獣人との戦闘
統括支部指令室――
イン&ソフィー vs 支部長ウルシュ
支部長であるウルシュは獣人としての力を、ソフィーは鬼族としての力を、持ちうるその全ての力を解放して拳をぶつけ合う。
防御することを放棄した二人の戦闘は、壮絶という言葉に尽きた。
ウルシュは鬼のような形相で、一方本物の鬼であるソフィーは満面の笑みで、殺意を込めた拳をぶつける。
とにかく相手より速く、とにかく相手より強く、己の拳を叩き込む――それだけを行動原理とした殴り合いにより、二人の周囲には絶えず血が飛び散っていく。
さらにそこに――インがウルシュの背後に回り込み、その背中に触れると同時に魔法を発動させる。
『加重効果付与』
「ぐっ――!?」
魔法が発動されることによって、ウルシュは自身の体が不自然に重くなるのを感じ、その動きが鈍る。
そんな明確な隙をソフィーが見逃すはずもなく、今まで以上に力を込めた拳をウルシュにぶつける。
ソフィーがメインで戦い、インがサポートに回るこの形で、常に優位に立ちまわっていた。
もちろん、高速で動き続けるウルシュとソフィーの間に割って入り、的確にサポートし続けるのは簡単なことではないのだが、影に所属するインにとって戦闘サポートは一番の得意分野であり、苦になるようなことはない。
しかしそれでも、攻撃を受けたウルシュは精々数メートルほど後ずさるだけ。
インたちが優位に立ちまわってはいても、そこに勝機はまるで見えない。
その証拠に、同じように殴り合っているウルシュとソフィーだが、疲労の色が強く見えるのはソフィーだけだった。
流血量もソフィーの方が目に見えて多い。
それを理解しているインはまずいと思いつつも、現状以上に優れた戦い方は思いつかず、ただ体力と時間、そして魔力だけを消費していく。
(このままじゃソフィーが先に限界を迎える。なんとかしようにも、私たちだけじゃどうしようもない。せめてもう少し人数がいれば――)
打開策を考えようにも、焦りで思考が上手くまとまらないイン。
そんなインの背中を、誰かが触れた。
「っ――!?」
インは驚いて勢いよく振り返るも、そこには誰もいない。
しかし誰もいなかったからこそ、インは誰がいるのか理解できた。
「……もしかしてラシェル?」
「フーバーもいるわ」
姿こそ見えないものの、返答の声がインの耳に届く。
その声は今のインにとってこれ以上とない朗報だった。
単純に手数が増えたのもそうだが、フーバーならばウルシュに有効打を与えられるかもしれないと考えたからだ。
「フーバーの魔法を試してみて」
「わかった」
了承の声と共にインの背中に触れていた手が離れる。
インが指示したのは、ラシェルの幻術魔法でフーバーを引き連れてウルシュに近づき、フーバーが攻撃を仕掛けるというもの。
この時のインは、ウルシュにフーバーの攻撃が通じるかどうか――ということしか頭になかった。
つまり、ラシェルの幻術魔法が通じないかもしれないという大前提の可能性を、微塵も考えていなかったのだ。
それは今までの実績からくる、ラシェルの魔法に対する信頼性の高さ故のもの。
だが今インたちが相手にしている存在は、獣人という世界の常識外にいる異常存在。
そんな相手に対し、今までの実績などは意味をなさないという事実が、インの思考からは抜けていた。
「――え?」
インは目の前の光景に思わずマヌケな声を出してしまう。
その光景とは、ウルシュがソフィーとの殴り合いから離脱する姿だった。
ウルシュは突如ソフィーに対して背を向けると、力の限り床を踏みつけてソフィーから距離をとる。
しかしその行動はソフィーから離れることが目的ではなく、別の敵に近づくための行動。
「新しい臭いが二つ……そこか」
そう言ってウルシュは、何もない場所で腕を振り上げる。
そんなウルシュの姿を見たインは、バレていることを察した。
「逃げろ!!」
インの叫びの甲斐もなく、無情にもウルシュの腕は振り下ろされ、何もなかったはずの空中に大量の鮮血が舞う。
それと同時にラシェルの魔法が解除され、ラシェルとフーバーの姿があらわになる。
フーバーの背中は血まみれになっており、二人の態勢を見たインは、フーバーがウルシュの攻撃からラシェルをかばったのだと推測する。
当然ウルシュはラシェルとフーバーに対してとどめを刺そうとするが、それをインとソフィーが阻止するために動く。
インは自身に加重効果を付与したうえで殴りつけ、ソフィーもそれと同時にウルシュを殴りつけることで、ウルシュをその場から吹き飛ばすことに成功する。
「傷の状態は!?」
「くっ……だ、大丈夫だ。派手に血は出てるが、思ったより傷はあせぇ」
痛みに顔をしかめながらも、フーバーは自力で立ち上がる。
「ごめん、私をかばったせいで……」
「いいいいいいんでさぁ、これくらい!」
いつも通りラシェル相手にどもりまくるフーバーを見てインは一安心するが、状況は依然として苦しいまま。
むしろ先ほどより悪くなったと言ってもいい。
「ちなみに、フーバーの魔法は通用しそう?」
「いや、近くで見てわかったけど、あらぁ無理だわ。分厚い体毛が邪魔して、間違いなく時間がかからぁ」
「そう……」
芳しくないフーバーの報告を受けたインは一つ目のプランを諦め、二つ目のプランを検討するため、ソフィーに尋ねる。
「一瞬でもいいから、今以上に強い攻撃を与えることってできる?」
「う~~ん、タメを作れたらいけるかも~~」
「どれくらい必要?」
「5分~~~」
「なっがいわね。まあいいわ、やってやろうじゃない」
インはソフィーを自分たちの後ろに下げ、改めてウルシュと向き合う。
「私とフーバーがメイン、ラシェルがサポート。異論は?」
「「ない」」
その返事と共に、誰かが合図をするわけでもなく、インたちは同時に動き出す。
まずフーバーがウルシュに向かって走り出し、ラシェルは幻術魔法でその姿を消し、インはその場で飛んだ。
インが行ったのはただの跳躍なのだが、跳ぶ瞬間に自身の体を極限まで軽くしたことで、その最高到達点は天井にまで届くほど。
天井にまで到達すると、今度は逆に極限まで体に重さを加え、ウルシュに向かって落下した。
高さと重さを最大限掛け合わせたインの攻撃。
それに対してウルシュは回避を選択するのだが、前方からはフーバーが距離を詰めてきていたため、後方に下がるようにして避けようとする。
しかしその瞬間、ウルシュは自身のすぐ背後に、ほぼゼロ距離で誰かがいることを、獣人特有のするどい嗅覚で認識する。
先ほど姿の見えないラシェルの居場所を特定したのも、その力によるものだった。
ウルシュは即座に振り返り、鋭い爪が伸びた手を振るう。だが――
「……なに?」
振り返ったそこには誰もいない。
そして先ほどのような手応えもない。
ただ数メートル先で、仮面を付けた少女――ラシェルがウルシュに向けて手を伸ばしているだけだった。
『虚偽世界・嗅覚虚偽』
「やっぱり、目じゃなくて鼻で探知してたのね」
見えている少女からは一切の臭いを感じず、誰もいないはずの目の前から臭いを感じる。
そんなちぐはぐな状況にウルシュは一瞬頭が真っ白になってしまい、インの上空からの攻撃を避けることなく受けてしまう。
『加加・加重蹴斗』
「ぐっ――!」
全ての勢いを余すことなく足に集約させ、インはその足をウルシュへと振り下ろす。
ウルシュはなんとか腕でガードするも、その腕からミシリと嫌な音を鳴る。
さらに床が割れ、踏ん張る足がそのままめり込むように沈んだ。
だがそれでも、ウルシュはその攻撃を受け切った。
ウルシュはすぐ攻撃態勢に入り、空中で無防備状態のインに殴り掛かる。
しかしインは自身の体重を最大にすることで、自由落下の速度を上げてその拳をかわす。
「ほら、ふところががら空きだぜぇ」
そんな攻撃後の隙ができたウルシュに向かって、今度はフーバーが拳を叩き込む。
さらに追い打ちをかけるようにラシェルからの魔力弾が、ウルシュの頭部に命中する。
「ちっ……うっとおしい」
次から次へとたたみかけられるウルシュへの攻撃。
しかもその上、インが腕、フーバーが腹部、ラシェルが頭部といったように、執拗なまでに同じ場所に叩き込まれていく。
一撃一撃はさほど大した威力ではないものの、絶え間なく続けられるその攻撃にウルシュは苛立ちを覚える。
ウルシュはインたちの息の合った連携により反撃に出られず、インたちはウルシュに有効打を与えられない。
お互い時間だけを消費していく状態が続くが、時間稼ぎが目的のインたちにとってそれは願ったりの状況。
そして狙い通り、5分という時間稼ぎをインたちは達成させた。
「きっかり5分よ! いける!?」
「バッチリ~~~!」
インからの問いかけに、ソフィーは言葉と爆発的に上昇させた魔力で答え、正拳突きの構えをとり、上昇させた魔力の全てを右手に集約させていく。
「そんなわかりやすい攻撃が、当たると思っているのか」
明らかに大技狙いのソフィーに対して、ウルシュが警戒心をあらわにしたその時、ソフィーがその場から消える。
しかしそれを見てウルシュが慌てることはない。
幻術魔法によるものだとタネが割れていることもそうだが、持ち前の鋭い嗅覚でソフィーと、ソフィーのすぐ傍にいるラシェルの居場所が見えずとも特定できていたからだ。
ラシェルの幻術魔法は、視覚と嗅覚の同時併用はできない。
ウルシュはこれまでの短い戦闘中にその制限を突き止めており、目と鼻の両方で追えば、完全に見失うことはないと考えていた。
だからこそウルシュが慌てることはない。だがそれは、ソフィーたちに意識が持っていかれていることに他ならない。
「ほら、まーたふところが空いてるぜぇ」
自身から意識が逸れた隙をフーバーは見逃さず、ウルシュの腹部へと手を伸ばす。
そのフーバーからの攻撃を、ウルシュはあえて無視した。
どうせたいしたダメージを受けることはないと、高をくくってのもの。
しかしその予想とは裏腹に、ぐちゅりという音をたてて、フーバーの指先がウルシュの腹部から体内へと侵入する。
「がっ、あ――――?」
「やっと、分解せたぜ。とはいっても、指をくいこませるのが限界だってんだから、情けねぇ限りだよなぁ」
侵入したのは指先分だけ。
巨大な体躯を持つ獣人のウルシュにとって、それは軽傷も軽傷。
だが、一本一本が鉄のような硬さを持つ体毛と、鋼の肉体をいとも簡単に貫かれたことに驚きを隠せない。
困惑するウルシュに対し、さらにインによる追撃が決まる。
『水平加重・線』
それは無防備な背中への蹴り。
身体強化と加重魔法の重ね掛けによる蹴りの威力は、ウルシュに確かな痛みを与え、数歩分よろめかせる。
その数歩分は、ソフィーの間合いに侵入するには十分な歩みだった。
幻術魔法が解け、ウルシュの目の前にソフィーが再び姿を現す。
ソフィーは正拳突きの構えで引いていた拳を、解き放つようにして勢いよく突き出した。
慌てて防御姿勢をとるウルシュだが、慌てていたウルシュには気づけない。
ソフィーが本当に立っているのは、その一歩隣であることに。
ウルシュが見ているソフィーは幻影であり、その幻影が放とうとしている拳に対して、ウルシュは防御の構えをとっている。
そのため、ソフィーの拳は容易にウルシュの防御をすり抜け、渾身の一撃が獣人の体に直撃した。
『瞬間出力最大――――鬼々怪々 七ノ番・泰山』
タメをつくり、魔力を練り、それを一気に開放することで、限界を超えた威力を放つソフィーの最後の切り札。
その威力はまともに受けたウルシュの体を宙に浮かせ、数メートル先の壁に叩きつけるほど。
「グゥ――――!」
骨がきしみ、脳が揺れ、視界がブレる。
喉の奥で血が逆流し、自身の意識が遠くなっていくのをウルシュは自覚する中で、まるで走馬灯のように、一人の女性との記憶を思い出す――――
ーーーーーー
「好きです――」
学園という学び舎を卒業してそれほど年月も経っておらず、自身からすればまだ少女とも言えるような人物が、己にその好意を打ち明ける。
その言葉を受けてウルシュが感じたのは、都合がいい――という血の通わない重いのみ。
あらゆる面において優秀な人材が、自身に好意を向けているという事実。
その事実を利用し、上手く操ってやろうという思考のみが、ウルシュの考えていた全てだった。
だからこそ、その時のウルシュには想像することもできない。
絆や繋がり、友人や恋人。そんな言葉を何一つ知らずに育ったウルシュ。
そんなウルシュにとって、この少女が――現副支部長のナディアが、己の罪を共有する雄一の理解者になることを。
『え!? 統括支部の外に出たことないんですか? じゃあ今度一緒に行きましょうよ――って、一緒に休みをとれることなんてそうそうないですけど』
『これですか? 学園の時の友人からの手紙です。先生になるためにがんばってるらしくて』
『どこを好きになったのか? う~ん、いつも一人で何かを背負ってるような、そんな顔してたからかな。そんなあなたに対して、何か力になれないかって気持ちが湧いて、多分それがきっかけだったんだと思う』
『あなたの口から、好きだって言葉を聞いたの初めてかも』
『ほら見て、私たちの子よ』
『言ったでしょ。あなたの罪は私が半分背負うって。全てを聞いたあの日から、私はあなたと一緒に地獄に落ちる覚悟だもの』
彼女からかけられた言葉、彼女から向けられた笑顔。彼女から与えられた温もり。
その全てがウルシュにとって美しい記憶であり、人生の光と言える思い出。
そしてそれは、ウルシュに本来持つはずのなかった力を与えた。
ーーーーーー
「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!!!!」
決着がついたかに思われた指令室の戦闘だが、ウルシュは痛みを無視して立ちあがると、血を吐き出しながら力の限り叫ぶ。
その姿は、自身を鼓舞しているようにも見えた。
「うそ……アレまともにくらって普通立てる?」
信じられないタフさに驚愕を隠しきれないインたち。
そんなインたちを睨みつけながら、ウルシュは叫び続ける。
「負けられるかっ! 負けられるものかっ!!!」
インたちミスフィットは、統括支部に侵入してきた言わば侵略者。
だがウルシュは、自分たちが正義の側にいるとは微塵も考えていない。
ミスフィットの目的が地下にあるのなら、むしろミスフィットが正義の可能性すらあると考えている。
しかしそれでも、ウルシュは引くわけにはいかなかった。
統括支部を守るためではない。
コクマという組織を守るためでもなければ、組織に従事する部下達を守るためでもない。
ただ愛する者との日常を守るため――――そんな自分勝手な願いのために、ウルシュは倒れずに立ち上がる。
たとえいつか地獄に落ちるのだとしても、その未来を少しでも先送りするために。
今まで発していた叫びに、ウルシュは魔力を乗せた。
『振獣咆哮』
それにより、ただ大音量だっただけの声が、敵に対する攻撃へと昇華される。
「っつう――!」
「うっ!」
「いってぇ!」
大気が震え、肌が震え、体が痺れるほどの叫びを受け、インたちは一人残らず咄嗟に耳を塞ぐ。
身動きもまともにとれない中で、叫びの影響を受けずに動けたのはウルシュのみ。
最初に狙われたのはソフィーだった。
「あ――」
先ほどのお返しと言わんばかりに、ウルシュは力の限りソフィーを殴り飛ばし、数メートル先の壁に叩きつける。
次に狙われたのはフーバー。
「しまっ――!」
フーバーはなんとかウルシュから距離をとろうとするものの、獣人の脚力にはかなわず、その勢いのまま蹴り飛ばされる。
このままではまずい――そう考えたインはウルシュの動きを止めるために動く。
『加重波状領域』
しかし、その魔法は発動されることなく、インはふらつくようにして膝をつく。
「やっば……もう魔力が――」
そんなインの姿を見たウルシュは優先度を下げ、ラシェルに狙いを定める。
ラシェルの姿は幻術魔法により目視できていない。
しかし臭いで大まかな位置が分かるウルシュは、攻撃手段として投擲を選ぶ。
壁や床が破壊されたことで転がる破片を手に取り、それを握りつぶして細分したものを、ラシェルのいるであろう辺りに投げ飛した。
投げられた破片の一部は不自然な軌道を描き、何もない空中に血が飛び散る。
それを見たウルシュは命中したことを確信し、雄たけびを上げた。
「アオオォォォォオオン!!!」
獣人の猛威により、一瞬でその数を半分以下に減らすミスフィット。
まさに絶望的な状況で、ため息をつきながらインはなんとか立ち上がる。
「あーあ……、やっぱり貧乏クジじゃない」
倒れて動かない仲間たちを尻目に、ぼやくようにつぶやいたインは――
――勝つことを諦めた。