ウルシュ・サーチス ナディア・コールディー
かつての青い記憶――
「私たちもついに卒業か……。入学したのがつい昨日のように感じるわ」
「こうしてAクラス全員で卒業できてほんとよかったよね!」
「いやシェルナ、あんた座学かなりギリギリだったからね」
「まあまあ、終わったことはいいじゃねぇか。今日は全員の門出を祝おうぜ」
「お前だけ留年すればよかったのに」
「祝おうぜっつったろうが」
桜舞う学園の中庭で、手に卒業証書を持った学生たちが集う。
もっとも学生であるのは今日まで。
明日からはみな別々の道へと進んでいく。
今までの日常はガラリと変わり、全く違う明日が訪れる境の日。
「シェルナにナディア、スカーにピーグルー、あとイマもだったっけ。なんにせよ同期でこれだけの人数がコクマで働くことになるなんて、本当にすごいよ。将来安泰じゃないか」
「よく言うぜダルク。お前だって軍の幹部候補だろうがよぉ」
「待ちに待った正式入隊じゃない。おめでとう、将来の剣聖様」
「スカー、エルナ、あまりからかわないでくれ……」
卒業する彼らの話題はそれぞれの進路先。
優等生の称号とも言えるAクラス生として卒業する彼らは、進路先も同年代と比較すればまさにエリートコース。
またコクマのような企業に入るもの、軍に所属するもの、家を継ぐための準備に入るものと多種多様であり、いくらでも話題は尽きない。
そしてその話題は、Aクラスの中心人物へと向けられる。
「セーヤ様はヘルト家の領地に帰られるんですか?」
「いや、しばらくは王都でヘルト家の仕事をこなしていくことになる。特別顧問の役割もあるから、軍にも頻繁に顔を出すことになるだろう」
「あらら、さっそく同期での格差が生まれちまったな、ダルク」
「全く気にしてないみたいな顔してるけど、全身の動きで動揺してるの丸わかりよ、未来の剣聖様」
「スカー、エルナ、こんな時だけ急に仲良くならないでくれ……」
「シルヴィとラージアは領地に戻るって言ってたっけか。あの二人は跡継ぎだから大変だろうなぁこれから」
「シェルナは家に帰らなくてよかったの?」
「私の家はお兄ちゃんが後を継ぐから。なんなら家宝の『精霊剣』、勝手に持ち出してるせいで帰ったら殺されるかもしれないんだよね、アハハハハ」
「なんで笑えるんだお前……」
「というか一番意外だったのはエルナよ。あなたいつから教師になるつもりだったの?」
「秘密よ。特にナディア、あんたには絶対に言わない」
「なんでよ!」
笑い、怒り、悲しみ、また笑う。
全員でそろって笑い合える最後の時間を楽しんでいたその時、一人の少女が彼らの元へと近づいていく。
彼らもまた少女の接近に気づき、全員が視線を少女の方へと向ける。
少女は彼らの目の前で立ち止まると、胸に手を当て、花が咲くような笑顔で口を開く。
「皆様、ご卒業おめでとうございます」
桜の花が舞う中、優雅に佇むその姿と透き通るその声は、ただでさえ美しい少女をより際立たせる。
「たった一年という短い間ではありましたが、先輩方と過ごした学園での日々は私の中でとても美しい思い出となりました。この一年の日々を忘れることはないでしょう。特に生徒会のメンバーとして学ばせていただいたことは、講義を受けるような形では学べないようなことばかりでした。今後は生徒会長として、あなた方の意志を引き継ぎ、この学園をより良いものへと――」
惚れ惚れするような佇まいで卒業生達への賛辞を送り続ける少女だが、賛辞を受けるもの達は少女に対してシラケるような目を向けていた。
そんな中で、セーヤ・ヘルトが代表して少女に声をかける。
「リリアーナ様、どうやらその仮面はみなの気に召さなかったようです」
「…………それは残念、この仮面だって私を構成する一部だというのに、冷たい方たちですね」
礼儀正しい佇まいから一転、突如として砕けた態度を取りだした少女――リリアーナ・ガイアス第三王女。
しかしその振る舞いこそが、卒業するものたちに向けるいつも通りの態度。
「やめてくださいよリリアーナ様。調子狂うじゃねぇですか」
「あら、私と初めて握手をしたとき、生まれたての子鹿のように震えて緊張していたスカーじゃないですか。卒業おめでとうございます。私への態度も随分と大きくなりましたね。たしか就職先は海の底でしたっけ?」
「いや、ほんとすんません。無礼な態度は謝罪しますので沈めないでください」
「リリアーナ様、沈める時はお手伝いしますよ。いやむしろ任せていただけるのなら私一人で処理しますので」
「おいこらエルナぁ!」
敬意こそ残しつつも、リリアーナと卒業生たちは笑顔を浮かべながら、気軽にやり取りを交わす。
そんな光景を、ナディアはどこか寂しそうに見つめていた。
「…………」
「胸を貸そうか? 君の泣き顔は見たくないし、誰にも見せたくないからね」
「別に泣かないし、胸もいらない。ちょっと感傷的になっただけよ。毎日見てたこの光景も、今日で最後かって思うと……」
「いつも二人のケンカを止めていた僕としては少し複雑だけど……いや、やっぱり寂しい気持ちの方が強いかな……」
「あまりいい感情を持ってなかったものでも、今日限りだと思うと名残惜しくなるから不思議だわ。あなたのその歯の浮くようなセリフとか」
「……!」
しれっと口にしたナディアの言葉に、ダルクは思わず驚きを露わにする。
しかしその言葉を咀嚼し終えると、自然と笑みがこぼれた。
「それは嬉しいな。君にはこの四年間どんな言葉をかけても、冷たくあしらわれてばかりだったから」
「今日限定よ。しっかりと噛み締めなさい」
そう言って晴れ晴れとした笑顔を浮かべるナディアを見て、ダルクは少し考え込む。
「……まっすぐな恋に破れたことで、殻を破ったということか」
「何よ、急にブツブツ言い出して」
「いやなに、君は一段と美しくなったと思っただけだよ」
「そ、ありがと」
ナディアはお褒めの言葉に対し、いつものように冷たくあしらうと、耐えきれなくなったように二人は笑い出す。
そうしてしばらく時間が経ったころ、中庭には先ほど以上の人数が集まっていた。
正確には卒業するAクラス生全員が。
ちなみに、リリアーナは現生徒会長として各方面への挨拶があり、既にこの場を離れている。
「ほら、もっとみんな寄って。イマも遠慮してないで中に入ってきなさい。元副会長なんだから」
「う、うん」
「ピーグルーは?」
「さっき後輩にダル絡みしてたのを捕まえてきたわ」
「あれはダル絡みではなく、ワタクシの構想した理論の引継ぎを済ませるべく――」
「はいはい、いいからこっちきなさい」
Aクラス生たちはセーヤ・ヘルトを中心として集い、最後のイベントの準備を進める。
彼ら彼女らのその手には、脱いだ制服の上着が握られていた。
「ではセーヤ様、お願いします」
ナディアがそう促すと、全員の視線が一斉にセーヤへと向けられる。
最上級の期待が込められたクラスメイトからのまなざし。
しかしセーヤはそんなこと慣れたものだと言わんばかりに、一切動じることなく堂々とした振る舞いを見せる。
「まずはこの四年間、クラスメイトが誰一人として欠けることなく、卒業を迎えることができたのを嬉しく思うと同時に誇りに思う」
それは四年間クラスのリーダー的立場だったセーヤが、クラスメイトたちに送る最後の言葉。
さらに言葉は続けられ、時には過去を振り返り、時には未来を思い、セーヤの発する一言一言をクラスメイトたちは噛み締める。
「……おそらく、こうして全員で会えるのもこれが最後になるだろう。本来身分すら違う私たちが当然のように集えるのは、学園の生徒だったからこそ。今後はそれぞれの進む道があり、異なる世界を歩んでいくことになる」
「…………」
「だが忘れないで欲しい。たとえ道は別れたとしても、いつかこの学園での日々を思い出し、同じものを見て、同じ道を歩んで、同じ目標へと手を伸ばした日々があったことを。過去とは、振り返り懐かしむためのものだけではなく、前を向くための原動力にもなる。学園での日々は、私にとって本当に美しい記憶となった。君たちとっても同じものであることを願うよ」
そう言って笑みを浮かべるセーヤに対し、クラスメイトたちも笑みで返す。
なかには目に涙をためながら、それでも輝くような笑みを浮かべる。
「では最後に、今後の君たちの活躍に期待している。人のため、家のため、国のため、世のため。目的や活躍の場は違えど、どうかその力を存分に活かしていって欲しい。無論私もそうするつもりだ。それでは――卒業、おめでとう」
「「「「「おめでとう!!!」」」」」
祝福の言葉をかかげると同時に、手に持っていた制服の上着を一斉に空へと向かって投げる。
慣れ親しんだ制服を投げた卒業生たちのその視線も、当然空へと向く。
この瞬間こそが、みなが同じ場所に目を向けていた最後の時。
もっともエネルギーに満ちあふれた、大人になる一歩手前の少年少女たちは、輝かしい過去を背に、まだ見ぬ未来に思いを馳せる。
きっと栄光の日々が、この先に待っていることを信じて――
ーーーーーー
統括支部 地下――
「ナディア……、まだ意識はあるか?」
「……ええ、まだ大丈夫よ。少し昔のことを思い出してしまっただけ」
ウルシュとナディア、二人はベッドで横になり、その手を固く握り合う。
場所は地下にある一室。
二人の寝室として使用されている部屋であり、共に多くの時間を過ごした場所。
そこを二人は最後の場所に選んだ。
ウルシュはもういつ死んでもおかしくないほどの傷を負っている。
ナディアも疲労の蓄積により、いつ意識を失ってもおかしくないような状態だった。
この部屋も既に火の手が上がっている。
しかし部屋全体に火が回るよりも先に、彼らが意識を失う方が早いだろう。
「ナディア……、何度も聞くが、本当によかったのか?」
「何度でも言うわ。これでよかった、これがよかったのよ。だって……最愛の人と共に最後の瞬間を迎えられるんだもの」
死の淵に立つウルシュが抱えるたった一つの後悔。
それは己を人に変えてくれた恩人であり愛すべき人物を、道連れのような形で死なしてしまうということ。
ただ当の本人はそれを一蹴する。
「それに……、統括支部の全てを知って、それでもあなたの味方でいると決めた時は、本当に全てを捨てるつもりでいたもの」
ナディアの言う全て――それは正義であり、過去であり、家族であり、友人であり、これまで築き上げてきた人生そのもの。
それらを失うことでしか、自身の選ぶ道は成立しえないと、そう思っていた。
しかし、実際は違った。
「エルナが……、学生時代に仲の良かった親友が、ずっと教えてくれなかった秘密を教えてくれたの」
親友とは、またかつてのように通じ合えた。
「誰かから許しの言葉をかけられるなんて、思いもしなかった」
敵であるはずの、それも国の最高権力者に近しい人物から、許しを与えられた。
「おかしいわよね……。全てを捨てたはずなのに、想像以上にたくさんのものが私の中に残っていて、その上であなたと最後の時を迎えられるの。だから……、私は幸せよ。強がりなんかじゃない。心の底から、今の私は幸せだと自信を持って言える」
「そう、か……」
ウルシュは思い出す。初めてナディアが想いを伝えてきた日のことを。
恥ずかしさで顔を真っ赤にし、目を閉じて震えながら返事を待っていたあの少女が――
――こうして力強く自分を見つめている。
ウルシュの中に残っていたたった一つの後悔は、あとかたもなく消え去っていく。
「私も同じことを聞くわ、あなたはどう? 今のあなたは、本当にこれでよかったの?」
幸せだと告げたナディア。
しかしナディアには一つだけ、どうしても気にかかっていることがあった。
それを解決できなければ、死んでも死にきれないような気がかりが。
「……」
ナディアからの問いかけに、ウルシュは少し考え込む。
自分は果たして、幸せだと言えるのかと。
生まれた時から、自由はなかった。
罪悪感すら知らずに犯罪に手を染め、たくさんの人を殺めてきた。
多くの人が享受する幸せを与えられず、用済みになれば組織から始末される。
そんな人生、幸せなはずがない。幸せなわけがなかった。
彼女がいなければ――
心を与えてくれた。
幸せを分けてくれた。
温かさを教えてくれた。
孤独を消してくれた。
己を人間にしてくれた相手が、死の間際に隣にいて、最後の瞬間を共に迎えてくれる。それだけで十分だった。
「……ああ、これでよかった。俺も、幸せだったと自信を持って言える。俺は……一人じゃない」
それは孤独を否定する言葉。
それこそが、ナディアの最も気がかりだったことであり、ナディアが最も聞きたかった言葉。
不安だったのだ。孤独を映すその目の中に、自分は存在しているのかと。
「よかった……、やっとあなたをひとりぼっちから救い出せた」
安心したようにナディアは笑う。
もう二人に、なんの後悔も気がかりもなかった。
「愛してるわ、あなた」
「ありがとうナディア、愛してる」
最後に想いを伝え合うと同時に、二人は意識を失う。
二人が意識を失った後も、当然地下の崩壊は止まらない。
二人のいる部屋も例外ではなく、火が回り、天井や壁が崩れていく。
そのまま二人の体も飲み込まれていくかと思われたその直前、より大きな炎が部屋を、そして地下全体を飲み込んでいく。
それにより二人は生き埋めになることもなく、一切の痛みも感じることなく、幸せな思いと共にその生を終える。
出会ったことで、二人の人生は大きく変化した。
もちろん全てがいい方向へと動いたわけではない。
出会ってしまったからこその苦しみ、知ってしまったからこその後悔。
そんなものは数え切れないほどあった。
それでも、もしもう一度人生をやり直せるとしたら、二人はもう一度出会うことを望むだろう。
そんな出会いとたった一度しかない人生で巡り会えたという事実は、幸福以外の何物でもない。
二人は確かな幸せを掴み、その人生に幕を閉じた。
コクマ統括支部支部長『ウルシュ・サーチス』および副支部長『ナディア・コールディー』――統括支部にて死亡。
忘れることはないとか言っていたリリアーナですが、数年たった今ではほとんど覚えていません。セーヤのように今でも関わりのある人間以外、基本顔も覚えていません。そういう女です。