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偽りの英雄  作者: 考える人
第六章 シール王国統括支部攻防戦
153/158

許し

少し長め




『おめでとう66番。獣人化計画――あなたが唯一の成功例よ』


 それが人生で初めてかけられた言葉。


 己という存在を自己認識した時、すでに俺は人間ではなく、生まれながらのバケモノだった。

 あまりにも鋭い感覚機能。

 獣そのものに成り代わる肉体変化。

 さらには、体の中で暴れ出そうとする何かを、人の皮でおさえつけるような感覚が常に襲う。

 自分が人とは異なる存在なのだと、理解するには十分すぎる異常(他者との違い)


 だからこそ勘違いをしていたのだろう。

 自分は人ではない。そのため、誰かを傷つけ踏みにじったとしても、それで痛む心など持ち合わせていないのだと。


 実際、かつてはコクマからの指示で多くの人間を始末してきた。

 その人間が何をしたのか、コクマにとってどういう存在だったのか。そんなことはどうでもよく、ただ命令のままに殺し続ける日々。

 相手が泣き叫ぼうと、命乞いをしてこようと、命果てて冷たくなっていく姿を見ようと、己の心が動くことは無い。


 任務という名の殺害命令をこなせば、コクマ本部の与えられた無機質な自室に戻り、研究者からのチェックを受けるだけの日々。

 それだけが他者とのまともな関わりであり、そんな関わりも必要最低限の会話のみで終わる。

 今思えば、その生き方は動物のそれですらなく、与えられた命令通りに動くだけの人形でしかない。


 それはシール王国の統括支部に移動することになっても変わらなかった。

 直接誰かに手を下すことは減ったが、己の指示一つで多くの人間を踏みにじる立場になり、むしろ以前よりもその身にのしかかる罪は重くなる。

 それでも、心が痛むことは微塵もない。

 生まれながらにして、人間とは根本的に違う存在なのだからと理解していたから。




 でもそれは違った。




 法を破ろうと、倫理に反しようと、非道を重ねようと、心が痛むことがなかったのは生物としての差ではない。

 自分は誰よりも幼かったのだ。

 喜びも、悲しさも、怒りも、楽しみも、誰かから与えられる温もりも、何も知らなかっただけだった。

 何も知らないから、相手の悲しみに共感できず、理解することすらできない。ただそれだけだった。

 たったそれだけの簡単なことに気づけず、自分を諦めて罪を重ねる日々を過ごす。


 そんな日々が変わり始めたのは、彼女にたった四文字の言葉を投げかけられたあの日から。


『好きです』


 たったそれだけで、俺の人生は大きく変化した。

 それによってどのような結末を迎えようとも、それからの日々を後悔することは無い。

 そう、たとえ最後にはまた一人になったとしても――







ーーーーーー









「お願い! 目を覚ましてあなた!!!」


 誰かが必死に呼びかける。

 意識が朦朧とする中で、その声を聞いたウルシュはなんとか目を開き、再び意識を浮上させる。

 すると目の前には、いつの間にか倒れ込んでいたウルシュの表情を、覗き込むようにして心配するナディアの姿があった。


「ナディ、ア?」


「っ〜〜〜!」


 ナディアはウルシュが目を覚ましたことで、たまらず飛びかかるように抱きしめる。

 そんな状況に困惑するウルシュは、なんとか冷静に現状を理解しようと務める。


 黒竜の脅威から支部を守るために行動していたことを思い出し、改めて部屋を見渡すと、そこは先ほどと変わらず同じ部屋。

 部屋にはトーヤ・ヘルトがいて、イースがいて、魔法陣を操作し続けている謎の女(リリー)がいる。

 先ほどと違うのは、この場にナディアがいることと、もう一人(・・・・)、使用人服を着た女がいること。

 使用人服の女はトーヤと言葉を交わしており、その親しげな様子からミスフィットの仲間なのだろうとウルシュは判断する。


「おっ、まだ地獄の門はくぐってなかったか」


 そんな使用人服の女と会話していたトーヤは、ウルシュが目を覚ましたのを確認すると、意識をウルシュの方へと向ける。


「さすが獣人というべきか、生命力はゴキブリ並だな」


「ゴキブリはあなたじゃないですか」


「黙れクソボケ万年発情期、おめぇは魔法陣の方に集中してろ」


 離れた位置からチャチャを入れるリリーに対し律儀に反応し、改めてウルシュと向き直ったトーヤは現状の説明を始める。


「多分覚えてないと思うが、一応お前はやるべきことをやり終えた。けどその途端、糸が切れたように意識を失い、その間にこいつ――マヤがお前の嫁を担いでここに来たってわけだ」


 トーヤが『こいつ』といって指さすのは使用人服の女。

 トーヤの説明によりなんとなく状況を理解したウルシュだが、一つだけ割とどうでもいい部分がひっかかる。


「担いで……?」


「お願い、そこは聞かないで」


 疑問の言葉を口にしただけにも関わらず、なぜか目の前のナディアが恥ずかしそうに顔を両手で隠す。

 そのためウルシュはそれ以上の追求をするつもりはなかったのだが、使用人服の女(マヤ)は躊躇なく暴露する。


「初めは彼女(ナディア)の後をこっそりついていこうとしていたんですが、道中コケそうになるわ、がれきの下敷きになりかけるわ、それはもうドジっ子属性が爆発しておりまして……まさに崩れかける統括支部のごとく」


「上手くもないし面白くもないギャグをこの状況でよくぶっこもうと思えたなお前」


「失礼な。抱腹絶倒間違いなしでしょうに。……と、そんな彼女を見るに見かねて私が肩で担ぎながら、この部屋へとたどり着いたというわけです」


「うぅ……!」


 マヤが暴露を終えると、ナディアはさらに恥ずかしそうに唸る。

 頼るより頼られたい側の人間であるナディアにとって、情けない姿を知られるのは屈辱的な事だった。

 特に大切な相手の前では。


「…………そうだったか。何はともあれ、君が無事でよかった」


 空気の読める獣人のウルシュはそれ以上その件には触れず、ナディアのことを気づかう言葉をかける。


「ああ惜しい、最初の変な間がなけりゃあ完璧な対応だったのにな」


「ですが死にかけの重傷を負っている状態で、まず相手の無事に安堵する言動はリカバリーとして最適な回答では?」


「それも含めて及第点ってところだ」


「厳しいですね。むしろトーヤ様は人をいたわる気持ちを見習うべきです。この前なんて、私が魔獣に体当たりされても一切心配してくれませんでしたし」


「なんの反撃もしてないくせに魔獣の方が潰れる女の何を心配しろってんだよ」


“うるせえなこいつら”――ウルシュとナディアの人でなし二人(トーヤとマヤ)に向ける感情が一致した瞬間だった。

 そんな人でなしを一旦無視し、ウルシュは他にも気になっていたことをナディアに尋ねる。


「そういえば……、地上の様子は、どうなっている? 黒竜は……」


「安心して。黒竜への仕掛けは無事発動していたわ。最後まで見たわけじゃないけど、おそらく今ごろ全ての黒竜が――」


「残念ですが」


 ナディアの説明をぶったぎるように、力強い言葉で遮ったのはマヤだった。


「地上に出ていた三体の黒竜のうち、一体には確かにその仕掛けとやらが発動していましたが、残りの二体は苦しむ様子もなく未だ健在でしたよ」


「……! そんな……どうして!?」


「学習したんだろうな。目の前で同族が死んで、その原因が心臓にあることを看破したんだ。感知魔法の類で見破ったのか、あるいは――」


「心臓に魔法陣が刻まれたことを覚えていたのか」


「とにかく理由は不明にしろ、黒竜は見抜いた上で心臓破壊を防いでみせた」


 トーヤとマヤの冷静な推測に対し、ナディアが浮かべるのは『そんなバカな』という感情。

 もしトーヤの言葉が真実であるとすれば、黒竜の知能の高さはもはや獣のそれではない。


「対抗策として用意されていた心臓破壊は、個体を指定する形で一頭ずつ実行していくものだった。タラレバにはなるが、全頭同時に心臓破壊を実行する形だったら、結果は変わってたかもな」


「そう、か……。ダメ、だったか……」


 黒竜の暴走を止められなかったと知り、ひどい徒労感がウルシュを襲う。

 それによってまた意識を飛ばしかけるが、ふと目の前の『ある光景』に疑問を覚える。


 それは、当然のようにこの部屋にいるトーヤたちの存在だった。


「なぜ……、お前たちはまだここにいる?」


 黒竜の心臓破壊が失敗に終わった以上、ウルシュおよびトーヤたちにできることはもはや何も無い。

 しかも現在進行形で統括支部には火の手が上がり、刻一刻と崩壊の時が近づいている。

 にもかかわらず、今だ部屋にトーヤたちがとどまっていることに対する疑問。


「なぜって、んなもん決まってんだろ。まだここでやるべきことがあるからだよ。そのためにあそこでリリーが必死こいて魔法陣の解析してんだから」


「必死こいて(・・・)? あなた今『こいて』とか言いました? そこの美しいメイドさんとお話ししたい欲をなんとか押さえながら、魔法陣を懸命に解析している私に向かって???」


「話ぐらい後でいくらでもさせてやるよ」


「1時間5万です」


「たっけぇなおい」


「オプションは付きますか!!?」


「後でやれ!!!」


 トーヤとリリーがわちゃわちゃと言い合い、たまにマヤが口を挟むのを横目で見ながら、ウルシュはリリーの方へと顔を向ける。

 大声で叫びながらも、淀みなく動く両手は魔法陣に触れていた。

 その魔法陣はコクマ本部と統括支部を繋ぐ転移魔法を発動させるためのもの。

 さらにその魔法陣に触れている(リリー)は転移魔法を使用する。


 それら二つの要素を鑑み、ウルシュは正解を導き出す。


「まさか……、コクマ本部の場所を探し出す気か?」


「ご明察」


 コクマの一般職員はおろか、数十年以上コクマに所属している幹部でも、知りえることのないコクマ本部の位置。

 どの国のどの地方にあるのか、興味本位で探し出そうとした人間は過去それなりにいた。

 しかし誰一人として真実にたどり着けたことがない、コクマにとって秘中の秘。

 それをトーヤたちは暴こうとしている。


「コクマ本部の位置を探るために取れる手段はたった一つ。コクマ本部から来た人間の痕跡をたどることだ」


「でも、それは――」


 トーヤの話に口を挟もうとしたナディアだが、トーヤはそれを手で制しながら話を続ける。


「わかってる。それをしようとして、誰もたどり着けなかったって言いたいんだろ? じゃあなぜダメだったのか……答えは単純、誰一人として最後まで本部からの使者を追跡することができなかったからだ。誰一人としてな」


 そこでトーヤが言葉に一区切りつけると、その説明を引き継ぐようにマヤが口を開く。


「ですが、いずれもロストしたその追跡に共通点はあります。それは、コクマの主要施設から痕跡が途絶えていることです」


「面白いだろ? コクマ本部の位置なんて、探し出したところで金持ちになれるわけでなし、名誉が与えられるわけでもなし、むしろコクマから睨まれるデメリットの方がでかい。それでも詳細に調べあげようとしたヤツらが過去何人もいたんだ。真実を知りたい、暴きたい、ただその知的好奇心だけで突き進み続けたバカが何人も」


 そして現在トーヤたちが口にする言葉は、そんなバカたちの調査資料をまとめあげた上で結論を出したもの。

 その結論こそが――


「コクマ本部からくる人間は、コクマの主要施設にある転移魔法陣を利用して移動している可能性が高いと私たちは予想し、そして正解をひいたというわけです」


「もちろん確証なんてなかったし、コクマ本部の割り出しは、わりと長い目で達成させるつもりの目的だった。それがまさかこんな上手い具合にエサ(・・)に引っかかってくれるとは、思ってもなかったぜほんと。おかげでこの部屋に、そして転移魔法陣にたどり着けた」


 満足気な表情でトーヤは話を終える。

 それを聞いたウルシュは一人納得した。

 わざわざ予告状を出すようなマネをして事態を大きくしたのも、全てトーヤたちミスフィットの手のひらの上だったのだと。


「そうか、お前たちは……本気でコクマを敵に回す気なんだな」


「もちろんだ」


 好戦的で、どこか楽しそうで、なおかつ自信にあふれた笑みをトーヤは浮かべる。


「…………」


 その笑みに当てられたウルシュは、考えるまでもなく自然と口を開いていた。


「コクマ本部は……、この支部と同じように、研究施設を兼ね備えている。しかし支部と違うのは、俺や俺を超えるような実力者が何人もいることだ」


 それはかつてコクマ本部にいたからこそわかる内容。

 残り少ない命の中、ウルシュはつい先程まで敵だったトーヤに、つい先程まで従属していたコクマ本部の情報を伝える。


「もしお前たちが……、本部にたどり着くことがあれば、今日の戦力だけでは……到底適わないと思った方がいい。それと――ゴフッ」


 さらに言葉を続けようとするウルシュだが、とうとう限界がきたのか、口から少なくない量の血を吐き出す。


「あなた!!」


「大丈夫、だ。自分の命なんだ……、どれだけ持つかは、自分がよくわかっている……まだもう少し、なら大丈夫、だ」


 受けた傷もあいまって見るも痛ましい状態だが、それでも話を続けようとするウルシュに、トーヤは静かに耳を傾ける。


「まだ生きているかは、わからないが……、マルティナという女が、本部にいた。もしかしたら、お前たちの力に、なるかもしれない」


「……ちなみに聞いておくが、コクマ本部の場所は――」


「残念だ、が、本部の特定に繋がるような記憶は、本部から離れる際に、処置を受けて記憶を消されている」


 記憶を消されたというウルシュの言葉に、トーヤが動揺を見せることはない。

 やっぱりか――といった初めからわかっていたような反応。

 むしろ大きく反応したのは、ここまで話に入れず、部屋の端で静かに話を聞いていたイースだった。


「すまないが……、俺からすぐ言えるのは、これくらいの情報、しかない」


「十分すぎる情報だ。お前は――」


 重要な情報を提供したウルシュに対し、何かを告げようとしたトーヤだが、それはリリーの叫び声によってかき消される。


「ちょっとトーヤ! 話が終わったならこっち手伝ってくださいよ! このセキリュティ、黒竜の鱗かってくらい固いんですから!!!」


「ああもうちょっと待て! 今行くから! おいウルシュ、まだしばらく死ぬなよ。後で話すことがあるから」


「…………」


 今にも死にそうなウルシュに対し無茶な要求をして、トーヤはその場を離れリリーの元へ駆け寄っていく。

 マヤもトーヤについて行くように離れると、残ったのはウルシュとナディア、そしてイースだった。


 ナディアは部下であるイース――正確に言うならば、()部下であるイースに顔を向ける。


「イース、こっちにきて」


「っ……」


 イースは戸惑いながらも、素直に元上司であるナディアの言葉に従う。

 裏切ったことを咎められるのだろうか?

 憎まれ口をきかれるのだろうか?

 もしかしたら手を出されるかもしれない。

 そんな考えを持ちながら、イースはナディアの目の前まで移動する。


 しかしそんな予想とは裏腹に、突如イースを襲ったのは体全体を包み込むような優しい抱擁だった。


「ナディア……さん?」


「ごめんなさいイース」


 戸惑うイースに対し、ナディアの口から出たのは謝罪の言葉。


「本当は気づいていたの。ここ最近、あなたがずっと悩んでいたこと」


「…………」


「それだけじゃないわ。学園で暗殺を命じた時も、学園から離れるよう言った時も、あなたの記憶のことも。全部知った上で、あなたが苦しんでいることを理解した上で、任務のためだからと言い聞かせて、私は見て見ぬふりをしてきた」


 本当はもっと早く話すべきだった。そんな思いを込めて、ナディアは己の罪の一部を告白する。


「許してとは言わない。いくらでも恨んでくれて構わない。ただ、まぶしいくらい純粋なあなたのことを、私はどこかで弟のように思ってた。だから、これからのあなたの人生に、明るい未来が訪れることを願ってるわ。どうか自由に生きて、イース」


「ナディアさん……」


 ナディアがどれほどの思いでその言葉を口にしているのか。

 それはナディアの体から伝わる熱が、痛いほどイースに伝えていた。


「俺は……、俺の記憶は偽物ばかりです。本来の記憶は消され、誰かの記憶を埋め込まれている。もはや何が本当のことなのか、俺にはわかりません」


「……」


「でも、今一つだけ確信が持てました。この統括支部で、あなたから与えられた優しさは本物だったってことを」


「…………ありがとう、信じてくれて」


 ナディアの言葉が謝罪から感謝に変わる。

 そしてナディアはイースの背中に回していた両手をとくと、懐から一冊の手記を取り出す。


「あなたが統括支部にきてからのこと、そして本部から伝えられていたこと。私があなたについて知っている全ての情報が、この中に記されているわ」


「っ!?」


 ナディアはそのまま戸惑うイースに手記を握らせる。


「ただ、おそらくあなたが一番知りたがっている情報については、私も何も知らないの……本当にごめんなさい」


「……いえ、かまいません。俺も覚悟を決めましたから。トーヤ様たちと一緒に、コクマと戦う覚悟を」


 そう告げるイースの目は、とても力強く真っ直ぐにナディアを射抜く。

 それはイースが変わったことの証明であり、ナディアとは違う道を選んだということ。


「強くなったわねイース。……そういうことなら、その手記を読み終えたらトーヤ()に渡して。その中には、統括支部の関係する違法行為が全て事細かに書かれているから」


「全てですか?」


「ええ、もともと信用ならない組織だもの。上から切り捨てられるようなことがあれば、その情報を国に渡して助命を求めるつもりだったの」


 ウフフフフと笑うナディアの目は、一切笑っていなかった。


「多分、真実を知った時点でそうするのが正解だったんでしょうね……」


 ウルシュを愛し、そのウルシュが違法行為に関わっていると知り、ナディアが選んだのは共犯者となること。

 共に地獄に落ちることはできても、地獄から引きずりあげることはできなかった。

 ナディアは自身の選択に微塵も後悔がないわけではない。

 こうしてウルシュが死へと向かっている現実に、違う未来があったのだろうかと考えてしまう。


「ナディア……、俺は、こうして今際の際に、君がきてくれただけで満足だ。だから、君だけでも――」


「嫌よ、私はあなたの隣で最後の時を迎える。それだけは揺らぐつもりはないわ」


 しかし共犯者になることを選んだ以上、自分もウルシュも裏切るつもりはない。それがナディアの覚悟。


「素晴らしい奥さんじゃないですか。愛し合うものはかくあるべし」


「だとしたらお前の場合は命がいくつあっても足りねえだろ。何人いるんだよ愛し合うもの」


 イースが振り返ると、いつの間にかトーヤたちがイースたちの元へと戻ってきていた。


「トーヤ様、リリーさん、もう魔法陣の解析が終わったんですか?」


「いや、ありゃ無理だ。防御がガチガチすぎる。少なくとも短時間で防御を突破するのは不可能だ」


「意地でも転移先を知られたくないという意志を感じます。残念ながら今回は諦めるしかありませんね」


 落胆というよりも、苛立ちに支配されたトーヤとリリーの表情。

 二人がそのような表情を浮かべるということは、相当なものだったのだとイースは考える。


「なら今すぐ逃げてください。おそらくトーヤ様たちが通ってきた道は、黒竜が解放されたことで既に崩壊しているはずです。私が通ってきた隠し通路なら、直接地上に出られます。とはいえ、そちらもどれだけ持つかはわかりません。ですので――」


「ああ、大丈夫だ。わかってる。ただその前に……」


 ナディアから急ぐように言われる中で、トーヤはなぜか倒れているウルシュの目の前で腰を下ろす。


「……なんだ?」


「さっき話したろ、話すことがあるって」


 トーヤはウルシュと目を合わせ、厳しい表情で語り始める。


「おそらくだが今回の件、上手く終息したとしても、コクマ本部は全ての責任をお前たち、統括支部の支部長と副支部長に押し付けるはずだ。違法行為の件も、黒竜の件も、全て統括支部が勝手にやったことだと」


「……だろうな」


「ええ、理解しています」


「なら話は早い。そうなれば、二人はシール王国史上最悪の犯罪者として歴史に名を残すことになる。国中の人間が、死んだ後のお前たちに悪意を向けるだろう」


「……覚悟していたさ。俺も、ナディアも。何年も前から、そのつもり、だった。お互い以外には、誰にも――」


「けどな、俺は知っている」


 ウルシュの言葉を遮るトーヤ。

 いつの間にかトーヤの表情は、とても穏やかなものに変わっていた。


「ウルシュ、お前が死の間際、黒竜を止めようと奮闘していたことを」


 またリリーも同じように、穏やかな表情を浮かべてナディアに告げる。


「そして私も知っています。ナディア、あなたがコクマの情報を提供し、国のために貢献したことを」


「もちろん、お前たちのやったことは許されることじゃない。世界中から恨まれ、憎まれるに足る罪だ。それでも、ここにいる俺たちだけは、お前たちの最後を覚えている。シール王国特権階級、ヘルト家が次男、トーヤ・ヘルトの名において、お前たちを許す」


「同じく、シール王国ガイアス王家、リリアーナ・ガイアスの名において許します」


 ガイアス王家――その名を聞いた瞬間、ウルシュとナディアだけでなく、イースも含めて目を見開く。


「ま、そういうことだ。お互い以外にもお前たちを許す人間はいる。ナディア、おそらく憎悪が向けられるであろうあんたの家族も、俺たちが確実に保護する。ヘルト家と王家だ。これ以上ないほど安全だろ」


「は、はい……」


 ナディアの返事はどこか上の空で、まだ実感が湧いてない様子だった。


「だからまあ、安心して逝け。地獄でしっかり罪を償ってこい」


 言葉は突き放すようなもの。

 しかしその声は温かい。


「ありがとう、ございます」


「おいマヤ、二人を運んでやれ。人生最後の時を過ごすんだ。二人っきりで過ごしたいだろうし、こんな味気ない場所じゃあなぁ」


「私は別に構いませんが……、トーヤ様はどうするんですか?」


 トーヤの提案に対し、なぜかマヤはジト目を向ける。


「もちろんすぐにここから出るつもりだ。というかそれ以外に何があんだよ」


「……信じますからね」


 そう言うと、マヤはいとも簡単にウルシュの体を持ち上げ肩に担ぐ。

 そのままナディアにも手を伸ばそうとするが――


「わ、私は大丈夫。自分で歩くから……」


 そうしてウルシュを担いだマヤとナディアは部屋を後にする。





「イース、お前も先に戻ってろ。地上に出たらインって女か、ツエルを頼れ」


「わかりました……、トーヤ様は戻らないんですか?」


「後始末というか、残ってやることがあるからな。それが終わればすぐに後を追う。それと――」


 トーヤはイースに背を向けると、部屋内のある場所へ移動する。

 それはトーヤたちが部屋に入ったその時から、床に倒れていた死体のもとだった。


「悪いがイース、余裕があればでいい。この遺体を地上に運んでやってくれ」


「それはかまいませんが……、彼は一体何者だったのでしょうか。どうしてこんな状態に」


「スカーが地下を調べるために潜り込ませた内通者だ。さっき上でスカーから聞いた特徴と一致する」


「じゃあ。内通者だとバレて彼は……」


 スカーはほぼ確信をもって推測を口にするが、トーヤはそれに懐疑的な考えを示す。


「いや、どうだろうな。この必要以上に痛めつけるやり方は、あの女(・・・)の本能みたいなもんだ。理由なんて考えて理解できるもんじゃねえ」


 そう言いながらトーヤは遺体を持ち上げ、そのままイースに渡す。


「俺たちがこの部屋にたどり着けたのも、こいつの流した血のおかげだ。このままここで生き埋めにさせるのは忍びない。ただ本当に無理はしなくていいからな。腕もまだ本調子じゃないだろ」


「いえ、大丈夫です。マヤという人の治療魔法のおかげで、かなり動かせるようになりましたから」


「そうか、なら頼んだ」


「はい、トーヤ様たちも急いでくださいね」


 最後にそう口にし、遺体を背負いながらイースは部屋を後にする。


 そうして、部屋に残ったのはトーヤとリリーのみ。


「……」


「……」


 部屋の中は妙な静寂に支配される。

 しかし本部と特定が上手くいかず、落胆しているというわけではない。

 その証拠に、二人はかすかに笑みを浮かべている。


「それで? 何をするつもりですか?」


「……なんのことだ?」


「とぼけなくていいですよ。そのために部屋から全員を追い出したのはわかっています。それに……魔法陣の解析をしている時、あなたが何かに気づいた表情を浮かべたのを、私が気づかないとでも?」


「……」


 返事はない。

 するまでもなかったからだ。

 もちろんリリーもそれを理解している。



「見つけたかもしれねえ。ヘルトが500年探し続けた、本部へと繋がる道を」




 コクマシール王国統括支部崩壊まで、あと10分――



2年半ぶりくらいに感想がきました。嬉しい。

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