高みへと
今回トーヤは出てきません
トーヤが鬼族の村へ旅立って(連行されて)から一週間ほどたったある日
ヘルト家領地の森にて――
「グルォォォォオ!!!」
一体のおぞましい魔獣が、凶暴な本能のおもむくまま、一人の少女に向かって突っ込んでいく。
魔獣は少女の三倍ほど。
しかし少女は慌てることなく、ゆっくりと手に持っていた剣を振り上げる。
その動きは精錬されたものであり、そこそこ腕の立つものならば、それだけで少女が実力者だということを理解するだろう。
『黒刃・極』
少女の周りにある影が次々と、まるで生きているかのように剣身へと集まる。
影が集い、収束するその剣はまるで黒刀のように黒く染まっていく。
「はっ!!」
掛け声とともに、その剣を一気に振り下ろす。
黒い斬撃が魔獣へと一直線に向かい、魔獣のちょうど真ん中を通過していく。
魔獣はその瞬間絶命し、真っ二つになって倒れる。
魔獣を倒した少女ツエルは、ゆっくりと剣を鞘におさめた。
「おみごと」
パチパチという控えめな拍手とともに、その場にメイド服を着た一人の女性が現れる。
「マヤ様……」
ツエルは、トーヤの専属使用人であるマヤの姿を確認する。
森の中というこの場において、明らかに似つかわしくない格好をしたマヤ。
マヤとツエル、そしてあと数人ほど、トーヤに仕えることを主としていた者たちが、トーヤ不在のため王都の別宅から本家のほうへと戻ってきていた。
「マヤ様、なぜこのようなところに……」
「様はつけなくてもかまいませんよ。同じヘルト家に仕える者同士、そんな敬称必要ないでしょう。質問に対する答えですが……私はトーヤ様の専属ですから、トーヤ様がいないといじ……世話することもなく暇なんです」
ツエルの疑問にマヤは腕を組みながら答える。
しばし沈黙が流れたが、マヤがツエルの顔を見て言う。
「なかなか思い詰めているようですね」
「……」
その言葉をツエルは否定しない。
「今回に関しては相手が悪すぎました。この事態を想定できてなかったヘルト家自体に非があります。まあまさか、魔人が出てくるとは思いもよりませんでしたが」
「その上メリダと名乗る鬼族に、手も足も出ませんでした」
「伝説の鬼じゃないですか、魔人以上に仕方ありませんよ」
「私に、護衛としての責任を問わないんですか……?」
「死体に鞭を打つようなまねはしません。もっとも、その屍に反省の色が見えないのならば話は別ですが」
マヤの淡々とした慰め、とは素直に言いにくい言葉だが、それはツエルにとってあまり効果がないようだった。
「同世代の中では間違いなく実力はトップクラス。いえ、頭二つ分は飛びぬけているでしょう。ならばそこまで思いつめる必要もありません。急ぐだけが道じゃないのですから」
「ダメなんですそれでは。もっと強くならなければトーヤ様の護衛は務まらない。上の相手には勝てない……」
ツエルは悩んでいた。
自分の実力が同世代の中で飛びぬけていることは、自惚れでもなんでもなく事実として認識している。
自分の実力を正しく認識しているからこそ、もう一段上の存在には通用しないことも理解している。
そしてその実力では、護衛対象であるトーヤを満足に守れないことも理解できていた。
「私は……トーヤ様のことを侮っていたんです」
「実際実力はへなちょこですから」
「……トーヤ様の兄君、セーヤ様と仕事をさせていただいたとき、私は必要ないんじゃないかと思うほどに、セーヤ様はヘルト家の人間として完璧でした。だからこそ、トーヤ様の護衛をすることが心地よかったんです。ヘルト家のものとは思えない素行の悪さや実力……最初こそ戸惑いましたが、この人のもとでなら私の夢が叶えられると思いました――しかし、魔人の襲撃の際に守られたのは私のほうでした。トーヤ様を矢面に立たせるような危険な真似をさせてしまい……あれほどまでに、自分のことが情けないと思ったことはありませんでしたよ」
悔しさで握りしめたツエルの手から、血が垂れ流れる。
「あなたの夢がどのようなものかは知りませんが……トーヤ様はそんなこと笑って許してくださると思いますよ」
「はい、きっとトーヤ様にこの話をすれば、特にお咎めも何もなく許されてしまう。でも……私は私を許したくないんです。不敬な行為も、この弱さも」
しばらくうつむいていたかと思うと、決意を込めたような表情でマヤと向き合う。
「マヤさん、もし暇だというなら……私に稽古をつけてもらえませんか?」
マヤはその言葉に驚くことはなく、淡々と受け答えしていく。
「私はただの使用人ですよ?」
「私に短剣を突き立てたときや、トーヤ様の話からあなたが実力者であることは明らかです」
「いいんですか?仮に私に師事したとして、私を超えることはできませんよ?あくまで私の強さに近づくだけでしょう。そして何より、あなたと私では強さの種類が全く違う」
その言葉にツエルは少し戸惑うようなそぶりをみせる。
そんなツエルを見て、マヤはある提案をする。
「そのかわりと言ってはなんですが、別の方法で強くなる道を示すことはできます」
「別の方法ですか?」
「ええ」
マヤは一冊の古びた手記をツエルに放り投げる。
ツエルはそれを受け取る。
かなり年季の入ったもので、革の表紙には“オーヤ・ヘルト”の文字が書かれてあった。
その名を目にしたツエルは驚きを隠せない。
「これは……」
「かつて数々の伝説を生み出し、国の最大の危機を救った。この国の者なら知らない人間は絶対にいない、ヘルト家初代当主オーヤ・ヘルト。彼がかつて残した手記です」
その言葉に、さらにツエルの驚きが増す。
「ちなみに内容は、とある化け物についてです。私がそれを渡した理由については、読めばあなたなら察するでしょう。危険な方法ではありますが、もし成功すれば間違いなく、あなたは世界でも指折りの実力者になることができるでしょう」
「……危険とは、どれほどのものなのでしょうか?」
「失敗すれば死にますよ。まず間違いなく」
マヤは間髪入れずに非情な事実を口に出す。
「まあもちろん、やるやらないはその手記を読んだ後でも――」
「やります」
マヤの言葉にツエルは食い気味に答える。
「例えそれが地獄へと続く道でも、強くなるための道があるならば私は行きます。トーヤ様の隣にいるために……!」
その力強い言葉と闘志のよみがえったツエルの瞳に対し、マヤは満足そうに笑うだけで何も言うことはなかった。
ーーーーーー
時を同じくして、王都のヘルト家の別宅。
その執務室でトーヤの父、ホクト・ヘルトが仕事を行っていた。
普段はヘルト家の領地に滞在しているホクトだが、王都での用事が入ったため、こうして別宅まで出向いている。
「なるほど、鬼族の村か。確かにあそこなら簡単に行けやしないな。なんせたどり着くにはあの森を抜けなきゃならない。修業という体で、上手くトーヤくんを安全な場所に避難させることができたというわけだ」
そんなふうにホクトに対してフランクに話しかける一人の金髪の男、それはこの場にいるはずのない人物。
その風貌はどことなく威厳を感じさせる。
「くだらないことを言うなカイル、それよりいいのか?国王であるお前がこんなところにいて」
カイル・ガイアス
シール王国の現国王であり、リリアーナとアーカイドの実の父親である。
当然、このような所にいていい人物ではない。
「つれないこと言うなよ、仕事の合間になんとか時間を見つけて学園時代の友人に会いに来たっていうのに」
ホクトとカイルはお互いが学園に通っているころからの付き合いであり、二人きりの時はこのように砕けた会話になる。
二人がこの場で会っていることを知るものは、数人程度しかいない。
この会談は公式な記録に残ることもなく、後の歴史で語られることもないだろう。
「顔を合わせるたびに、手合わせを申し込まれた記憶しかないがな」
「そういやそうだったな、昔はお前のことが気に入らなくてよく突っかかってたんだ。そのたびに容赦なくやられてたっけ?王族相手だっていうのに、一切躊躇しねえんだもんなお前」
「あまりにもしつこかったからな」
「いつも周りに大勢の女をはべらせてたんだ。そりゃ男なら嫉妬の一つでもするもんよ」
「人聞きの悪いこと言うな」
「まあ実際は女のほうが勝手にお前の傍に近づいてた、っていうほうが正しいか。それを受け入れてたお前もお前だが」
二人は学園時代の思い出話に花を咲かせる。
「その中にはクレア嬢もいたんだっけか」
「……」
カイルの発したクレアという言葉に、ホクトは表情を重くする。
「俺の娘のことにしてもそうだ。まさかお互い、女に対するツケが同時に来るとはな……」
「ああ、お前も私も若かったではすまされないような失態だ。だからこそ早急に解決しなければならない。どうだ、敵組織の詳細はつかめてきたか?」
二人の表情が一気に真剣なものに変わる。
それは親友同士の顔ではなく、貴族同士の顔、この国を背負っている者の顔。
「お前んとこの影がよこしてくれた情報もあって、敵組織の全容がほぼつかめた。奴らの隠れ家もおおかた検討はついている。近々、準備が整い次第一斉に攻め込む」
お互いが持っている情報を出し合い、トーヤ達を襲った襲撃者への話を深めていく。
……
しばらくして、その話にひと段落着く。
「とりあえず、持っている情報としてはこのぐらいか」
カイルが一息つくように、椅子の背もたれにもたれかかる。
それと同時に二人の表情は親友同士の者に変わる。
「そういえばやっとトーヤくんの婚約者を決めたそうじゃないか。セーヤくんの時はもっとはやかったというのに」
「トーヤに関しては魔法の才についてのこともある。慎重にならざるをえなかったんだ」
「……」
カイルは少し考えるような素振りをしてから口を開く。
「失礼な言い方になってしまうが……なあホクト、トーヤくんは本当にお前の子か?」
カイルは覚悟を決めたような顔でホクトにたずねる。
おそらく殴られることも覚悟の上だろう。
「魔法の才もそうだが、容姿もそうだ。セーヤくんやカナンちゃんは、一目で両親の血を引いていることがよくわかる。だがトーヤくんだけは違う。お前や母親と似通った特徴が一切ない。そもそもヘルト家では黒髪の人間が、初代を除けばいなかったはずだ」
そんなカイルの疑問にホクトは笑って答える。
「まあそう思われても無理はない。だがトーヤは間違いなく私の子だよ。魔法の才に関しては、うちの研究者が調べたりもしたがお手上げだった。だが容姿については説明できる……いや、それ自体がなぜかと問われれば説明できないか……」
「……?どういうことだ?」
ホクトの曖昧な言い回しにカイルは疑問を浮かべる。
「実際に見てもらったほうがはやいか。ちょっと来てくれ」
そういってカイルを隣の部屋に案内する。
そこには何枚もの絵が飾られてあり、豪華な品であふれている。
対面的な印象を良くするための一般的な応接間である。
普段はあまり見栄を張るようなことがないヘルト家だが、やはり貴族同士となると見栄の張り合いも必要となる。
ここはそのための部屋だと言ってよい。
ホクトは大量の絵の中から、一枚の絵を指さす。
「あれがトーヤの幼いころの姿を描いてもらったものだ」
カイルは自分の目を疑う。
「……セーヤくんの間違いとかじゃないのか?」
「いいや、間違いなくトーヤの幼いころの絵だよ」
カイルがそのような反応になるのも無理はない。
その絵に描かれていた少年は、およそトーヤとは似つかない顔つきをしており、セーヤの幼いころと言われた方がしっくりくるものだった。
そして何より、描かれていた髪の色は黒色などではなく――
鮮やかなブロンドの髪だった。
次から場面がトーヤのほうへ戻ります




