名前の間違いは万死に値する
指令部地下 謎の部屋
目の前で起きた突然の死に対し、イースがまだ現実を受け入れられない中、その死を引き起こした人物――イマは何食わぬ顔で壁に記されている魔法陣の操作を行っている。
その様子はイースのことなどまるで気にする気配もなく、もはやいないものとした認識しているようだった。
侮られているといっても過言ではないイマを行動を、どこか心あらずの状態で眺めていたイースに誰かが囁きかける。
本当にそれでいいのか――と。
一体誰が。そんなことは考えるまでもなかった。
囁きかけたのは、問いかけたのは他の誰でもない。イース自身だ。
敵であり、命すら奪おうとした自分のことを気にかけてくれた相手を、学園でできた友人の兄を、目の前で殺されて黙ったままでいいのかと。
「……いいわけがない」
イマに聞こえないほど小さな声で、されど力強い声で、自身の胸の内をイースは吐き出す。
たとえ無駄死になったとしても、このまま黙って殺されるくらいなら、最後まで足掻いて死んでやる――そう考えて立ち上がろうとしたその時、その特攻を止めるかのように、イースの服が下に引っ張られる。
「っ!?」
驚きと共に思わず振り返るイースだが、そこには倒れたトーヤの姿しかない。
イースの決意が困惑に塗り替えられる中、ガチャリと部屋の扉が開かれる音が響く。
「おっと、これはこれは。またいつもの悪癖か? イマ」
「人聞きが悪いですね。ヒューマさん」
部屋に入り、その惨状を見ても平然とした様子でイマと会話を交わすのは、今朝イースがその姿を初めて確認した人物。
イマと同じ、コクマ本部からの使者であるヒューマ・エクスだった。
詳しいことはわからないまでも、イースにとってヒューマが味方でないことだけは確かであり、状況はさらに悪化したと言っていい。
ヒューマは一通り部屋の中を見回すと、最後にイースに目を向ける。
その視線を感じたイースは、咄嗟に下を向いて目が合うことを避けた。
「む、まだ息のあるものがいるようだが……どこかで見た覚えのある顔だな」
「無視して問題ありませんよ。既に心は死んでいます。このまま崩壊に巻き込まれ、土に埋まるだけの運命ですから」
「そうか、それは残念だ。ここに来てからというもの、不完全燃焼な戦いばかりだったゆえ、やっと気持ちよく戦えるかと思ったのだがな」
イマからの説明を受け、ヒューマはイースへの興味を無くす。
この時、イースがまだ抗う意思を宿した瞳をヒューマに見せなかったことが、イースが命を拾う大きな要因となっていたのだが、イース本人もそれに気づくすべはない。
「そういえば、アレの処分はちゃんとしてくれましたか?」
「ああ、致命傷は確実に与えた。獣人とはいえ、そう長くは持たぬはずだ」
「とどめは刺さなかったんですか?」
「少し邪魔が入ってしまってな。まずかったか?」
「いえ、問題ありませんよ。運よく生きていたとしても、それで不都合があればその時に殺せば済む話ですから」
「なら我としては運よく生きていることを願おう。さすれば今度こそ本気の獣人と戦えるやもしれぬ」
「ほんと、筋金入りの戦闘狂ですね」
「筋金入りはお互い様といったところだろう。それより、ここを出る準備はできているのか?」
「ええ、もちろんです」
ヒューマの疑問に対して、イマは返事をすると同時に、壁に描かれている魔法陣に魔力を流し込む。
『転移門創造』
何も無いはずの空中。その空中が歪むようにぶれ、次第にそのぶれの範囲が広がっていく。
大きさにして人一人分が余裕で収まるほどまで広がると、歪みの拡張が止まる。
拡張が止まると同時に、歪んで見えた空間は輪郭を残して、まったく別のものへと変貌していた。
それはここではないどこかの景色。
「ッ……!?」
横目でその一連の流れを見ていたイースは思わず息を飲む。
それを見るのは初めてながらも、知識として知っていたからだ。
遠く離れた二地点間の瞬時の移動を可能にする『転移門』。それが空間に浮かぶ歪みの正体。
そしてその『転移門』を魔法陣で創り出したということは、考えられる未来はただ一つ。
イマたちがこの場から離れ、どこか遠い場所へと移動するということ。
「では行きましょう。あまり長く持ちませんから」
「魔法陣か……、かつて我が生きていた時代と比べると随分便利な世の中になったものだ。まだ改良の余地はあるようだがな」
イマとヒューマ、二人がイースに背を向け、『転移門』へと足を進めていく。
それを見たイースに湧き上がるのは、これで殺されなくて済むという安堵の感情。
しかし、相変わらず心の奥底から囁きかける声は消えない。
本当にそれでいいのか――と。
普通なら、それでいいはずなのだ。
相手は格上、数的にも不利。
メインすら見抜くことができていない。
戦ったところで時間稼ぎすら叶わず、犬死するのは明白。
それよりも今はなんとか生き延びて、ここで得た情報を誰かに伝える方が、はるかに最善の行動だ。
頭では理解出来ている。何が正しいのか、どう動くべきか。
だからこそ――イースの体が動いていたのは、理性ではなく本能故の行動。
理屈的な正しさではなく、ここで動かなければ自分の何か大切なものが死ぬ。
それが何かは分からなくとも、イースには確信があったのだ。
両腕は既に使い物にならない。
ならば己の体をぶつければいい。
身体強化に加速魔法を重ねがけし、位置的に近くにいるヒューマに向かって走り出す。
無防備なその背中に、渾身の体当たりをくらわせてやるために。
敵を壊せるのならば、己が壊れてもかまわない。
自身の命すらも捨てる覚悟で、イースは敵の元へと飛び込んでいく。
しかし、敵はそんな覚悟すらもあざ笑い、見下す。
『擬似封神魔法・時空切芻』
命果てるまで止まらない――その覚悟で走り出したイースの動きがピタリと止まる。
「っ――!」
意図しない完全な急停止であり、イースがどれだけ力を込めても指先一つ動かせず、声すら出すことができない。
まるで空間そのものの時間が止められたかのように。
対象を極限まで遅くする自身の魔法が、子供のお遊びだと感じてしまうほどの理外の魔法。
そんな魔法をイースにかけた女は、ゆっくりと振り返り笑う。
「バカね。そのまま大人しくしていれば、もう少しだけ長く生きられたのに」
「ほお、まだ心は死んでいなかったか。無謀ではあるがその意気やよし」
「感心していないで、さっさと首でもはねてください。うっとおしいですから」
「ふむ、無抵抗の相手を一方的に切りつけるのは気が進まぬが……」
ヒューマは少し考える素振りを見せるも、すぐに鞘から刀を抜いてイースへと近づく。
「とはいえ、これも男一人が選んだ道。文句はあるまいよ」
一歩ずつ、一歩ずつ、命を刈り取る死神が近づいてくるなかで、イースはその死をただ待つことしかできない。
「―――」
悔しげな言葉すら吐き出せないなか、ヒューマはイースの首に対して水平に刀をかまえる。
「ではさらばだ。名も知らぬ勇敢な少年よ」
ヒューマのかまえていた刀がブレ、遅れてそれが刀が振るわれたことによるものだと理解する。
一つ救いがあるとすれば、体が固定されているため、迫り来る刀を見なくて済むことだろうか。
動かない体とは反対に、死に際で加速していく思考の中で、イースはついに自身の生を諦める。
ああ、これで終わりか――
避けられぬはずの死の未来。
しかしその未来を覆すために、一人の少年がヒューマとイースの間に割って入る。
それは動くはずのなかった、死んだはずの少年。
「いい度胸だったぜイース! このクソのっぽと同意見なのは癪けどな!」
その少年――トーヤ・ヘルトの割り込みに、イースとヒューマ、そして既に転移門を通過し終えたイマも、目を見開いて驚きを露わにする。
イマが動揺したおかげか、イースにかかっていた魔法も解除され、その身は自由のものとなり、すぐさまイースは己に迫っていたはずの刀に目を向けた。
なぜ刀が来ないのかではなく、どうやってトーヤが刀を止めたのか知るために。
その方法は至極単純なものだった。
親指と人差し指、その二本の指で刀を挟み込んでいたのだ。
動く刀を的確にとらえ、振るわれる勢いを万力のような握力で殺すという、力と技を必要とする方法。
そんな規格外の方法で命を救われたイースは思わず感嘆の声が漏れる。
「トーヤ様……!」
そしてまた、感嘆とは別物だが、つい声が漏れたのはイースだけではなかった。
「オーヤ……」
信じられないものを見た、と言わんばかりにトーヤを見て驚愕するヒューマ。
今のヒューマにとって、刀を止められたことなどもはやどうでもよかった。
そんなヒューマに対し、トーヤは額に青筋を浮かべて、刀を止めているのとは反対の腕を力の限り振るう。
「俺は!!! トーヤ・ヘルトだぁ!!!!!」
叫びとともに繰り出されたトーヤの拳が、無防備なヒューマの顔面に直撃する。
その勢いは直撃しただけで終わらず、身長が2メートル以上あるヒューマの巨体を浮かせ、拳を振り抜いたことでさらに数メートル先までふき飛んでいく。
転移門をくぐり、イマのすぐ隣を通過し、さらにその奥へと。
「トーヤ・ヘルト……、ああ、たしかデクルト山で名をあげた次男がそんな名前だったわね」
仲間がやられ、自身の隣を通過していったことなどには目もくれず、イマは納得したというようにトーヤを見つめる。
一方のトーヤも、イマだけにその視線を向けている。
転移門を挟んで見つめ合う二人だが、お互いに動こうとする気配は見せない。
そうしている間に、時間経過による『転移門』の縮小が始まる。
徐々に『転移門』が小さくなっていき、お互いの上半身だけが見えるほどになったところで、イマがその口を開く。
「また会いましょう。トーヤ・ヘルト、憎き我が子孫よ」
「絶対に会いに行く。イマ・ヘルト、打倒すべき我が御先祖様」
イマとトーヤ、二人はまるで恋人同士のような笑みを浮かべ、その再会を誓った。
そしてついに転移門は消滅し、部屋にはトーヤとイースだけが残る。
ひとまず大きな危機が去ったことで、力が抜けてその場に倒れ込むイース。
そんなイースにトーヤが心配そうに近づいていく。
「大丈夫かイース」
「え、ええ、はい。俺は大丈夫です。それよりトーヤ様が――!」
少し落ち着いたことで、イースはトーヤが致命傷を負ったはずだったことを思い出す。
しかしイースの心配をよそに、トーヤはケロッとした様子を見せる。
「平気だ平気。ありゃただの死んだフリだ。この通りピンピンしてるよ」
「でも、すごい血が――!」
「これのことか?」
そう言ってトーヤが袖をまくると、細い管のようなものが伸びており、手首の辺りにある管の先端からは赤い液体が流れ出る。
「面白いだろ。こんな単純なおもちゃでも使い方次第で役に立つんだから」
「じゃ、じゃああの血は……」
「だいたいは仕込んでたもんだ。それほどの量は仕込めなくとも、自前のと合わせりゃ致死量の出血に見えるだろ?」
「なら魔力弾で貫かれたのも演技か何か……」
「いや、そっちはマジだ」
トーヤが服を持ち上げて腹部を見せると、そこには見るも痛ましい傷があった。
「安心しろ。臓器は全部避けてるから命に別状はねえよ」
「ええ……」
イースは軽くひいた。
「とにかく俺は大丈夫だ。それより今は外の方が心配だ」
「外、ですか?」
「ああ、イマのあの言い方だと、コクマにとって都合の悪い証拠は全部消すつもりだった。となると、この支部自体を消滅させることが一番手っ取り早いはずだ。この支部には、それができるだけの要素がそろってるからな」
「……」
イースはトーヤの言う要素について考え、そしてすぐにその答えにたどり着く。
「黒竜……!」
「そういうことだ。アレを解放すりゃあ確実にこの統括支部は跡形もなく消え去るだろうよ。統括支部だけにとどまらず、周囲一帯を更地にした上、国家存亡の危機にまで発展してな」
「で、でも、そんなことをすればむしろ逆効果じゃないですか? 黒竜の出現がコクマによるものだとわかれば、世界中からの非難は避けられないはずです」
「コクマが黒竜を飼育してました――誰がそんな話を信じるよ。それにな、みんな死んでしまえば正確な発生源なんてわからないし、真実は簡単に闇の中だ」
「ッ……!?」
トーヤの話す未来が簡単に想像できてしまったイースは、思わず体が震えるのを自覚する。
「なら、今すぐにでもなんとかしないと……!」
黒竜の解放、それも十体全てが解き放たれることになれば、それがどういう事態を引き起こすのか。
コクマの人間はもちろん、周辺の何も知らない人たちも、果ては学園の友人たちまで、みなが等しくむかえる死。
どう足掻いても最悪の展開ばかりがイースの頭に浮かぶ。
しかし、デクルト山で黒竜の脅威を直接感じたはずのトーヤに、それほど焦りの色は見えない。
「いやほんと、最終手段ってのは最後までとっておくべきだと実感するよまったく」
「トーヤ様……?」
「そんな心配そうな顔するなイース。安心しろ、最悪の事態に備えた策はまだある。それに――」
トーヤは話の途中で振り返り、部屋の入口に目を向ける。
「今すぐにでもなんとかするために、そいつを連れてきたんだろ? リリー」
トーヤにつられてイースも振り返ると、部屋の入口にはリリーと、そのリリーに支えられるようにして、支部長であるウルシュが立っていた。
「おや、支部長さんを連れてきたのは好判断だった感じですか? さすがは私、冴えわたってますね」
「遺憾ながら今回ばかりはな。さて、こっからはマジで出し惜しみなしの総力戦だ。悪意ある黒幕はもういない。ミスフィットもコクマも関係なく、人類に敵対する災害を食い止めるぞ」
コクマシール王国統括支部崩壊まで、残り30分――
変則真剣白刃取り