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偽りの英雄  作者: 考える人
第六章 シール王国統括支部攻防戦
149/158

ケモノと獣



 コクマ指令部 地下通路


 イースとイマの戦いが激化していた一方で、リリーと支部長ウルシュによる戦いも、その激しさを増していた。

 それもイマがイースを圧倒していたのと同じように、ひどく一方的な形で。


「さあ、もっと上げていきますよ。しっかりついてきてくださいね」


 リリーは挑発するように言葉を投げかけ、ウルシュの周囲を高速で動き回る。

 ただの横の動きだけでなく、壁や天井を足場として利用する三次元的な動きも加えて。

 もはやそれは、ウルシュ以上に獣の動きに近い。

 その動きになんとかついていこうとするとウルシュだが、認識のズレが積み重なっていくことで徐々に追いきれなくなり、その隙をつかれてリリーから攻撃を受ける。

 戦いが始まってからというもの、そのパターンばかりが続いていた。

 攻撃は物理攻撃であったり魔法攻撃であったりと様々。

 しかしその全ての攻撃が、ウルシュに対して確かなダメージを与えている。


「ちょこまかと……!」


「ほらほら、こっちですよ。ノロマなお犬様」


 リリーのとる戦法は、ヒットアンドアウェイというとても単純なもの。隙を見て一撃加え、即座に離脱。

 だがその単純な策にウルシュは遅れをとっている。

 目や鼻といったどれだけ優れた感覚器官を有していようとも、それで得た情報をリリーの動きよりも素早く処理できなければ意味が無い。


 そしてウルシュにとってなによりも問題なのは、ヒットアンドアウェイで繰り出される一撃一撃が決して軽くないということだ。

 ただでさえ指令室の戦いで深いダメージを負っているウルシュにとって、そう何度もくらえるものではない。

 戦闘が長引けば、どちらが有利になるのかは明白。


 そのためウルシュは動く。

 相手は指令室で戦ったミスフィットの誰よりも強く、基本的な能力が高い獣人の性能を、多くの点で上回っている。

 そんな相手に勝つためには、多少の賭けに出るほか道は無い。


『獣化――(しん)


「ぐ、るぅ……!」


 ウルシュがどこか苦しそうにうめくと、まるで動物が相手を威嚇する時のように、全身の分厚い表皮が逆立っていく。

 獣化―――ウルシュの使用したこの技は、獣の本能を前面に出すことで能力を底上げする代わりに、理性を奪い、人としての思考を鈍らせる特徴を持つ。

 そしてこの技の一番の問題点は、獣化が深くなればなるほど、人としての理性を取り戻せない可能性があるということ。

 メリット以上にデメリットの方が大きく、通常なら決して使用することのない技なのだが、通常(・・)の戦い方で勝機が見いだせないウルシュには、この技に頼るしかなかった。


 相も変わらず、高速で動き回るリリー。

 その動きを、人とは比べ物にならない動体視力で、より鋭敏になった嗅覚で、わずかな音すら聞き逃さない嗅覚でウルシュは追う。

 鈍る思考力を捨てさり、本能のままに、衝動が示すままに動く。

 それにより、先ほどまで後追いするしかできなかったリリーの動きが、まるでコマ送りのように感じられる。


「そこだ―――!」


 リリーの動きを完全に見切ったウルシュは、勢いよくその手を伸ばす。

 伸ばした先にあるのは空中を飛び交うリリーの姿。

 これにはリリーも驚きの表情を隠せない。

 そしてウルシュはそのままリリーの片足をがっしりとその手で掴む。


 捕まえてしまえば、こちらの勝ちだ―――


 リリーの動きを止めることに成功し、勝利を確信するウルシュ。


 しかし、手の中にあった確かな感触は、ウルシュがまばたき一つした瞬間に失われ、捕らえていたはずのリリーはその姿を消していた。


「バカな……!?」


 そしてそれとほぼ同時に現れた、自身の背後からの匂い。

 それは間違いなく、リリーのものだった。


「っ……!」


 咄嗟に勢いよく振り返ると、そこには手のひらの上に球体のようなものを載せたリリーの姿。


『精霊の息吹』


 リリーが球体に息を吹きかけると同時に、暴風のような何かがウルシュを襲った。


「っ……!」


 脚部を負傷しているため踏ん張ることもできないウルシュは、魔法攻撃の勢いのまま壁に叩きつけられる。

 そのまま床に倒れ、咳き込むと同時に口から出たものには血が混ざっていた。


 それはまさに、勝敗を左右するのに決定的な一手。


 しかし、その一手を打った本人は不満気な表情を浮かべている。


「う~ん、いまいちパッとしないですね。まあ、詠唱もタメも省略したとなるとこんなものですか」


 自身の放った魔法の威力に納得がいかない様子のリリー。

 本人の感覚としては、全力で放った時の3割ほどの威力。


 とはいえ、本来なら周囲一帯を壊滅させるほどの威力を持つ『精霊の伊吹』。

 それを一身に受ければ、当然無事では済まない。

 それでも、ウルシュは遠のきかける意識をなんとか保ち、再び立ち上がってみせる。


「……まだ、だ」


 そしてさらに、獣化を深めたことによって回りの悪くなった頭を無理やり働かせ、リリーが自身の手の中から逃れた(すべ)にたどり着く。


「転移魔法、か……」


「あら、なんのことでしょう」


 わざわざ相手に情報を与える必要もないため、とぼけてみせるリリーだが、ウルシュの推測は的を得ていた。

 そしてこの転移魔法こそが、トーヤが口にしていたリリーの奥の手であり、一人で戦わせることを簡単に許した理由でもある。


「しかしその傷でよく立ち上がりますね。もう立っているだけでやっとでしょう。そんなにも今の生活を守りたいですか? 奪い、利用し、踏みにじる生活を。それとも、トカゲの飼育生活がそんなにも恋しいですか?」


 血を流し、痛みに耐えながら立ち上がるウルシュへの言葉。

 挑発するような言葉ながらも、そこには侮蔑以上に怒りの感情が含まれる。


 そんな言葉をぶつけられ、ウルシュは言い返すのではなく、無視するでもなく、同じように怒りを見せるのでもなく、ただ受け入れた(・・・・・・・)


「ああ、恋しいとも。きっと昔の俺では、もう立ち上がれていなかったはずだ」


 もちろんそれは、リリーの言うトカゲの飼育生活が――ではない。

 ウルシュの頭に浮かぶのは、一人の女性の姿のみ。

 どれだけひどい状況であろうとも、その姿を思い浮かべるだけで、何度でも立ち上がろうと思える――


「ははっ」


 そこまで考えて、ウルシュは思わず笑みを浮かべた。

 これではあまりにも人間らしすぎるではないかと。そんなどこか自虐的な笑み。

 人を物としか見れなかった自分が、愛を知らなかった自分が、根本から変わった、変えられたことを自覚し、ウルシュは人を捨てる覚悟を決める。


『獣化――深度最大』


 人としての意識を抑え、限界まで自身の体を獣へと近づけるウルシュ。

 最大まで獣化を進めた状態で、人としての理性を取り戻せる確率はかなり低い。

 それでもウルシュが獣化に踏み切ったのは、さらにリスクを負わなければリリーには勝てないという事実と、絶対に人に戻れるという確信があったから。


「っつう、グゥ……!」


 思考が今まで以上に鈍く、しかし嗅覚や聴覚はより鋭く変化していく。

 そのうえでウルシュは、鋭くなっていく感覚器官の全てをリリーのためだけに向ける。

 足の痛みはもはや気にならない。

 その姿は目の前の獲物だけに狙いを定め、本能をむき出しにする、まさに獣のそれ。


「グルゥゥゥゥ……!」


 理性を失い、ウルシュが人としての意識を完全に手放そうとしていたその刹那、それは思わぬ形で(・・・・・)阻止される。






「やっと隙を見せたな。賢しい獣よ」






 リリーでもウルシュでもない第三者の声。

 その声が発せられたと同時に、ウルシュの腹部から鋭い刃が伸びる。


「……は?」


 突然の出来事に、ウルシュは自身の身に何が起きたのか理解できない。

 事の一部始終を目撃したリリーも、目を見開いて驚くばかり。


 痛みにより、深く沈んでいた意識の獣化が完全に解かれ、理性を取り戻したウルシュは己の背後を振り返る。

 するとそこにいたのは、よく見しった顔であり、仲間であるはずの相手。

 その相手が、ウルシュの背に刀を突き立てている。


「ヒューマ……、なぜお前が……!?」


「顔見知り相手に刃を向けるのは我とて心苦しいが、残念ながら上から(・・・)の指示でな。お主は殺処分というわけだ」


 ウルシュからヒューマと呼ばれたコクマ本部からの使者は、笑顔を見せながら突き刺した刀を乱暴に引き抜く。

 引き抜かれた箇所からは勢いよく血が吹き出ており、その血がヒューマの体を赤く染める。

 そんなヒューマに、同僚を刺したことを気にする様子は微塵もない。


「獣人状態のお主を殺すのはかなり苦労すると予想していたが、いやはや、我の運も捨てたものではないらしい」


「ゴホッ……、グゥ……」


「まさかこれほどまでお主が弱らされているとは、さすがに想定外だったぞ。こういうことがあるから我は生を捨てられぬのだ」


 血を吐きながら倒れるウルシュに対し、ヒューマはただ淡々と告げる。


「まあもっとも、ついぞ本気のお主とぶつかり合う機会がなかったのは残念ではあるが……おっと!」


 もはやウルシュに目をやることも無く、気持ちよく話を続けていただけのヒューマだったが、突如飛来してきた魔力弾によって、その話は遮られる。

 魔力弾自体はそれほど苦もなく避けたものの、直撃すれば間違いなく命を一つ(・・・・)散らしていたであろう威力。

 そんなものを躊躇無く放ってきた相手に、ヒューマは興味深そうに目を向ける。


「この状況で我が敵であるかどうかは確定しないはずだが……、判断が早いのか、それともただの阿呆か」


「あなたの見た目が殺したいほど嫌いだから、かもしれませんよ?」


「阿呆の方だったか」


 魔力弾を放ったリリーと避けたヒューマ、二人は睨み合いながら好戦的な笑みを浮かべる。

 しかし、今にも飛びかかりかけていたリリーとは違い、ヒューマが仕掛けたのは逃げの一手だった。


「お主とも戦ってみたかったことは確かだが、あいにく急ぐ身なのでな。また機会があればその時は手合わせ願おう」


 そう言ってヒューマは天井に向けて数回刀を振るう。


「ちっ……、こすい真似を」


 リリーはヒューマの意図を察し、廊下の奥へと進んでいくヒューマを追うのではなく、床に倒れているウルシュの元へと駆ける。

 そのままウルシュの体を掴むと、引っ張るような形で乱暴にウルシュを投げ飛ばす。

 リリー自身もすぐにその場から離れると、先ほどまでウルシュが倒れていた場所には、天井の一部が勢いよく崩れ落ちた。


「あーあー、これではすぐに追うことは叶いませんね」


 落盤により、逃げたヒューマとは完全に分断されたリリー。

 瓦礫を処理すれば通れないことはないが、それなりに時間がかかるだろう。


「なぜ……ゴホッ、俺を助けるようなマネをした。俺を殺すんじゃ、なかったのか」


 血を吐き出しながら、仰向けに倒れた状態でウルシュはリリーに問いかける。

 この時のウルシュはダメージを受けすぎた影響もあり、獣人化が解除されたことで、体が獣のものから人の姿へと変化していた。

 ただ獣人化が解けたところで、全身に深いダメージを負っており、血染めの事実は変わらない。


「まあ……、最初はそのつもりだったんですけどね…………やめました。どうやらあなたも、所詮トカゲの尻尾でしかなかったようですし」


 それに――と続けると、リリーは困ったような表情をしながら告げる。


「相手がどれだけクズであろうとも、関わって、言葉を交わして、拳を交えて、それで少しでもいいところを見つけてしまえば、もうその時点で嫌いになれない(たち)なんですよね、私」


「いいところ……だと?」


「ええ、伴侶を愛し、大切にするというのはそれだけで尊いことです。うちの両親なんて、父がよそで子供を作ってたことがバレて、夫婦仲最悪なんですから。廊下で父とすれ違うたびに舌打ちする母はもう見たくありませんよ」


 げんなりとした表情を浮かべ、リリーは倒れているウルシュに近づき、刺された傷口を確認する。


「最初はただ好意を利用して都合よく操っているだけかと思っていましたが、今までのあなたの行動を見ていれば、それは違うのだとわかりますしね」


「……お前たちに悟らせるような行動は、何もとっていなかったはずだ」


「もちろんそれだけではありません。潜り込ませていた人間からの情報も含めてです。指令室に私たちが侵入した時、ナディアとともに戦う選択をとらず逃がしたのは、戦闘の足手まといになるから……ではなく、万が一のことを考えて、でしょう?」


「…………」


「確信を持ったのはつい先ほどですけど」


 リリーの話す『つい先ほど』とは、今の生活が大切かと煽るように問いかけた時のこと。


 ああ、恋しいとも―――


 そう告げたウルシュの表情は、とても穏やかなものだった。

 リリーには妹のように嘘を見抜く力や言葉の真意を見破る力は無い。

 それでも、ウルシュの表情が偽りのものであり、自身のことだけを考えた利己的な発言ではないということは、リリーにも理解できた。


「償えないほどの、ゲホッ、悪事を重ねた人間が、自分は、大切なものを、守ろうとしていることを、お前は笑うか?」


 血を吐き、呼吸を荒げながらもウルシュは言葉を続ける。

 そんなウルシュに対し、リリーは笑った。

 しかしその笑みは相手を嘲る笑みではなく、慈しむ優しい笑み。


「笑いますとも。あなたが、罪悪感という人として備わっているべき感情をちゃんと持っていたという事実を、こうして知ることができたんですから」


 リリーの慈しみは表情だけではなく、その行動にも表れるように、ウルシュの傷の応急処置を始める。


「本当に罪深いというのは、死という結果でしか罪を償うことができない人間のことです。しかしあなたは違う。罪の意識がその身にあるのならば、生きていても死んでいても、その罪を償っていく術があると、私は信じています」


「……」


「っと、これは……」


 その時、応急処置をしていたリリーの表情が途端に厳しいものに変わる。


「やはりダメか」


「……ええ、間違いなく致命傷です。むしろ、まだ生きて意識があるのが不思議なくらいですよ。これも獣人としての特性みたいなものでしょうか」


 致命傷――その言葉を聞いたウルシュに大きな動揺はない。

 刺された時点で、そのことをなんとなく察していたのだろう。


「……さて、と」


 最低限の処置を終えたリリーは立ち上がり、落盤した方に目をやる。

 そして手に魔力を集中させ、魔力弾で積み上がった瓦礫を弾き飛ばす準備を始める。

 もちろん、逃げたヒューマを追い、トーヤたちと合流するためだ。


 しかし―――


「っとお!?」


 思わず集めていた魔力が霧散するほどの、大きな揺れ(・・)がリリーを襲う。

 ただそれはリリーだけを襲った揺れではなく、建物全体が、それどころか統括支部全体が揺れるほどのものだった。当然、リリーにそれを知る術はないのだが。


「地震……? 偶然、ではないですよね」


 このタイミングでの揺れを、自然災害だと思えるほどリリーは楽観的ではない。

 とはいえ、その原因を特定するにはとても情報が足りなかった。


 しかし、傍で倒れていた男は違う。


「まさか……!?」


 ウルシュはこの大きな揺れに、心当たりがあった。

 それも自身とミスフィットのメンバーだけでなく、妻であるナディアや、遠く離れた場所にいる娘までもが命の危険にさらされる、とびきり最悪の心当たりが。


「どうやら、あまり歓迎できる話ではないみたいですね」


「その通り、だ。ゴホッ、おそらく、俺とお前たち、ハァ、だけでなく、この国にとっても、最悪なことが、起こっている」


 ウルシュはそこで一旦言葉を止め、できる限り呼吸を整え、力強い目をリリーに向けながら告げる。


「俺を、この先の部屋に連れて行って欲しい。もしかしたら、最悪の結果を止められるかもしれない」


「……」


 ウルシュの言葉を受けて、リリーは少し考える。

 ウルシュを共に連れていくということは、敵の親玉をトーヤ達のともへ連れていくということ。

 いくら戦闘能力を失っているとはいえ、時間のロスも覚悟で、わざわざそんなことをする理由がリリーにはない。

 最悪の結果を止められる――その言葉が真実かどうか、リリーにとって何の確証もないのだから。




 だからこそ(・・・・・)、リリーは笑って告げる。


「いいでしょう」








 コクマシール王国統括支部崩壊まで、残り45分――――




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