旅のトラブル③
ヴィエナと若頭と呼ばれる男の戦闘後は、そこら中に破壊痕が残されていた。
壁は崩れ、床はめくれ上がり、天井は一つ上の階のものが見えている。
「若頭、大丈夫ですか?」
「ああ、命にかかわるような傷ではない」
床に倒れている若頭に対し、構成員の一人が心配そうに話しかける。
少量ではあるが、血が辺りに飛び散っていた。
「まさか若頭がやられるなんて……」
「侵入者は?」
「おそらくトゥーラ様の部屋にたどり着く頃かと。我々では相手になりませんので……」
申し訳なさそうに構成員は話す。
「後はトゥーラ様にまかせるしか……」
「心配するな。ただ拷問がうまいというだけでのし上がれるほど、レトロ幹部の座は軽くない。私にてこずる程度ならば、トゥーラ様の強さには手も足も出まい」
ーーーーーー
「ここか……」
ヴィエナは、トーヤとトゥーラがいるとされる部屋の前までたどり着く。
ここにくるまで、ヴィエナはかなりの時間を食ってしまった。
まだトーヤが無事でいるとは考えにくい。
その上、例えトーヤを助けられたとして、ここは敵のアジトの最深部。
無事逃げ出せる保証などどこにもない。
それでもヴィエナに、このまま一人で逃げてしまおうという考えは一切なかった。
勢いよく扉を開け、ヴィエナは剣を構える。
飛び込んできた光景は――
椅子に座りふんぞり返る少年の姿と、床にひたいをつける女の姿。
「……は?」
想像とは全く逆のものだった。
「お願いします……ど、どうかこのことはボスには。ボスにだけはどうか……」
女はこれでもかというほど頭を下げているため、その表情はよく見えない。
それでも、その顔から血の気が引いていることは明らかだった。
「どうしよっかな~、こっちは楽しく旅してただけなのによ~」
「ば、馬車や荷物の類はもっと上質なものを用意します!」
レトロ幹部であるはずの女が、これでもかというほどへりくだる姿に、ヴィエナは言葉を失う。
「お、よくたどり着けたな」
ヴィエナのことに気づいたトーヤが、土下座しているトゥーラを無視して声をかける。
「トーヤ……これは一体――」
「ああ、レトロのボスとは浅からぬ関係ってだけだ。たいしたことじゃない」
「たいしたことじゃないって……」
「俺自身がすごいわけでもないからな。威張れるようなもんじゃねえよ。おい、誰が頭上げていいっつった」
その言葉だけで、少し浮いていたトゥーラの頭が勢いよく床にぶつかる。
「十分威張ってるじゃないか……」
「犯罪組織が相手となれば別だ。こいつらに優しくしてやる理由はない。まあとにかく、快く馬車とか用意してくれるらしいし、さっさとこんな薄汚ねえとこ出ようぜ。おい、いつまで寝てんだ、とっとと準備しろ」
「……はい」
「次、返事遅れたら報告するからな。あと準備は10分以内」
「はい!!」
トゥーラは勢いのよい返事と共に、急いで部屋から出ていく。
そんな姿を見たヴィエナは、犯罪組織の幹部にもかかわらず哀れに感じてしまう。
10分後
裏口から外へと案内されたトーヤとヴィエナの目の前には、それはそれは立派な馬車が用意されていた。
「10分でこれを用意したのか……」
「10分もらえるだけまだましよ。ボスなら3分くれるかどうかも疑わしいわ」
思わず漏れたヴィエナの言葉に、トゥーラが反応する。
この場にはトーヤとヴィエナ、そしてトゥーラの3人しかいない。
「なんだ、見送りはお前しかいないのかよ」
「そう不満そうにしないでくださいトーヤ様。いくら『時代が生んだ稀代の天才』とはいえ、少年相手にペコペコする姿なんて部下に見せられませんよ」
「よいしょが露骨、やり直せ」
「いくら『才能あふれた少年』とはいえ、幹部として部下にこんな姿見せられませんよ」
「まあ身分について褒めなかっただけ及第点にしてやる」
そう言うとトーヤは、とっとと馬車へと乗り込む。
「……ちっ、偉そうなとこはそっくりだこと」
ヴィエナの耳にばっちり届いた舌打ちだったが、告げ口する気にはならなかった。
「そういやあなた、ヴィエナだっけ? サルンガを倒したらしいわね、やるじゃない」
『サルンガ』という名前に聞き覚えのなかったヴィエナは首をかしげる。
「若頭って呼ばれてた男よ」
「ああ、あの男……」
「もし職をなくしたらいつでもこの街にきなさい。いい条件で雇ってあげるわ」
「実力を評価してもらえたのはありがたいが、まだそちら側に行く気はなくてね」
「人間、落ちるときは一瞬よ。そしてもう戻れない……例外もいるけど」
トゥーラは馬車の中でくつろぐトーヤを見る。
「……彼は何者なんだ?」
その質問は、ヴィエナからトゥーラにされたものだった。
一緒に旅しているにも関わらず、ヴィエナにはトーヤという人物の立場がわからなかった。
最初はどこかの貴族だと思っていたが、一部庶民的な感覚も持っており、あげく裏組織とのつながりもある。
そもそも貴族の人間だというのならば、この時期に学園に通っていないというのもおかしい。
ヴィエナがトーヤの素性を探るには、情報が多すぎた。
「組織との関係性については、トーヤ様自身がレトロのメンバーではない、ってこと以外黙秘するわ。私も命が惜しいもの」
「……」
「こっちからも1つ質問させてもらうけど。あなた、逃げようとは思わなかったの?」
その言葉に、ヴィエナは自らの思考を振り返る。
トーヤがさらわれたとき。
相手が最悪の犯罪組織だとわかったとき。
街すべてが敵だとわかったとき。
そのすべてを振り返るが、ヴィエナの頭の中に逃げるという選択肢は――
「まったくなかったな。雇用関係もあるがなにより、この旅で私はトーヤのことが気に入ってしまった」
トーヤの立場も何もわからないヴィエナだが、それだけははっきりとわかっていた。
「……そう、じゃあこれは教えといてあげる。トーヤ様の立場がどうであろうと、どこに属していようと関係ない。本当にヤバいのはトーヤ様自身よ。昔からボスにはしつこく言われているわ、『トーヤを敵に回すな』ってね。といっても、すでにあなたは手遅れでしょうけど」
それだけ最後に言うと、トゥーラはその場から離れていく。
『手遅れ』
その言葉の意味を、ヴィエナは理解できなかった。
ヴィエナが馬車の御者席にのると、トーヤが話しかける。
「何の話してたんだ?」
「ああ、ちょっと質問してたんだよ。なんであの女以外は、君のことをわからなかったんだ?って。『命が惜しいから答えられない』と言われたよ」
トーヤのことを質問していたため、正直には話しづらく、真実を交えながら適当な嘘をつく。
「そりゃボスの正体を幹部しか知らねえからだ。だから俺とボスの関係性も幹部しか知らねえ」
「なるほど、そういうことか」
ヴィエナはトーヤの顔を見る。
見つめられているとわかったトーヤは笑顔で返す。
憲兵さえうかつには手を出せない犯罪組織レトロ。
そんなレトロのボスが『敵に回すな』という目の前の少年。
人懐っこい笑顔で笑う少年のどこに、そのような恐ろしさがあるのか。
やはり、ヴィエナには理解できなかった。




