周りの目がつらいもんな。ごめんな!!!」
ここから俺の逃走劇は始まった。
ーーーーーー
というようなことがあり、俺は現在化け物に追われている。
軽いジャブだったはずの言葉が、どうやら逆鱗に触れてしまったらしい。
『ボッチ』という言葉か、『いい年』という言葉か、はたまた、『氷漬けの鉄仮面』か。どれかはわからないが、それを口にした後のマヤの目がまじで怖かった。人を殺せる目って、ああいう目を言うんだと理解してしまった。
少しの間フリーズしたため、その間に逃げることができたが、奴は今も確実に追ってきている。
先ほどから、すごい剣幕をした使用人が歩いていたという目撃情報がちらほらと出ているからだ。
しかし、俺はまだついている。
今日は午後三時から使用人報告会(という名のお茶会)がある。
マヤはそういう会に、サボることなくきちんと時間通り出席する。
そのため俺は三時まで逃げ切れば、後は思う存分祭りを楽しめるというわけだ。
道行く人々の話し声を聞き、最新の情報を手に入れ、悪魔の手から逃れる。
そんなふうに聞き耳をたてながら歩いていると、この騒がしいなかでもしっかりと透き通る女の声が聞こえてきた。
「だから、お金を持ってくるのを忘れたんですよ! お願いです! あとで払いますから!」
「わりぃけどお嬢ちゃん、屋台で後払いとかねーのよ」
「そこをなんとか!」
「んなこと言われてもな~」
その声のほうを見ると、串焼肉の屋台で売り手のおっさんと、俺と同い年ぐらいの少女が口論?している様子が目に入った。
祭りの日にお金を持ってくるのを忘れるのもなかなかマヌケだが、お金がないのに売ってもらえるよう交渉するとは、かなりおかしなやつだ。
見るに見かねて俺は屋台のほうに近づく。
「おっさん、串焼き二つ」
俺が声をかけると、少女に絡まれていたおっさんが喜んで話を切り上げ、いそいそと串焼きを手渡す準備を始める。
会話を中断させた俺を、少女のほうは恨めしそうに睨む。
「はい、串焼きお待ち!」
金を払い、受け取った二本の串焼きのうち一本をさきほどの少女に差し出した。
「ほい」
いきなりだったためか少しキョトンとしていたが、すぐに俺の行動の意味を理解したらしく、差し出した串焼きを受け取る。
「いいんですか?」
「いいよ。とりあえずこのまま突っ立ってると邪魔だし移動するぞ」
そういって壁際まで行き、買った串焼きを食べながらちらっと先ほどの少女を横目で見る。
改めて確認した少女の容姿は、正直言ってびっくりするほど整っていた。
きれいな銀色の髪がうしろで一本にくくられていて、美しさだけでなく、笑うとかわいさも感じられる。
立ち振る舞いもどことなく品があり、たどたどしく串焼きを食べる様子を見ると、お忍びできたどこかの貴族令嬢だと言われても納得してしまいそうだった。
「ありがとうございます。わざわざ買ってもらって」
少女は少し時間をかけて串焼きを食べ終えた後、頭を下げて俺に感謝する。
しかし、なにかその行動に俺は違和感を覚えた。
理由はわからないが、なんとなく不自然な気がした。
…………まあいいか。
そこまで気になったわけでもなかったため、感じた違和感を無視する。
「いいよいいよ。えーっと……名前聞いてなかったな」
「ああ、そういえばまだ名乗ってませんでした。そうですね……リリーと呼んで下さい」
なんだ今の間? 絶対今考えた偽名だろそれ。別にいいけど。
「リリーか。俺はトーヤだ」
「トーヤ……それにその黒髪黒目、もしかしてあの英雄家のですか!?」
うそぉ、ばれんのはや。
俺の正体を看破した少女は、興奮した様子で俺に顔を近づける。
普段からこういうお忍びでも割と本名を名乗っているが、それでヘルト家の人間だとバレたことは今まで1度もなかった。この瞬間までは。
しかもこのリリーと名乗る少女は、『黒髪黒目』という俺の身体的特徴まで知っている様子だった。
というか俺、公に顔出しした覚えないんだけど。ケルトのことといい、どっから情報が漏れてんだ。
「あー、まあそうなんだけど、今はお忍びで来てるんだ。俺が英雄家だってことは秘密で頼むわ」
俺のその言葉に、リリーは少し考えこんだ後――
「わかりました。あなたが英雄家の人間だということは黙っておきます。その代わり、この後いろいろ案内してくれませんか? 私、祭りに参加したの初めてでよくわかってなくて、それにまだ無一文ですし」
舌をちろっと出しながら、可愛らしい笑顔で両手を合わせて頼んでくる。
明らかにそれは、自分の容姿が武器になると知っている人間の表情だった。
俺が英雄家の人間だと理解してなおたかりにくるとは……なかなか図太い神経の持ち主だ。
まあ俺も、初めてこの祭りに来たときは勝手がわからず、早々に金を使いきったとき、優しいおっちゃんにクレープをおごってもらった。
今度は俺が助ける番だと考えるかべきか。
「いいぜ、じゃあとりあえず一通り見てまわるか」
「はい!」
これまたいい笑顔でを返事するリリー。
それに、こんな可愛い子と祭りを回れるなら悪い気もしない。というかむしろ嬉しい。
ただ、これだけは忘れないようにしなければならない。
まだ俺は死神の魔の手から逃げている最中だということを。
ヒロインっぽいのが登場